2013年07月11日投稿。
雨の季節が過ぎ去って、暑い夏の気配がそこかしこに満ちてきた。
「ほれ、皆好きに書きな」
言いながら、ばさりっ、夕餉の席で座長が笹を放り投げて寄越すので、銀は首を傾げた。他の者は、配られた短冊を手にとって、思い思いの願いを口にして話に花を咲かせている。
「えっと、座長、これはどういう……、」
銀がきょとんと座長を見返すと、さも当然とでも言うように、座長は怪訝な表情を浮かべて言った。
「皆の短冊をくくりつけて、神社に奉納しに行くんだよ」
「神社?」
「そうさね」
銀は思い返す、去年のことを。そういえば鴉に連れられて大きな神社に笹を奉納しに行ったような気がする。そこは確か恋の神様だとかなんだとか。
「行けるのがお前とお紀伊しかいないからねぇ」
「……、」
銀は首を傾げる。確かに純粋な妖しの類は神域には入れない。妖力が高ければ高いほど、強い神気にあてられてしまう。
しかし、それは妖力が高ければの話だ。
この妖怪一座の中には、妖力を持たぬ者がもう一人いる筈だ。そう、鴉だ。
「座長、鴉は?」
尋ねると、座長はすごく不愉快そうな表情を浮かべる。それに面食らって、つい銀は、目をぱちくりとさせた。
鴉と座長は旧知の仲だ。多少の某はとんとんにさせてしまう程度には、気心も知れてるし、鴉が自由に動き回っても何も言わないのが座長だ。その筈だ。
「鴉はねぇ、もう暫く帰ってきやしないよ」
そう言った座長の声が吐き捨てるようだったので、銀は思わず肩を竦めた。
すると、後ろからお妲が銀に抱き着いてきて、
「銀の字、アンタは何て書くんだい? アタシはアンタと甘味屋行けますようにとでも書こうかねぇ、」
と嬉しそうに言った。
くすくすと笑いながら言うお妲に、銀は顔を真っ赤にして硬直する。それを見て座長が苦笑いしてから、お妲の髪を一度だけくしゃりと撫でてから、付け加えるようにまた、銀に言った。
「じゃ、皆の短冊、よろしく頼むよ」
そうして踵を返し、さっさと部屋へと帰って行ってしまった。
その様子をぽかんと銀が見つめていると、後ろから抱きついたまま、お妲がぼそりと言った。
「ケンカしたのさ。よくあることさね。鴉は家出しちゃって、今いないのさ」
「え……、」
「ま、そのうちひょっこり帰って来るだろうからねぇ、それまでお仙は、そっとしといておやり」
そんな、座長と鴉が喧嘩だなんて。
銀にはあまりその光景が思い浮かばなかったが、そういえば梅雨に入る前からずっと、鴉の機嫌が悪かったことを考えると、有り得ないことではないかもしれない。
そんな感じにぼんやり考えていると、目の前に紀伊がひょっこり、お愁と一緒にやってきた。手にはたくさん、短冊を持っている。
「銀の字がお姉ちゃんといちゃついてる間に、もう皆、短冊書いちゃったよ」
「いちゃつ……!?」
その言葉に銀は慌てるが、お妲は何ともない風で、更にぎゅっぎゅと抱きついてくるもんだから、もう銀はさっきまでの座長と鴉とのことなんて考えてられなくなって、自分の鼓動が速くなるのを感じた。
「姐さ……、あの……、胸……、」
しどろもどろで銀が言うのにお愁が呆れたように首を振ってから、笹を取り上げて言った。
「お紀伊ちゃん、だめ。銀の字は使いものにならない。短冊、結び方教えてあげるね」
そう言ってお愁は笹を持って部屋へととてとて帰っていく。それを見てから紀伊も、銀に呆れたかのように首を振ってから、短冊を持ってお愁についていった。
そうして広間を見渡してみると、もうお妲と銀が二人だけしかいなかった。
「ちょっ、お紀伊、おいっ、」
慌てて呼び止めるが、お妲がぎゅっぎゅと抱きついてくるもんだから、もう次第に抵抗する気もなくして、掻きついてくるお妲の手に自分の手を重ねた。
「ふふっ、あの二人仲良くなっちまって、本当、可愛いもんだねぇ」
アタシたちに気を遣ってくれたんだねぇ。
いやいやいや、呆れてるだけだって、っていうか、姐さん、もう、本当、もう、
嬉しそうに言うお妲に銀は心の中で言葉を返してから、はぁ、一つ溜め息を返してからぽつりと漏らした。
「敵わないなぁ」
そんな銀の心を知ってか知らずか、お妲はくすくす笑って皆の短冊よろしくたのむよ、なんて言うもんだから銀は、仕方ないな、敵わないな、ともう一度心の中で言いながら、暫くの間、その腕の中に甘んじるのだった。
朝、まだ日も顔を出したか出してないか、そのぐらいの時間、銀は紀伊の手を引いて、去年鴉に連れられて行った神社に笹を運んでいた。
右手に持った笹には、皆の様々なお願い事が書いてあり、ふと目をやるとひらがなの拙い字で、「たくさんたべる。きい」なんて短冊を見つけて銀は苦笑いした。
「お紀伊、お前そんなに食い意地張ってどうするんだ」
そう言いながら、いつの間にか字が書けるようになっていたのかと思うと何だか微笑ましかった。
そんな願いの詰まった笹を持って、開いたばかりの神社へと朝一で奉納してしまうと、銀は言いようのない達成感を覚えて、軽い足取りで家路についた。
そしてほとんど長屋に帰った頃、あ、と思い出して血の気が引くのを感じた。
「俺、短冊書いてないじゃん」
そんな銀を尻目に、紀伊はぽてぽて先に帰って行くもんだから、もう引き返すこともできなくて、銀はがっくり肩を落として帰らざるを得なかったとさ。
続く
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