2013年07月10日投稿。
ざぁざぁと雨が長屋の屋根を打ち付ける。こんなに長く雨が続くのは初めてだからか、紀伊はここ最近、毎日毎日飽きもせず雨を眺めていた。
「あぁもう、梅雨は本当、困るなぁ」
銀は風呂場に洗濯物を干してしまってから、溜め息を吐いた。
「でもまぁ、お紀伊は雨が楽しいみたいだし、いいか」
そう言って部屋に戻ろうとすると、紀伊がお愁と傘一つ差して何処かへ出掛けようとしているのが目に入り、銀は慌てて後を追い掛けた。
「ちょっ、ちょっと待てよ! こんな雨の中何処行くんだよ」
紀伊の奴、ちょっと人に化けられるようになったからって。
「二人だけで出て行ったら危ないだろ」
はぁはぁ息を急ききらせ、何とか追いついた銀は傘を持ったお愁の手を掴んだ。するとお愁は、事もなげに返す。
「あぁ、銀の字。あのね、紫陽花をね、見に行こうと思ったの」
「紫陽花?」
するとお愁はとても嬉しそうな顔をする。
「そうよ、梅雨になる前にお兄ちゃんが教えてくれたの、紫陽花が咲く神社がね、ちょっと行ったところにあるの」
「神社?」
そうしていくらか考えたけれど、思い当たる節がない。そもそも、妖力の強い座長が、進んで神域に行くとは考えにくかった。
「神社?」
銀はもう一度尋ねる。
「そうよ。道は覚えてるから大丈夫よ」
「二人で?」
すると、紀伊がぎゅっと銀の着物の袖を掴む。そしてぐいぐいと引っ張るので、どうやら一緒に来いと言ってるようだ。
銀は頭を掻く。
まぁ、どうせ雨で出来ることは限られてるしな。
「分かった、俺も行くよ。二人じゃ危ないし」
だからちょっと待ってろ、用意してくるから。
そう言って銀は自分の傘を取りに行った。
と、その時、
「銀の字じゃないかい」
後ろから嬉しそうな声でお妲が声を掛けてきた。
「どうしたんだい、傘なんて持って」
「あ、姐さん……、あの、お紀伊がお愁と紫陽花を見に行くって言うんで、危ないし、俺も一緒にって……、」
「紫陽花!」
銀の言葉が終わるか終わらないか、お妲はぱぁあああぁっと顔を輝かせた。
「もうっ、それならアタシも誘っておくれよ! あぁ、大丈夫だよ、アタシは銀の字の傘に入るから」
「はぁああああぁ!?」
言うと、お妲はすっとんきょうな声を上げる銀から傘をふんだくると、ばさりと広げた。
「え、ちょっ、姐さんと相合い傘……、」
顔を真っ赤にする銀を尻目に、ほら、二人が待ってるよ、なんて手を差し出してくるもんだから、もう、本当にこの人には敵わないな、と、銀は苦笑いしながら同じ傘の下へ入った。
お妲と二人、紀伊とお愁に合流すると、ぼそり、お愁が、お姉ちゃんが傘持つのね、なんて言ったのが聞こえた気がするが、銀はそれどころじゃなかった。
そうして四人連れ立って、ぼたぼたと傘を打つ音を聞きながら、お愁の言う神社へとゆっくり歩いていく。
紀伊とお愁が前で何か話しているようだが、銀はそれどころじゃなく、下を向いたまま、顔を上げることも出来ない。
お妲はいつものようにゆったりと、何も言わずに、嬉しそうに前の二人に付いていく。その横顔をちらり垣間見て、銀は溜め息を漏らした。
届かないなぁ。
「銀の字? 着いたよ」
ハッとして銀は前を向く。
するとそこには、打ち捨てられた鳥居があって、もう何年も何十年も放ったらかしにされて緑が生い茂って、だからこそ、その先には紫陽花が色とりどりに咲き誇っていて。
「すげぇ……、」
銀はぽつりと声を漏らした。
と、同時に、何だか寂しくなった。
もう、ここには誰も、いないんだなぁ、と。
「まぁ、今年もまた綺麗だねぇ」
お妲が嬉しそうに言う。
紀伊とお愁は花のすぐ傍まで寄っていって、きゃっきゃとはしゃぎながら紫陽花を見ていて。
だけど、そうか、もうここには誰もいないんだな……。
「銀の字?」
お妲の声に、ハッとする。
「どうしたんだい?」
心配そうな表情で手ぬぐいを差し出してくるお妲に、一瞬戸惑ってから、気付いた。
あれ、泣いてる?
「ははっ、何でだろう」
照れたようにごしごしと目を擦ると、それを制するかのようにお妲の手が頬に伸びてきた。
ばさりっ、傘が落ち、小粒の雨が二人を叩く。
「銀の字、」
「姐さん、濡れちま……、」
「ここは明治になって棄てられた鳥居の成れの果てさ」
「え……?」
「廃仏毀釈だなんだってお上が神さんを奉って寺を潰した成れの果てさ。神仏集合で崇められ金を得ていた神社は立ち行かなくなり、神主は首を吊ったそうだよ」
「……、」
「自分の祀ってきた神さんより何より生活苦に嘆いた挙げ句に何もかも捨てちまうなんて、本当に、人間ってのはどうしようもないねぇ」
言いながら、ぎゅっとお妲は銀を抱き締めた。
「アタシはそんな人間は嫌いじゃあないけども、忘れられた神さんにしちゃあ、とんでもない話さね」
「……、」
銀はそれには答えなかった。答えない代わり、お妲を抱き返して、ぼそり、濡れちまうよ姐さん、聞こえるか聞こえないかの声を漏らした。
そうして暫く抱き合っていたのだけど、ハッとして銀は手を放す。
そして慌てて紀伊とお愁を確認したら、二人は飽きもせずに紫陽花に魅入っているようで、銀はほっと息を吐いた。
そんな銀に、お妲は少しだけ、寂しそうな顔をしてから、ゆっくり、傘を拾った。
「濡れちまったねぇ」
「……、」
傘を揺らし、中に入ってしまった水を払ってから、また、お妲は何事もなかったようにそれを差した。
「まぁ、洗濯するのはアンタだし、たまにはこういうのもいいもんだねぇ」
そう言ってくすくす笑うもんだから、銀もつられて顔が綻んだ。
すると、後ろから声がする。
「お姉ちゃん、銀の字、見て、かたつむり、」
二人は一度顔を見合わせると、次は苦笑いをして、声に応えた。
「見て、かたつむり、二人仲良し、仲良しね」
見てみると、紫陽花の陰に隠れて、二匹の蝸牛が寄り添うようにそこにいた。それを紀伊が興味深げに見ているもんだから、銀はまた、苦笑いを浮かべた。
暫くして、お妲が声を掛ける。
「そろそろ帰らないと、お仙が心配するだろうねぇ」
「えぇっ、あっ、うん……、」
お妲の言葉に一瞬戸惑ってから、お愁はこくりと頷いた。そして紀伊に声を掛け、
「お紀伊ちゃん、紫陽花、終わり、また今度ね、」
名残惜しそうに蝸牛を見つめる紀伊の手を引っ張った。
紀伊は少しだけ、まだ見たいとでも言うようになぁなぁ鳴いて抗議の声を出していたが、すぐにそれも止めて、銀の後ろにべったりとくっついた。
「な、何だよお紀伊」
銀が言うのに間髪入れず、お妲がくすくすと笑った。
「おぶっておやりよ。お紀伊は銀の字の背中がいいんだってさ」
えぇえ……、嫌だよ……。
言おうとしたが、言えるはずもなく楽しそうに笑うお妲を前に言えるはずもなく。
「傘はちゃんと、アタシが持ってあげるから」
……、いやもう濡れちゃってるじゃないか……、という言葉は、そっと心にしまいつつ。
銀は溜め息を吐いて、紀伊をそっと背負ってやった。すると嬉しそうになぁーなぁー後ろから声がするもんで、まぁいっか、と、銀はゆっくり歩き出した。
それに合わせて弾むように前を行くお愁と、ゆったり寄り添うように歩いてくれるお妲と。
こんな雨の日も、いいもんだな。
銀はぼんやり思いながら、家路につくのだった。
夕飯後、紀伊はお愁に呼び止められて振り向いた。
そしてまた前を向くと、銀は紀伊が止まったのにも気付かずに、先々歩いて行っている。
そんな銀を指差して、お愁はそっと耳打ちした。
「銀の字、今日、お姉ちゃんと抱き合ってたね、もっともっと二人がちゃんと仲良くできるように、私達、頑張ろうね」
そうしてぎゅっと紀伊の手を握り、あ、と、思い出したように付け加えた。
「お紀伊ちゃん、私達がこうして二人をくっつけようとしてるのは、私達だけの秘密よ。誰にも言っちゃあ、ダメだからね」
それを聞いて、紀伊は嬉しそうになぁーなぁー鳴いた。
そう、これは二人だけの秘密の話なのだ。
銀とお妲が上手くいきますように。そう言ってお愁と二人笑い合ってから、紀伊は急いで銀の後を追うのであった。
続く
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