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2020年05月05日

【禍因子育て企画】「大正妖怪異聞-廓座お仙-」【手習いの話】

「無意味な言葉が僕の翼になる」より。
2013年07月12日投稿。




梅雨は長い。とてつもなく長い。
雨が降ると三味線の音も鈍るし、弾くではなく叩いて奏でる質の佐之助にとって、何とも憂鬱な季節であった。
何より、雨の時期は座長も鴉も機嫌と体調が悪くなるものだから、遊び相手がいないのである。一人遊びには慣れてはいるが、こうも毎日だとつまらない。
まだ梅雨に入り一週間も経たないのに、佐之助は既にうんざりしていた。
そんなとき、座長が長屋の奥に向かって歩いているのを目にした。珍しく化粧もせずに男物の着物を着ている。そして例に漏れず、不機嫌そうである。
佐之助は一瞬躊躇ったが、やっぱり何だか寂しかったので、とててててっ、走って座長に後ろから掻きついた。
「……、」
座長の反応がない。
不愉快に思われたかもしれない。機嫌の悪い時に掻きつきやがってと思われたかもしれない。そう思ってそっと離れると、座長がくるりと振り向いて、がしがしと乱暴に頭を撫でてくれた。
「どうしたんだい、佐之助」
どうしたもこうしたもない。寂しかっただけだ。
そう伝えたいけど佐之助は声が出せないもんで、しょんぼりと俯くしか出来ない。
そんな佐之助見て、あぁ、と、名案を思いついたとでも言うように、座長は手をぽんと叩いた。
「雨で毎日何処にも行けやしないし、つまらないだろう? 佐之助、お前、お紀伊に字を教えてやってくれよ」
そうだねぇ、お愁と一緒に教えてやったら、いつかあの子も喋れるようになるかもしれないねぇ。
そう言ってまた、座長はがしがしと頭を撫でてくれる。
「梅雨が明けたらお前の成果が楽しみだねぇ」
それを聞いて、佐之助の顔がぱぁあああぁっと明るくなった。そうしてくるりと踵を返すと、部屋へと急いで帰っていった。




佐之助が興行に出ることはない。謳いも出来ないし、見た目はただの人っ子と同じなので、一座には向かないのだ。
物珍しさに鴉に引き取られたのまでは良かったが、一座では特にやることもなく、つまらない毎日を過ごしていた。
そんな佐之助を見兼ねてか、座長はたまにお仕事をくれる。
手書きのチラシを作ったり、お得意様へのハガキを出したり、たまにお使いに立てたりしてくれた。
でも佐之助は、自分の馬鹿みたいに整っている字なんかより、座長のさらさらとした字の方が味があると思っていたので、自分に字書きの仕事をくれるのは嬉しいけれど、少しだけ、無理にくれてるんだと思うと、なんだか申し訳なかった。
だけれど今回は違う。
佐之助は古物の文箱をそのまま手にして、紙を鷲掴み、ばたばたとお愁の部屋へと向かう。
そう、今回は、整った字を書く自分が、適任なはずだ。
そう思うと何だか嬉しくなって、自然、足も弾むのだった。




佐之助は、気は長い方だと、自負している。
しかし、何度やってもいろは歌も書けぬ紀伊に、少し苛ついていた。
「お紀伊ちゃん、ひらがな、半分も書けないね」
二人で字を教え出して数日、とうとうお愁が言った。
今まで筆も何も持ったことがなかったのだから、字が汚いのはまだ仕方がない。佐之助の手本に準えて書くとそれらしいものは書けるようになったが、いざお愁がこの字を書けだの言うと混乱するのか半分も書けなかった。空でいろは歌も書けないし、佐之助は溜め息を吐いた。
自分の教え方が悪いのだろうか。
佐之助は俯いた。
声が出せない分は隣でお愁が口にしてくれている。今まで意思の疎通もこなしているのだから、言葉自体は解っているはずだ。
それでもいざ書こうとすると空では書けないもんだから、やっぱり字を準えて書かせたり、手本を見て書かせたりでは、覚えられないのだろうか。
そんな俯いた佐之助を見て、お愁はぽつり、ごめんなさい、と言った。
そうして二人とも俯き黙り込んでしまうもんだから、紀伊もしょぼくれてしまって、その日はもうお開きになった。




梅雨もそろそろ明ける。
佐之助は三味線を叩きながらぼんやり思った。
梅雨も明けるのに、折角座長にもらった役目も、全く進んでいない。ひらがなとカタカナを平行して教えてみたが、やっぱりいざ空で書かせると上手く書けないようだった。
これじゃあ、漢字なんて……。
そう考えると気が重くなって、自然と叩く撥も重たくなる。
佐之助は溜め息を吐いた。
今日はお愁と一緒に紫陽花を見に行くらしいから、手習いもない。ないから気晴らしに三味線を叩いているのに、やっぱり気分が乗らない。
自分には向いてないのかもしれない。佐之助は俯いた。声も出せないし、ひらがなでこんがらがっているだろうに、カタカナまで教え始めて。一緒に覚えた方が覚えやすいかと思ったのだけど、どうやらそうではないらしい。
佐之助はまた、溜め息を吐いた。
暫く溜め息は止みそうにないな、そう思うと余計気が重たくなるのだから、どうしようもなかった。




その日は月が出ていた。
夕餉の時はまだ雨音が聞こえていたのに。
そう思うと嬉しくなって、佐之助は三味線を手にとって、外へ飛び出した。




「おい、お前何処行くつもりや」
突然掛けられた声に、紀伊の肩がびくりと跳ねた。
そこには久方ぶりに見た、鴉の姿があった。
いつもと違い髪はそのまま垂れ流してあり、そしていつも以上に不機嫌そうであった。
一瞬、紀伊は答えるか迷うような素振りを見せたが、すぐに鴉の着物の引っ張ってなぁなぁと鳴いた。
すると、
「ちゃんと喋りよし!」
鴉がばちん、帳面のようなもので思いきり紀伊の頭を叩いてから、それと一緒に万年筆を差し出した。
「なんやの。喋らんならここに書きぃ」
紀伊はそれをふんだくると、使い慣れない万年筆に戸惑いながらも、がりがりと書いた。
さのすけどかいつちやつた
それを見た鴉は、面倒臭そうに息を吐いた。
「それで? 追い掛けてどないすんの、佐之助よりここらに詳しゅうないお前が」
「……、」
このままかえつてこなかたらきいのせい
しょんぼりと紀伊は書いた。
それを見て、鴉は鼻を鳴らす。
「佐之助が帰ってこんわけがねぇだろ」
それでも紀伊はそうは思わないらしく、必死で鴉を引っ張って、どうやら一緒に探しに行けとでも言っているようだ。
くそ面倒臭ぇな。
鴉は舌打ちをするが、あまりに紀伊が必死で引っ張るもので、それをいなすのも面倒だと思い、仕方なしに外へ行くことにした。
鴉には人ならざる力を行使すれば探し物はだいたい見つけられるのだが、今回はそうするまでもなかった。
なんとなく、佐之助の行きそうなところなど考えがつく。
ぽてぽてと紀伊を連れて歩きながら、新しくできた空き地へと、向かっていった。
その空き地は梅雨前に佐之助と一緒に見つけた空き地だった。後で家を建てるにしろ、どうせ今は梅雨で何にもしてやしないだろうと踏んでいたら、まさしくそうだった。空き地には瓦礫が積み重なっている場所があり、その上で黒い影が、撥を叩いている。
佐之助だ。
一瞬、紀伊はきょとんとして首を傾げた。
どうやら大きい佐之助が佐之助だと分からないらしい。そんな紀伊を尻目に、鴉は瓦礫へと近付いた。
「佐之助、帰るぞ」
言うと、影は驚いたように目を開き、撥を止めた。
そんな鴉の後ろから、とぼとぼと紀伊がやってくる。それを見て佐之助は、少しだけ目を逸らしてから、また撥を叩き始めた。
すると鴉は溜め息を吐いてから、舌打ちをする。
そして振り返って紀伊に一言、帰るぞ、と、声を掛けてから先々と歩き出した。
そんな鴉と大きな佐之助を交互に見ると、紀伊はどっちをどうすればいいのかなんて分からなくなって、なぁーなぁー、悲しそうに鳴きながら、鴉に渡された帳面にがりがりと書いて佐之助に差し出した。
するとそれを見て、佐之助は吃驚したように目を見開いてから、少し照れたように笑って、首を振ってから、さきにおかえり、と返してやった。そんな佐之助を暫く紀伊は待っているようだったが、鴉が不機嫌そうに呼ぶので、帳面を懐にしまって、その場を後にした。
雨上がりの月夜に、弦を叩くその音が、妙に心地好かったのだけ、覚えている。




次の日の朝、お愁と一緒に紀伊が佐之助の部屋を覗くとそこには誰もいなくて、二人顔を見合わせて俯いた。
「お紀伊ちゃん、今日は私と、お勉強ね」
そう言ってとぼとぼお愁の部屋へと戻ってると、嬉しそうに佐之助がばたばたと走ってきた。手には見たことのない、どうやら洋物の本のようだ。
佐之助がそれを開けると、そこにはいろんな玩具や道具の絵が描いてある。
それを見て、お愁と紀伊が目をきらきら輝かせていると、佐之助はそれに万年筆でがりがりと文字を書いていった。ひらがなカタカナに簡単な漢字も使い、物の名前を書き込んでいく。
「そうか、絵と一緒だと覚えやすいかもね」
お愁が嬉しそうに言うと、佐之助は笑ってそれを紀伊に差し出した。
紀伊はその本を大事に腕に抱えると、頑張るぞ、とでも言うように、なぁー、と一声鳴いた。
梅雨明けももうすぐ。
三人の頑張りは、まだまだ始まったばかりである。


続く






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