ラジオから「手紙〜拝啓十五の君へ〜」が聴こえていた。
不意に、涙がながれた。
*****
男は涙を見せぬもの、という世代だ。
気持ちや感情を出さないよう教育を受け、
出すすわけにはいかない現場にどういうわけか恵まれた。
だだ漏れの部分もあったはずだが、ともあれ
それを目指す日々を何年も過ごし、涙など枯れた感覚だった。
心の病気になった。
こわれるところがあったことにおどろき、存外あわてた。
考えるに、認識のずっと以前からそうだったのだろう。
居合わせた方々、いてくれた方々には申し訳ないかぎりだ。
気づき、思いやり、感性といったものは、能力であって、
おそらく素質として、わたしには欠けていて、
こうなった遠因のひとつだ。
だが、能力には筋力の側面がある。ならば、生きる限り
その能力に近づくことをあきらめるべきではなかろう。
仕事もなくなった。気兼ねする必要は最低限になった。
何をどうしたかったか?
何かになりたかったか?
どう生きたかったか?
涙腺がゆるくなったのはおそらくトシのせいではない。
発出するタイミングを奪われたまま溜まったままだった、
気づけなかったなにものかが、
涙のかたちを借りているだけではないのか。
戦地で捕虜になったまま戦争が終わり、
収容所を放り出されたような感じだ。
そんな経験なかろうに。
*****
ラジオはいつしか「なごり雪」にかわっていた。
卒業の季節。
脳内自動変換で「なごり寿司」が流れ、わたしは吹いた。
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