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2019年10月29日

存在意義がなきゃダメですか?

前からこのブログで何度か書いていますが、
私は「世のため人のために生きなさい」系の言葉が苦手です。
なんで世のため人のために生きなきゃいけないんだろう、
生きたいから生きているじゃダメなんだろうかと思います。

大体何が世のため人のためになるかって
定義もよく分かりません。
今じゃ文化として認められている漫画やアニメも、
「価値がない」とバカにされていた時代があったそうですし。


役に立つ、立たないで計るのなら
絵画や音楽や映画はどうなんですかね。
私は漫画や映画や音楽が好きですが、
役に立つとか立たないとか考えたことないです……。
好きだから、気になるから、楽しいから見る。
それだけです。


意味を付けようと思えば何にだって付けられますね。
最近お菓子のパッケージの裏によくメッセージが書いてあります。
「頑張るあなたがこのお菓子と共に安らぎの一時を過ごせますように」
みたいな。
誰かが心を込めて作ってくださっているのはありがたいことです。

お菓子や音楽や映画は、人に元気を与えます。
楽しみがあるから、明日からまた頑張ろうと思えます。
だから見た後や食べた後に何かが残らなくても
「幸せ」を味わえるのであって、意味は十分にあるんです。
世のため人のためになっていますね。


……と
言っていけば、すべてのものに意味があり、
すべてが世のため人のためであると言えそうです。

でも物に込めた「思い」を購入者が受け取るかどうか、
そして提供する側が自信と誇りを持って
提供するものの存在意義を認めているかどうかは
人それぞれですよね。


以前私は、自分としては一生懸命心を込めてやっていることを
「そんなもの」みたいに言われて傷ついたことがあります。

誰かのためにと思って一生懸命やったことでも、
それを受け取ってもらえるとは限りませんよね。
色々考えて人にプレゼントをしたって、
相手の人はそれを別の人にあげるかも。


まいた種が必ず花開くとは限りません。
結局は受け取る側の自由です。

私も、何か作品を鑑賞するときに
創作物にどれほどの思いがこもっていようと
また「こういうメッセージを伝えたい」という意図があろうと、
勝手に別の解釈をしたり
「あー面白かった」で済ませているところがあります。


つまり、思いをまっすぐ投げても斜めに飛んでいったり
受け止めてもらえなかったりするし、
まっすぐ受け止めてほしいと望むから
受け止めてもらえなかった時に怒りやストレスに
なったりすると思うんです。

じゃあ、最初から「人のためになりますように」なんて
望まなければ良いような。

人の役に立ちますようにと願って作ったものが、悪用されて
自分の意図とは違うことに使われることだってあるかもしれません。
悪用とかじゃなくても、予想外の展開を生むかも。


環境汚染や環境破壊だって、悪い人がやったんじゃなく
ただ、人の役に立ちますようにと願って
みんなで進んでいったことの結果かもしれません。

そう、「人のために」……。


結局、なぜ人の役に立ちなさいと言われるかというと
それがお金に繋がるからですよね。
人が喜び、お金を出したいと思える物やサービスを提供すれば
生きていけるというシステムですから。

自分じゃ素晴らしい行いだと思うことをしたって、
それが人のためにならなければ、
自分以外の人間から価値を認められなければお金にはなりません。


でも逆に、役に立つかどうかと言われれば微妙な物でも、
人から求められればお金が入りますね。
流行りのよく分からないアイテムとか、不思議な絵やオブジェとか。

役に立つ立たないというより、需要と供給。
戦略とかいうものもあるのでしょう。
あまり好きな言葉じゃないですが。

「世の中お金だけじゃない」って思いたいところですが
「世の中お金だけじゃない、だけじゃない」ですよね。
お金じゃないと言ったってじゃあどうする? です。


それにしても、
止まらぬ環境汚染に環境破壊、地球温暖化の話とか聞いているのに
人間の真面目な話の中で
生き物たちの気持ちや立場に沿った話なんてあまり聞きませんね。
話すとしても、生態系がどうとか、
あるいは生き物を資源と見た話が多かったりして。

あとは「人の役に立つため」の話ばっかりです。
人、人、人、人……。
人間の話をしていることを忘れるくらい、人間の話しかありません。
他に生物なんか存在しないかのように。


人の役に立つって結局誰のために何をすれば良いんでしょう?
何をしたら一番人の役に立つんでしょう?
資源を掘り尽くし、生き物たちを隅へ追いやり、
人間のテリトリーを広げ開発して、
人類にとって住みやすい地球を目指し、子どもをどんどん増やして
子どもたちに小さいうちからしっかりお勉強をさせて
豊かな経済とやらを実現すれば良いんでしょうか。


そしてその手助けをする、
あるいは一時の憩いのために娯楽を差し出すことが
有意義で「世のため人のため」になることでしょうか。


私は正直正解が分かりません。
進む先も。
だから、「人の役に立つことをするべき」という話を聞くと
役に立つってそんなに大事なことなんだろうかと思ってしまいます。


「人の」役に立つかどうかで見ているから
地球環境や生き物たちのことが後回しにされて

「人の」ためになるかどうかで見ているから
益虫は殺さず利用して、
害虫は「人の」ためにならないから殺されて

命が「ためになる」とか「ならない」とか
一体何なんだろうと思います。
ただ生きたいだけなのに。


「人」とか「みんな」とか「世の中」って誰のことでしょうか。

人に喜びをあげようとしたって
その人の本当の喜びは分からないから
私が確実に幸せにできるのは私だけです。
だからみんな自分のためで良いんじゃないでしょうか。

別に人のためになりそうもない、欲しがる人なんて誰もいない。
そう思われる物にも需要があってほしい。
どうでもいいことがどうでもいいことじゃなくなってほしい。
役に立つとか立たないとか、そんな概念がなくなってほしい。
全部認められてほしい。

なんとなくそんな気分です。



posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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