2018年01月19日
日野コンテッサ1300
どうもです。
今回は前回の続きとしてコンテッサ1300シリーズについて書いてみたいと思います。
前回のコンテッサ900については残存台数も少なく、イベント等で見掛ける以外でまず出会う事のない車ですが、コンテッサ1300はそれに比べるとまだ稀にですが路上で出会える可能性のあるクルマです。
(と言ってもまずお目にかかることは無いですけど・・・)
因みに自分は今までコンテッサクーペは二回ほど路上で見かけたことがあります。
では早速本題に入ります。
日野自動車は今でこそ大型車専業の大メーカーですが、昭和30年代後半はまだ総合自動車メーカーを目指していたようで、積極的に乗用車開発も進めていました。
1964年9月にはコンテッサ900の後継車であるコンテッサ1300(PD100)がデビュー。
GR100型水冷直列4気筒エンジンは1,251ccの排気量から55PSの出力を発揮し、最高速度も900の110キロから130キロに向上しています。
ミッションはフルシンクロの3速で、900同様のロッドと電磁式併用のコラムシフト式。(900は1速はノンシンクロ)
又は4速フルシンクロのフロアミッションがありました。
グレードはデラックスとスタンダードを用意。
1965年度版自動車ガイドブックより
当初スタンダードはライトがデラックスの4灯に対して2灯でしたが、後にデラックスと同じ4灯式に改められます。
(初期の2灯はまだ実物に出会ったことがありません・・・もし残っていれば激レアだと思います! 4灯のスタンダードは20年以上前に旧車販売店の店頭にて実際に売りに出ていたのを見たことがあります・・・)
1965年度版自動車ガイドブックより
車体は900に比べて一回り大きくなり、デザインはイタリアのミケロッティが手がけたためにより上品で高級感のあるスタイリングになっています。
ミケロッティと言えば、以前の記事でも書きましたがプリンスのスカイラインスポーツのデザインを手がけた事で有名です。
続けて翌1965年4月にはコンテッサシリーズでは一番有名な1300クーペ(PD300)が登場。
こちらは同じ排気量ながらも圧縮比やキャブレターの変更で出力が65PSにアップ(型式はGR100のまま)
最高速度も145キロまで引き上げられました。
同年11月には1300セダンのボディにクーペと同じGR100型ツインキャブ65PSエンジンを搭載した1300Sが発売になります。(型式はセダンと同じPD100なので車検証上は区別が付かない)
1965年度版自動車ガイドブックより
余談ですが、上記の写真のうちセダンとクーペの履いているホイルキャップ、実際に市販車に使われたのでしょうか?
カタログ等ではよく見るタイプですが、通常見掛けるタイプは1300Sの履いているタイプなので、極初期だけなのか市販車には使われていないのか・・・昔から気になってます。
このほかにショーモデルとして、日野スプリント1300GTと言うコンテッサ900スプリントのイメージに似たモデルがありますが、900スプリント同様やはり生産化はされませんでした。
このように順調にシリーズ拡充を進めていた矢先の1966年、日野はトヨタと業務提携に踏みきり、トヨタ車の受託生産を始めました。
この結果、翌67年にはコンテッサシリーズ(他に小型トラックのブリスカも)生産終了となります。
トヨタとの提携の条件に乗用車からの撤退が含まれていたからです。
しかし、日野としては提携後もコンテッサの生産を止めてはいませんでした。
事実、生産終了とは市場には発表しておらず、その後も販売は継続していました。
また、66年にトヨタと業務提携を結ぶ寸前までコンテッサの改良を進めており、排気量アップやDOHCエンジンの試作も行われていたそうです。
また、業務提携が決まった後もコンテッサの改良は継続しており、生産工程を見直しバンパー位置の変更やダッシュボード形状の変更及び内外装の簡素化を施したマイナーチェンジ版と言えるコンテッサ1300マーク2の試作も完了しており、日野としては生産継続を模索していたようですが、提携の条件として乗用車生産からの撤退(=コンテッサ生産の終了)がトヨタから出されていた事から最終判断として生産終了となったようです。
(トヨタとしても生産継続の検討はしたようですが、トヨタ式の生産工程からするとコンテッサの生産方法はとても割に合わなかったようで却下されたと言う話です。)
実質的にコンテッサ1300の生産は67年までには終了し、以降は受注生産扱いで細々と69年まで継続しその生涯を終えます。
末期には部品をかき集めて生産したらしく、一部のボルト類などはトヨタの刻印入りの物が使われたりしているそうです。
また、輸出用の左ハンドル車を右ハンドルに改めて販売された車も複数台あるとの事ですが、メーカーから正規に販売された物なのかは分かりません。
64年からの1300シリーズ全体の総生産台数は55,027台と言われています。
また相当数輸出もされており、当時日野は海外進出も真面目に検討していた事が伺えます。
コンテッサシリーズ全般で約7年、1300シリーズに限って言えば約4年、クーペにいたっては3年弱と言う販売期間はとても勿体無いように思います。
ただし、販売台数を見てもそれほど多くは無く、リアエンジン車特有の操縦性の癖もあり万人に受け入れられるクルマと言うわけではなかったようです。
しかし、それでもデザイン的には当時の国産車の中でもダントツの一台で(自分はそう思います)、1300クーペは特に国際コンクールでの金賞受賞など輝かしい経歴を誇っているので、出来る事ならばもう少し販売が継続できていたならば・・・と素人的には考えてしまいますね。
メーカーからの部品供給も既になく・・・特に日野は乗用車の生産を終了してかれこれ50年近くなるので他社に比べても部品の入手は難しいと言えますので、所有されている方々は相当なご苦労があることとお察しいたします。
今ではほぼ旧車イベントでしかお目にかかれないレア車となってしまった日野の乗用車シリーズですが、実は現在でも常時見ることの出来る施設があります。
東京都八王子市にある、日野自動車21世紀センター内の「日野オートプラザ」にはコンテッサだけではなく日野製の小型車が一通り展示されており、他にもトラックやバス、果てはエンジンやミニカーまで展示されており、個人でも見学可能ですので興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか?(先ほど気になっているといったホイルキャップを履いたコンテッサクーペも展示されているようなので、自分もいつか行かなければと思っています・・・まだ行ってないのかよ!というご指摘は受け付けません。)
また、各種旧車イベントには「日野コンテッサクラブ」メンバー所有の綺麗なルノーやコンテッサたちが毎回展示されているので生コンテッサが見たい!と言う方は是非イベントに行かれる事をお奨めします。(私自身はコンテッサクラブに知り合いはいませんが・・・)
旧車イベントではコンテッサだけでなく、各種のレアなクルマにも出会えるので好きな方にはたまらないところだと思いますよ。
個人的には車は立派な文化財だと思っているので、もっと盛り上がってより良い環境になって欲しいと思います。
新年一発目にコンテッサを取り上げましたが、予想以上に記事が長くなってしまったので2回に分ける羽目になってしまいました。
今年は読みやすくコンパクトにまとめたいと思っていたのに、書いているとどんどん余計な情報を詰め込んでしまう悪い癖が出てしまいました。
次回以降はもう少しコンパクトにまとめるよう気をつけます。
ではまた。
今回は前回の続きとしてコンテッサ1300シリーズについて書いてみたいと思います。
前回のコンテッサ900については残存台数も少なく、イベント等で見掛ける以外でまず出会う事のない車ですが、コンテッサ1300はそれに比べるとまだ稀にですが路上で出会える可能性のあるクルマです。
(と言ってもまずお目にかかることは無いですけど・・・)
因みに自分は今までコンテッサクーペは二回ほど路上で見かけたことがあります。
では早速本題に入ります。
コンテッサ1300と言う車
日野自動車は今でこそ大型車専業の大メーカーですが、昭和30年代後半はまだ総合自動車メーカーを目指していたようで、積極的に乗用車開発も進めていました。
1964年9月にはコンテッサ900の後継車であるコンテッサ1300(PD100)がデビュー。
GR100型水冷直列4気筒エンジンは1,251ccの排気量から55PSの出力を発揮し、最高速度も900の110キロから130キロに向上しています。
ミッションはフルシンクロの3速で、900同様のロッドと電磁式併用のコラムシフト式。(900は1速はノンシンクロ)
又は4速フルシンクロのフロアミッションがありました。
グレードはデラックスとスタンダードを用意。
1965年度版自動車ガイドブックより
当初スタンダードはライトがデラックスの4灯に対して2灯でしたが、後にデラックスと同じ4灯式に改められます。
(初期の2灯はまだ実物に出会ったことがありません・・・もし残っていれば激レアだと思います! 4灯のスタンダードは20年以上前に旧車販売店の店頭にて実際に売りに出ていたのを見たことがあります・・・)
1965年度版自動車ガイドブックより
車体は900に比べて一回り大きくなり、デザインはイタリアのミケロッティが手がけたためにより上品で高級感のあるスタイリングになっています。
ミケロッティと言えば、以前の記事でも書きましたがプリンスのスカイラインスポーツのデザインを手がけた事で有名です。
続けて翌1965年4月にはコンテッサシリーズでは一番有名な1300クーペ(PD300)が登場。
こちらは同じ排気量ながらも圧縮比やキャブレターの変更で出力が65PSにアップ(型式はGR100のまま)
最高速度も145キロまで引き上げられました。
同年11月には1300セダンのボディにクーペと同じGR100型ツインキャブ65PSエンジンを搭載した1300Sが発売になります。(型式はセダンと同じPD100なので車検証上は区別が付かない)
1965年度版自動車ガイドブックより
余談ですが、上記の写真のうちセダンとクーペの履いているホイルキャップ、実際に市販車に使われたのでしょうか?
カタログ等ではよく見るタイプですが、通常見掛けるタイプは1300Sの履いているタイプなので、極初期だけなのか市販車には使われていないのか・・・昔から気になってます。
このほかにショーモデルとして、日野スプリント1300GTと言うコンテッサ900スプリントのイメージに似たモデルがありますが、900スプリント同様やはり生産化はされませんでした。
このように順調にシリーズ拡充を進めていた矢先の1966年、日野はトヨタと業務提携に踏みきり、トヨタ車の受託生産を始めました。
この結果、翌67年にはコンテッサシリーズ(他に小型トラックのブリスカも)生産終了となります。
トヨタとの提携の条件に乗用車からの撤退が含まれていたからです。
しかし、日野としては提携後もコンテッサの生産を止めてはいませんでした。
事実、生産終了とは市場には発表しておらず、その後も販売は継続していました。
また、66年にトヨタと業務提携を結ぶ寸前までコンテッサの改良を進めており、排気量アップやDOHCエンジンの試作も行われていたそうです。
また、業務提携が決まった後もコンテッサの改良は継続しており、生産工程を見直しバンパー位置の変更やダッシュボード形状の変更及び内外装の簡素化を施したマイナーチェンジ版と言えるコンテッサ1300マーク2の試作も完了しており、日野としては生産継続を模索していたようですが、提携の条件として乗用車生産からの撤退(=コンテッサ生産の終了)がトヨタから出されていた事から最終判断として生産終了となったようです。
(トヨタとしても生産継続の検討はしたようですが、トヨタ式の生産工程からするとコンテッサの生産方法はとても割に合わなかったようで却下されたと言う話です。)
実質的にコンテッサ1300の生産は67年までには終了し、以降は受注生産扱いで細々と69年まで継続しその生涯を終えます。
末期には部品をかき集めて生産したらしく、一部のボルト類などはトヨタの刻印入りの物が使われたりしているそうです。
また、輸出用の左ハンドル車を右ハンドルに改めて販売された車も複数台あるとの事ですが、メーカーから正規に販売された物なのかは分かりません。
64年からの1300シリーズ全体の総生産台数は55,027台と言われています。
また相当数輸出もされており、当時日野は海外進出も真面目に検討していた事が伺えます。
コンテッサシリーズ全般で約7年、1300シリーズに限って言えば約4年、クーペにいたっては3年弱と言う販売期間はとても勿体無いように思います。
ただし、販売台数を見てもそれほど多くは無く、リアエンジン車特有の操縦性の癖もあり万人に受け入れられるクルマと言うわけではなかったようです。
しかし、それでもデザイン的には当時の国産車の中でもダントツの一台で(自分はそう思います)、1300クーペは特に国際コンクールでの金賞受賞など輝かしい経歴を誇っているので、出来る事ならばもう少し販売が継続できていたならば・・・と素人的には考えてしまいますね。
メーカーからの部品供給も既になく・・・特に日野は乗用車の生産を終了してかれこれ50年近くなるので他社に比べても部品の入手は難しいと言えますので、所有されている方々は相当なご苦労があることとお察しいたします。
今ではほぼ旧車イベントでしかお目にかかれないレア車となってしまった日野の乗用車シリーズですが、実は現在でも常時見ることの出来る施設があります。
東京都八王子市にある、日野自動車21世紀センター内の「日野オートプラザ」にはコンテッサだけではなく日野製の小型車が一通り展示されており、他にもトラックやバス、果てはエンジンやミニカーまで展示されており、個人でも見学可能ですので興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか?(先ほど気になっているといったホイルキャップを履いたコンテッサクーペも展示されているようなので、自分もいつか行かなければと思っています・・・まだ行ってないのかよ!というご指摘は受け付けません。)
また、各種旧車イベントには「日野コンテッサクラブ」メンバー所有の綺麗なルノーやコンテッサたちが毎回展示されているので生コンテッサが見たい!と言う方は是非イベントに行かれる事をお奨めします。(私自身はコンテッサクラブに知り合いはいませんが・・・)
旧車イベントではコンテッサだけでなく、各種のレアなクルマにも出会えるので好きな方にはたまらないところだと思いますよ。
個人的には車は立派な文化財だと思っているので、もっと盛り上がってより良い環境になって欲しいと思います。
新年一発目にコンテッサを取り上げましたが、予想以上に記事が長くなってしまったので2回に分ける羽目になってしまいました。
今年は読みやすくコンパクトにまとめたいと思っていたのに、書いているとどんどん余計な情報を詰め込んでしまう悪い癖が出てしまいました。
次回以降はもう少しコンパクトにまとめるよう気をつけます。
ではまた。
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昔ご家庭にコンテッサがあったのですね。
羨ましいです。
小さい頃自分の家にあったクルマって、結構思い出としてしっかり覚えているものですよね。
その後シビックに乗り換えたとのことですが、やはりシビックの思い出もしっかり残っているのでしょうか?
コンテッサとはある意味真逆のクルマですよね。
また宜しければ見に来てください。
どうも趣味嗜好が似ているようで(笑)
コンテッサは高校の頃たまたま家の近くの幹線道路でクーペが走っているところを目撃して驚いたのを思い出します。
当時は旧車を扱うクルマ屋があることも知らず、どうやって維持しているのかすごく気になったものでした。
ノスヒロなどの雑誌を読むようになって初めて旧車ショップの存在を知り、免許を取ったらそういった車に乗りたいと漠然と考えるようになったのはその頃のことです。
旧車以外の現行車の知識はほとんどありませんでしたが、旧車の知識だけは相当蓄積されてましたね。
現在までにイベント以外でコンテッサに出会ったのは中古車屋(怪しげなところ)で売っていたのを含めても4〜5といったところでしょうか。
しかし、門鉄局さまも最初にコンテッサを探したというのがチャレンジャーですね!
日野の乗用車はプリンス以上に部品を探すのが大変そうなので、維持されている方はすごいと思います。
大型二種免許をお持ちなのですね。
自分は大型一種だけですのでちょっと羨ましいです。
それにしても免許を取得してからの車遍歴が日産車のみで2台だけとは随分一台を大切にされておられるようで尊敬いたします。
以前昔コンテッサクーペが欲しかったことを書きましたが、トモさんもそうだったのですね。何か車や鉄道車両の好みが同じで親近感を持ってしまいます。昭和末期〜平成になった頃中古車や旧車の雑誌で探しましたが製造から20年以上、たまにあっても異常に高価で初マイカーにするには整備の面なとハードルが高そうだったので諦めました。結局買ったのは当時大人気だったS13シルビアで今のR34に代替するまで10年間乗りました。免許歴31年で所有車は2台だけ、スカイラインはずっと乗るつもりです。
コンテッサは今見ても美しく魅力的なデザインですね。
RRの車は大型バスしか運転したことがない(大型2種所持)のでどんなハンドリングだったのか興味あります。
直進安定性が悪いなどと否定的な意見もありますが、根強いファンも多いので個性的だったことは間違いないですね。
今回も貴重な情報をありがとうございます。
やはり詳しい方の間でもSの生産台数については謎なのですね。
作りがセダンと違うと言うのは知りませんでした。
燃料タンクがクーペと同じ位置と言う事はシャシー部分はクーペと共通なのでしょうかね?
そういえば、随分昔に知人がシングルナンバーのSを所有していたような気がします。(知人の友人だったかも?)
自分は写真と映像(ビデオ撮影した物)をみただけで現車に触れる機会はありませんでしたが、やはり部品面の不安もあってあまり長くは所有していなかったようです。
今回もありがとうございました。
中々更新が出来ませんが、また是非覗きに来てください。
私、コンテッサSを所有しています。コンテッサSについては、生産台数がはっきり分からないらしいです。というのも、型式がセダンと同じであるためです。コンテッサクラブでも、Sを所有しているクラブ員はごく少数です。
また、セダンについては、コラム3速、フロア4速これは共にシングルキャブ仕様、S、駆動系はクーペと同じ仕様と面白いバリエーションです。また、セダンは、後部座席下あたりに燃料タンクがあり、Sはクーペと同じなので、ボンネットに燃料タンクがあります。ネタを小出しにしてすみません。思いついたことを書いてみました。
毎度読みにくい文章ですが、当ブログの記事を楽しんでいただけたようで嬉しい限りです。
ホイルキャップの件、情報を頂きありがとうございます。
あのタイプは初期の物だったのですね。
どうにもカタログ写真等ではおなじみなのに、実際にあのタイプが装着されている個体を見たことがなかったので、本当に市販車に使われていたのか気になっておりました。
これで長年のモヤモヤがスッキリいたしました。
コンテッサは熱心なファンに支えられてクラブの活動も部外者にはとてもしっかりしているように思えます。
この記事を書くにあたっても、コンテッサに関してはかなり詳しく書かれたHP等もありかなり勉強させていただきました。
私自身も若かりし頃に欲しいと思っていた時期がありましたが、流通量も少なく部品供給に不安が大きかった為購入することはありませんでした。
コンテッサSオーナー さまは実際にお乗りなのでしょうか?
ドライブフィール等とても気になりますので、もし今後機会があれば実際に所有されている方に詳しくお聞きしてみたいと思っております。