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2018年02月18日
泣けるオリンピック
みなさんはオリンピック見ていますか?
私はけっこうしっかり見ています。
それにしても羽生選手の金には
感動しました泣きましたよね。
ショートプログラムで完璧な演技には
胸がいっぱいになり
フリーでジャンプをぐらつきながら
絶えて滑り続ける羽生選手を見て
テレビに向って
「おまえ…
もう
ぼ、
ぼろぼろやないか…」
と泣きながら語りかけていたりして
かなりあぶない人になっておりました。
いやいやでも
必死に滑り続ける姿に胸がいっぱいになり
もうこれはアカンです。
どれぐらい泣いたでしょうか?
それはもう
『おおかみこどもの雪と雨』
を見たときぐらい泣いたでしょうか?
父が亡くなったときには
泣きもしなかった薄情な私ですが
羽生選手にはやられました。
いやー
オリンピック
疲れます。
あー
今日もこれから
見なくては
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2018年02月16日
紫外線の「外」の話
えーピョンちゃんオリンピックが盛んです。
ピョンちゃん
というとしてもかわいいい感じですね。
写真はバボちゃんです。
深い意味はありません 笑
ピョンチャンはすごく寒そうですが
晴れた日もあり
日差しがすごそうです。
なんかすごく
綺麗です。
でも冬の雪山と侮ると
けっこう焼けてしまいます。
紫外線は1000m標高が上がると10%も増え
雪の反射率は80%にもおよぶそうなので
それは焼けてしまいます。
今日はその紫外線の話をします。
紫の外にある線と書くが、この紫の外にある線とは何だろう?
そもそもこの紫とは何者なのか?
光は電磁波と呼ばれるエネルギーの一種です。
電磁波はその波長の違いから性質が異なっています。
電磁波の中で380nm〜780nmの波長のもの私たちは、
色として感じることができ、
「可視光線」と呼んでいます。
可視光線は波長の短い紫から始まり、
青、緑、黄色、オレンジ、赤で終わっています。
つまり、私たちは紫から赤の範囲のものを見ているといえます。
「紫外線」とはこの紫よりも波長の短いもの。
私たちには見えない電磁波なのです。
「紫外線」のいう紫とは、
可視光線の最短波長である紫を指し、
外とは「可視光線(可視範囲)」の外といえます。
「紫外線」よりももっと波長の短いものには、
X線などがあります。
また紫外線のことは「UV」と言われますが、
これは英語の「ultraviolet」の略であり、
「紫を超えた」という意味で、
「紫外線」と同じような意味です。
そして「紫外線」といえばもうひとつ似たものに
「赤外線」があのます。
「赤外線」とは「可視光線」最長波長の
赤の外にある電磁派なのです。
顔だけ焼ける
半生は
嫌だ…
2018年02月15日
思ってたんと違う
話を聞いて頭の中で「こんな感じ」と
想像していたものの
実際はだいぶ違ったということが
あると思います。
先日、私も衝撃的に思っていたことと
違うことがありました。
ちょっとした用があり
ある山岳・登山の専門出版社の編集部の
横を通りかかったことがあります。
まあ
山岳・登山系の専門ですから
たとえば
こんな感じの小道具が雑多に置かれていたり
登山靴とか帽子みたいなものが
ポンと置いてあるような感じだったり
するではないだろうかと
思っていたのです。
もう言ってしまえば
壁が
もうこんな感じでも不思議でない。
冬のシーズンをトレーニングしていたり
山に登りたい衝動に絶えられなく
ある意味、壁を登っている人がいても
不思議ではない
なんて思っていたんですよ
でも
実際は
実際は
こんな感じでした。
まるで無機質な会議室みたい。
ほ、
ほんとうですか?
と疑ったぐらいです。
もう整理整頓すぎるぐらいに綺麗で
ムダなものはなく
本とか資料とかも
積んでないような
そう言えば
観葉植物もあったかなかったのか
よく分からなかった感じでしたし
いやー
だいぶ
思っていたと違いました
イメージにひっばられて想像しては
いけないと
私はまたひとつ学びました。
2018年02月14日
初心を忘れないように
ポーポー・ポロダクションは
最新刊「アイデアの科学」で
20冊目の本を出させていただきました。
この本を書いたことで
今、改めて思うのは
「初心を忘れてはいけない」
という気持ちです。
ポーポー・ポロダクションが
最初に本を書いたのは
2006年
トリノ冬季オリンピックがあった年
その年も各地で大雪の被害がありました。
最初に書いたのは
「マンガでわかる色のおもしろ心理学」
なんかイラストが下手ではずかしい気持ちがありますが
志はとても高かった気持ちは覚えています。
世の中の型にはまった色彩教育に
嫌気がさし
「色はもっと自由なものだ」
とその気持ちをぶつけたものです。
当時の編集長にも
絵はうまいとかへたとかではなく
「勢い」があったと言われました。
あれから時間が経ち
ポーポーはいろいろなことを忘れてしまいました。
もう一度
初心に戻って
何かを作っていきたいなと思っています。
批判されてもいいから
自分が正しいと思うことを書きたいという
強い気持ちを
最初に読者から反応があった
あの喜びを
そして中学生のときにコンビニで
最初に週刊プレイボーイを買ったときの
あの緊張感を
忘れてはいけない
そう思いました。
2018年02月13日
転職こわい
ポーポー・ポロダクションを設立する前
いやいや
設立とか立派なものじゃなくて
単に開いたぐらいの感じなのですが
その前に
3社ほど会社員をしていたことがあります。
転職をしたのですが
私はたまにそのときの気持ちを思い出します。
私は大学に行く理由が
あまり明確ではなかった
どうしようもない人間でした。
なので大学中に
「自分は将来何をやりたいか」
と考えて
簡単な設計図を作っていたおぼえがあります。
最初の会社では何年間
○○と○○を学ぼう
次に
○○と○○を学べたらいいと思い
微妙に計画がずれたのしましたが
なんとなく計画通りに行けたきがします。
それでも実際に
会社に「やめる」と言ったときは
超ドキドキでしたし
次の会社に行くのも不安で不安で
仕方ありませんでした。
先に辞めた先輩が
「自分がいた会社に学んでもらっては困る」
と言って
作った資料を捨てたり
名刺を廃棄したりしているのを見て
自分はこうなりたくないと思いました。
私は会社によくなってもらいたいと思いました。
社長宛に
「会社を良くする20の方法」
レポートを書いていったこともあります。
(リアクションはありませんでしたが 汗)
転職した日に
同じ部署の同僚から
「馬鹿なヤツだ。うちみたいな会社に来て」
と言われでビビったこともあります。
入社してから緊張でか
しばらく食欲がなかったこともあります。
転職はなかなかか不安でした。
今でもなのときの気持ちを思い出して震えます。
それでも
今こうして自由に仕事をさせてもらっているのも
そうした経験なくして
できなかった訳で
出来るだけ早いうちに
挑戦してみてよかったなと思います。
転職はこわいです。
でも悩んでいても仕方ないですから
自分が成長するために
次の一歩に進むことも大事かなと
ずっと同じとこを成長なくただやっていくのは
いずれ苦しみが待っていると思います。
だいじようぶ
出来損ないの私もできたのです。
ポーポーをやって
もう10年以上が経ちました。
次の転職はないとおもいますが
それでも色々とポーポーとしてやりたいことは
まだまだあります。
でも転職のように今も不安です。
読者のみなさんにつまらないと見向きもされなくなったら
どうしようとか
契約している仕事がなくなったら
どうしようとか
重い怪我や病気をしたら
どうしようとか
ソフトバンクが
スーパーフライデーやめたら
どうしようとか
いろいろと不安があります。
いまでもずっと不安ですから
不安がないことなんてないんだと思います。
だったら同じ不安なら
行動してみたり
前向きに考えるのも悪くありません。
不安なときは
うまくいくイメージを持って
うまくいくイメージを大きくして
がんばろうと思っています。
私は
私は
20歳以下だから
牛丼は2杯もらえるはずと
イメージトレーニングをして
週末に向います!
2018年02月12日
あまりイライラしない生活を
ついイライラしてしまうことってありますよね。
細かいことでイライラ…
性格的に丸くなりたいものです。
私ぐらいスペシャリストになりますと
心よりも先に体から
丸くなろうと変形します。
が
そこで止まってしまって
肝心の心が丸くならないことが
ごくたまにあります。
えー 笑
たまにです。
つい日常でも
コンビニで人が並んでいると
イライラしてしまうことはないですか?
ATMに人が並んでいると
ちょっとイライラしてしまいます。
その背景には
「並ばないのがあたりまえ」
と思っていることがあります。
「コンビニのレジは空いていている」
「部下は指示通りに動くもの」
「渋滞でも○分でつくはず」
と思っているから
「理想」と「現実」にギャップがあるので
イライラしてしまうのです。
自分の思い通りにならないことが原因です。
コンビニも時間帯、エリアによっては
混むかもしれないと予測していると、
イライラすることが軽減されます。
また人に対してイライラする場合、
自分の欠点を相手の中に見つけると、
余計にイライラすることがあります。
それは自分の欠点はいつも気になっているので、
敏感になっているからです。
自分の嫌なところも自分の中で受け入れることも
イライラすることを軽減する方法でもあります。
もし自分がイライラしていることに気づいたなら
深呼吸をして自分がなんでイライラしているのかを
客観的に考えるといいかもしれません。
イライラの原因が明確になると、
「なんだそんなことか」とそれだけで
イライラしなくなることもあります。
このイライラが続くと
イライラッコになってしまいます。
イライラはストレスを高めるだけで
あまりいいことはありません。
悪い状況を予測すること
自分の思い通りにすごそうと思わないこと
あまりイライラしないことが自分のためでもあります。
丸く丸くいきましょう。
けしてみなさんは
私のような丸の外見的なスペシャリストにならないように
ご注意ください。
一杯のハーブティーでイライラしない毎日を取り戻す【MENT】
2018年02月09日
おかあさんだから
『 あたし あかあさんだから 』
という歌が炎上しているという話を聞きました。
歌詞の中に
あたし おかあさんだから
朝五時に起きたり、大好きなおかずをあげたり
新幹線の名前を覚えているの
苦手な料理をがんばるの
といった内容が
お母さんの「自己犠牲」ではないかという話で
それを助長している歌ではないかという話を聞きました。
評論家も
そうだそうだと
言っているといいいます。
うーん
本当ですか?
確かに「お母さん」のやることを
次々に
たたみかけている
構成上の問題はあり
色々と賛否がありそうなのは
わかります。
「炎上」というとおもしろいので
メディアが必要以上に取り上げているのかなとも思います。
私は別にどの考えが正しいとか
正しくないとか言うつもりもありません。
でもこんな考えや視点があることも知ってほしいと思い
この文章を書いています。
歌詞にある
「おかあさん」を
「芸能人」に変えてみてください
あたし 芸能人だから
朝五時に起きて番宣したり、普通の買い物を我慢したり
ファンのコメントを丁寧に返すの
苦手なタレントがいてもがんばるの
これ自己犠牲でしょうか?
芸能人の中でもアイドルは
恋愛をしないで
ファンのために色々なことを
しているのかもしれません。
でもその根底にあるのは
プロ意識だったり、仕事への誇りだったり
やりたいことへの情熱だったり
芸能人やアイドルとしての
広意での利益を得るために
がんばっているところではないでしょうか。
では
「おかあさん」を
「お豆腐屋さん」にしてみてください。
あたし お豆腐やさんだから
朝五時に起きたり、冷たい水に手をつけて手がガサガサになり
寒いのに自転車で売りにいくの
いやいやいや
「だってその仕事辛いことわかっていて選んだのでしょう」
と言うかもしれません。
中には突然、お母さんという状況に追い込まれて
本当に大変な思いをしている人がいるかもしれません。
おかあさんとて
自分で選んだ
規範を履行しているのです。
もちろん中には違う人がいるひとも思います。
だから
「かわいそう」ではなく
「すごいね」「がんばっていますね」ではないのかなと思いました。
おかあさんの仕事は本当に大変だと思います。
でもこの歌詞を見て自己犠牲と思うのは
やっぱりここのどこかに
「母親は報われないボランティアである」
そんな気持ちがあるのかもしれません。
仕事としての価値を低く見ている社会の背景もあるでしょう。
今の日本の社会は確かにお母さんに優しいとは
おせじでも言えません。
でもモヤモヤした気持ちを
作詞家やだいすけお兄さんに向けるのは間違っています。
私はそう思います。
また失礼を承知で言いますが
「自己犠牲」と言っている人こそ
母親の仕事の価値を
見いだしていない。
母親の仕事はがまんするものと
捕らえているのではないでしょうか。
そこにアンチな気持ちが自らあるから
こうした炎上をするのではないかと思います。
おかあさんの仕事は
大変で
本当に大変で
本当に本当に大変だと思います。
私のような男が何も知らずに何をいっているのかと
そんな苦労も知らないくせに何を言っているのかと
思われるかもしれません。
でもやっぱり
たとえば新幹線の名前覚えるの
自己犠牲ではないですよ。
これドクターイエローっていう新幹線です。
線路のゆがみや信号などの状況を調べる
お医者さん電車らしいです。
見ると幸せになるなんていう都市伝説もあります。
こうした新しい知識が得られるのも
いいことなのではないでしょうか?
また
男の人はおかあさんに比べて楽をしている人も多くいるでしょう。
そんな気持ちが根底にあるのかもしれませんね。
平等な社会といっておきながら
おかあさんに対する負担はとてもとても大きいのでしょう。
でもおとうさんも
わたし おとうさんだから
疲れていても休みの日にこどもと公園で遊ぶの
満員電車に揺られて痴漢に間違われても
仕事に行くの
年下の上司に怒られても仕事するの
お小遣い少ないから好きな趣味やめたの
こんなおとうさんもいっぱいいると思います。
メディアはなんでも煽っておもしろく伝えます。
なぜならそうするほうが得をするからです。
おかあさんの仕事を並べて、しないとおかあさんではないと
言っている歌詞ではないと
私は思います。
おかあさんは「がんばっている」
本当にすごい。
それは自己を犠牲にして
大変な仕事をしているからすごいのではない
大変だけどとても立派で価値ある
ことをされているから
すごいのだと思います。
この歌の歌詞はおかあさんの仕事をあおっているのではなく
多様なおかあさんに向けての
誰が見ても何かがあてはまる
そんな目的で書かれている
ものだと捕らえています。
最後に
「子育て」がどんなに大変か
母親の気持ちを微塵も知りもしないで偉そうに語る
私のような未熟者がいろいろと
生意気にすみません。
でも私は「おかあさん」を
ネガティヴなものとしてとらえてほしくないのです。
という歌が炎上しているという話を聞きました。
歌詞の中に
あたし おかあさんだから
朝五時に起きたり、大好きなおかずをあげたり
新幹線の名前を覚えているの
苦手な料理をがんばるの
といった内容が
お母さんの「自己犠牲」ではないかという話で
それを助長している歌ではないかという話を聞きました。
評論家も
そうだそうだと
言っているといいいます。
うーん
本当ですか?
確かに「お母さん」のやることを
次々に
たたみかけている
構成上の問題はあり
色々と賛否がありそうなのは
わかります。
「炎上」というとおもしろいので
メディアが必要以上に取り上げているのかなとも思います。
私は別にどの考えが正しいとか
正しくないとか言うつもりもありません。
でもこんな考えや視点があることも知ってほしいと思い
この文章を書いています。
歌詞にある
「おかあさん」を
「芸能人」に変えてみてください
あたし 芸能人だから
朝五時に起きて番宣したり、普通の買い物を我慢したり
ファンのコメントを丁寧に返すの
苦手なタレントがいてもがんばるの
これ自己犠牲でしょうか?
芸能人の中でもアイドルは
恋愛をしないで
ファンのために色々なことを
しているのかもしれません。
でもその根底にあるのは
プロ意識だったり、仕事への誇りだったり
やりたいことへの情熱だったり
芸能人やアイドルとしての
広意での利益を得るために
がんばっているところではないでしょうか。
では
「おかあさん」を
「お豆腐屋さん」にしてみてください。
あたし お豆腐やさんだから
朝五時に起きたり、冷たい水に手をつけて手がガサガサになり
寒いのに自転車で売りにいくの
いやいやいや
「だってその仕事辛いことわかっていて選んだのでしょう」
と言うかもしれません。
中には突然、お母さんという状況に追い込まれて
本当に大変な思いをしている人がいるかもしれません。
おかあさんとて
自分で選んだ
規範を履行しているのです。
もちろん中には違う人がいるひとも思います。
だから
「かわいそう」ではなく
「すごいね」「がんばっていますね」ではないのかなと思いました。
おかあさんの仕事は本当に大変だと思います。
でもこの歌詞を見て自己犠牲と思うのは
やっぱりここのどこかに
「母親は報われないボランティアである」
そんな気持ちがあるのかもしれません。
仕事としての価値を低く見ている社会の背景もあるでしょう。
今の日本の社会は確かにお母さんに優しいとは
おせじでも言えません。
でもモヤモヤした気持ちを
作詞家やだいすけお兄さんに向けるのは間違っています。
私はそう思います。
また失礼を承知で言いますが
「自己犠牲」と言っている人こそ
母親の仕事の価値を
見いだしていない。
母親の仕事はがまんするものと
捕らえているのではないでしょうか。
そこにアンチな気持ちが自らあるから
こうした炎上をするのではないかと思います。
おかあさんの仕事は
大変で
本当に大変で
本当に本当に大変だと思います。
私のような男が何も知らずに何をいっているのかと
そんな苦労も知らないくせに何を言っているのかと
思われるかもしれません。
でもやっぱり
たとえば新幹線の名前覚えるの
自己犠牲ではないですよ。
これドクターイエローっていう新幹線です。
線路のゆがみや信号などの状況を調べる
お医者さん電車らしいです。
見ると幸せになるなんていう都市伝説もあります。
こうした新しい知識が得られるのも
いいことなのではないでしょうか?
また
男の人はおかあさんに比べて楽をしている人も多くいるでしょう。
そんな気持ちが根底にあるのかもしれませんね。
平等な社会といっておきながら
おかあさんに対する負担はとてもとても大きいのでしょう。
でもおとうさんも
わたし おとうさんだから
疲れていても休みの日にこどもと公園で遊ぶの
満員電車に揺られて痴漢に間違われても
仕事に行くの
年下の上司に怒られても仕事するの
お小遣い少ないから好きな趣味やめたの
こんなおとうさんもいっぱいいると思います。
メディアはなんでも煽っておもしろく伝えます。
なぜならそうするほうが得をするからです。
おかあさんの仕事を並べて、しないとおかあさんではないと
言っている歌詞ではないと
私は思います。
おかあさんは「がんばっている」
本当にすごい。
それは自己を犠牲にして
大変な仕事をしているからすごいのではない
大変だけどとても立派で価値ある
ことをされているから
すごいのだと思います。
この歌の歌詞はおかあさんの仕事をあおっているのではなく
多様なおかあさんに向けての
誰が見ても何かがあてはまる
そんな目的で書かれている
ものだと捕らえています。
最後に
「子育て」がどんなに大変か
母親の気持ちを微塵も知りもしないで偉そうに語る
私のような未熟者がいろいろと
生意気にすみません。
でも私は「おかあさん」を
ネガティヴなものとしてとらえてほしくないのです。
2018年02月08日
最近の心理変化(当選率の話)
心理学の世界で言われているこ
いわゆる教科書に載っているものが
時代と共に
変化してしまっているものがいくつもあります。
例えば
当選率に対する中毒性の話です。
心理学の世界では
10個のうち1個当たりがあるようなものは
中毒性を生みやすいと
されています。
もちろん対価が大きければ
その個数が減っても機能します。
同じように
10回ギャンブルに行って
1回勝つような状況で
ヤミツキ性を作ると言われています。
部分強化の心理と言われるものです。
ところが最近の心理変化として
10回に1回では熱中しないことがわかっています。
これは人の損をしたくないと考える損失回避性が高まっていることと
無縁ではないでしょう。
もちろん対価にもよります。
高額な宝くじなどは
100回に1回とか200回に1回でも充分に機能しますが
一般的には
10回に1回と言われていたものが
6、7回に1回に変化していると思われます。
みんな損をしたくないのです。
こうした心理の変化を掴んでいくことが
これからの消費活動や
エンターテイメントの世界でも求められていくと
思われます。
例えば
ガリガリ君の当たりは
昔に比べて下がっている感覚がします。
当選率は企業秘密らしいので
仮に景気や材料費高騰で
20本に1本の当たりが出ていたところ
33本に1本の当たりが出るようにしている
という変化は
実は消費者心理と逆のことをしてしまっているのです。
この「当たり」を魅力的に伝えるなら
この今こそ
当選率を上げてほしい
私は
ガリガリ君を
もっと
食べたーい
という心の声を置いておいても
当たりくじの機能を有効に使うためには
そうした施策も必要かもしれません。
ちなみに
私はメロンパン味にハマっていました。
まあ
景品法という
やっかいな法律があり
当選率は上げられない
裏事情もあるのですが
諸行無常
2018年02月07日
ツイッター7年目突入
ポーポー・ポロダクションはこのブログと
ツイッターがあります。
ツイッターは今年で7年目になりました。
今までのツイート数はもうすぐ2000個
1日平均にすると約0.8個ぐらいでしょうか。
日常で感じたことや
心理学的なものや
書籍の宣伝などを
しています。
始めたきっかけは
講演に行った筑波大学の先生に勧められたのことです。
最初は営業活動と思ってやっていたのですが
しだいにフォロワーのみなさんがつぶやいていることが
なかなか面白かったり
考えさせられたりするものが多く
とてもためになっています。
自分も言いたいことや感じたことをつぶやいていますが
みなさんのあたたかい思いやりの気持ちに包まれ
今では少し一体感というか
みんなでやっている感じがしています。
情報はツイッターが1番早いですし。
私にとって救われるツールでもあります。
「投稿しなくちゃ」
「投稿しなくちゃ」
「投稿ひうしなくちゃー」
という変な使命感はぜんぜんなく
そんなにメジャーでもないので
ゆるーく
ゆるーく
楽しくできています。
読者の方からたまに反応をもらうとうれしいですし
たまに怒られることもあり
反省することもあります。
ちなみにフェイスブックやインスタグラムは
やっていません。
ただし心理学を学ぶ上で
インスタもちょいちょいのぞかなくては
いけないかなとは思っています。
あんまり写真を撮る習慣がないので
文字ベースが向いているのかもしれません。
私は高校学校のときに
室内楽部と写真部に在籍していたこともあり
写真は好きなのですが
私よりもみなさん写真がとても上手なのと
少し写真をやっていたわりに
過去に撮った写真があまり良くないので
ちょっと気後れしているところもあるのかも
しれません。
かといって
文字が得意かというとそうでもなく
良く誤字ばかりで
まったくよくあまりせぬ。
うーん
いったい私は…
表現者として
何が得意なのかと悩む日々
です。
なので
ブログやツイッターを通して
勉強をしておるのかもしまれせん。
(学習できていない…)
いいんです
いいんです
開き直って…
です
2018年02月05日
次回作の話
次回作の話をする前に昨年出した本の話を
ポーポー・ポロダクションでは
昨年『パンダ先生の心理学図鑑』と
『アイデアの科学』という本を出させていただきました。
どんな本っかって…
ん
宣伝にはもう飽きた?
まあまあそうおっしゃらずに
本を書いている人間のブログですから
まあまあ
日常感じたことをブログに書きつつ
ちょっと麻痺したところで
すかさず本の紹介をする…
っていう作戦なのですが
なかなか機能していないですか…
うーん
みなさん、わかってらっしゃる
ではストレートに宣伝をしつつ
次回作の話をします。
『パンダ先生の心理学図鑑』は
色々な心理効果を一同に集め
効果の強さや男女比までに言及している
そのゆるさと対照的になかなか深い辞典というか図鑑です。
書き始めてから終わるまでに予想以上の
大変さがあった本です。
『アイデアの科学』は
長年ポーポーが企画の仕事を続けていく中で
得た知見を論理的な視点から
アイデアの出し方を科学的にまとめた
書籍になります。
アイデアの発想法だけでなく
魅せ方や伝え方までまとめている
類似書のない
面白くも新しい書籍です。
この知識を持ってアイデアを作るのと
知らないで作るのでは雲泥の差があります。
ぜひ多くの人に読んでもらいたい本です。
さて続いて次回作の本ですが
今はデータを集めたり
研究を続けているものがいくつかあり
そうしたものを進めながら
さらに書きたいと思っている本がいくつかあり
そんなものを企画して出版社と詰めさせていただいてます。
ありがたいことに新規の出版社さんから
複数お声をかけていただいており
いろいろと調整をしている感じです。
まあ
ポーポー・ポロダクションが書くのですから
類似書のないおもしろい切り口でやりたいと
思っています。
準備をしている本が3冊ぐらい
企画している書籍が3冊ぐらいあります。
まだ
どこの出版社さんにお願いするかも
決まっていません。
もちろん新しいこともどんどんやっていきたいので
「新しい本の企画がほしい」
という内容から
表参道ヒルズの新レストランの
パティシェを決める相談まで
いろいろやりますので
何かあったらお声をかけてください。
毎年、
本当にいろいろと多様な業種のみなさんから
お問い合わせをいただき
多様な業種に対応できそうな感じでいます。
読者のみなみなさまも
まずは
『パンダ先生の心理図鑑』
『アイデアの科学』
を読んでいらっしゃらない方は
ぜひそちらを読んで
ポーポーのことを知っていただけるとありがたいです。
お近くの書店で購入していただけると
ポーポーはすごく喜びます。
読んで
さらにご友人に紹介していただけると
さらによろこびます。
メルカリで売ると
ちょっと
悲しみます
ちょっとですが
お近くに本屋さんがないかたは
ネットでも買えます。
密林にもあります。
楽した天国にもあります。