「坊っちゃん」(夏目漱石 青空文庫)
i phoneのアプリで青空文庫が読めるようになったので、
「坊っちゃん」をダウンロードして読んでみた。
よく、中学とか高校あたりでも読まれているらしいけど、
私は読んだことがなかったので(私の高校でやったのは「こころ」だったが内容は忘れた)
いい機会だと思って読んでみた。
当然ながら、漱石が生きていた時代と今とは違うので捉え方が違うというのはご了承ください。
坊っちゃんの主人公「おれ」は江戸っ子らしく、「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」
ということから始まっていく。
冒頭だけよむと、「教師」対「生徒」、「江戸」対「田舎」の図式なのかなって思ってたけど、
教師対生徒の場面なんて、松山(本作の舞台)へ赴任してそうそうの所くらいでしか描かれていない。
むしろ、教師対教師の構図が大部分だったので予想外といえば予想外。
学校という狭いコミュニティの中で登場する人物は、今でも変わらないのかもしれない。
権力には逆らえないもの、それにつるむもの、頑固もの、おひとよしなどなど。
登場する教師とほとんど対立するが、筋道の通ったことをした「山嵐」とは最終的に協調関係を築いている。
物語の内容はさておき、自分の正しさや主張が通されない「おれ」の思いと、
騒ぎをおこしてほしくない「狸」や、自分の意に沿わない邪魔者を排除したい「赤シャツ」、
そのおともの「野だ」との対立は現在でも通じるものがあると思う。
「おれ」は自分の義を通そうと一生懸命であるが、それが周りにどれだけの影響をあたえるものなのかを考えていない。
自分の義はこうだから、他がどう思おうと知らないというスタンスを貫き通している。
このあたりはなるほど江戸っ子らしい主張だと思う。
紆余曲折あったが「山嵐」とは協調関係を築いていき、「赤シャツ」達と対抗するが、この場合どちらが悪でどちらが善なのだろうか。
「うらなり」の婚約者「マドンナ」を奪い、その「うらなり」を延岡へ左遷した「赤シャツ」は悪なのか。
「マドンナ」を奪われ、延岡へ左遷させられた「うらなり」は善なのか。
事なかれ主義の「狸」は悪なのか。
単純に見ればこんな感じの対立構造もできるのだろうが、この作品は単なる勧善懲悪ものではない。
水戸黄門は必ず最後に水戸の御一行が勝利するが、「坊っちゃん」ではそれがない。
悪も善もあるが、その結末はうやむやなままである。
赤シャツに乱闘事件の責任をなすりつけられた「山嵐」は最後に辞任させられ、
それに憤慨した「おれ」は「山嵐」と共に「赤シャツ」「野だ」にげんこつ制裁して、
その後辞表を郵送して東京へ帰っている。
結局邪魔者を排除出来た「赤シャツ」達からすればうまくいったのかもしれない。
このような内容のため、水戸黄門のような安心して読めるものではないが、
ところどころの対立関係と、今後の展開がどうなるのかについて、
非常に気になって読むことが出来るリズムのとれた作品だと思う。
この作品が教科書に載るのは構わないが、載せるのなら全部読めるようにしてもらいたいし、
中途半端なところで止めないでほしい。
教科書は序盤のところくらいしか載ってないんだろうな・・・
あと、「こころ」よりかは「坊っちゃん」の方が読みやすいし暗くもならないと思う、が、今の中学生には
少し難しい内容かもしれない。
この作品のタイトルを今まで「坊ちゃん」だと思ってたけど、よくよく見てみたら「坊っちゃん」って「っ」がはいるのね。
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「坊っちゃん」をダウンロードして読んでみた。
よく、中学とか高校あたりでも読まれているらしいけど、
私は読んだことがなかったので(私の高校でやったのは「こころ」だったが内容は忘れた)
いい機会だと思って読んでみた。
当然ながら、漱石が生きていた時代と今とは違うので捉え方が違うというのはご了承ください。
坊っちゃんの主人公「おれ」は江戸っ子らしく、「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」
ということから始まっていく。
冒頭だけよむと、「教師」対「生徒」、「江戸」対「田舎」の図式なのかなって思ってたけど、
教師対生徒の場面なんて、松山(本作の舞台)へ赴任してそうそうの所くらいでしか描かれていない。
むしろ、教師対教師の構図が大部分だったので予想外といえば予想外。
学校という狭いコミュニティの中で登場する人物は、今でも変わらないのかもしれない。
権力には逆らえないもの、それにつるむもの、頑固もの、おひとよしなどなど。
登場する教師とほとんど対立するが、筋道の通ったことをした「山嵐」とは最終的に協調関係を築いている。
物語の内容はさておき、自分の正しさや主張が通されない「おれ」の思いと、
騒ぎをおこしてほしくない「狸」や、自分の意に沿わない邪魔者を排除したい「赤シャツ」、
そのおともの「野だ」との対立は現在でも通じるものがあると思う。
「おれ」は自分の義を通そうと一生懸命であるが、それが周りにどれだけの影響をあたえるものなのかを考えていない。
自分の義はこうだから、他がどう思おうと知らないというスタンスを貫き通している。
このあたりはなるほど江戸っ子らしい主張だと思う。
紆余曲折あったが「山嵐」とは協調関係を築いていき、「赤シャツ」達と対抗するが、この場合どちらが悪でどちらが善なのだろうか。
「うらなり」の婚約者「マドンナ」を奪い、その「うらなり」を延岡へ左遷した「赤シャツ」は悪なのか。
「マドンナ」を奪われ、延岡へ左遷させられた「うらなり」は善なのか。
事なかれ主義の「狸」は悪なのか。
単純に見ればこんな感じの対立構造もできるのだろうが、この作品は単なる勧善懲悪ものではない。
水戸黄門は必ず最後に水戸の御一行が勝利するが、「坊っちゃん」ではそれがない。
悪も善もあるが、その結末はうやむやなままである。
赤シャツに乱闘事件の責任をなすりつけられた「山嵐」は最後に辞任させられ、
それに憤慨した「おれ」は「山嵐」と共に「赤シャツ」「野だ」にげんこつ制裁して、
その後辞表を郵送して東京へ帰っている。
結局邪魔者を排除出来た「赤シャツ」達からすればうまくいったのかもしれない。
このような内容のため、水戸黄門のような安心して読めるものではないが、
ところどころの対立関係と、今後の展開がどうなるのかについて、
非常に気になって読むことが出来るリズムのとれた作品だと思う。
この作品が教科書に載るのは構わないが、載せるのなら全部読めるようにしてもらいたいし、
中途半端なところで止めないでほしい。
教科書は序盤のところくらいしか載ってないんだろうな・・・
あと、「こころ」よりかは「坊っちゃん」の方が読みやすいし暗くもならないと思う、が、今の中学生には
少し難しい内容かもしれない。
この作品のタイトルを今まで「坊ちゃん」だと思ってたけど、よくよく見てみたら「坊っちゃん」って「っ」がはいるのね。
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