2019年01月19日
1月19日は何に陽(ひ)が当たったか?
1981年1月19日は、アメリカのロック・グループ、Styx(スティクス)の10枚目のスタジオ・アルバム、"Paradise Theatre(邦題:パラダイス・シアター)"がリリースされた日です。このブログを始めて、最初に洋楽を綴ったのもこのアルバムでしたが(こちら)、その場でも述べたとおり、Styxにとって、初めてのBillboard200アルバムチャートでナンバーワンに輝いたアルバムです。前アルバム"Cornerstone(邦題:コーナーストーン)"ではシングル"Babe(邦題:ベイブ)"のBillboard HOT100シングルチャート1位を成し遂げましたが、本作でシングルに次ぐアルバムでの総合チャート1位を記録し、Styxの完全なる黄金時代が現出されたのです。
Styxは収録曲にアルバムとしてのトータル性を盛り込んだ、いわゆるコンセプト・アルバムの制作を得意としていましたが、前作”Cornerstone”ではハードでプログレッシブなサウンドに区切りを付けて、"歌"と"声"を重視した勇気ある挑戦を敢行、ソフトでポップなロック・サウンドを展開するとこれが見事に新たな聴衆層をつかみ取って人気を確立しました。トータル性よりも1曲1曲それぞれの楽曲を重視し、全曲がシングル志向になり得る作品となったのが"Cornerstone"でしたが、今回の"Paradise Theatre"では、シングル志向からアルバム志向へと移り、アルバム・アーチストとしてのStyxの真骨頂となりました。
アルバムタイトルの"Paradise Theatre"は実在したシカゴのムービー・パレス(現在で言う劇場、映画館。ムービー・パレスはアメリカ合衆国の呼び名で、イギリスではピクチャー・パレスといいます)です。1920年代から40年代にアメリカ各地でムービー・パレスが建てられ、1920年代後半から30年代にかけて建築数がにわかに増加してムービー・パレスの盛時を迎え、著名なヴォードヴィルや長編映画などが公開されました。シカゴの「Paradise Theatre」は建築家John Eberson(1875-1954)によって建築され、1928年9月14日に開業、当時では世界で最も美しいムービー・パレスといわれ、取り壊されることのない永遠の建築物とも言われました。しかし興行としてはそれほど大きな成功を収めたわけではなかったとされ、1956年に閉業が決まり、半年の計画で解体されるはずが結果的に2年を費やし、1958年に解体が完了しました。
Styxはアルバム"Paradise Theatre"の制作にあたり、戦後に空前の繁栄期をもたらしながら1970年末期になり不景気かつ収束しないインフレの影響で冷え込む、アメリカの社会の変動をムービー・パレス「Paradise Theatre」の30年間の栄枯盛衰をメタファー(隠喩)として例えて表現しました。これがアルバム"Paradise Theatre"のコンセプトです。
Styxはこの重厚なアルバム・コンセプトに乗せて独自の音楽を聴かせることで、聴く者は頭の中で緻密な空想世界を完成していきます。この緻密な空想世界の完成は、曲の良さ、収録曲の並び、ジャケット、そしてこのアルバムのテーマすべてが完璧だからこそできることだと思います。Styxはまさにこれをやってのけたと言っていいでしょう。全米制覇もうなずけます。
アルバム・ジャケットはオモテは盛時の「Paradise Theatre」を、ウラは閉業して零落れた「Paradise Theatre」を描いておりますが、ジャケットに描かれたムービー・パレスは同じシカゴにあった"Granada Theatre"をモデルに描かれたとされています(写真はこちら。Wikipediaより)。
1980年、Rob Kingsland、そしてGary Loizzoら前作同様のエンジニア陣の協力を得て、今作もStyxのセルフ・プロデュースで制作されましたが、主導はDennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)でした。またサポート陣も前作に引き続いて参加し、前作収録の"Why Me(ホワイ・ミー)"などで見事なプレイを披露してくれたサックス奏者Steve Eisen(スティーヴ・アイゼン)の参加や、ホーンセクションを採り入れるために、アレンジャーのEd Tossingが管楽器およびそのアレンジを担当しています。レコーディングも前作と同じ、GaryのスタジオであるPumpkin Studiosで行われました。
制作が完了し、A面5曲、B面6曲の計11曲が収録された、Styxの記念すべき10枚目"Paradise Theatre"は、陽の当たった1981年1月19日にリリースされました。過去の作品は年後半のリリースが多かったのですが、年の前半、新年1月のリリースとなりました(年後半リリースの場合、Year-Endアルバムチャートでは集計が2年に分散される憂き目もありましたが、今作品では少なからずとも1年で集計でき、長いアクションを起こせばチャート上位に食い込む可能性も出ます)。
こちらが収録された11曲です。
A面(アナログ盤)
B面
実質的にHOT100ではこのアルバムから"The Best of Times"と"Too Much Time on My Hands"がHOT100シングルチャートでTop10入りし、Styxとしては初めて、1枚のアルバムから2曲のTop10ヒット・ナンバーが誕生しました。これら2曲はシングルとしても大ヒットを放ったわけですが、アルバムを通して聴いてみると、実に味わい深いものがあります。収録曲をのぞいてみましょう。
まずアルバムのトップを飾るプロローグ"A.D. 1928"のメロディーはこのアルバムの重要ポイントで、歌い出しの"Tonight's the night we'll make history(訳:今夜こそ僕達は歴史を作るんだ)"でスタート(シアター・オープン)します。スロー・テンポで始まるバラードで、Tommyのヴォコーダーを交えた美しいコーラスで全体を包み込み、Dennisがピアノの弾きながら優しく歌い、この流れが途切れることなく、いっきにStyxのロックで幕開けとなり"Rockin' the Paradise"が始まります。Tommyのギター・ソロ、バラードから一転しては力強くピアノをひながら歌うDennisのVocal、TommyとJYの美しいコーラスと、聴き応え充分のロック・ナンバーです。後に出たライブ盤でもオープニングを飾るなどして盛り上げ、特にTommyのギター・ソロが終わる頃のJohn Panozzo(drums)が連打するシーンで、ステージを縦横無尽に動き回るDennisやJYらが小刻みに足をそろえて、Johnの連打に合わせて後ろに下がるパフォーマンスは茶目っ気あって微笑ましいです。なお"Rockin' the Paradise"はメインストリームロックチャート(当時はRock Albums and Top Tracks)が開設された1981年3月21日付、つまり最初のチャートで8位にランクされました。このランクが最高位でしたが、13週チャートインしています。
続いてアルバムからのセカンドシングルになった"Too Much Time on My Hands"の登場です。TommyがStyxでヴォーカルをとった曲での初めてのTop10ヒットで、1981年5月23日付より2週9位を記録しました。Rock Albums and Top Tracksではアクションがよく、5月2日付で2位を記録し、17週チャートインしています。ややディスコがかったポップなロック・ナンバーで、ライブではエンディングが高速になってギターを振り回しながら踊るTommyが印象的です。
4曲目収録の"Nothing Ever Goes as Planned"はDennisがヴォーカルをとるレゲエがかったポップな作品で、サード・シングルとしても選ばれました。HOT100では1981年8月1日付より2週連続で54位と地味な結果に終わりましたが、Aメロやサビのタイトルを歌うパートでのコーラスは、円熟の域に達した感があり、Styxの持ち味がしっかり出されています。
そしてA面(アナログ盤)の最後を飾るバラード、"The Best of Times"の登場です。アルバムからのファースト・シングルで、前作収録の"Babe"に続く、Styxの不朽の名作として現在においても名高いナンバーですが、作詞作曲およびリード・ヴォーカルを担ったDennisが現在のStyxのメンバーではありませんので、現在のツアーでは滅多に聴かれなくなってきています。しかし、Dennis在籍時のStyxのライブ盤には定番曲でした。
"A.D. 1928"と同じメロディーで始まるこのナンバーは、タイトルが示すとおり世の中の最も幸せで、盛り上がった時期に来たことを示します。Tommyの切なくも力強いギター・ソロといい、サビの心に染みるコーラスといい、"Babe"のような甘酸っぱさというよりは、ソリッドでドラマティックな印象を受けるバラードです。HOT100シングルチャートでは1981年3月21日付より4週連続3位を記録しました。"Babe"に続く1位にはなりませんでしたが、この頃は勢いのあったREO Speedwagon(REOスピードワゴン)の"Keep On Loving You"やJohn Lennon(ジョン・レノン)の"Woman"、Blondie(ブロンディ)の"Rapture"といった強豪がチャート上位にがっちりと食い込むアクションを見せていたためそれより上へのランクアップは難しく、3位に釘付けとなってしまいました。しかしカナダのRPMチャートでは1981年3月7日付で1位を獲得しており、"Babe"に続く2曲目の1位を記録しています。
最高潮の時世が終わり、B面(アナログ盤)に突入します。いきなりタイトルに"Lonely"を冠した"Lonely People"で再始動です。雨音の激しい街角にある、木管楽器の音が聞こえ、昼間から酒を食らう人たちの集う酒場といった印象を想像できる効果音でスタートするこの曲はDennisの変幻自在な歌声と、タイトルを叫ぶTommyら高音のバック・コーラスが心に響き渡ります。Steve Eisenのサックスをはじめとするホーンセクションを巧みに取り込んだ異色の作品です。しかし間奏部分では、Dennisのシンセ・ソロとTommyのギター・ソロがものの見事にマッチし、そのあとのワイルドなJYのギター・ソロが流れると、やはりStyxの音楽です。
そして、個人的にも非常に気に入っているTommyの"She Cares"の登場です。"Cornerstoneの"Never Say Never"の項でもこの曲を取り上げましたが、アルバム収録曲の中でもやや地味にもとれるこのナンバーの本当の存在意義とは、周囲の目立つ楽曲に花を持たせながらも、この曲自体も引けを取らない非常に優れた楽曲であるということです。ポップなカントリー・ロック風で、Steve Eisenのテナー・サックスが心地良く、後半の激動を表す楽曲群の中での"一服の清涼剤"的な作品です。このアルバムでしか聞けない、ある意味強力なナンバーとも言えます。
B面3曲目でようやくJYの歌声が登場します。"Snowblind"です。ただしAメロ部分のゆったりめのテンポでのパート専用で、サビなど大半はTommyがヴォーカルをとります。クレジットはJYとDennisになっていますが、作詞は実際のところTommyが手掛けたとされています。収録曲の中で最もプログレがかった作品で、ダイナミックなJYのギター・ソロがさらにドラマティックに盛り上げてくれます。
「Snow-blind」とはスキー場などで発症する軽い目の火傷、つまり"雪眼"あるいは"雪盲"といわれる言葉ですが、AメロのJYが歌う歌詞の中の"I try so hard to make it so"の部分を逆回転すると、"Oh Satan move through our voices(ああ悪魔が私たちの声を通して動く)"と聞こえるらしく、しかも実際の歌詞に"devil"が登場するため(邦題が"白い悪魔"の由来)、暗い雰囲気を持つナンバーだけに余計にネガティブな印象を持たれてしまいました。ただそれだけではなく話題はエスカレートし、タイトルの"snow"を違法薬物ととらえて、"Snow-blind"を薬物中毒として解釈されてしまい、またSatanの登場で「アンチクライスト」を助長させ、しかもStyxというネーミングの正確な意味が"三途の川"であることから、薬物撲滅を掲げるアンチ・ロック・ミュージックの活動団体やキリスト教根本主義団体などがこの曲に抗議する事態となり、州議会でも取り沙汰されるという騒動に巻き込まれてしまったのです。噂はすべて全く根も葉もない事実無根のでっちあげで、Styxは猛然と抗議しました。結果的にこの経験が、アンチ・ロック・ミュージックの団体に支配された近未来のアメリカで、ロックの解放を求めようとするお話、つまり1983年にリリースする次作の"Kilroy Was Here(邦題:ミスター・ロボット)"に繋がっていくのだそうです。実際にもこのアルバムからのファースト・シングル"Mr. Roboto(邦題:ミスター・ロボット)"のB面に収録されたのは、他でもなく"Snowblind"でした。メンバーの憤りと悔しさがこうした行動にも見て取れます。
なお、"Snowblind"はRock Albums and Top Tracksチャートにも顔を出し、1981年4月4日付で22位まで上昇しています(13週チャートイン)。
さて、"Paradise Theatre"もいよいよ終幕にさしかかります。JYの兄(弟)のRick(Richard) Youngのバンド仲間かつ作詞家のRay Brandleが協力した作品で、JYが歌う"Half-Penny, Two-Penny"の登場です。"Half-Penny, Two-Penny"と、メドレー展開でこれに続く"A.D. 1958"の流れに入りますが、2曲間の切れ目、つまり"A.D. 1958"の頭がどこからかは、発売時期によって異なりがあり、サビの"Where I know that I will be free"をDennisらのコーラスで歌った後、JYが"We all want to be free!"と叫んだ後にゆったりテンポになるところで"A.D. 1958"が始まるケースと、"A.D.1928"や"The Best of Times"で奏でられたピアノのイントロのメロディからスタートするケースと2パターンがあるらしいです。この2曲の切れ目はあまり深く考えなくても良いのですが、このタイプの全く異なった2曲をつなげていくドラマティックな運びはStyxならではの一言につきます。"Half-Penny, Two-Penny"は最初はアップテンポのヘビーなロックで進んでいき、解体工事を思わせる機械音といった立体感でいよいよ劇場がクローズされていく様を表し、そしてJYの"We all want to be free!"のあと、シンセ、サックス、ピアノと徐々に音が緩やかになっていき、ついにバラードの"A.D.1958"で跡形もなく消えてしまった30年の古き良き時代を想いながらDennisが心を込めて歌い収めます。
最後は30秒ほどのインストゥルメンタル、"State Street Sadie"で幕を閉じます。Dennisのソロで、1984年リリースのライブ盤"Caught in the Act(邦題:スティクス・ライヴ)"では"The Best of Times"のイントロ・ヴァージョンとして聴くことができます。
"Paradise Theatre"はBillboard200アルバムチャートで見事1位になった作品ですが、シングル"The Best of Times"ではREO Speedwagonの"Keep On Loving You"に妨げられて1位になれませんでしたが、アルバム自体は、REO Speedwagonの9枚目スタジオ・アルバム"Hi Infidelity(邦題:禁じられた夜)"を蹴落としての1位でした。"Paradise Theatre"は1981年1月31日に200位中18位でエントリーし、翌週付で10位、その後6位→5位→4位→4位と上昇し、続いて2位を3週続けます。3週2位の間は"Hi Infidelity"が1位を維持しており、非常に強敵でしたが、10週目となった4月4日付で1位になり、2週続けると4月18日付で2週間2位にとどまっていた"Hi Infidelity"がまたもや勢いづいて1位の座を明け渡してしまい、2位に後退します。それから3週間は1位がREO Speedwagon、2位がStyxと根強い岩のようにがっちりキープしていましたが、5月9日付で再度"Paradise Theatre"が返り咲きの1位を記録、その翌週は再び"Hi Infidelity"が1位に返り咲き、"Paradise Theatre"は2位に後退しました。個人的に贔屓しているStyxとREO Speedwagonが上位を争っていた時代は本当に興奮します。結局3週の1位を記録した"Paradise Theatre"は、実に61週のチャートインで、1981年のYear-Endのアルバムチャートでは、"Paradise Theatre"は"Hi Infidelity"の1位には及びませんでしたが、堂々の6位を獲得、Year-End ArtistチャートでもTop Pop Album ArtistsでStyxは9位、総合のTop Pop Artistsで7位、Top Pop Singles Artists - Duos/Groupで5位を獲得しております。アルバム・セールスにおいても、アメリカではトリプル・プラチナ・ディスク、カナダではシングル・プラチナ・ディスクに認定され、Styxにとって最も輝かしい功績を収め、まさに1981年はStyxにとっての"The Best of Times"でありました。
1982年1月13日、Styxはツアーで来日し、1年かけて続いた「パラダイス・シアター・ツアー」は日本・武道館でファイナルを迎えました。Bootleg盤などでCDやビデオが出回ったこともありましたが("The Live Illusion")、公式には当時日本のテレビでライブ映像が公開されたことがありました。Dennisの”ミナサマ、コンバンワー。ヨーコソ、’パラダイス・シアター’ヘ”や、Tommyの”キブンハイカガデスカ?ワタシモゲンキデス!”と放って観衆聴衆を沸かし、坂本九の"上を向いて歩こう(英題:Sukiyaki)"をTommyのマンドリン、Dennisのアコーディオンで奏で、JYは"007のテーマ"をイントロにつなげて"Great White Hope('Pieces of eight'収録)"を熱唱、最後のシメはDennis DeYoungの立派なヒゲをバッサリそり落とすというパフォーマンスで話題になりました。Dennis DeYoung,Tommy Shaw,James [JY] Young,John Panozzo,そしてChuck Panozzo(bass)の5人で為し得た、Styxの全盛期を謳歌するのでした。
Styxは収録曲にアルバムとしてのトータル性を盛り込んだ、いわゆるコンセプト・アルバムの制作を得意としていましたが、前作”Cornerstone”ではハードでプログレッシブなサウンドに区切りを付けて、"歌"と"声"を重視した勇気ある挑戦を敢行、ソフトでポップなロック・サウンドを展開するとこれが見事に新たな聴衆層をつかみ取って人気を確立しました。トータル性よりも1曲1曲それぞれの楽曲を重視し、全曲がシングル志向になり得る作品となったのが"Cornerstone"でしたが、今回の"Paradise Theatre"では、シングル志向からアルバム志向へと移り、アルバム・アーチストとしてのStyxの真骨頂となりました。
アルバムタイトルの"Paradise Theatre"は実在したシカゴのムービー・パレス(現在で言う劇場、映画館。ムービー・パレスはアメリカ合衆国の呼び名で、イギリスではピクチャー・パレスといいます)です。1920年代から40年代にアメリカ各地でムービー・パレスが建てられ、1920年代後半から30年代にかけて建築数がにわかに増加してムービー・パレスの盛時を迎え、著名なヴォードヴィルや長編映画などが公開されました。シカゴの「Paradise Theatre」は建築家John Eberson(1875-1954)によって建築され、1928年9月14日に開業、当時では世界で最も美しいムービー・パレスといわれ、取り壊されることのない永遠の建築物とも言われました。しかし興行としてはそれほど大きな成功を収めたわけではなかったとされ、1956年に閉業が決まり、半年の計画で解体されるはずが結果的に2年を費やし、1958年に解体が完了しました。
Styxはアルバム"Paradise Theatre"の制作にあたり、戦後に空前の繁栄期をもたらしながら1970年末期になり不景気かつ収束しないインフレの影響で冷え込む、アメリカの社会の変動をムービー・パレス「Paradise Theatre」の30年間の栄枯盛衰をメタファー(隠喩)として例えて表現しました。これがアルバム"Paradise Theatre"のコンセプトです。
Styxはこの重厚なアルバム・コンセプトに乗せて独自の音楽を聴かせることで、聴く者は頭の中で緻密な空想世界を完成していきます。この緻密な空想世界の完成は、曲の良さ、収録曲の並び、ジャケット、そしてこのアルバムのテーマすべてが完璧だからこそできることだと思います。Styxはまさにこれをやってのけたと言っていいでしょう。全米制覇もうなずけます。
アルバム・ジャケットはオモテは盛時の「Paradise Theatre」を、ウラは閉業して零落れた「Paradise Theatre」を描いておりますが、ジャケットに描かれたムービー・パレスは同じシカゴにあった"Granada Theatre"をモデルに描かれたとされています(写真はこちら。Wikipediaより)。
1980年、Rob Kingsland、そしてGary Loizzoら前作同様のエンジニア陣の協力を得て、今作もStyxのセルフ・プロデュースで制作されましたが、主導はDennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)でした。またサポート陣も前作に引き続いて参加し、前作収録の"Why Me(ホワイ・ミー)"などで見事なプレイを披露してくれたサックス奏者Steve Eisen(スティーヴ・アイゼン)の参加や、ホーンセクションを採り入れるために、アレンジャーのEd Tossingが管楽器およびそのアレンジを担当しています。レコーディングも前作と同じ、GaryのスタジオであるPumpkin Studiosで行われました。
制作が完了し、A面5曲、B面6曲の計11曲が収録された、Styxの記念すべき10枚目"Paradise Theatre"は、陽の当たった1981年1月19日にリリースされました。過去の作品は年後半のリリースが多かったのですが、年の前半、新年1月のリリースとなりました(年後半リリースの場合、Year-Endアルバムチャートでは集計が2年に分散される憂き目もありましたが、今作品では少なからずとも1年で集計でき、長いアクションを起こせばチャート上位に食い込む可能性も出ます)。
こちらが収録された11曲です。
A面(アナログ盤)
- "A.D. 1928(邦題:1928年〜パラダイス・シアター・オープン〜)"・・・Dennis DeYoung作
- "Rockin' the Paradise(邦題:ロッキン・ザ・パラダイス)"・・・Dennis,Tommy Shaw(gtr,vo,key),James [JY] Young(gtr,vo)作
- "Too Much Time on My Hands(邦題:時は流れて)"・・・Tommy作
- "Nothing Ever Goes as Planned(邦題:砂上のパラダイス)"・・・Dennis作
- "The Best of Times(邦題:ザ・ベスト・オブ・タイムズ)"・・・Dennis作
B面
- "Lonely People(邦題:ロンリー・ピープル)"・・・Dennis作
- "She Cares(邦題:愛こそすべて)"・・・Tommy作
- "Snowblind(邦題:白い悪魔)"・・・JY,Dennis作
- "Half-Penny, Two-Penny(邦題:ハーフ・ペニー、トゥー・ペニー)"・・・JY,Ray Brandle作
- "A.D. 1958(邦題:1958年〜パラダイス・シアター・クローズド〜)"・・・Dennis作
- "State Street Sadie(邦題:ステイト・ストリート・セイディ)"・・・Dennis作
実質的にHOT100ではこのアルバムから"The Best of Times"と"Too Much Time on My Hands"がHOT100シングルチャートでTop10入りし、Styxとしては初めて、1枚のアルバムから2曲のTop10ヒット・ナンバーが誕生しました。これら2曲はシングルとしても大ヒットを放ったわけですが、アルバムを通して聴いてみると、実に味わい深いものがあります。収録曲をのぞいてみましょう。
まずアルバムのトップを飾るプロローグ"A.D. 1928"のメロディーはこのアルバムの重要ポイントで、歌い出しの"Tonight's the night we'll make history(訳:今夜こそ僕達は歴史を作るんだ)"でスタート(シアター・オープン)します。スロー・テンポで始まるバラードで、Tommyのヴォコーダーを交えた美しいコーラスで全体を包み込み、Dennisがピアノの弾きながら優しく歌い、この流れが途切れることなく、いっきにStyxのロックで幕開けとなり"Rockin' the Paradise"が始まります。Tommyのギター・ソロ、バラードから一転しては力強くピアノをひながら歌うDennisのVocal、TommyとJYの美しいコーラスと、聴き応え充分のロック・ナンバーです。後に出たライブ盤でもオープニングを飾るなどして盛り上げ、特にTommyのギター・ソロが終わる頃のJohn Panozzo(drums)が連打するシーンで、ステージを縦横無尽に動き回るDennisやJYらが小刻みに足をそろえて、Johnの連打に合わせて後ろに下がるパフォーマンスは茶目っ気あって微笑ましいです。なお"Rockin' the Paradise"はメインストリームロックチャート(当時はRock Albums and Top Tracks)が開設された1981年3月21日付、つまり最初のチャートで8位にランクされました。このランクが最高位でしたが、13週チャートインしています。
続いてアルバムからのセカンドシングルになった"Too Much Time on My Hands"の登場です。TommyがStyxでヴォーカルをとった曲での初めてのTop10ヒットで、1981年5月23日付より2週9位を記録しました。Rock Albums and Top Tracksではアクションがよく、5月2日付で2位を記録し、17週チャートインしています。ややディスコがかったポップなロック・ナンバーで、ライブではエンディングが高速になってギターを振り回しながら踊るTommyが印象的です。
4曲目収録の"Nothing Ever Goes as Planned"はDennisがヴォーカルをとるレゲエがかったポップな作品で、サード・シングルとしても選ばれました。HOT100では1981年8月1日付より2週連続で54位と地味な結果に終わりましたが、Aメロやサビのタイトルを歌うパートでのコーラスは、円熟の域に達した感があり、Styxの持ち味がしっかり出されています。
そしてA面(アナログ盤)の最後を飾るバラード、"The Best of Times"の登場です。アルバムからのファースト・シングルで、前作収録の"Babe"に続く、Styxの不朽の名作として現在においても名高いナンバーですが、作詞作曲およびリード・ヴォーカルを担ったDennisが現在のStyxのメンバーではありませんので、現在のツアーでは滅多に聴かれなくなってきています。しかし、Dennis在籍時のStyxのライブ盤には定番曲でした。
"A.D. 1928"と同じメロディーで始まるこのナンバーは、タイトルが示すとおり世の中の最も幸せで、盛り上がった時期に来たことを示します。Tommyの切なくも力強いギター・ソロといい、サビの心に染みるコーラスといい、"Babe"のような甘酸っぱさというよりは、ソリッドでドラマティックな印象を受けるバラードです。HOT100シングルチャートでは1981年3月21日付より4週連続3位を記録しました。"Babe"に続く1位にはなりませんでしたが、この頃は勢いのあったREO Speedwagon(REOスピードワゴン)の"Keep On Loving You"やJohn Lennon(ジョン・レノン)の"Woman"、Blondie(ブロンディ)の"Rapture"といった強豪がチャート上位にがっちりと食い込むアクションを見せていたためそれより上へのランクアップは難しく、3位に釘付けとなってしまいました。しかしカナダのRPMチャートでは1981年3月7日付で1位を獲得しており、"Babe"に続く2曲目の1位を記録しています。
最高潮の時世が終わり、B面(アナログ盤)に突入します。いきなりタイトルに"Lonely"を冠した"Lonely People"で再始動です。雨音の激しい街角にある、木管楽器の音が聞こえ、昼間から酒を食らう人たちの集う酒場といった印象を想像できる効果音でスタートするこの曲はDennisの変幻自在な歌声と、タイトルを叫ぶTommyら高音のバック・コーラスが心に響き渡ります。Steve Eisenのサックスをはじめとするホーンセクションを巧みに取り込んだ異色の作品です。しかし間奏部分では、Dennisのシンセ・ソロとTommyのギター・ソロがものの見事にマッチし、そのあとのワイルドなJYのギター・ソロが流れると、やはりStyxの音楽です。
そして、個人的にも非常に気に入っているTommyの"She Cares"の登場です。"Cornerstoneの"Never Say Never"の項でもこの曲を取り上げましたが、アルバム収録曲の中でもやや地味にもとれるこのナンバーの本当の存在意義とは、周囲の目立つ楽曲に花を持たせながらも、この曲自体も引けを取らない非常に優れた楽曲であるということです。ポップなカントリー・ロック風で、Steve Eisenのテナー・サックスが心地良く、後半の激動を表す楽曲群の中での"一服の清涼剤"的な作品です。このアルバムでしか聞けない、ある意味強力なナンバーとも言えます。
B面3曲目でようやくJYの歌声が登場します。"Snowblind"です。ただしAメロ部分のゆったりめのテンポでのパート専用で、サビなど大半はTommyがヴォーカルをとります。クレジットはJYとDennisになっていますが、作詞は実際のところTommyが手掛けたとされています。収録曲の中で最もプログレがかった作品で、ダイナミックなJYのギター・ソロがさらにドラマティックに盛り上げてくれます。
「Snow-blind」とはスキー場などで発症する軽い目の火傷、つまり"雪眼"あるいは"雪盲"といわれる言葉ですが、AメロのJYが歌う歌詞の中の"I try so hard to make it so"の部分を逆回転すると、"Oh Satan move through our voices(ああ悪魔が私たちの声を通して動く)"と聞こえるらしく、しかも実際の歌詞に"devil"が登場するため(邦題が"白い悪魔"の由来)、暗い雰囲気を持つナンバーだけに余計にネガティブな印象を持たれてしまいました。ただそれだけではなく話題はエスカレートし、タイトルの"snow"を違法薬物ととらえて、"Snow-blind"を薬物中毒として解釈されてしまい、またSatanの登場で「アンチクライスト」を助長させ、しかもStyxというネーミングの正確な意味が"三途の川"であることから、薬物撲滅を掲げるアンチ・ロック・ミュージックの活動団体やキリスト教根本主義団体などがこの曲に抗議する事態となり、州議会でも取り沙汰されるという騒動に巻き込まれてしまったのです。噂はすべて全く根も葉もない事実無根のでっちあげで、Styxは猛然と抗議しました。結果的にこの経験が、アンチ・ロック・ミュージックの団体に支配された近未来のアメリカで、ロックの解放を求めようとするお話、つまり1983年にリリースする次作の"Kilroy Was Here(邦題:ミスター・ロボット)"に繋がっていくのだそうです。実際にもこのアルバムからのファースト・シングル"Mr. Roboto(邦題:ミスター・ロボット)"のB面に収録されたのは、他でもなく"Snowblind"でした。メンバーの憤りと悔しさがこうした行動にも見て取れます。
なお、"Snowblind"はRock Albums and Top Tracksチャートにも顔を出し、1981年4月4日付で22位まで上昇しています(13週チャートイン)。
さて、"Paradise Theatre"もいよいよ終幕にさしかかります。JYの兄(弟)のRick(Richard) Youngのバンド仲間かつ作詞家のRay Brandleが協力した作品で、JYが歌う"Half-Penny, Two-Penny"の登場です。"Half-Penny, Two-Penny"と、メドレー展開でこれに続く"A.D. 1958"の流れに入りますが、2曲間の切れ目、つまり"A.D. 1958"の頭がどこからかは、発売時期によって異なりがあり、サビの"Where I know that I will be free"をDennisらのコーラスで歌った後、JYが"We all want to be free!"と叫んだ後にゆったりテンポになるところで"A.D. 1958"が始まるケースと、"A.D.1928"や"The Best of Times"で奏でられたピアノのイントロのメロディからスタートするケースと2パターンがあるらしいです。この2曲の切れ目はあまり深く考えなくても良いのですが、このタイプの全く異なった2曲をつなげていくドラマティックな運びはStyxならではの一言につきます。"Half-Penny, Two-Penny"は最初はアップテンポのヘビーなロックで進んでいき、解体工事を思わせる機械音といった立体感でいよいよ劇場がクローズされていく様を表し、そしてJYの"We all want to be free!"のあと、シンセ、サックス、ピアノと徐々に音が緩やかになっていき、ついにバラードの"A.D.1958"で跡形もなく消えてしまった30年の古き良き時代を想いながらDennisが心を込めて歌い収めます。
最後は30秒ほどのインストゥルメンタル、"State Street Sadie"で幕を閉じます。Dennisのソロで、1984年リリースのライブ盤"Caught in the Act(邦題:スティクス・ライヴ)"では"The Best of Times"のイントロ・ヴァージョンとして聴くことができます。
"Paradise Theatre"はBillboard200アルバムチャートで見事1位になった作品ですが、シングル"The Best of Times"ではREO Speedwagonの"Keep On Loving You"に妨げられて1位になれませんでしたが、アルバム自体は、REO Speedwagonの9枚目スタジオ・アルバム"Hi Infidelity(邦題:禁じられた夜)"を蹴落としての1位でした。"Paradise Theatre"は1981年1月31日に200位中18位でエントリーし、翌週付で10位、その後6位→5位→4位→4位と上昇し、続いて2位を3週続けます。3週2位の間は"Hi Infidelity"が1位を維持しており、非常に強敵でしたが、10週目となった4月4日付で1位になり、2週続けると4月18日付で2週間2位にとどまっていた"Hi Infidelity"がまたもや勢いづいて1位の座を明け渡してしまい、2位に後退します。それから3週間は1位がREO Speedwagon、2位がStyxと根強い岩のようにがっちりキープしていましたが、5月9日付で再度"Paradise Theatre"が返り咲きの1位を記録、その翌週は再び"Hi Infidelity"が1位に返り咲き、"Paradise Theatre"は2位に後退しました。個人的に贔屓しているStyxとREO Speedwagonが上位を争っていた時代は本当に興奮します。結局3週の1位を記録した"Paradise Theatre"は、実に61週のチャートインで、1981年のYear-Endのアルバムチャートでは、"Paradise Theatre"は"Hi Infidelity"の1位には及びませんでしたが、堂々の6位を獲得、Year-End ArtistチャートでもTop Pop Album ArtistsでStyxは9位、総合のTop Pop Artistsで7位、Top Pop Singles Artists - Duos/Groupで5位を獲得しております。アルバム・セールスにおいても、アメリカではトリプル・プラチナ・ディスク、カナダではシングル・プラチナ・ディスクに認定され、Styxにとって最も輝かしい功績を収め、まさに1981年はStyxにとっての"The Best of Times"でありました。
1982年1月13日、Styxはツアーで来日し、1年かけて続いた「パラダイス・シアター・ツアー」は日本・武道館でファイナルを迎えました。Bootleg盤などでCDやビデオが出回ったこともありましたが("The Live Illusion")、公式には当時日本のテレビでライブ映像が公開されたことがありました。Dennisの”ミナサマ、コンバンワー。ヨーコソ、’パラダイス・シアター’ヘ”や、Tommyの”キブンハイカガデスカ?ワタシモゲンキデス!”と放って観衆聴衆を沸かし、坂本九の"上を向いて歩こう(英題:Sukiyaki)"をTommyのマンドリン、Dennisのアコーディオンで奏で、JYは"007のテーマ"をイントロにつなげて"Great White Hope('Pieces of eight'収録)"を熱唱、最後のシメはDennis DeYoungの立派なヒゲをバッサリそり落とすというパフォーマンスで話題になりました。Dennis DeYoung,Tommy Shaw,James [JY] Young,John Panozzo,そしてChuck Panozzo(bass)の5人で為し得た、Styxの全盛期を謳歌するのでした。
タグ:billboard STYX Tommy Shaw Dennis DeYoung John Panozzo Chuck Panozzo James Young Gary Loizzo Rob Kingsland Rick Young
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posted by ottovonmax at 00:00| 洋楽