河野氏の祖父、一郎氏は、党人派の筆頭格で党草創期を支え、副総理や建設相などを歴任し、父・洋平氏(87)は野党時代の1993年に総裁に就いた。「政治一家」に生まれた河野氏にとって、政権党のトップに就き、首相の座を射止めるのは悲願だ。
河野氏の国会議員人生は96年に始まった。小選挙区制で初めて行われたその年の衆院選で、洋平氏の反対を押し切り、出馬を決めた。父の選挙区とは異なる、神奈川15区で初当選を果たし、以来負け知らず。当選回数は9回だ。
若い頃から直言をいとわない姿で注目を浴びた。外相時代の洋平氏に国会で論戦を挑み、森喜朗元首相(87)ら党の実力者にもかみついた。政策では、党の方針に反して「脱原発」を掲げ、「異端児」と呼ばれた。こうした姿は、世論から一定の支持を集める一方で、党内にはベテランを中心に疎む議員も少なくなかった。
しかし、15年に国家公安委員長として初入閣してからは、振りまいてきた「異端さ」が、なりを潜め始める。
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