2012年03月22日
結婚披露宴の来賓の祝辞は「おめでとう」
受付を済ませて、テーブルに着いたのは11時45分を回っていた。
新郎の愛一郎君と新婦の真琴さんが入場して12時に披露宴が始まった。緊張ぎみの愛一郎君の顔は、真琴さんが友人を見つけたらしく微笑みながらお腹のあたりで軽く手を振ったのとは対照的だった。
胡桃沢愛一郎君が配属された部署の上司だった太郎は、結婚披露宴の来賓として祝辞を頼まれていた。スピーチは経験がなく不安だったが、懇願を聞きいれた。失敗しないように何度も祝辞を紙に書いては直し、直しては暗記した。
「クルミザワ」が長ったらしくて面倒でフルネームを口から発することは殆どなかったし、「愛君」と呼んでいたこともあって、『クルミザワ アイイチロウ』は『愛君』とは違う人物みたいだった。名前にだけに拘っていると続く祝辞の言葉に躓き、このときばかりは彼の名前を呪いたくなった。
愛一郎君は緊張がほぐれたのか、時折白い歯を覗かせたり、頭を下げたり、真琴さんに話しかけたりしていた。
『クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、ご結婚おめでとうございます。……』
テーブルに着いても太郎は祝辞を諳んじた。
媒酌人の祝辞が始まって場内は静かになった。言葉を拾うような慎重なスピーチだった。太郎に媒酌人の緊張が伝わって胸の鼓動が大きく響いた。ときおり式場に「ゴホッ」と咳が響いて、静寂が一層きわだった。
媒酌人は愛君と真琴さんの生い立ちとなれそめなどを説明していた。
― 早く終わってくれないかな…。
太郎は祈るように胸の内で呟いた。媒酌人が二人を誉めちぎって話を終えたとき、腕時計は12時17分を指していた。
汗がべとつく掌をハンケチで押さえながら、腹式呼吸を3回繰り返した。続いての主賓の祝辞が、遠くに聞えるようだった。招待客は頷いたり、テーブル上の席次表を見ていた。
― 主賓はネタが豊富だな…。
感心するほど喋り続けた。
次は祝辞を述べる番だと思うと、緊張で覚えた祝辞が消えそうだった。
司会者が太郎の名前を呼んで来賓の祝辞を求めた。
太郎は隣りの席に悟られないように静かに息を吸い、それからスピーチ席へと歩いた。
『クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、ご結婚おめでとうございます。……』
歩きながら復誦を試みた。鼓動が胸に響くのが分かった。強くなった血流は頭に血液を押し上げ顔を火照らした。
太郎は招待客に向かって立った。
― 落ち着け…。
自分に言い聞かせて、それからゆっくり話し始めた。
「クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、」
― そうだ。うまく言えたぞ。難関突破だ…。
「本日は、あけましておめでとうございます。……」
場内がドッと湧いた。祝辞の記憶は雲散霧消し、何をどう話したのか、拍手喝采でスピーチを終えた。
― 終 ―
新郎の愛一郎君と新婦の真琴さんが入場して12時に披露宴が始まった。緊張ぎみの愛一郎君の顔は、真琴さんが友人を見つけたらしく微笑みながらお腹のあたりで軽く手を振ったのとは対照的だった。
胡桃沢愛一郎君が配属された部署の上司だった太郎は、結婚披露宴の来賓として祝辞を頼まれていた。スピーチは経験がなく不安だったが、懇願を聞きいれた。失敗しないように何度も祝辞を紙に書いては直し、直しては暗記した。
「クルミザワ」が長ったらしくて面倒でフルネームを口から発することは殆どなかったし、「愛君」と呼んでいたこともあって、『クルミザワ アイイチロウ』は『愛君』とは違う人物みたいだった。名前にだけに拘っていると続く祝辞の言葉に躓き、このときばかりは彼の名前を呪いたくなった。
愛一郎君は緊張がほぐれたのか、時折白い歯を覗かせたり、頭を下げたり、真琴さんに話しかけたりしていた。
『クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、ご結婚おめでとうございます。……』
テーブルに着いても太郎は祝辞を諳んじた。
媒酌人の祝辞が始まって場内は静かになった。言葉を拾うような慎重なスピーチだった。太郎に媒酌人の緊張が伝わって胸の鼓動が大きく響いた。ときおり式場に「ゴホッ」と咳が響いて、静寂が一層きわだった。
媒酌人は愛君と真琴さんの生い立ちとなれそめなどを説明していた。
― 早く終わってくれないかな…。
太郎は祈るように胸の内で呟いた。媒酌人が二人を誉めちぎって話を終えたとき、腕時計は12時17分を指していた。
汗がべとつく掌をハンケチで押さえながら、腹式呼吸を3回繰り返した。続いての主賓の祝辞が、遠くに聞えるようだった。招待客は頷いたり、テーブル上の席次表を見ていた。
― 主賓はネタが豊富だな…。
感心するほど喋り続けた。
次は祝辞を述べる番だと思うと、緊張で覚えた祝辞が消えそうだった。
司会者が太郎の名前を呼んで来賓の祝辞を求めた。
太郎は隣りの席に悟られないように静かに息を吸い、それからスピーチ席へと歩いた。
『クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、ご結婚おめでとうございます。……』
歩きながら復誦を試みた。鼓動が胸に響くのが分かった。強くなった血流は頭に血液を押し上げ顔を火照らした。
太郎は招待客に向かって立った。
― 落ち着け…。
自分に言い聞かせて、それからゆっくり話し始めた。
「クルミザワアイイチロウ君、マコトさん、」
― そうだ。うまく言えたぞ。難関突破だ…。
「本日は、あけましておめでとうございます。……」
場内がドッと湧いた。祝辞の記憶は雲散霧消し、何をどう話したのか、拍手喝采でスピーチを終えた。
― 終 ―
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