新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年12月13日
★絶対に突きとめてやるぅぅぅ〜! (メ▼_▼)!!
★八戸ぐらし!
にほんブログ村
◆【ドドドドドン!MEMO】――★ネット記事を読んでいるとき、そのサイドバーにおもしろい記事(「悩み相談」)――おもしろいというと悩みの主には失礼か? でも、僕も同病といえるので、ま、許されよm(__)m――を見つけた。
《40歳代女性。閉所恐怖症で悩んでいます。若い頃から狭いところが苦手でしたが、先日、小型飛行機に乗り、窓側の席に座っていると、機内にどんどん人が乗り込んできて満席に。いつになく圧迫感を感じ、パニックになり、離陸前に降りたいと申し出て、飛行機を降りてしまいました。自分の状態はここまでひどいのか……。とてもショックです。(後略)大阪・B子」》
読みながら「ああ、僕の苦しみは、これ(閉所恐怖症)だったのか」と(苦しんでいる大阪・B子さんには悪いが)、長いあいだの疑問や苦しみにきっちりと病名をつけてもらい、なんとなくホッとした。
★僕の場合、地下でパニックになる。
△地下街・地下通路=どうしても通らなければいけないときは、仕方がないので走り抜ける。
×地下鉄=ダメ。
×青函トンネル=これも、もう、絶対にダメ!
地上でも、閉ざされた空間はダメだ。
部屋のドアはできる限り開放。
会議のときなど、気をきかせてドアをしめてくれる人がいるが、心のうちで「しめないでくれぇ〜、開けておいてくれぇ〜」とつぶやいている。
暖房の必要がない季節だと、隣の部屋側だけでなく、廊下側のドアも開けている。
学生食堂などにある、いわゆる「ぼっち席」も僕はダメである。
仕切りのない食堂の、真ん中付近の、四方八方見渡せる、(ということは)四方八方からよく見られる、そういうテーブルがいい。
己の姿を四方八方にさらしつつ、サーモンたたき丼を食べる。
僕のうちで、停滞していた思考回路が、一気に活性化する。
この僕がだれなのか?
どこから来たのか?
どこへ行くのか?
こういうことが徐々に見えてくる。
この感覚がなんともいえない。
図書館の大閲覧室とか、ホテルのラウンジとか……、それからロングシートの普通列車とかも大好きだ。
また、なぜオートバイとバスがOKで、普通乗用車(特に軽自動車)がダメなのか? なぜ自室(6畳)で仕事に集中できないのか?……など、ずっとわからなかったことが、今回「閉所恐怖症」という病名によりよく理解できた。
★しかし、若い頃は穴蔵のような喫茶店が好きだった。
また、どちらかというと、潜水艦のような狭苦しく息苦しい部屋のほうが集中して仕事ができた。
いつから僕は変わったのだろうか?
回答者の精神科医は「なぜ閉所恐怖症が生じるのかをあまり追究しないことも大事です」と原因追究に釘をさしているが、僕は追究するつもりだ。
ある頃から僕は「開かれた孤独」という表現を意識的に用いるようになった。
これがヒントになるかもしれない。
たぶん、この頃から閉所恐怖症がはじまったものと思われるが、この転換点になにがあったのが、すごく興味がある。
絶対に「突きとめてやるぅぅぅ〜! (メ▼_▼)(メ▼_▼)( ̄― ̄;)(▼_▼メ)(▼_▼メ)!!」
★12/9(金)、○○県○○市中学校教頭会(教頭18名・○○市教育委員会指導主事1名)の方々が視察研修のために来校。
「来られ方」には、粗く、2種類ある。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
★記事のつづきは【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
にほんブログ村
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2016年12月11日
★厳しく、あるいは温かく、激励的、ある意味、育成的に見つめる人たち!
★八戸ぐらし!
にほんブログ村
◆【ドドドドドン!MEMO】――★先週の日曜参観日に、いつものように、保護者の方々に【授業アンケート】にこたえてもらった。
その概略がまとまった。
授業中の子どもの姿をありのままに観て、その【子どもの育ち】に対する【保護者の方々の実感】データである。
★まず、下記に掲載した【授業アンケート結果】の数値のひとつひとつから、保護者のみなさまの、【月の砂漠とレトルトカレー中】の教師に対する激励的、応援的、ある意味、育成的な【あたたかい視線】を感じる。
これはほんとうにうれしい。
ほんとうにありがたい。
と同時に、保護者の眼の【確かさ】、あるいは【厳しさ】も感じる。
ひとつひとつ数値を冷静にみると、僕らは【アマチュア】ではないが、まだ【プロ】より【アマ】に近い存在というべきかもしれない。
自由記述欄のcommentからもそれを感じる。(ただし、「comment」は、ここではその性質上、割愛せざるをえない。諒とせられよ。)
その上で(commentの内容も含めて)僕の粗い感想をいくつか列挙する。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
★記事のつづきは【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
にほんブログ村
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2016年12月09日
★「いい授業」VS.「ダメな授業」!
★八戸ぐらし!
にほんブログ村
◆【ドドドドドン!MEMO】――★はっりいって、授業には「いい授業」と「ダメな授業」がある。
「いい授業」とは、一言でいうと【知的で楽しい授業】だ。
学級全員が知的に熱中する授業。
学級全員が「できない状態」から「できる状態」に挑戦している授業。
「いい授業」が学校を支えている。
「いい授業」が「ダメな授業」を支えている。
ひとつの例として、僕のことを話そう。
教師1年目の僕の授業(国語)は、とても「いい授業」とはいえなかった。
もっといえば、「いい」「ダメ」の基準にもかからないレベルのものだった。
隣で授業している教育実習生(女性の大学生・4年生)に「もう少し静かにやってもらえませんか!」と叱られたことがある。
でも、驚いたことに学力は高かった。
市内でダントツ、ナンバー1だった。
当時の僕は内心「僕もたいしたもんだ」と思っていた(^_-)-☆。
しかし、それはまったく違った。
他の社会・数学・理科・英語・音楽・美術・技術家庭・保健体育の、それこそ「いい授業」「名人級の授業」が、僕のひどい「国語」を支えていたのだ。
僕が出す宿題も、子どもたちはみんなよくやってきた。
「名人級の授業」は家庭学習まで支えていたのだ。
今、振り返れば、涙が出る。
★僕の経験からいうと、「いい授業」が50%でも学校や学年が荒れるということはない。
50%の「いい授業」が、残りの50%の「ダメな授業」を支えているからだ。
だから、ぼんやりみていると、学校・学年全体としては、安定しているようにみえる。
特に全校朝会や全校集会は、「いい授業」ができる教師の目が光っているから、一糸乱れずビシッとしている。
これにだまされる。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
★記事のつづきは【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
にほんブログ村
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2016年12月08日
★八戸ぐらし! 10000倍、しれっとやるぜ!
★八戸ぐらし!
にほんブログ村
◆【ドドドドドン!MEMO】――★ずっと前――あまりに「前」すぎて、どのくらい「前」だかわからないくらい「前」の――ブログに次のようなことを書いた。
〈ずっと前のBlogから〉
教師にとって授業の教室は舞台だ。
その舞台の裏に隠れて毎日、せっせと授業(教育行為&教育活動)を記録し、A4判用紙2枚(2000字)にまとめ、発行する。
発行したものを「読む人々」が「観客」だと考えると、僕はいわば劇場の座付作者ということになる。
これまでもポツポツとはやってきた。
でも、ポツポツと……ではダメなのだ。
毎日せっせと発行するのでなくては何も変わらない。
しかし、残念ながら、僕には、毎日せっせと発行しつづける「スタイル」はできていない。
今年度じゅうに完成させたいと思っている。
うれしくても、悲しくても、何があろうとも、決めたらやる。
弱音ははかない。
グチは言わない。
言い訳はしない。
発行しつづけることによって、僕自身の教育の課題を乗りこえていくのだ。(どのくらい「前」かわからないほど「前」の僕の発言からの引用、以上)
しかし、これはむずかしい、僕には。
悩みすぎ――先日もここに書いたように――今夏、精神的「道迷い遭難」あるいは「道迷い」後の「滑落遭難」状態に陥った。
★そこから脱出するヒントになったのが、ある日、朝食を取りながら、観るともなく観ていた、NHK「おはよう日本」の阿部渉アナウンサーの口から出た一言、僕の聞き間違いかもしれないが→【闘牛新聞】!
おお! これだ!と思った。
「おお! これだ!」の中味を粗く(←ホンマに粗いですm(__)m)説明すると次の2点。
(1)取材対象を【闘牛】に限定している。
僕の場合だと【知的で楽しい授業で、子ども全員に学力を保証する、同時に、(その知的で楽しい授業で)いじめも不登校も非行も解決すると言い切れるプロ教師】の世界。
もうひとつ、【学校・家庭・地域が連携して運営する教育コミュニティづくり(=【月の砂漠とレトルトカレー・ネット】の世界。
泣いても笑っても、これしかない。僕には。
ごちゃごちゃ余計なことは考えない。
この世界に限定する。
これ以外にないのだ。
【知的で楽しい授業】新聞!
【月の砂漠とレトルトカレー・ネット】新聞!
(2)もうひとつ。
(これは闘牛の世界をまったく知らない僕のまちがった予想かもしれないが)闘牛の世界に、政治・経済のように、次から次に新しい出来事が起こるわけではない。
毎日、同じことの繰り返しのようにみえる、ゆるやかな時間が流れている。
始まりと終わり、前と後ろ、きちんとした順序だて、筋書があるわけではない。
学校教育とすごく似ている。
家庭・地域の社会教育とすごく似ている。
だから、始まりと終わり、前と後ろなど気にせず、同じようなことを何度でも、しれっとやればいいのだ。
おお! 10000倍、しれっとやるぜ(*^^)v。(「おお! これだ!」の中味の粗い説明、以上)
【10000倍、しれっとやる】作戦は、本日12/8から――ま、4年後の【8/15】まで……といいたいところだが、もう、そんなパワーは僕にはない。
来年の8/15まで、約8か月の短期計画・【月の砂漠とレトルトカレー】作戦だ。
★さて、本日の本題=【音読】で中学校が変わる、中学生が変わる】体験。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
★記事のつづきは【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
にほんブログ村
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2016年12月07日
★おお!三者面談!(^_-)-☆
★八戸ぐらし!
にほんブログ村
◆【ドドドドドン!MEMO】――★「三者面談」はむずかしい。
「二者面談」――子どもと教師、あるいは親と教師――とは比較にならない。
親の前の「子ども」と、教師の前の「子ども」が違うからだ。(教師になりたての頃、これにはショックに近い驚きを覚えた。)
親も、子どもの前の「親」と、教師の前の「親」が違う。
ま、これは教師についてもまったく同じことがいえる。
つまり、三者面談というのは6人の人物がテーブルについていることになる。
一度、歯車が狂うと、なかなか取り戻せない(^_-)-☆。
★このことについて、僕の、教師としてではなく、【親】としての体験を粗く、少しだけ述べる。
当日、学校の玄関で息子(以下、愚息、いや、豚児)と待ち合わせ。
2人で廊下を歩いていると(学校だから当然だが)次々に豚児の友人たちとすれ違う。
「ヤッ」とか「オッ」とかやっている。
その「ヤッ」「オッ」が僕の知らない豚児である。
廊下の突きあたりの面談室に入る。
学級担任教師とあいさつ。
豚児もあいさつ。
その「あいさつ」も僕の知らない豚児である。
オイオイ、面談中、僕はどういう僕であればいいのか?
冒頭からかなり動揺した。
ま、きっと、どこの親もこんなものではないか?と推察する。
保護者の中には深い苦しみと動揺と緊張とが内部に噴出し、とんでもない態度に出る人もいる。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
★記事のつづきは【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
にほんブログ村
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!