アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索

メンズエステサロン
【エルセーヌMEN】

メタボリック対策やヒゲ脱毛など、男の魅力を引き出すエステ体験実施中!
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント

2020年12月26日

レントゲン_テスラ_エジソン_ホイヘンス【10/15~10/18の原稿】

@~Cの4稿で内容を改定します。また、
その後に初稿を残しますのでご参考にして下さい。

@ヴィルヘルム・C・レントゲン
Aニコラ・テスラ
Bトーマス・A・エジソン
Cクリスティアーン・ホイヘンス

【@レントゲン】
レントゲンと言えば、その人の名より
その名の装置が思い浮かぶでしょう。
以下ではレントゲンは人の名前として
使っていきます。

レントゲンの時代にはH・ヘルツ等
によって真空放電や陰極線の議論が
なされていました。今風に考えたら
対象は単なる粒子とか波ではなく、
2面性をもった波動関数で記述される
電子であると言えますが。
レントゲンの時代には不明確でした。





まずレントゲンは実験結果を
重視してます。X線が人体を透過した
後の写真を大衆に見せました。
ネーチャやサイエンスといった
有名雑誌に投稿し、議論して
事実を明らかにしていきました。

その方法は先ず磁場に作用する
陰極線の実験を積み重ねます。
陰極、陽極、検出対象として
色々な物資を試し、
鉛は通さずガラスは透過する
といった事実を明確にします。

説明が細かくなり恐縮ですが、
陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、
検出対象から放射されるのがX線です。
検出対象に蛍光物資を使った所が
レントゲンのオリジナリティですね。
そうした仕組みで磁場から力を
受けないX線を発見して、
突き詰めていったのです。

その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で
放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、
後の素粒子での議論につながる種が、
レントゲンによって沢山まかれていた訳です。





また、レントゲンを偲ばせるエピソード
をいくつかの紹介します。
まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。

また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。

そして愛妻家だったと思います。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。





【Aテスラ原稿】
テスラはオーストリア帝国に生まれ
アメリカに渡ります。かのエジソン
のもとで働いていましたが独立して
高電圧の変換をして発表をしたり
回転界磁型の電動システムを実用化
して供電社会の礎を築いたりしました。

エジソン陣営との対立は送電方式の
考え方の対立が大きかったようです。
エジソンが直流による電力事業
を考えていたのに対して
テスラは交流による電力事業
に利点があると考えていました。





幸運な事にテスラはプレゼンテーション
が上手でした。学会での発表に
ジョージ・ウェスティングハウスが
感銘を受け資金供給を受け始めます。

最終的にはナイアガラの滝を使った
発電システムの実現に繋がり、
テスラは成功を収めました。





数々の事業を成功へ導いたテスラですが、
色々な別れがあり晩年は寂しい老後
を送っていた様です。テスラは独身でした。
そしてテスラは今、
磁場の単位と会社の名前に
自身の名を残しています。
数トンの重さがあったと言われる
彼の発明品や設計図はFBIが写しをとったあとに
母語へと返されています。




【Bエジソン原稿】
エジソンはアメリカの発明家です。
彼の逸話を聞くと、閃きの喜びとか
達成時の感動が沸き起こります。
エジソンの発明品は蓄音器、電灯、
活動写真と多岐にわたります。

研究所はニュージャージのメンロパークにありました。
個人的な話になり恐縮ですが、初めて買ったCDが
ボンジョビの「New Jersey」でした。何となく私が
想像してた同州の楽しそうで何かを生み出す雰囲気は
エジソンが研究所を構え、活動する中で
生まれた部分もあるのですね。きっと。





エジソンは幼少時代から苦労を重ねています。
彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。
「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」
睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ
次から次へと発明を繰り返しました。
図書館に籠り独学で色々なことを学び
正規の教育を受づに試行錯誤を繰り返します。

例えば、算数で「1+1=2」と教わっても
「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに
何故この場合は1ではなく2なのか??」
という視点を持ち反論しています。
こんな話が語りつかれている自体が
いかにもアメリカ的なのかな?
と思いますが、思考の柔軟性を保ち続ける
為には必要な吟味であるとも言えます。





その後、投票記録の機械、株式相場表示機、
電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。
蓄音機を世間に広めた時は
「機械の中に人が居るわけがない!」
と驚きの反論を受けたほどです。

晩年は会社経営から身を引き、
霊界との交信が出来るかといった
関心を持ち試行錯誤していました。
多くを残して84歳で亡くなっています。






【Cホイヘンス原稿】
ホイヘンスはライデン大学では数学と法律を修めました。
物理学はその知見を活かすフィールドだったとも言えます。

特に、光学での業績が顕著です。
所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達が
波動を考えていく上でとても有益だった筈です。
波の性質が突き詰められていき、
縦波とか横波とか周波数とか周期とか
最終的には破面に立つさざ波も、光も
同じ定数で表現出来る現象となるのです。

一般の人々にも説明出来る言葉を
出来るだけ沢山、科学者が作り出すことが大事です。
その点、ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。






また、
土星の衛星タイタンの発見したり、
振り子の原理を理解して時計を制作したり、
火薬を使ったエンジンの、制作したり、
オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その新規性には驚かされます。

またホイヘンスは、いわゆるエーテルの存在を想定して
後の物理学に議論の土壌を残しました。
この点も重要だと思います。
posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10426915
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック