Rudolf Julius Emmanuel Clausius, です。
クラウジウスはプロイセン王国領生まれました。今で言う、現ポーランドの生まれです。お父様は牧師として務める傍ら、小学校の校長を務めていました。そこでクラウジウスは学び始めます。ベルリン大学の時代に熱力学に関心を抱き始め、初の論文をまとめます。それは、当時の物理学の中心となっていた熱(温度)、圧力、 対象となる物質の体積(占めている空間)、およびその質量に関する関係の考察でした。ニュートン力学が広く知られ、その質点モデルをもとに人々が分子であるとか、原子であるとかいう概念を想像していくうえで、知見をまとめていっている段階での考察であり、手探りの中で気体分子の(またはその幾つかの合成物の)性質を突き詰めていった人の一人がクラウジウスなのです。今で言う化学と熱力学の境界線はどう考えられていたのでしょうか。概念形成の歴史を考えていく中で一つの転換点となっている気もします。後に放射線を使って原子を少しでも可視化したりする前の、関連概念の形成時代があったのです。
斯様な考え方で考えていくと、クラウジウスの諸業績の中で第一に思いつくものは熱力学に対する業績で、特に、エントロピーの概念が最も大きいのではないでしょうか。気体分子を単純化して特定環境下(温度下)での個々の質点の位置と運動量で考えていった時に
ボルツマンが後程、再定義
熱力学第一法則・第二法則の定式化 dS = {dQ }/ {T}
1824年、カルノーは、熱量は保存され、熱が高温から低温へと移動するときに仕事が発生するという理論を組み立てた。この理論は1840年代後半、ウィリアム・トムソンによって世に広まった。一方、同じ頃に、熱そのものが仕事に変化し、また仕事も熱に変化するというジュールの測定結果が、おなじくトムソンなどによって世に認められるようになった。しかし、この2つの理論は互いに矛盾するように思われた。そのため、トムソンは初め、ジュールの測定結果のうち、「仕事が熱に変化する」という箇所については否定的な見解を示していた。
これに対しクラウジウスはジュールの理論を受け入れ、熱と仕事は互いに変換可能だと考えた。しかし、カルノーの理論を完全に捨て去ることもしなかった。ここから、熱に関する2つの原理が生み出される。
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