概要
中山三法類(親師法縁、達師法縁、堺法縁)の縁頭寺であり、日蓮の説法と安息の地である。境内の鬼子母神も広く信仰を集め、江戸三大鬼子母神に含まれる。日蓮の書跡『観心本尊抄』、『立正安国論』は国宝、境内建造物の多くは重要文化財に指定されている。
日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
当寺を中心に門前町が広がり、正月や節分の際は大勢の参拝客で賑わう。
歴史
弘安5年(1282年)に日蓮が没した後、常忍は出家し自邸の法華堂を法花寺と改め初代住持・常修院日常となり、日蓮の有力な檀越であった太田乗明の子日高は、父の屋敷を本妙寺とし2代目住持となった。そして八幡庄の領主であり旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え、胤貞猶子の日祐を3代目住持とした。
だが、肥前国小城郡においては胤貞の弟胤泰が九州千葉氏として存続したものの、下総国では敵対関係にあった貞胤流千葉氏が台頭し、胤貞流の千田氏は衰退して当寺も危機を迎えた。そのようななか、日祐は室町幕府との関係を強めこれを乗り切り、ここを拠点とする中山門流が成立することになった。
日高以来代々の住持は本妙寺と法花寺の両寺の兼務が慣わしとなっていたが、天文14年(1545年)古河公方足利晴氏より「諸法華宗之頂上」という称号が贈られ「法華経寺」という寺名が誕生し、法花寺と本妙寺の両寺を合わせた一つの寺院になった。
1945年(昭和20年)2月25日、アメリカ軍の空襲により、門前に焼夷弾が着弾。周囲の民家が全焼した。
境内
総門(黒門)
仁王門(赤門) - 大正時代に建造
祖師堂(重要文化財)
本院・大客殿
鬼子母神堂
荒行堂
五重塔(重要文化財)
日常上人像
銅造釈迦如来坐像(中山大仏)
刹堂
妙見堂
法華堂(重要文化財)
四足門(重要文化財)
宇賀神堂
清正公堂
太田稲荷社
宝殿門
聖教殿
蔣介石胸像 - 1972年(昭和47年)の日中共同声明に伴う日台断交時に当時の住職が日華友好を願い建立した。
文化財
国宝
観心本尊抄 日蓮筆
立正安国論 日蓮筆
重要文化財
五重塔
祖師堂 以前は三層錣屋根入母屋形式であったが現在は建造時の形状とされる比翼入母屋形式に復元されている(柿葺き)。
法華堂 日蓮宗の建築物中現存最古級で室町時代後期の建築。
四足門
絹本着色十六羅漢像 趙璚(王偏に「矞」)筆 八曲一双(うち4枚後補)
日蓮筆遺文 56巻、4冊、1帖、3幅
右『立正安国論』(巻頭部分、日蓮撰・筆、法華経寺蔵、国宝)
交通
京成中山駅を越えると法華経寺まで続く参道に位置する門前町へ繋がる。参道では定期的に歩行者天国も実施している。
公共交通機関
鉄道
京成電鉄:京成本線京成中山駅から徒歩約3分(仁王門まで)
JR東日本:中央・総武緩行線下総中山駅から徒歩約8分(仁王門まで)
自動車
高速道路
首都高速7号小松川線・京葉道路
京葉市川インターチェンジ
原木インターチェンジ
一般道路
国道14号
千葉県道59号市川印西線(木下街道)
駐車場
無料駐車場あり
50台(9:00 - 16:00)
大型車は駐車不可
所在地 千葉県市川市中山二丁目10番1号