向嶽寺(こうがくじ)は、山梨県甲州市にある禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山。山号は塩山。本尊は釈迦如来。
非公開寺院のため建物内部や庭園は原則的に拝観不可である。
歴史
甲斐国では鎌倉時代に臨済宗が広がるが、向嶽寺は南北朝時代の1378年(永和4年)に、晩年の抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が塩山高森(甲州市塩山竹森)に建てた草庵に始まる。抜隊は相模国を拠点に活動を行っていたが、かねてから甲斐への移住を希望していたという。
同所の不便のため弟子の宝珠寺(山梨市の)の住持・松嶺昌秀(しゅうれいしょうしゅう)が周旋し、1380年(康暦2年)正月20日に甲斐国守護武田信成から寄進された塩ノ山へ移り、向嶽庵と号した。信成は絵図を作成して寺領を確定し、本尊の釈迦如来像を寄進したという。また、抜隊の死後に供養を行っている。「嶽」は富士山を意味し、抜隊がかつて霊夢を見たことに因む。
南朝方との関わりが深く、後亀山天皇の勅願寺となったという。武田氏の保護もあり多くの塔頭・末寺を有した。
文化財
国宝
絹本著色達磨図 - 昭和28年11月24日指定
鎌倉時代(13世紀)の達磨図。絹本着色[2]。寸法は縦108.2センチメートル、横60.6センチメートル。向嶽寺所蔵となった経緯は不明。現在は東京国立博物館に寄託。当時、宋からもたらされた水墨画・道釈画の技法により描かれたもので、日本最古級の達磨像であるだけでなく、日本水墨画史の冒頭に位置する貴重な作品と評されている。
達磨が体は正面、顔はわずかに左(向かって右)に向ける[2]。朱衣をまとい岩の上で座禅を組む姿が描かれており、鋭い目に豊かな髭、口元は緩く結ばれ歯を見せているなど、達磨の異国風の風貌が精緻に表現されている。耳輪部分には金泥が使用されている。背景は省略されており、礼拝画としての性格が強いと指摘される。画面上部には蘭渓道隆による賛文がある。蘭渓道隆は寛元4年(1246年)に来日すると鎌倉・建仁寺の開山に迎えられており、文永年間に甲斐へ流されている。本図は「朗然居士」に対しておくられており、これは文永5年(1268年)に執権となった北条時宗であると考えられている。
絹本著色達磨図(部分)
重要文化財(国指定)
向嶽寺中門 - 昭和46年6月22日指定
室町中期の四脚門。切妻造、檜皮葺。外門後方に位置し、左右には土塀(県指定文化財)を延ばしている。近世、近代の火災で諸堂を焼失した向嶽寺における唯一の中世建築。石積壇上に立ち、親柱の前後に各2本の副柱が立てられた大型の四脚門。禅宗様の建築で、特に親柱と副柱の上部を結ぶ梁に鎌倉に類例の多い湾曲した海老虹梁を用いている。築造年代を示す墨書はなく文献史料にも見られないが、装飾の様式から室町中期のものと考えられている。
中門(重要文化財)
所在地
山梨県甲州市塩山上於曽2026
2022年12月25日
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