アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

岡べえ
こんにちは!サラリーマンの日々でもつづりますか?プロバイダー代にでも なれば良いけどね!
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2008年11月23日 Posted by 岡べえ at 13:44 | 風景 | この記事のURL
最上川 3
こんにちは!
飽きずにここまで見てくれる人も居るんでしょうか?
最上川 たいした写真も無いのに 3つ目のアップです!

風景を眺めていると 飽きないと云うか、落ち着くと思いません?!

水辺の景色なんて最高ですね!
文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かいましたが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されています。

戸沢村の最上川に流れ込む支流に懸かる滝
源義経一行が奥州平泉へ逃げる時に、この最上峡を舟で遡る途中、白糸の滝を見て北の方(義経の正妻)が詠んだと言われる歌がある。
   「最上川 瀬々の岩波 堰き止めよ 寄らでぞ通る 白糸の瀧」
   「最上川 岩越す浪に 月冴えて 夜面白き 白糸の瀧」

芭蕉の「水みなぎって舟あやうし」は誇張であろう、という者もあるが、増水時の川下りを経験すれば、説を変えるに違いない。子規も、「古口より下一二里の間山峻にして水急なり」(「はて知らずの記」)と記しているし、森林の豊かだった昔は、最上川の水量は多く、流れもはるかに急だったと思われる。

最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてんはやぶさなど云おそろしき
難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。
是に稲つみたるをやいな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸
に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
五月雨をあつめて早し最上川
と言う事で 最上川 終了いたします。
長々と お付き合い有難うございました。
北上川  阿武隈川見たい方はどうぞ!
山形の特産品 庄内の特産品 大石田の特産品 お菓子
旅行バックを探す!

温泉旅館の格安予約サイト『一休.com』




国内最大級の宿泊予約サイト「楽天トラベル」




ノースウエスト・ワールドパークス/ダイナースクラブカード





2008年11月23日 Posted by 岡べえ at 13:13 | 風景 | この記事のURL
最上川 2
こんにちは!
訪問いただき有難うございます。最上川の続きを 出したいと思います。

色々な場所で最上川みてきました。

ここが 最上川が 海に注ぐ場所です、酒田の湊のそばです。
最上川河口
かつて最上川河口に位置していた酒田港、洪水防御を図りつつ安定した港を造るため、港と河が分離され現在の姿となったのは、大正から昭和初期にかけての工事によるものです。
最上川河口史

ここは何処なんでしょうか?
松尾芭蕉ゆかりの地が多い最上川、最上峡もその一つ。最上峡の他、大淀、大石田の観光舟下りにより最上川を身近に感じることができます。

ここは本合海大橋の場所ですよ!

芭蕉像と句碑  清川小学校裏門を入った所に、。「芭蕉遺跡 清川関所」の説明板があり、句碑、芭蕉像が建っている。
皆さん探してみてください!
参考はこちらです。




こだわりのブログなら[JUGEM]




CD/DVD 買うならタワーレコード








2008年11月23日 Posted by 岡べえ at 10:52 | 風景 | この記事のURL
最上川
ここで 一休み!
先の旅も気になりますが 周りの風景でもみませんか?

芭蕉がさみだれを集めて・・・・の 最上川の風景を集めて見ました。
ランダムに出しますので 何処の景色は 勝手に想像してください。

室町時代に始まったといわれる大石田河岸は、寛政4年(1792)には徳川幕府が管理する舟役所が置かれ、酒田を経て直接上方文化が入って来ることで最上川舟運の中枢として明治時代まで栄えたところです。

本合海は、古くから水陸の交通の要衝で、源義経の伝承が残っていたり、松尾芭蕉をはじめ、多くの文人墨客が訪れていることで知られています。

大石田、尾花沢、本合海、辺りを回っているときに 撮影しました。
最上川が 蛇行して流れているのが見えたんですが??無理ですか

この大石田は、昔からそばの里としての土壌を培って来ました。町の平野部と山間部を中心に、いくつもの名物そば屋が軒を連ね、休日には県外からの常連客など多くの人々が大石田のそばを求めて足を運びます。
大石田そば街道 地 図
奥の細道・・・・私の見た奥の細道
松尾芭蕉が46歳の時に門人曽良を伴って陸奥・北陸を行脚し、その後5年の推敲を重ね完成させた有名な紀行文です。1689年(元禄2年)3月27日、江戸を出発し、9月3日大垣に到着するまでの161日(約2,400km)にわたる旅路の中で、山形を訪れ詠んだ名句は数多く、特に最上川を題材にした句は代表的です。文中にも最上川に関する記述があり、「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有」と記しています。
それでは、まだ続きます。

>> 次へ

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。