2008年11月23日
最上川
ここで 一休み!
先の旅も気になりますが 周りの風景でもみませんか?
芭蕉がさみだれを集めて・・・・の 最上川の風景を集めて見ました。
ランダムに出しますので 何処の景色は 勝手に想像してください。
室町時代に始まったといわれる大石田河岸は、寛政4年(1792)には徳川幕府が管理する舟役所が置かれ、酒田を経て直接上方文化が入って来ることで最上川舟運の中枢として明治時代まで栄えたところです。
本合海は、古くから水陸の交通の要衝で、源義経の伝承が残っていたり、松尾芭蕉をはじめ、多くの文人墨客が訪れていることで知られています。
大石田、尾花沢、本合海、辺りを回っているときに 撮影しました。
最上川が 蛇行して流れているのが見えたんですが??無理ですか
この大石田は、昔からそばの里としての土壌を培って来ました。町の平野部と山間部を中心に、いくつもの名物そば屋が軒を連ね、休日には県外からの常連客など多くの人々が大石田のそばを求めて足を運びます。
大石田そば街道 地 図
奥の細道・・・・私の見た奥の細道
松尾芭蕉が46歳の時に門人曽良を伴って陸奥・北陸を行脚し、その後5年の推敲を重ね完成させた有名な紀行文です。1689年(元禄2年)3月27日、江戸を出発し、9月3日大垣に到着するまでの161日(約2,400km)にわたる旅路の中で、山形を訪れ詠んだ名句は数多く、特に最上川を題材にした句は代表的です。文中にも最上川に関する記述があり、「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有」と記しています。
それでは、まだ続きます。
先の旅も気になりますが 周りの風景でもみませんか?
芭蕉がさみだれを集めて・・・・の 最上川の風景を集めて見ました。
ランダムに出しますので 何処の景色は 勝手に想像してください。
室町時代に始まったといわれる大石田河岸は、寛政4年(1792)には徳川幕府が管理する舟役所が置かれ、酒田を経て直接上方文化が入って来ることで最上川舟運の中枢として明治時代まで栄えたところです。
本合海は、古くから水陸の交通の要衝で、源義経の伝承が残っていたり、松尾芭蕉をはじめ、多くの文人墨客が訪れていることで知られています。
大石田、尾花沢、本合海、辺りを回っているときに 撮影しました。
最上川が 蛇行して流れているのが見えたんですが??無理ですか
この大石田は、昔からそばの里としての土壌を培って来ました。町の平野部と山間部を中心に、いくつもの名物そば屋が軒を連ね、休日には県外からの常連客など多くの人々が大石田のそばを求めて足を運びます。
大石田そば街道 地 図
奥の細道・・・・私の見た奥の細道
松尾芭蕉が46歳の時に門人曽良を伴って陸奥・北陸を行脚し、その後5年の推敲を重ね完成させた有名な紀行文です。1689年(元禄2年)3月27日、江戸を出発し、9月3日大垣に到着するまでの161日(約2,400km)にわたる旅路の中で、山形を訪れ詠んだ名句は数多く、特に最上川を題材にした句は代表的です。文中にも最上川に関する記述があり、「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有」と記しています。
それでは、まだ続きます。