(=^ェ^=) チミ(=君)、なんでも他人(ひと)に聞かんと、ちったあ(=すこしは)自分で調べたらどうかね、
▽・w・▽ すんまへん、ええ、「天正(てんしょう)の兵火」で検索と・・・これが適当かなあ、「弘法さんかわら版」の第154号(平成27年4月)にこんな記事が、
「天正年間(1573-1593)に四国統一を狙った土佐の長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)。阿波、讃岐、伊予まで攻め込み、戦乱は十年に及びました。この戦乱で、四国八十八か所霊場のうち、阿波十三ヶ寺、讃岐十一ヶ寺、伊予四ヶ寺が罹災。この間の戦災を「天正の兵火」と言います。」
(=^ェ^=) なるほど、阿波にある二十三寺のうち半分以上も焼かれたんか、
▽・w・▽ 弘法大師の手による木像の菩薩像なども焼失してるそうです、
(=^ェ^=) しかし、観音寺と聞くと、最近はかならず西大寺観音院を連想するなあ、
▽・w・▽ 岡山を代表する大寺院のひとつですね、
(=^ェ^=) 全国的にも有名なんは、会陽(えよう)っていうハダカ祭りやけど、ふだんでも地元の人々に愛されてる雰囲気がただよっていて、その周辺を自転車で流してるだけでもいい気分になれる、
▽・w・▽ 観音院の敷地の外まで良いんすか、
(=^ェ^=) となりは大きな公民館、門前はしっとり落ち着いた歴史的町並み、すぐ横は吉井川が流れ、瀬戸内海はすぐそこ、
▽・w・▽ そういえば、このお寺が生まれたのは、海つながりとか、
(=^ェ^=) 奈良の長谷寺(はせでら)で修行されてたお坊さんがこの地に向かって瀬戸内海を航行中、龍神様が現れてサイの角を渡されたそうじゃ、
▽・w・▽ そのサイの角をこの地に埋めて、その上に千手観音を祭るお堂を建てたわけか、
(=^ェ^=) うむ、そういうわけで元々の名称は、動物のサイの字を取って犀戴寺(さいだいじ)、
「海近し この地へ埋めよ サイの角」
▽・w・▽ ちなみに、ここは中国三十三観音霊場の第一番札所、二番札所は、吉井川の向かい、小高い丘の上にある餘慶寺(よけいじ)か、
(=^ェ^=) 餘慶寺(よけいじ)と西大寺観音院が吉井川を両側から守り固めてるような印象を受ける、
「二寺(ふたてら)が 河口を守る 吉井川」
▽・w・▽ このあたりは歴史が深いんやなあ、
(=^ェ^=) 観音院と餘慶寺(よけいじ)の周辺は昔ながらの古い道筋がとりわけ多く残されてるから、自転車で流してると、じつに良い気分にひたれる、
▽・w・▽ なるほど、お寺はその内側だけやなくて、その周辺にも影響を及ぼしてるんや、当然のことやけど、
(=^ェ^=) 京都を中心に近畿エリアを数多くめぐったけど、それらと比較しても、このあたりはホンマに素晴らしいと思う、面積が広いから歩きより自転車でその価値がきわ立つはず、
▽・w・▽ 地元の方々も、たまにはクルマから自転車に乗り換えて、小一時間散歩されたらいいすね、
西大寺観音院の上空から吉井川の河口をながめる
16番観音寺の上空から吉野川の河口をながめる
iframe src="https://www.google.com/maps/d/embed?mid=zFTNnOK27fP0.kKQDdwV-CkFk" width="600" height="450">
【このカテゴリーの最新記事】