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「と」の人と「が」の人の違い

「と」 の人と 「が」の人の違い

ここで言う 「と」 と 「が」 は、、

「理想 と 現実」と言う人と
「理想 が 現実」と言う人の、
「と」 と 「が」です。


先日、やりたい事と思って頑張っているが、
理想と現実は違い、今後どうすべきか
悩んでいると相談を受けました。


「理想と現実」と言う言葉は、
今の自分の状況に
満足しきれていない時に
出る「グチ」にも似た言葉。


「理想が現実」と言う言葉は、
今の自分の状況に満足して
心が満たされている時に
出る「達成の喜び」です。


大きな違いのある
「と」と「が」の人、
この違いはナゼできたのでしょうか?


簡単です。


「が」の人は、
自分の理想を現実にするために
必要な知識・技術・経験を確実に
身に着けている


「と」の人は、それが無い人です。


しかしながら、
「と」の人にも言い分が
ある場合があります。


自分はやる気あるのに、
時間がない、状況的にできない
協力者がいない、

こういう言い訳、
よくありますよね。

厳しい事を言うようですが、

私に言わせたら、
そんな事言ってるから
いつまでたっても
「と」の人のまんまなんです。


「時間がない」?

努力して時間作ってから
始めるべきでなかったんですか?


「状況的にできない」?

やれる状況になってから
始めるべきでなかったんですか?


「協力者がいない」?

自分だけで出来るようになってから、
もしくは、協力者との確固たる
信頼関係を築いてから
始めるべきでなかったんですか?


そんな正論を言われても・・・
と反論されましたが、


必要な努力もしていない
未熟な自分を助けてもらって、
理想的な現実を手に入れようとする
甘い考えは社会では通用しません。


これこそ「現実」です。

『理想』を実現したいが

時間がない、状況的にできない
と言うのは、
勉強と練習が足りてないから、

必要な時間と状況を
作れていないのです。

やるべき努力を怠った
自分のせいです。


協力者がいないのは、
あなた自身が
自分の責任をしっかり
果たしていないからです。


あなたがもし、
仕事の責任、立場上の責任、
家族への責任、社会への責任、

これらをしっかりしていたら、
どうでしょう?

協力者はつくのではないでしょうか?

やるべき責任を全てきっちり果たしたあなたが、
何か新たに挑戦しようとしたら
協力者はつくと思います。

私の推測ですが、

協力者がつかないのは、
新しいことをするために
本来やるべき事をやっていないから
ではないですか?

あなたがもし、
協力して欲しい人から
「そんな事よりも、
他にやるべき事あるでしょ」と
言われたことがあるなら、
おそらく私の推測は当たっている
のではないでしょうか?


頑張る人には応援者がつく。

しかしこれには、
隠れている言葉があります。

(やるべきことを全て完璧にやって)
頑張る人には応援者がつく。
です。


学生の
進みたい進路があるが、
親や協力してくれない、、

社会人の
夢に向かって進みたいのに
家族が協力しない、

そんな悩み、本当によく聞きます。


そんな悩む時間があったら、
周りが協力したくなるような
自分になればいいんです。

誰からも、
あの人は何でもキッチリ
しっかりやってる
その人が、
さらに何か始めようとしてる、

よし応援しよう!

これが自分の理想を現実にした人、

つまり、
理想「が」現実の人の周りで
起きている事です。


やるべきことをキチっとやる源は、
「感覚」です。


日々の稽古でよく言いますよね。

やる気がある時だけ頑張って、
気分の乗らない時に手を抜くのは
いけない、

気分がどんな状況でも
やるべきことは
絶対にしっかりやる。


空手がどうこうでなく、
この「感覚」が大切なんですよ。



勉強、練習、準備、責任などの
やるべき事をやらない、


そんなことしていると、
将来「と」の人になりますよ。


さぁ、今日の稽古、
そして稽古までに
みなさんのやるべきことは
何ですか?


早田



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韓国からオシャレを輸入



失敗は成功のもと、ただし ???な失敗に限る。


失敗は成功のもと、ただし ???な失敗に限る。


「失敗は成功のもと」という言葉があります。

確かに失敗から学ぶ事は、
次に成功するため、
重要な事を知るキッカケとなる
場合が多いと思います。

また、失敗を恐れず挑戦する
勇気、気持ちも大切です。


だからこの「失敗は成功のもと」
という言葉があるのだと思います。

しかし、
失敗が何でもかんでも成功のもとに
なる訳ではありません。

準備もなく、ただ無謀に挑戦し
失敗するのは、ただの
「身の程知らず、分不相応」を露呈し
恥さらしするだけです。

さらに、その失敗を反省せず、
「やっぱり失敗しちゃった」と
最初から失敗ありきでの挑戦も
成功のもとには到底なりえません。


「成功のもと」になる「失敗」は
準備万端でのぞみ、成功させるために
集中力を最大限に発揮してからの
挑戦、それからの失敗です。


この失敗からは、成功するための準備の不足や
方向性の違い、また、実力を発揮する
ために必要な集中力の持ち方など、
成功の為に足りない事が明確になります。


そこが、自分の弱点で、そこが失敗の原因、

つまりそこが、「成功するカギ」なんです。

「失敗してりゃそのうち成功する」っていう
バカな考え方している人はいませんか?

準備不足の失敗は、自分自身の信頼と
人間性の評価を下げる結果にしかなりません。


失敗は恐れない、しかし万全の準備は欠かさない


もし失敗したら、冷静に反省し次に成功させる
ための研究をする


これこそが、「失敗は成功のもと」の真意と
私は考えます。


私は、選手時代
練習内容を日誌に記録していました。
今見返したら、本当にすごい量の練習をしていました。

それでも、失敗続きでした。
しかし失敗後は、日誌を見返し、改善、追加、などを
繰り返すうちに結果へとつながるようになりました。


ウエイトトレーニングも同じです。


皆さんは、稽古内でスパーリングしますよね?

そこで出来ることがあなたの実力で、
試合ではその半分も出ません。


試合で実力を発揮し、結果出すためには、
スパーで思い通りに動けるのが絶対です。


そのために、研究と練習で身に着けた
色んなやり方試してみましょう。


そこで失敗してもいいんです。


うまくいかなかったら、研究してまた練習し、
また試せばいいんです、成功するまで。


余談ですが、これは社会にでてからも同じです
会社から、そして世の中からから必要とされる
人材になるためには
沢山の意味のある失敗を経験し、
そこから、成功するための
色んな要素を学ばなくてはなりません。


話を戻します。


スパーリングは、
自分のやりやすい方法で毎回考えず、たーだ
ワンパターンでやっているのは、
勝ちには繋がりませんよ。


選手生活をさんざん経験した私には
それがわかります。


失敗は成功のもと、ただし
成功するための準備と努力をした失敗に限る。
です。


大切なのは、
一生懸命やる稽古、そして
考える稽古。


さて、今日の稽古、
皆さん頑張りましょう!


私も頑張ります。


早田


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社会で役立つ「押忍」の精神

社会で役立つ「押忍」の精神



我々が、
道場内で何度となく発する「押忍」

この「押忍」は、
ただの体育会的挨拶ではありません。

私が解釈する「押忍」の意味は、

「全てを受け入れ耐え忍ぶ」

これは、理不尽な事に全て耐えろ
という意味ではなく、

社会生活の中でおこる全てを
ありのまま受け止める

という意味です。


日々の暮らしの中で、

感情にまかせ、なりふり構わず
自分の気持ちをはらすだけが
目的の幼稚な事をしない。

常識的、状況的、立場的に
感情を抑えたり、言葉を飲み込む
必要があればそうする。


器量の大きな人になってみせる
という覚悟が「押忍」なのです。


我々は、この覚悟の言葉を
返事、挨拶、気合、全ての場面で
使用しているんです。


意味を分かって使えば、さらに
気持ちも引き締まるものですよ!


今日の稽古も、まずは
元気な「押忍」からです!



早田


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「お願いします」と「ありがとうございました」

「お願いします」と「ありがとうございました」

我々は稽古の中で、何回
「お願いします」と
「ありがとうございました」を
言うのでしょう?

全体の稽古、個別の稽古、
動作ごとに
「お願いします」と
「ありがとうございました」を
言います。

これは、この習慣がとても大切だからです。

道場は、社会の縮図、

道場で学ぶことは、社会に出て
「当たり前に身に着けておくべき事」です。


人と何かをするとき
習うときの「お願いします」


その後の「ありがとうございました」


これが当たり前に出来ないと
社会で落ちこぼれます。


周りを見て下さい。

怒られている、指導されているのに
自分を良くしようとしてくれている人に
対して「ありがとうございます」も
言わず、むすくれる、、、


自分の立場を守りたいが
自分ではできないので人に
無理難題をお願いする、


お願いする時は頼みまくるくせに
完了後は「ありがとうございました」も
言わず、なぁなぁになっている、、、、


そんな人いませんか?


そんな人は社会でどんな評価ですか?


「カス」です。


たったそれだけの事を守れないだけで
「人間のカス」と位置づけられるんです。


カスになってしまったら、まともに指導なんて
されません。


陰で悪口言われて、バカにされるだけです。

カスだから当然です。


そんななりたくないですよね?


しかし普段から

「お願いします」と
「ありがとうございました」を
絶対に忘れないと気をつけておかないと
なるんです。


大人になってからでは遅いです。


道場で、守ることは、
挨拶をする、話を聞く、
キビキビする、最後までやる
時間を守る、挨拶をする、
多少苦しくても頑張る、
そして

「お願いします」と
「ありがとうございました」

シンプルな事ばかりですが、
全部、大人になる前に身に着けないといけない
「当たり前の感覚」なんです。


さて、今日も稽古頑張りましょう。


早田


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「なりたい自分」と「なりたくない自分」

「なりたい自分」と「なりたくない自分」


将来やりたいことが見つかりません・・

分かりません・・・


前にも同じような話あって、その時は

そのやりたい事に出会った時に
実現できるために必要な
準備をすればいい

と書きましたが、
それでも「まだわからない・・」


では、こう思いなさい。

「なりたい自分」でなく、

「なりたくない自分」に
ならない努力をしなさい。


「なりたくない自分」って、、、


大人になっても子供のように
感情コントロールできない。

自分の能力不足を人のせいにする。

人に媚びて生きる。

能力もないのに上司面する。

人に厳しく自分に甘い。

自分に都合の良い言い訳を言って
人が傷つくことを平気でやりまくる。


「なりたい自分」は思いつかなくても
「なりたくない自分」は一気に出てくるものです。


「なりたい自分」になるためには、
勉強や練習が必要です。


しかし、「なりたくない自分」に
ならないためには、自分自身が
気を引き締めるしかありません。


「なりたくない自分」は
紙に書いて見えるところに
置いておくと、頭にしっかり
焼きこまれますのでいいですよ。


「なりたい自分」はそのうち
見つかります、あせらなくていいです。


その間に、「なりたい自分」になる準備をし、
「なりたくない自分」にならないよう
気を引き締めておけばいいのです。



早田


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「優しさ」とは?

「優しさ」とは?


生徒の保護者さんが、
職場の宴席で
子供が空手をしているという
話をしたら、職場の方に

「うちは、優しい人になって欲しいから
空手はさせたくない。」

と言われたそうです。

その保護者さんは、大人なので、
この人には言ってもわからないだろうと
それ以上話もしなかったそうですが、

こんな話ってよく聞きますよね。


でも、優しい人ってどんな人?


私が思う「優しさ」は、


自分の技術や知識をそれを
必要とする人に提供すること。

自分が耐えることで、
人の役に立つなら耐える事

その人が体力的にできない事を
手助けする事

自分が過去に困難を乗り越えた
経験をもとに悩んでいる人の話を
聞いてあげ、場合によっては
解決法のアドバイスをする事



つまり、人がその時 出来ない事を
手助けする「役に立つ事」です。


これって、体が強くて、
実力を身に着ける能力が
ないと実現できないですよね?


では、先述の方が言った
「やさしさ」って何でしょう?


きっと、


ただ「のんびりしているだけ」
という事ではないでしょうか?


おっとりしている、のんびりしている、

別にいいのですが、
それで優しいと言われても
それだけでは
役に立たないですよね・・


その人は、
人がいじめられているときに
助けられるのでしょうか?


怖いから見て見ぬふりするのでは
ないでしょうか?


重たいもの持てなくて
困っている人の荷物
持ってあげられるのでしょうか?


持てないので知らん顔するのでは?


これって、「優しさ」の真逆の
「冷たさ」ですよね。


優しさは、
役に立たないと意味がないのです


役に立つ優しさを身に着けるには、
「強さ」がいるのです


「強くなければ、優しくなれない」

極真会館のある師範がよく
おっしゃるフレーズですが、
まさにそうだと思います。


優しさのための強さ、
そして強さをコントロールする心


極真会館熊本本部で
目指す5つの人間像の最後は

「優しい人」です。


早田

極真チラシ.jpg

いつか直面する2つの事に備える

いつか直面する2つの事に備える


我々が指導する空手道は、
試合に勝つ事だけが
目的ではないと日頃から
申しております。


昔、植木道場指導員時代に
こんなことがありました。


ある日、親に連れられてきた高校1年生。
親は、空手に入れたい、
しかし子供はしぶっている・・・


話を聞いてみたら・・・


キツイ稽古は何のため?
別にケンカしないから強く
ならなくてもいい・・

空手が将来役立つとは思えない・・


ありがちです・・


私に言わせれば、そんな言葉は
キツイ事を、とりあえずやりたくない
逃げの言葉です。


根性がなくて口が達者な人が良く言う
フレーズです。

この人は、おそらくドコででも
そんなこと言って苦しいことを避けて
きたのでしょう。


しかしその人は、こう話したら
グダグダしていた態度から、
少し話を聞いてみようという
態度に・・・


さて、何と言ったかと言うと・・・


大人も子供も、男も、女も、
誰もが、いつか必ず
「ある2つの状況」に
遭遇します。


それは、、、


「失敗が出来ない状況」

そして、

「意地をはらなくてはいけない状況」


思い浮かべて下さい。


この2つに遭遇した時、

失敗するよりも成功したほうが
いいですよね。


意地を捨てて、
プライドを汚すより、
意地はってプライド
守りたいですよね。


そのために、空手の稽古が
役立つんです。



たとえば、「失敗が出来ない状況」

試験・仕事・試合・選択、
色々ありますが、
これを成功するためには、


確実に知識と技術を身につけ、
実力を高める、

そして、本番で確実に
実力を発揮する
判断力と、集中力、
瞬発力を身につける。

これは全てが揃わないと、
「失敗」します。



次に「意地をはらなくてはいけない状況」


寝ないでも意地でも間に合わせる

疲れているけど、意地でもやりぬく。

苦しいけど、意地でもやめない。

こんな状況、絶対にありますよね。

これは、まさに体力勝負。


意地をはりたくても、
体力が無かったら
つぶされるだけ、

「アイツ口だけで、出来ないじゃん」と
バカにされるだけ、

体力が無かったら「意地」をはれず
自分のプライドを汚します。

プライドを守りたいなら、気の強さではなく
体力をつけなきゃダメなんです。


空手の道場稽古は、

「理解力」「物覚え」「体力」「根性」を
高める内容です。


稽古をやっているうちに
自然とこれらが
高まるように指導しています。


稽古の中身を見て下さい。


説明して、聞いていない生徒は、
無視します。


聞いていない生徒に個別で説明なんて
絶対にしません。


理解するつもりで集中して
聞かないと、おいて行かれると
分かっているから生徒は
人の話を集中して聞きます。


動作を覚えさせるときは、
手本を見せ、真似をさせます。

手とり足とりで動作の指導をしないのは、
観察眼を身につけさせるためです。


これが、物覚えにつながります。


稽古の内容は大人のペース。

コレに子供をついてこさせるのは、
体力をつけるためです。

骨に負担のかからない方法で
子供の運動量を最大まで
引き上げていきます。


泣いてもやめさせないのは、
根性をつけるためです。

泣くことは悪くありません、
泣いて辞めるのがいけないんです。

今日は、泣いても、
今度泣かなければいいんです。


こんな事をやっています。


もしあなたが、
このままダラダラ言い訳して
年だけ取っていくことを良しとするなら
そのままでいいのでは、、、


少しでも、変わりたいと思うなら
まずは見学だけでもいいから来てみては?


結果は、、、

高校3年までしっかり稽古し、
関東の大学へ進学

しばらく音沙汰なしでしたが、
最近連絡がありました。


今は東京で立派な社会人として
なりたい自分になったようです。


今は、空手はしていないようですが、
当時空手で身に着けた「感覚」が
今の自分の財産と言ってくれました。


空手で身につけた事を
空手以外で役立てる、


こういう嬉しい報告があるので
指導員はやめられません。



早田

集合001.JPG

極真魂でガンバレ

極真魂でガンバレ

自分の夢を実現するため
一時、空手を休会して、
勉強に集中していた
志水君が今日久しぶりに
道場へ、、

去年、叶わなかった事を、
来年叶えると誓い、
頑張り続けた事は
まさに、
君が空手で身につけた
『くじけず再挑戦する強さ』

今年は大丈夫!

油断したら失敗する恐怖を
知っている君は、
本当に頑張り抜いているから!

あとは、身につけた事を
本番で発揮するだけ!

夢の実現は間近!

頑張れ!

道場の仲間、みんなで
応援しているよ!

早田



志水君からのメール


早田 師範代、
昨日は突然の訪問にも
関わらず温かく迎えて下さり
ありがとうございました。

久々に植木道場に戻ってきたことで
自分の原点に帰ってきた心地と
また新たに0からでも目標に
向かって進むための信念を
持てました。

昨晩は自分自身を振り返り、
たとえ0(原点)に戻ったとしても
少なくとも-(負(マイナス))に
なったわけではない、
それだけまだ機会(チャンス)は
あるはずだ。
と言い聞かせて

自分自身でモヤモヤとしたものを
整理することができました。

このように考えられるように
なったのも今まで極真空手で
不屈の精神を身につけて
きたからであると考えています。
心底から感謝致します。

そして僕という人間の
基礎を築き上げた極真空手は
時間がかかっても
また必ず再スタートさせたいと
考えています。

押忍

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「型」指導は「ガマン」!!

「型」指導は「ガマン」!!


型指導には、
色んな指導論がありますが、

私は絶対に
手とり足とりの指導は
しません。

覚える時に、
手本をしっかり見て
真似する事を最重要視します。


見て真似する事は、
将来、自分が何かを
覚える時に必要な能力
だからです。

最初は、足、次は手、
そして姿勢、つなぎの動作、
全体のスピードバランス、、

言われた事をやるのでなく、
自分でポイントを見つける、
出来るようになったら
また次のポイントを見つける、

これは、指導側にはガマンが
必要です。かなり・・


手を引いての指導は楽ですが
それでは生徒の能力が
高まりません。

わかるまで手本を見せる。

地味ですが、効果があります。


例えば、、

中学に上がり、部活を始めるため
空手をやめるという生徒は
よくいます、


型を自らの観察力で覚え、
「見て覚える能力」を
高めた生徒は、
どの部活でも主力になってます。


空手で学んだ事が
空手だけでしか役に
たたないのは、
ただの競技選手指導です。


極真会館熊本本部の
指導は、空手で学んだ事が
空手以外でも役に立つ、
そんな指導です。


早田


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