2018年04月01日
何故5月になると男のいる家庭は五月人形を飾るのか?
こんにちは。
今年もすでに4月に入りました!
ホントに時間が過ぎていくのは早いものですね。
私は、誕生日が5月なので、なぜか4月に入ると小さい頃は誕生日が近づくにつれワクワクした気持ちになっていましたが、年齢を重ねるにつけ、逆に、ああ、また歳をとってしまうという悲観的な気分に陥っている今日この頃です。
さて、五月になると、なぜ男のいる家は五月人形を飾るのでしょうか?
私も、祖父が買ってくれた五月人形が毎年実家に飾られていました。
飾りの一つである刀(模造等)で遊べるので、とてもうれしかった記憶があります。
なぜ、五月になると鎧姿の人形がかざられるのか?私もその理由を知らなかったんで、調べてみました。
そもそも、五月人形を飾るようになった歴史は、鎌倉時代まで遡るそうです。
当時の武家社会においては、鎧や兜は武士の命として、とても大切に扱われていました。
特に梅雨の時期になると湿気で傷んでしまうため、梅雨入り前の五月に座敷に出して手入れを行う習慣があったそうです。
それとともに、鎧と兜は武士にとって単に戦のための道具というものではなく、「自分の命を守る」象徴として神社に奉納するという伝統が存在し、飾って奉るといものという側面もあったようです。
そして、徳川幕府が成立し混乱した時代から安定した江戸時代の初期になると、古来より、わざわいは家の外から侵入してくると考えられてたため、その災いを防ぐ意味から天の神様を招くため端午の節句に武家では自分の家の家紋の付いた旗やのぼり、長刀などの武具類を屋外に飾るようになったそうです。
また、戦いのなくなった平和の時代においても、先祖伝来の武具を飾って、人目にふれる機会を作って、武士としての誇りや自分の家の誉れを維持しなけければならなかったのではないかとも思います。
まあ、武士は誇りが命でしょうから!
こういった武家の風習を次第に庶民たちも真似るようになっていき、鎧兜を買うだけの経済的余裕がなかった家では、紙でできた張り子の鎧兜を飾ったり、家の前に長刀、槍、幟、吹流などを立て並べたりするようになっていきました。
一種の流行ですかね!
そして、江戸時代後期にもなると、これらの節句飾りは、だんだんと人形化していき屋内に内飾りとして飾られるようになります。
魔除けの赤い布を敷いた上に幟や槍を立てた枠を置き、その前に人形や鎧、兜などを並べ、これに柏餅や粽などを供える座敷飾りが普及していきました。
これが現在の五月人形飾りの原形となりました。
武家の家庭に男子が誕生したことによって跡取りが出来たお祝いと、一家一門の繁栄を願って兜や鎧を飾る習慣が生まれ今の時代にも引き継がれているのです。
鎧兜などの武具は、「命を守る」象徴から、いつしか病気や怪我、災いなどから守ってもらうという願いを込めたものに変わっていったのでしょう。
どうですか?
勉強になりましたか?
機会があれば、いいネタとして知らない人に教えてあげてくださいね!
では。
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私も、祖父が買ってくれた五月人形が毎年実家に飾られていました。
飾りの一つである刀(模造等)で遊べるので、とてもうれしかった記憶があります。
なぜ、五月になると鎧姿の人形がかざられるのか?私もその理由を知らなかったんで、調べてみました。
そもそも、五月人形を飾るようになった歴史は、鎌倉時代まで遡るそうです。
当時の武家社会においては、鎧や兜は武士の命として、とても大切に扱われていました。
特に梅雨の時期になると湿気で傷んでしまうため、梅雨入り前の五月に座敷に出して手入れを行う習慣があったそうです。
それとともに、鎧と兜は武士にとって単に戦のための道具というものではなく、「自分の命を守る」象徴として神社に奉納するという伝統が存在し、飾って奉るといものという側面もあったようです。
そして、徳川幕府が成立し混乱した時代から安定した江戸時代の初期になると、古来より、わざわいは家の外から侵入してくると考えられてたため、その災いを防ぐ意味から天の神様を招くため端午の節句に武家では自分の家の家紋の付いた旗やのぼり、長刀などの武具類を屋外に飾るようになったそうです。
また、戦いのなくなった平和の時代においても、先祖伝来の武具を飾って、人目にふれる機会を作って、武士としての誇りや自分の家の誉れを維持しなけければならなかったのではないかとも思います。
まあ、武士は誇りが命でしょうから!
こういった武家の風習を次第に庶民たちも真似るようになっていき、鎧兜を買うだけの経済的余裕がなかった家では、紙でできた張り子の鎧兜を飾ったり、家の前に長刀、槍、幟、吹流などを立て並べたりするようになっていきました。
一種の流行ですかね!
そして、江戸時代後期にもなると、これらの節句飾りは、だんだんと人形化していき屋内に内飾りとして飾られるようになります。
魔除けの赤い布を敷いた上に幟や槍を立てた枠を置き、その前に人形や鎧、兜などを並べ、これに柏餅や粽などを供える座敷飾りが普及していきました。
これが現在の五月人形飾りの原形となりました。
武家の家庭に男子が誕生したことによって跡取りが出来たお祝いと、一家一門の繁栄を願って兜や鎧を飾る習慣が生まれ今の時代にも引き継がれているのです。
鎧兜などの武具は、「命を守る」象徴から、いつしか病気や怪我、災いなどから守ってもらうという願いを込めたものに変わっていったのでしょう。
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ブログランキングからきました。
我が家の末っ子長男の五月人形は、
その長男のやんちゃぶりがひどく、この2,3年飾られていません・・。
お姉ちゃんたちのひな人形も・・・。
来年あたりは、飾れるかな・・。
勉強になりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
こいのぼりそうですね。
私は田舎にすんでいるんですが、ぜんぜん見かけなくなりましたね。
時代が変わったせいでしょうかね。
ブログランキングから訪問しました。
そうですね、もうすぐ端午の節句ですね。
デパートには兜が展示される頃ですね。
そういえば最近、こいのぼりの姿を観なくなしました。
私の子供の頃観た、こいのぼりが空を泳ぐ姿が懐かしいです。