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2012年01月17日

完全なる真実、不完全なる世界

商品紹介の第一弾目を、何にしようかと考えていました。

書きたいものがいっぱいあるけど、何を最初に書くべきか…。

で、岩波文庫から出ています、「パイドロス」です。
イデア論で有名なプラトン著。藤沢令夫訳。

この本の中で、イデアは燦然と輝く<実有>、真実在として語られています。

その様子が何ともファンタジックで…。

大学時代、哲学を専攻していたくせに、

「哲学書ってなんでこうも回りくどいの! もっと簡潔に述べてくれよ!」

と、哲学書に挫折し、哲学の「て」の字もよく理解しないまま卒業してしまった私ですが、初期のプラトン作品は好きだったなあ。
哲学を学ぶ方には申し訳ないのですが、私はプラトンの作品を、どこかファンタジー作品として読んでいたのかもしれません。

天の彼方、不死なる神々の住む天界の上空に、「真実在(後にイデアと呼ばれるようになるもの)があるのだそうです。
それは色もなく、形もなく、触れることもできないけど、確かに「存在する」もの。
不変で完全で、「正義そのもの」「知識そのもの」であるもの。
それらは魂にとって、いわば大変美味なご馳走みたいなもので、それらを観ると、魂は幸福で満ち溢れるそうです。

が、それら「真実在」をしっかり観ることが出来るのは、不死なる神々の魂だけ。
人間の魂は、よほど神々に近い魂でない限りは、真実在の一部しか観ることが出来なかったり、ほとんど観ることが出来ないまま、堕ちてしまいます。

堕ちた魂は、「真実在」をしっかり観ていないので、観ていない部分は勝手な「思惑」で補完するしかありません。ところがどっこい、その「思惑」こそが、その魂を「真実在」から遠ざけてしまうのです。
魂は全て、自分を幸福にしてくれるもの=「真実在」を求めるようになっています。
でも、「真実在」をしっかり観ることが出来なかった魂は、間違ったものに幸福を感じてしまって、破滅の道を歩む可能性が高くなります。
例えば、何だろ、「正義そのもの」をしっかり観ることが出来なかった魂は、「正義そのもの」だと勘違いして、自分が正しいのだと暴力で以って圧制するとか?

大人気アイドルなりアーティストなりのライブか何かに行って、「最前列でその姿をまじまじ見たい!」と思いつつも、他の熱狂的なファンにもみくちゃにされて、足踏まれて、エルボー喰らって、押されて潰されて、酸欠になって、ろくに見もしないまま、ぶっ倒れて会場外に運び出されるようなものかもしれません(なんかいきなり世俗的になっちゃったな…)。
傷心のまま自宅に帰って、そのアイドルなりアーティストなりの、自分が観ることの出来なかった姿や声やMCの内容や歌なんかを、自分で勝手に妄想して、その妄想が正しいと思い込んで、あることないことブログやツィッターに書き込んで、炎上してしまうようなものでしょうか。

まあ、うん、私もプラトンのイデア論について、妄想で語ってるかもしれないのが怖いところですが。

つまり、何を言いたいかと言いますとね、人間はどうあがいても「真実在」を手にすることは出来ないんだなあ、と。

「パイドロス」によると、誠心誠意、知を愛し求めた人の魂は別で、そういった人生を3回続けたなら、魂に翼が生えて、生の輪廻から立ち去っていくそうです。

ファンタジックでしょ?

「パイドロス」読みながら、翼が生えた魂が、輝く「真実在」に向かっていくのを想像して、その美しさにとても感動してしまったのです。

人間は生きている限り(下手したら死んでも)真実在を手にすることは出来なくて、でも人間は真実在、つまり完全なる何かを求めて生きている。

それは、ともすると滑稽で、救われないような気もするけど、私はどこかほっとしましたです。


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posted by みあ at 23:41|
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日々の中で感じたことを、個人的な偏見を交えて語りたいと思います。 本とか、音楽とか、映画とか、いろいろ。
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