2012年01月23日
BUMP グッドラック 感想補足
先日、弟が「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観に行きました。
私は観ていないので詳しい感想は書けませんが、弟曰く、「面白かった!感動した!泣けた!」とのことでした。
「別れ・自立・門出」の物語のようですので、興味のある方はハンカチを持って映画館へれっつら・ごー!
泣くのはストレス解消になりますです。
だけど、まわりがすすり泣いている中、あなたがハンカチを使うことがなくても恥じることはありません。
泣くポイントはそれぞれ違っていて当然だもの。
弟は特にBUMPファンというわけではなく、「グッドラック」を聴いたとき、「たいしたことないな、俺はあんま好きじゃないな」との感想でした。
「でもどーせALWAYS観に行ったら、最後にBUMPの曲が歌詞つきで流れて、評価変わるんでしょ」
とそのとき私は言ってたんですが、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観た弟がそれはそれは興奮して、
「『グッドラック』の意味が分かった!あれは別れの曲だ!」
……いや、だから最初から別れの曲だって言ったじゃん……。しかし、予想通りの反応をありがとう。
そしてやっぱり、最後に歌詞つきで流れたんだ、「グッドラック」(笑)。
「俺はお前より『グッドラック』を理解した!BUMPの藤原はALWAYSの脚本読んで『グッドラック』をつくっただろ!?今から俺がお前の理解度をチェックしてやる!」
ということで始まりました、「グッドラックの解釈、一問一答」。
弟:「君と寂しさは きっと一緒に現れた、はどういう意味だ?」
私:「『寂しい』って感情は自分ひとりじゃ出てこない、相手がいないと出てこない感情で、だから『君』と出会ったために『寂しい』という感情も生まれる、ってこと?」
弟:「……君がいる事を 寂しさから教えてもらった は?」
私:「君がいなくて寂しいと思うということは、君と出会ったからであり、それはつまり、君という存在がいるから」
弟:「……君がいない事を 温もりから教えてもらった は?」
私:「さっきと逆。温もりを知ったために、その温もりがなくなったときに、君がいない、ということに気付く」
弟:「……くれぐれも気を付けて 出来れば笑っていて」
私:「どうか気をつけて、離ればなれになるけど君には出来れば笑っていて欲しい。君の幸せを祈っています。つまり、グッドラック」
弟:「……忘れたらそのままで 魂の望むほうへ」
私:「僕のことを忘れてしまっても構わないから、君は君の望むように生きて欲しい」
弟:「僕もそうするからさ ちょっと時間かかりそうだけど は?」
私:「君と別れたことによる寂しさや悲しみは、すぐには乗り越えられないと思うし、まあ、君のことを忘れることはないと思うけど、万が一自分が君のことを忘れてしまっても、自分は自分が望むように生きることにするから」
弟:「……なんとなく合ってるな。じゃあ、泣く度に解るんだよ ちっともひとりじゃなかった は?」
私:「寂しいと思って泣くことがあっても、その涙は、君がいたことの証で、僕と君が一緒にいたという証で、その涙すらも君が僕にくれたもので、君の一部。だから、自分はひとりじゃない」
弟:「さよならした時 初めてちゃんと見つめ合った は?」
私:「今まで別れることが怖くて、それからずっと目をそらしてきたけど、別れることになった時に、ようやく君と別れとに向き合うことが出来た」
弟:「……君と寂しさは ずっと一緒にいてくれていた」
私:「君がいないときは寂しさが僕の側にいて、寂しさがいないときは君が僕の側にいて、寂しいと思うときに君の存在を感じるわけだから、つまりは、君も寂しさも、ずっと自分と一緒だった」
弟:「弱かった僕が 見ようとしなかった所にいた」
私:「えーと、君と別れたその先にある孤独が今まで怖かったけど……」
弟:「そこは俺とは違うな!」
私:(って、最後まで言わせてよ!(笑))
弟:「見ようとしなかったのは『別れ』だろ、それをまわりくどい言い方するから、お前はひねくれてるんだ!」
うん、まあ、ひねくれてるのは自覚してます(笑)。
そんなこんなで中途半端に終わりました、「グッドラックの解釈、一問一答」。
以下、「BUMPアンチは絶対許せない!」という方は、ちょっと読まないほうが良いかもです。
さて、ミスチルの大ファンの弟が言いますには、
弟:「俺は分かった。BUMPの歌は、どっかで聞いたこと・見たことあるようなもんばっかだ。ALWAYS観たら、俺だってグッドラックと同じようなこと思ったぞ。思ったけど、表現出来ないだけで。それを表現する藤原の表現能力はすごい。ミスチルの桜井以上だ。それは俺も認めよう。でも、藤原は脚本とかマンガとかを読んでそこから感じたことを表現するのが上手いんであって、ミスチルの桜井のように無から生み出すことは出来ない!」
私:「いやいや、タイアップ曲つくるのに脚本読むのはふつーでしょうよ」
というか、俺も認めよう、って、なんでお前に認められなきゃならんのだ、弟よ(笑)でもって、全て断定かい(笑)。
弟:「グッドラックが映画を観ないと理解できないのは、脚本を読んで作ってるからで、すごいのは藤原じゃなくて脚本家だ!
藤原は、マンガとか映画とか、すごいものに影響受けて、それを歌にするヤツだろ。
だから、すごいものに出会わないと藤原は曲書けないんだ!だから歌出すの遅いんだ!藤原はあれだろ、桜井みたいに『あるある』じゃなくて、『わかるわかる』だろ」
私:「私、BUMPがどうやって曲つくってんのかは知らないけど、でも、確かに自分が体験したことじゃなくて、他人の経験でもマンガや映画でも、それを自分の経験のように表現できる共感力とか、感受性はあるような気がする。
てか、映画観ないとグッドラックが理解できなかったのは、アンタの読解力不足でもあるんじゃないの?」
弟:「BUMPのは感受性とは言わん」
私:「えー、でも、マンガとか映画とかから歌つくれるのは感受性があるからじゃないの?」
弟:「BUMPのはパクリだ!マンガとか映画がないと曲つくれんから、パクリだ!」
私:「それはパクリとは言わんでしょ。それに、BUMPも『あるある』系の曲あるよ、R.I.Pとか」
弟:「R.I.P.は好きじゃないから分からん。BUMPは多分、ミスチルにも影響受けてるって!
石ころを見て歌つくれるのが桜井、その歌を聴いてしか歌をつくれないのが藤原、だから桜井は天才で、藤原は凡人!」
私:「別に凡人でいいじゃん。凡人の何が悪いの。ってか、私、『藤原、天才!』なんて言ったこと、一回もないと思うけど」
弟:「いや、藤原の表現力だけは天才的だ。でも、BUMPはパクリ!タイアップでしか曲書けない!」
私:「タイアップの曲書けるならいいじゃん、それで。あとは時間かけて自分たちの曲つくればいいわけでしょ」
弟:「BUMPはずるい!あんないいふうにタイアップされててずるい!ALWAYS観た後だと、グッドラックがすごくいい曲に思えるからずるい!」
私:「あー、ミスチル、映画のタイアップに恵まれないもんね〜…。
何でミスチルのこの曲選んだんだろう、ってのが多いよね。同じミスチルにしても他にもっといい曲あるのに、って思うよね。
映画単品、ミスチル単品ではすごくいいのに、なんでエンディングをこの曲にしたんだろう、っての多いよね。
クラッシック扱った映画観た後に、ラウドパンクのエンディングテーマ流れたような違和感あるよね。
いやいや、確かにその曲、いい曲だけど、その映画に使うには間違ってるでしょ!ってつっこみたくなるようなやつ。
あれじゃ映画の価値もミスチルの価値も下がるから、やめてほしいよね」
弟:「大抵ミスチルは曲作った後にタイアップの依頼来るから。脚本読んで作ってるわけじゃないから。
脚本読んでつくった歌は、そのドラマに合ってて、ホントに感動した」
私:「同じミスチルのブランド力借りるにしても、もっとその映画にふさわしくて、いい曲、ミスチル作ってるのにね〜」
弟:「BUMPはずるい!『花の名』もそうだった!あんな感動するようなタイアップの仕方、ずるい!」
と、まあ、そんなこんなで、大変長くなりましたが、弟の話を勝手に要約しますと、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観ると、「グッドラック」をもっと感動的に聴けるよ、ということなんでしょう(笑)。
そういえば、1作目は観たんだけど、2作目の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」、私、まだ観てなかったな……。
私は観ていないので詳しい感想は書けませんが、弟曰く、「面白かった!感動した!泣けた!」とのことでした。
「別れ・自立・門出」の物語のようですので、興味のある方はハンカチを持って映画館へれっつら・ごー!
泣くのはストレス解消になりますです。
だけど、まわりがすすり泣いている中、あなたがハンカチを使うことがなくても恥じることはありません。
泣くポイントはそれぞれ違っていて当然だもの。
弟は特にBUMPファンというわけではなく、「グッドラック」を聴いたとき、「たいしたことないな、俺はあんま好きじゃないな」との感想でした。
「でもどーせALWAYS観に行ったら、最後にBUMPの曲が歌詞つきで流れて、評価変わるんでしょ」
とそのとき私は言ってたんですが、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観た弟がそれはそれは興奮して、
「『グッドラック』の意味が分かった!あれは別れの曲だ!」
……いや、だから最初から別れの曲だって言ったじゃん……。しかし、予想通りの反応をありがとう。
そしてやっぱり、最後に歌詞つきで流れたんだ、「グッドラック」(笑)。
「俺はお前より『グッドラック』を理解した!BUMPの藤原はALWAYSの脚本読んで『グッドラック』をつくっただろ!?今から俺がお前の理解度をチェックしてやる!」
ということで始まりました、「グッドラックの解釈、一問一答」。
弟:「君と寂しさは きっと一緒に現れた、はどういう意味だ?」
私:「『寂しい』って感情は自分ひとりじゃ出てこない、相手がいないと出てこない感情で、だから『君』と出会ったために『寂しい』という感情も生まれる、ってこと?」
弟:「……君がいる事を 寂しさから教えてもらった は?」
私:「君がいなくて寂しいと思うということは、君と出会ったからであり、それはつまり、君という存在がいるから」
弟:「……君がいない事を 温もりから教えてもらった は?」
私:「さっきと逆。温もりを知ったために、その温もりがなくなったときに、君がいない、ということに気付く」
弟:「……くれぐれも気を付けて 出来れば笑っていて」
私:「どうか気をつけて、離ればなれになるけど君には出来れば笑っていて欲しい。君の幸せを祈っています。つまり、グッドラック」
弟:「……忘れたらそのままで 魂の望むほうへ」
私:「僕のことを忘れてしまっても構わないから、君は君の望むように生きて欲しい」
弟:「僕もそうするからさ ちょっと時間かかりそうだけど は?」
私:「君と別れたことによる寂しさや悲しみは、すぐには乗り越えられないと思うし、まあ、君のことを忘れることはないと思うけど、万が一自分が君のことを忘れてしまっても、自分は自分が望むように生きることにするから」
弟:「……なんとなく合ってるな。じゃあ、泣く度に解るんだよ ちっともひとりじゃなかった は?」
私:「寂しいと思って泣くことがあっても、その涙は、君がいたことの証で、僕と君が一緒にいたという証で、その涙すらも君が僕にくれたもので、君の一部。だから、自分はひとりじゃない」
弟:「さよならした時 初めてちゃんと見つめ合った は?」
私:「今まで別れることが怖くて、それからずっと目をそらしてきたけど、別れることになった時に、ようやく君と別れとに向き合うことが出来た」
弟:「……君と寂しさは ずっと一緒にいてくれていた」
私:「君がいないときは寂しさが僕の側にいて、寂しさがいないときは君が僕の側にいて、寂しいと思うときに君の存在を感じるわけだから、つまりは、君も寂しさも、ずっと自分と一緒だった」
弟:「弱かった僕が 見ようとしなかった所にいた」
私:「えーと、君と別れたその先にある孤独が今まで怖かったけど……」
弟:「そこは俺とは違うな!」
私:(って、最後まで言わせてよ!(笑))
弟:「見ようとしなかったのは『別れ』だろ、それをまわりくどい言い方するから、お前はひねくれてるんだ!」
うん、まあ、ひねくれてるのは自覚してます(笑)。
そんなこんなで中途半端に終わりました、「グッドラックの解釈、一問一答」。
以下、「BUMPアンチは絶対許せない!」という方は、ちょっと読まないほうが良いかもです。
さて、ミスチルの大ファンの弟が言いますには、
弟:「俺は分かった。BUMPの歌は、どっかで聞いたこと・見たことあるようなもんばっかだ。ALWAYS観たら、俺だってグッドラックと同じようなこと思ったぞ。思ったけど、表現出来ないだけで。それを表現する藤原の表現能力はすごい。ミスチルの桜井以上だ。それは俺も認めよう。でも、藤原は脚本とかマンガとかを読んでそこから感じたことを表現するのが上手いんであって、ミスチルの桜井のように無から生み出すことは出来ない!」
私:「いやいや、タイアップ曲つくるのに脚本読むのはふつーでしょうよ」
というか、俺も認めよう、って、なんでお前に認められなきゃならんのだ、弟よ(笑)でもって、全て断定かい(笑)。
弟:「グッドラックが映画を観ないと理解できないのは、脚本を読んで作ってるからで、すごいのは藤原じゃなくて脚本家だ!
藤原は、マンガとか映画とか、すごいものに影響受けて、それを歌にするヤツだろ。
だから、すごいものに出会わないと藤原は曲書けないんだ!だから歌出すの遅いんだ!藤原はあれだろ、桜井みたいに『あるある』じゃなくて、『わかるわかる』だろ」
私:「私、BUMPがどうやって曲つくってんのかは知らないけど、でも、確かに自分が体験したことじゃなくて、他人の経験でもマンガや映画でも、それを自分の経験のように表現できる共感力とか、感受性はあるような気がする。
てか、映画観ないとグッドラックが理解できなかったのは、アンタの読解力不足でもあるんじゃないの?」
弟:「BUMPのは感受性とは言わん」
私:「えー、でも、マンガとか映画とかから歌つくれるのは感受性があるからじゃないの?」
弟:「BUMPのはパクリだ!マンガとか映画がないと曲つくれんから、パクリだ!」
私:「それはパクリとは言わんでしょ。それに、BUMPも『あるある』系の曲あるよ、R.I.Pとか」
弟:「R.I.P.は好きじゃないから分からん。BUMPは多分、ミスチルにも影響受けてるって!
石ころを見て歌つくれるのが桜井、その歌を聴いてしか歌をつくれないのが藤原、だから桜井は天才で、藤原は凡人!」
私:「別に凡人でいいじゃん。凡人の何が悪いの。ってか、私、『藤原、天才!』なんて言ったこと、一回もないと思うけど」
弟:「いや、藤原の表現力だけは天才的だ。でも、BUMPはパクリ!タイアップでしか曲書けない!」
私:「タイアップの曲書けるならいいじゃん、それで。あとは時間かけて自分たちの曲つくればいいわけでしょ」
弟:「BUMPはずるい!あんないいふうにタイアップされててずるい!ALWAYS観た後だと、グッドラックがすごくいい曲に思えるからずるい!」
私:「あー、ミスチル、映画のタイアップに恵まれないもんね〜…。
何でミスチルのこの曲選んだんだろう、ってのが多いよね。同じミスチルにしても他にもっといい曲あるのに、って思うよね。
映画単品、ミスチル単品ではすごくいいのに、なんでエンディングをこの曲にしたんだろう、っての多いよね。
クラッシック扱った映画観た後に、ラウドパンクのエンディングテーマ流れたような違和感あるよね。
いやいや、確かにその曲、いい曲だけど、その映画に使うには間違ってるでしょ!ってつっこみたくなるようなやつ。
あれじゃ映画の価値もミスチルの価値も下がるから、やめてほしいよね」
弟:「大抵ミスチルは曲作った後にタイアップの依頼来るから。脚本読んで作ってるわけじゃないから。
脚本読んでつくった歌は、そのドラマに合ってて、ホントに感動した」
私:「同じミスチルのブランド力借りるにしても、もっとその映画にふさわしくて、いい曲、ミスチル作ってるのにね〜」
弟:「BUMPはずるい!『花の名』もそうだった!あんな感動するようなタイアップの仕方、ずるい!」
と、まあ、そんなこんなで、大変長くなりましたが、弟の話を勝手に要約しますと、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観ると、「グッドラック」をもっと感動的に聴けるよ、ということなんでしょう(笑)。
そういえば、1作目は観たんだけど、2作目の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」、私、まだ観てなかったな……。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image