2010年01月21日
歴史という授業
歴史って「嫌い!」という人が多いですよね。
まあ、近年の歴女ブームで少し見直されているようですが…。
歴史って本当は面白い物だと思います。
例えば日本の歴史で行くと、今の日本を創ってきた過程がそこにありますよね。
多くの人が精いっぱい生きた軌跡がそこにはあるんです。
でも、嫌いっていう人が多いのは歴史の授業が悪いんですね。
私も普通に学校で歴史を学びましたが、確かに学校で習う歴史は面白くありませんでした。
最近の歴史の授業は違うのかも知れませんが、とりあえず暗記モノの授業ですよね。
当然、暗記は繰り返さないとできない訳で、そうなると努力が必要な訳で、そうなると好きになれない訳で…。
わかります。
でも本当の歴史の面白さって点じゃないんですよね。
(暗記は点ですよね。)
例えば「桜田門外の変」という事件を例にとりましょう。
この事件は現役の大老が暗殺されるという、今で言うと総理大臣が暗殺されたような衝撃的な事件です。
これを授業で習うとペリーが来航し、幕府に開国を迫られ井伊直弼は朝廷の勅許を得ず、独断で条約を結んだ事に対して怒った攘夷派が暗殺した。
年代は1860年です。
という感じで終わります。
そんなの面白くないですよね。
桜田門外の変っていうのはそんな簡単な事ではないです。
まず、当時の幕府というのは徳川家が主催していた訳ですが、この徳川家には御三家という物が存在します。
尾張、水戸、紀伊という3つの徳川家が江戸の補佐という事で存在している訳です。
例えば、将軍の世継ぎが絶えた時、その御三家から世継ぎを迎えるとかいった機能も果たしてます。
桜田門外で井伊直弼を斬ったのはその御三家のひとつ、水戸藩の脱藩浪士なんですね。
それだけでも、「なんで?」なんて思うじゃないですか。
江戸の将軍家を支えるはずの水戸藩から幕府の大老を暗殺した者が出たというだけでも大スキャンダルですよね。
要はペリーが来航した1853年以降日本国中は外国人に対してどういう対処を取るかという事で沸騰する訳です。
今まで鎖国をしてきた日本は西洋の列強国の中ではオランダとしか国交をひらいていない訳で、ペリーというアメリカから来た人が貿易をしようと言って来た問題をどう処理するのかという事が日本中の多くの所で議論されてきました。
結局、攘夷派と開国派に分かれる事になりますが、このペリー来航から桜田門外の変までの間に、日本中の塾で、様々な議論や信念が語られ、その殆どは攘夷となっていた訳です。
水戸藩では天狗党と言われる人達が結集し、攘夷に走るべし!という過激な集団になって行きました。
勿論、吉田松陰の松下村塾なんかも断じて攘夷!という塾でかなり過激な人達が日本中を往来することになって行きます。
何故過激かというと、攘夷というのは外国人を打ち払うという事で、外国人を斬るという事なんです。
しかしながら、幕府は開国を決定します。
そうなると、攘夷派の面々はより過激になり、外国人を斬る事に執念を燃やします。
そんな事態を重く見た幕府が過激な指導者等を一斉に検挙し、弾圧したのが「安政の大獄」です。
吉田松陰もここで死にます。
師を殺された人達は当然、幕府の処置を不当とし、より一層攘夷に走り、今度は倒幕を考えだします。
そういったエネルギーが噴出したのが桜田門外の変という訳ですね。
歴史は点では無く、線や面なんです。
ストーリーで理解していくと歴史というのは面白いものなんです。
私が学んだ歴史でテストに出た所というのは年代とか法律の名前とか人物の名前とかで、それらにつながりがないんですよね。
勿論、そう言った事は大事なんですが、それよりももっと大事なのは、事件ならそこに至るまでの経緯、法律ならばそれが必要になった背景、人物ならその人の思考パターンや取った行動というのは、どうしてそうなったのかという所が面白い訳です。
明智光秀は何故織田信長を殺したのか、坂本龍馬は何故殺されなければいけなかったのか、誰が坂本龍馬を殺したのか、その黒幕は…。
どんどん、歴史の面白い所にはまっていく訳です。
歴史は絶対に背景や流れが重要だと思いますし、そういった所が授業で本当にできれば、テストでそういう問題を取り扱えれば、歴史というのは難しいものでも、つまらないものでもなく、むしろ面白いものです。
まあ、近年の歴女ブームで少し見直されているようですが…。
歴史って本当は面白い物だと思います。
例えば日本の歴史で行くと、今の日本を創ってきた過程がそこにありますよね。
多くの人が精いっぱい生きた軌跡がそこにはあるんです。
でも、嫌いっていう人が多いのは歴史の授業が悪いんですね。
私も普通に学校で歴史を学びましたが、確かに学校で習う歴史は面白くありませんでした。
最近の歴史の授業は違うのかも知れませんが、とりあえず暗記モノの授業ですよね。
当然、暗記は繰り返さないとできない訳で、そうなると努力が必要な訳で、そうなると好きになれない訳で…。
わかります。
でも本当の歴史の面白さって点じゃないんですよね。
(暗記は点ですよね。)
例えば「桜田門外の変」という事件を例にとりましょう。
この事件は現役の大老が暗殺されるという、今で言うと総理大臣が暗殺されたような衝撃的な事件です。
これを授業で習うとペリーが来航し、幕府に開国を迫られ井伊直弼は朝廷の勅許を得ず、独断で条約を結んだ事に対して怒った攘夷派が暗殺した。
年代は1860年です。
という感じで終わります。
そんなの面白くないですよね。
桜田門外の変っていうのはそんな簡単な事ではないです。
まず、当時の幕府というのは徳川家が主催していた訳ですが、この徳川家には御三家という物が存在します。
尾張、水戸、紀伊という3つの徳川家が江戸の補佐という事で存在している訳です。
例えば、将軍の世継ぎが絶えた時、その御三家から世継ぎを迎えるとかいった機能も果たしてます。
桜田門外で井伊直弼を斬ったのはその御三家のひとつ、水戸藩の脱藩浪士なんですね。
それだけでも、「なんで?」なんて思うじゃないですか。
江戸の将軍家を支えるはずの水戸藩から幕府の大老を暗殺した者が出たというだけでも大スキャンダルですよね。
要はペリーが来航した1853年以降日本国中は外国人に対してどういう対処を取るかという事で沸騰する訳です。
今まで鎖国をしてきた日本は西洋の列強国の中ではオランダとしか国交をひらいていない訳で、ペリーというアメリカから来た人が貿易をしようと言って来た問題をどう処理するのかという事が日本中の多くの所で議論されてきました。
結局、攘夷派と開国派に分かれる事になりますが、このペリー来航から桜田門外の変までの間に、日本中の塾で、様々な議論や信念が語られ、その殆どは攘夷となっていた訳です。
水戸藩では天狗党と言われる人達が結集し、攘夷に走るべし!という過激な集団になって行きました。
勿論、吉田松陰の松下村塾なんかも断じて攘夷!という塾でかなり過激な人達が日本中を往来することになって行きます。
何故過激かというと、攘夷というのは外国人を打ち払うという事で、外国人を斬るという事なんです。
しかしながら、幕府は開国を決定します。
そうなると、攘夷派の面々はより過激になり、外国人を斬る事に執念を燃やします。
そんな事態を重く見た幕府が過激な指導者等を一斉に検挙し、弾圧したのが「安政の大獄」です。
吉田松陰もここで死にます。
師を殺された人達は当然、幕府の処置を不当とし、より一層攘夷に走り、今度は倒幕を考えだします。
そういったエネルギーが噴出したのが桜田門外の変という訳ですね。
歴史は点では無く、線や面なんです。
ストーリーで理解していくと歴史というのは面白いものなんです。
私が学んだ歴史でテストに出た所というのは年代とか法律の名前とか人物の名前とかで、それらにつながりがないんですよね。
勿論、そう言った事は大事なんですが、それよりももっと大事なのは、事件ならそこに至るまでの経緯、法律ならばそれが必要になった背景、人物ならその人の思考パターンや取った行動というのは、どうしてそうなったのかという所が面白い訳です。
明智光秀は何故織田信長を殺したのか、坂本龍馬は何故殺されなければいけなかったのか、誰が坂本龍馬を殺したのか、その黒幕は…。
どんどん、歴史の面白い所にはまっていく訳です。
歴史は絶対に背景や流れが重要だと思いますし、そういった所が授業で本当にできれば、テストでそういう問題を取り扱えれば、歴史というのは難しいものでも、つまらないものでもなく、むしろ面白いものです。