2022年03月26日
日本へ帰国そしてまたオーストラリアへ
セカンドワーキングホリデー、学生を経て、最後に観光ビザで名一杯楽しんだオーストラリア生活を終え、1年8か月ぶりに日本へ帰りました。
自分的には大満足のオーストラリア生活でした。ひとつだけ心残りなのが、ケンブリッジ英語試験に合格できなかったことです。しかし、この先また自分なりに勉強して再度試験を受けようと思えば受けれるので、自分自身の行動力を信じることにしました。
日本に帰ってきて1番最初にやりたかったことは、自分の英語力を生かして仕事をすることでした。私の地元はド田舎なので、英語を使う仕事というのはかなり限られていて、英会話教室くらいしかありませんでした。街中に外国人を見かけることも滅多にありません。時間をかけて色々探しましたが、地元で仕事を探すのはとても難関でした。就職する前に、コンビニなどでバイトをしながら就職活動を続けることにしました。
せっかく海外留学を経験し、日常会話には不便がないくらいの英語力をつけたのにも関わらず、それを生かした仕事が出来ないのはとても残念でした。外国人相手を接客する仕事や、それこそ留学エージェントなどの仕事を考えましたが、地元ではそういう仕事は一切ないので、また上京して仕事探しをすることも考え始めました。
そんなこんなで、就活をしながら生活をしながらも、日本帰国直前にお付き合いを始めた彼(今の旦那)とも、頻繁に連絡を取り続けていました。彼と話している限りは英語を使っていましたが、それ以外では使うことがないので、英語力が低下していくことが怖くも感じました。
そんなある日、彼との会話の中でこんな会話がありました。彼のお父さん家族がタスマニアに住んでいるから一緒に行きたいねと。私はセカンドワーホリの時にタスマニアにはもうすでに旅行に行っていたので、すごく良い所だったよーという話で盛り上がりました。彼は当時一度もタスマニアに行ったことがないというので、お父さん家族に会いに行くついでにタスマニア旅行をしたいと言うのです。お付き合いを始めてすぐに遠距離恋愛という形になってしまったのでお互いに会いたい気持ちはありましたが、一番最初に思ったことは、私はつい数ヶ月前に日本に帰ってきたばかりで、次オーストラリアにまた行くとなると何のビザで行くことになるんだ?ということでした。ワーホリは使い果たし、学生には今のところなるつもりはなくて、観光ビザしか残っていませんでした。ただ、つい数ヶ月前に観光ビザを取得して3ヶ月滞在を延長していたのに、また観光ビザを申請したらさすがに怪しまれるのではないかと。。。オーストラリアの税関は厳しいことで有名です。ただ、日本人は国柄的にすごく謙虚で謙遜する人柄な人が多いことから、ビザを申請するにあたってかなり有利だと言われています。基本的にはビザを断られることはないのですが、私の場合はつい数ヶ月前に観光ビザを申請していたので、また申請しても大丈夫なのだろうか?という不安がありました。
タスマニアへの二人旅行を夢見ながらも就活を続けていましたが、どうしてもやりたい仕事が見つかりませんでした。この際、就職が決まる前にタスマニア旅行に行って日本に帰国したらまた上京して仕事を探そうと考えました。そこでダメ元で観光ビザを申請してみると、ビックリ仰天、あまりにも簡単に申請が通り、観光ビザが下りました。あんなに怪しまれることに不安を抱いていたのは何だったんだ?と思いながらも、彼とまた会えること、旅行に行けることに心は浮かれていました。
さっそくオーストラリア行きの飛行機を手配し、彼との旅行計画を始めました。タスマニアへの旅行は、実際オーストラリアに着いて彼と会ってから行く場所とか細かく決めることにしました。私が取った飛行機は、トランジットが2回あり、最初にGold Coastゴールドコースト着、飛行機を乗り換えてMelbourneメルボルンへ、それからPerthパース行きという長い旅でした。このルートが一番安かったからこの飛行機のチケットを取りました。
観光ビザは3ヶ月滞在が可能なので、彼と一緒にいれる時間を楽しみにオーストラリアへ戻るのを楽しみにしていました。いざ出国の日、成田空港からまず最初に向かった先はゴールドコースト。ここで事件が起きました。乗り換えの飛行機の時刻まで3時間ほどだったのですが、税関検査で引っかかりました。まさかと思いましたが、税関の人は私のビザを見て、違う部屋へ来るように言いました。
もう心臓がバクバクです。これはヤバいとすぐにわかりました。確実に疑われていました。
税関から離れた一室に通され、税関検査官と二人きりにされられました。ドアの前には女性スタッフが立っています。部屋に中に入ると検査官の人が言いました。
「これから質問をします。正直にお答えください。なお、今からする質疑応答は全て録音させていただきます。」
もうNoとは言えません。そして質問が始まりました。
「あなたはつい数ヶ月前までオーストラリアにいましたよね?」はい。
「ワーキングホリデービザ、学生ビザを取っていて、その後観光ビザを申請していますね?」はい。
「今回また観光ビザを申請した理由はなんですか?」彼と一緒に旅行のプランを立てています。
「まさかオーストラリアで不法で仕事していませんか?」していません。
上記以外にもものすごい質問の数でした。私は正直に全て答えました。すると、
「あなたの彼の連絡先を教えていただけますか?」
と言われたので正直に伝えると、検査官は彼に電話をし、私が嘘を話していないかをひとつひとつ確認していきました。私が言っていることと、彼が言っていることは全て一致し、嘘ではないこと、実際にタスマニア旅行を計画していることが彼によって証明されました。ただ、手元にタスマニア行きの飛行機のチケットなり、フェリーのチケットがないことから、実際に旅行を計画している証明が少なすぎると判断されました。私は彼に実際会ってから行先を決めて飛行機のチケットを取るつもりだったと説明しましたが、今現時点で手元にないことには、証明になりません。とハッキリ言われてしまいました。
そうこうしているうちに、メルボルン行きの乗り換えの時間が過ぎてしまい、私は飛行機に乗り遅れてしまいました。こんなに疑われるなら、最初から観光ビザを下さなければ良かったんじゃないんですか?と言っていまったほどです。虚しさが襲ってきて、心が苦しくなりました。
「結局、旅行に行く証明が足りなくて、飛行機も乗り遅れて、私はあとはどうしたらいいんですか?」
と聞くと、
「次の日本行きの飛行機を手配するので、このまま帰国してください」
と言われました。強制送還です。
楽しみにしていた彼との再会が実現出来ず、悲しさ、寂しさ、虚しさと全てがのしかかってきて、まさか自分が強制送還に合うなんて。。
気持ちの整理がつかないまま、監視官の人にトイレに行っていいですか?と尋ねると、ドアの外で待っていた女性スタッフが私の元に来て、「ご一緒します」とだけ一言言い、トイレまで一緒に着いてきました。私が入ったドアの真ん前に立って待っているのです。ここまで信用されてないって本当に怖かったです。トイレから逃げるとでも思われているのでしょうか。このために女性スタッフが待機していたのだと後で知りました。
この後、彼と電話で話す時間すらもらえないまま、私は次の飛行機に乗せられ、帰国しました。とんぼ帰りでした。やっと着いたと思ったら、個室に4時間ほど隔離され、挙句の果てにトイレまで見張られ、最後の最後、飛行機に乗り込むまで私の後ろにはガードマンがしっかりついていました。きっとそのまま逃げようとする人がいるのでしょう。さすがにそこまでする勇気はありませんが、悪者扱いされるのはやはり気分が良いものではありませんでした。
飛行機に乗る直前にガードマンの人が一言、こんなことを言いました。
「あなたは、同じビザを短期間の間に申請したことにより、不正に仕事をしているのではないかという疑いをかけられました。よって、オーストラリアに5年間入国禁止令が出ました。ただ、5年以内に戻ってきたいのであれば、ひとつだけ入国出来る方法があります。それはオーストラリア市民権を持つ相手と結婚し、配偶者ビザを申請することです。そうすれば5年以内であっても再入国を認められますよ。良いフライトを。」
良いフライトを・・・?ふざけんじゃねーよ。
飛行機に乗り込み、指定された席に座り、外の景色を眺めながら、呆然としていました。もう何も考えられないとはこういう事でした。日本に着くまでの7時間もの間、何をしていたかも全く覚えていません。眠りに着いたのかすらもわからないまま、気づいたら日本でした。
成田空港に着き、友達に連絡しました。まさかの強制送還をされたことを伝えると、友達は大爆笑で
「あなたの中でまた新しい歴史を作ったね」
と言いました。なんのこっちゃと思いながらも、実家の親にも次の日に帰ることを知らせるために電話をかけました。
「ハハハッ、黙って帰ってこい!!笑」
親までもが笑っていました。何だかどうでも良くなってきました笑 ある意味、他の人が出来ない経験をしたと思えるようになりました。
当分はオーストラリアに行けそうにありません・・・
自分的には大満足のオーストラリア生活でした。ひとつだけ心残りなのが、ケンブリッジ英語試験に合格できなかったことです。しかし、この先また自分なりに勉強して再度試験を受けようと思えば受けれるので、自分自身の行動力を信じることにしました。
日本に帰ってきて1番最初にやりたかったことは、自分の英語力を生かして仕事をすることでした。私の地元はド田舎なので、英語を使う仕事というのはかなり限られていて、英会話教室くらいしかありませんでした。街中に外国人を見かけることも滅多にありません。時間をかけて色々探しましたが、地元で仕事を探すのはとても難関でした。就職する前に、コンビニなどでバイトをしながら就職活動を続けることにしました。
せっかく海外留学を経験し、日常会話には不便がないくらいの英語力をつけたのにも関わらず、それを生かした仕事が出来ないのはとても残念でした。外国人相手を接客する仕事や、それこそ留学エージェントなどの仕事を考えましたが、地元ではそういう仕事は一切ないので、また上京して仕事探しをすることも考え始めました。
そんなこんなで、就活をしながら生活をしながらも、日本帰国直前にお付き合いを始めた彼(今の旦那)とも、頻繁に連絡を取り続けていました。彼と話している限りは英語を使っていましたが、それ以外では使うことがないので、英語力が低下していくことが怖くも感じました。
そんなある日、彼との会話の中でこんな会話がありました。彼のお父さん家族がタスマニアに住んでいるから一緒に行きたいねと。私はセカンドワーホリの時にタスマニアにはもうすでに旅行に行っていたので、すごく良い所だったよーという話で盛り上がりました。彼は当時一度もタスマニアに行ったことがないというので、お父さん家族に会いに行くついでにタスマニア旅行をしたいと言うのです。お付き合いを始めてすぐに遠距離恋愛という形になってしまったのでお互いに会いたい気持ちはありましたが、一番最初に思ったことは、私はつい数ヶ月前に日本に帰ってきたばかりで、次オーストラリアにまた行くとなると何のビザで行くことになるんだ?ということでした。ワーホリは使い果たし、学生には今のところなるつもりはなくて、観光ビザしか残っていませんでした。ただ、つい数ヶ月前に観光ビザを取得して3ヶ月滞在を延長していたのに、また観光ビザを申請したらさすがに怪しまれるのではないかと。。。オーストラリアの税関は厳しいことで有名です。ただ、日本人は国柄的にすごく謙虚で謙遜する人柄な人が多いことから、ビザを申請するにあたってかなり有利だと言われています。基本的にはビザを断られることはないのですが、私の場合はつい数ヶ月前に観光ビザを申請していたので、また申請しても大丈夫なのだろうか?という不安がありました。
タスマニアへの二人旅行を夢見ながらも就活を続けていましたが、どうしてもやりたい仕事が見つかりませんでした。この際、就職が決まる前にタスマニア旅行に行って日本に帰国したらまた上京して仕事を探そうと考えました。そこでダメ元で観光ビザを申請してみると、ビックリ仰天、あまりにも簡単に申請が通り、観光ビザが下りました。あんなに怪しまれることに不安を抱いていたのは何だったんだ?と思いながらも、彼とまた会えること、旅行に行けることに心は浮かれていました。
さっそくオーストラリア行きの飛行機を手配し、彼との旅行計画を始めました。タスマニアへの旅行は、実際オーストラリアに着いて彼と会ってから行く場所とか細かく決めることにしました。私が取った飛行機は、トランジットが2回あり、最初にGold Coastゴールドコースト着、飛行機を乗り換えてMelbourneメルボルンへ、それからPerthパース行きという長い旅でした。このルートが一番安かったからこの飛行機のチケットを取りました。
観光ビザは3ヶ月滞在が可能なので、彼と一緒にいれる時間を楽しみにオーストラリアへ戻るのを楽しみにしていました。いざ出国の日、成田空港からまず最初に向かった先はゴールドコースト。ここで事件が起きました。乗り換えの飛行機の時刻まで3時間ほどだったのですが、税関検査で引っかかりました。まさかと思いましたが、税関の人は私のビザを見て、違う部屋へ来るように言いました。
もう心臓がバクバクです。これはヤバいとすぐにわかりました。確実に疑われていました。
税関から離れた一室に通され、税関検査官と二人きりにされられました。ドアの前には女性スタッフが立っています。部屋に中に入ると検査官の人が言いました。
「これから質問をします。正直にお答えください。なお、今からする質疑応答は全て録音させていただきます。」
もうNoとは言えません。そして質問が始まりました。
「あなたはつい数ヶ月前までオーストラリアにいましたよね?」はい。
「ワーキングホリデービザ、学生ビザを取っていて、その後観光ビザを申請していますね?」はい。
「今回また観光ビザを申請した理由はなんですか?」彼と一緒に旅行のプランを立てています。
「まさかオーストラリアで不法で仕事していませんか?」していません。
上記以外にもものすごい質問の数でした。私は正直に全て答えました。すると、
「あなたの彼の連絡先を教えていただけますか?」
と言われたので正直に伝えると、検査官は彼に電話をし、私が嘘を話していないかをひとつひとつ確認していきました。私が言っていることと、彼が言っていることは全て一致し、嘘ではないこと、実際にタスマニア旅行を計画していることが彼によって証明されました。ただ、手元にタスマニア行きの飛行機のチケットなり、フェリーのチケットがないことから、実際に旅行を計画している証明が少なすぎると判断されました。私は彼に実際会ってから行先を決めて飛行機のチケットを取るつもりだったと説明しましたが、今現時点で手元にないことには、証明になりません。とハッキリ言われてしまいました。
そうこうしているうちに、メルボルン行きの乗り換えの時間が過ぎてしまい、私は飛行機に乗り遅れてしまいました。こんなに疑われるなら、最初から観光ビザを下さなければ良かったんじゃないんですか?と言っていまったほどです。虚しさが襲ってきて、心が苦しくなりました。
「結局、旅行に行く証明が足りなくて、飛行機も乗り遅れて、私はあとはどうしたらいいんですか?」
と聞くと、
「次の日本行きの飛行機を手配するので、このまま帰国してください」
と言われました。強制送還です。
楽しみにしていた彼との再会が実現出来ず、悲しさ、寂しさ、虚しさと全てがのしかかってきて、まさか自分が強制送還に合うなんて。。
気持ちの整理がつかないまま、監視官の人にトイレに行っていいですか?と尋ねると、ドアの外で待っていた女性スタッフが私の元に来て、「ご一緒します」とだけ一言言い、トイレまで一緒に着いてきました。私が入ったドアの真ん前に立って待っているのです。ここまで信用されてないって本当に怖かったです。トイレから逃げるとでも思われているのでしょうか。このために女性スタッフが待機していたのだと後で知りました。
この後、彼と電話で話す時間すらもらえないまま、私は次の飛行機に乗せられ、帰国しました。とんぼ帰りでした。やっと着いたと思ったら、個室に4時間ほど隔離され、挙句の果てにトイレまで見張られ、最後の最後、飛行機に乗り込むまで私の後ろにはガードマンがしっかりついていました。きっとそのまま逃げようとする人がいるのでしょう。さすがにそこまでする勇気はありませんが、悪者扱いされるのはやはり気分が良いものではありませんでした。
飛行機に乗る直前にガードマンの人が一言、こんなことを言いました。
「あなたは、同じビザを短期間の間に申請したことにより、不正に仕事をしているのではないかという疑いをかけられました。よって、オーストラリアに5年間入国禁止令が出ました。ただ、5年以内に戻ってきたいのであれば、ひとつだけ入国出来る方法があります。それはオーストラリア市民権を持つ相手と結婚し、配偶者ビザを申請することです。そうすれば5年以内であっても再入国を認められますよ。良いフライトを。」
良いフライトを・・・?ふざけんじゃねーよ。
飛行機に乗り込み、指定された席に座り、外の景色を眺めながら、呆然としていました。もう何も考えられないとはこういう事でした。日本に着くまでの7時間もの間、何をしていたかも全く覚えていません。眠りに着いたのかすらもわからないまま、気づいたら日本でした。
成田空港に着き、友達に連絡しました。まさかの強制送還をされたことを伝えると、友達は大爆笑で
「あなたの中でまた新しい歴史を作ったね」
と言いました。なんのこっちゃと思いながらも、実家の親にも次の日に帰ることを知らせるために電話をかけました。
「ハハハッ、黙って帰ってこい!!笑」
親までもが笑っていました。何だかどうでも良くなってきました笑 ある意味、他の人が出来ない経験をしたと思えるようになりました。
当分はオーストラリアに行けそうにありません・・・
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