2022年02月23日
留学を決めるキッカケ
18歳で田舎から上京し、生活費を稼ぐためにバイトを掛け持ちしていました。そのバイト先のひとつが、カラオケ店で、若くて田舎者の私からしたら、従業員がみんな都会人に見えました。話をすると、私を含めほとんどの人達が地方から来ていて、それぞれ目標を持って仕事をしていることを知りました。大学費を払うため、夢を叶えるためのお金稼ぎなどなど。
従業員の中に、中国人とネパール人の方達がいました。「初めまして」2人と話をしてみると、中国の方は日本語がすごく流暢で、フロントオフィスでお客さんの対応も完璧にこなしています。見た目も日本人と大して差がないので、何も言われなければ日本人だと思うでしょう。
ネパールの方は、日本語を勉強するために、ネパールで5年間働いて貯めたお金でやっと日本に留学しに来たと話していました。ホームステイ先から違いという理由で、カラオケ店で仕事を始めたそう。日本語を勉強しようと思ったキッカケも、日本の歌が好きで、ネパールにいた時から歌っていたんだそうです。
外国人と実際に会って話すのは、高校の英語の授業の時以外にはなかった私には、衝撃的でした。理由も特になく、ただただ東京に住んでみたくて上京してきた私は、夢を持って、その夢に向かって頑張っている人達の姿を見て、私は一体何がしたいのだろうと考えるようになりました。
その日をキッカケに、私はネパール人の子と仲良くなり、バイト以外でも遊ぶようになりました。家に遊びに行くと、他のネパール人の人達と同居していて、その時に初めてシェアハウスという存在を知りました。語学学校の友達も紹介してくれて、韓国人の友達も出来ました。
東京に来てから一緒に遊ぶ友達は、ほぼ外国人という生活が半年ほど続いたとき、私はネパール人の友達にネパール語を勉強しようかと考えている話をしてみました。すると、ネパール語の前に、英語をまず覚えた方がいいと勧められました。この先就職をする上で、有利になるのはネパール語力より英語力だと。
そのとき、カラオケで一緒に働いていた1人の子が一緒に英語を勉強したいと話を持ちかけてきました。昔から勉強が大の苦手だった私は、地道にコツコツ勉強出来る気が最初からしなかったので、留学してみようか?と話を持ちかけました。返って来た返事は意外にも「いいよー」でした。そこからは私達の行動は早く、留学エージェントを調べ、どこの国がいいか、いつ行くか、何が必要か、数ヶ月のうちに全て決めました。海外旅行すら、いや、人生で飛行機すら乗ったことのない19歳の秋でした。未成年だったことから、親の承諾を得なければいけなく、全て決めた後の事後報告で親に連絡しました。母親は、「東京に行ったかと思ったら今度は国から出るのか」と言いながらも、止めても行くんだろ?と諦めぎみに承諾してくれました。父親は、「馬鹿馬鹿しい」。それ以降、話すらしてもらえない状況でした。父子関係の危機を迎えながらも、私の頭の中はもう留学を諦める気持ちはこれっぽっちもなく、東京に上京した1年後の2月に、私はオーストラリア🇦🇺に向かう飛行機️に乗っていました。
従業員の中に、中国人とネパール人の方達がいました。「初めまして」2人と話をしてみると、中国の方は日本語がすごく流暢で、フロントオフィスでお客さんの対応も完璧にこなしています。見た目も日本人と大して差がないので、何も言われなければ日本人だと思うでしょう。
ネパールの方は、日本語を勉強するために、ネパールで5年間働いて貯めたお金でやっと日本に留学しに来たと話していました。ホームステイ先から違いという理由で、カラオケ店で仕事を始めたそう。日本語を勉強しようと思ったキッカケも、日本の歌が好きで、ネパールにいた時から歌っていたんだそうです。
外国人と実際に会って話すのは、高校の英語の授業の時以外にはなかった私には、衝撃的でした。理由も特になく、ただただ東京に住んでみたくて上京してきた私は、夢を持って、その夢に向かって頑張っている人達の姿を見て、私は一体何がしたいのだろうと考えるようになりました。
その日をキッカケに、私はネパール人の子と仲良くなり、バイト以外でも遊ぶようになりました。家に遊びに行くと、他のネパール人の人達と同居していて、その時に初めてシェアハウスという存在を知りました。語学学校の友達も紹介してくれて、韓国人の友達も出来ました。
東京に来てから一緒に遊ぶ友達は、ほぼ外国人という生活が半年ほど続いたとき、私はネパール人の友達にネパール語を勉強しようかと考えている話をしてみました。すると、ネパール語の前に、英語をまず覚えた方がいいと勧められました。この先就職をする上で、有利になるのはネパール語力より英語力だと。
そのとき、カラオケで一緒に働いていた1人の子が一緒に英語を勉強したいと話を持ちかけてきました。昔から勉強が大の苦手だった私は、地道にコツコツ勉強出来る気が最初からしなかったので、留学してみようか?と話を持ちかけました。返って来た返事は意外にも「いいよー」でした。そこからは私達の行動は早く、留学エージェントを調べ、どこの国がいいか、いつ行くか、何が必要か、数ヶ月のうちに全て決めました。海外旅行すら、いや、人生で飛行機すら乗ったことのない19歳の秋でした。未成年だったことから、親の承諾を得なければいけなく、全て決めた後の事後報告で親に連絡しました。母親は、「東京に行ったかと思ったら今度は国から出るのか」と言いながらも、止めても行くんだろ?と諦めぎみに承諾してくれました。父親は、「馬鹿馬鹿しい」。それ以降、話すらしてもらえない状況でした。父子関係の危機を迎えながらも、私の頭の中はもう留学を諦める気持ちはこれっぽっちもなく、東京に上京した1年後の2月に、私はオーストラリア🇦🇺に向かう飛行機️に乗っていました。
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