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2017年12月07日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第48回放送「信長、浜松来たいってよ」
48回放送分のタイトルは「信長、浜松来たいってよ」です。有名映画のタイトルをもじったようなタイトルばかりでしたが、その奇天烈さここに極まれり、という感じです。
織田信長は甲斐の武田氏を滅ぼし、その後の仕置を確定。大名・家臣たちへの領地のあてがいも済ませ、安土へ凱旋するのですが、その途中、富士山を見物すると言い出します。
戦勝気分に酔う徳川家に織田家の使者が訪れ、信長が富士見物をすること、安土への帰路に東海道を選んで徳川の領地を通過することを伝えます。
急なことにざわめく徳川家中。右大臣・織田信長が通る以上、なにか阻喪があってはいけません。精一杯もてなすのは勿論、宿の確保、休憩所の設置、領内の治安、道路や橋の整備等にもじゅうぶん気を付けないといけないのです。相手は信長。なにか落ち度があって責め立てられてはたまりません。
井伊万千代ほか、井伊家ゆかりの者たちも忙しく働きます。
そして信長来訪。
信長の態度をみると、徳川家挙げての歓待に満足しているのかどうかわかりません。そこへ、今川氏真が訪れます。氏真は信長をもてなすための余興を用意したと言います。それは力士たちを集めての、信長の面前での相撲興行でした。
信長の相撲好きは有名な話です。なるほど、信長を喜ばせるために相撲とは考えたものだな、と思えます。
このとき、信長は相撲の取り組みをみて、「小さい力士が大きい力士に立ち向かって倒そうとしている。桶狭間のころの我はまさにあの小さい力士のようであった」という意味のことをつぶやきます。そして、小さな力士のようだった自分がここまで大きくなれたのは家康どのがいてくれたからだ、と、家康に感謝の言葉を述べます。
いや、私こそ信長様がいたからこそ今まで生きてこられたのです、と返す家康でしたが、複雑な思いが在ります。単純に褒められたと喜べないものがあります。
そのころ、井伊の先祖ゆかりの井戸に、身分あるものの子息らしい幼児が置き去りにされていました。直虎は、その子の親を探そうとし、謎を突き止めようと或る策を考えます。その結果わかったことが恐るべきことだったのです。
浜松に来た信長をもてなそうと今川氏真が来た本当の意味、明智光秀と今川氏真のひそかなつながり。それらが分かるのですが、さらに、徳川家の信長に対する歓待への返礼として家康や徳川家重臣たちを安土や京に招こうとする信長の本当の意図、たくらみ。そしてその企てを逆手に取った信長暗殺計画。
直虎は家康に対面し、恐るべき企ての数々を話します。そして、家康に、天下の武士たちを束ねる扇の要になってほしい、と思いを打ち明けます。
このストーリー展開での、直虎と氏真のやりとり、そして直虎と家康のやりとりは見ものでした。
明智光秀の子孫だという明智憲三郎氏の著書『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)という本に書かれている、本能寺の変の真相についての斬新な説を取り入れたような展開ですが、それを歴史ドラマに取り入れさらに今川氏真をからませ、井伊家の人々が深くかかわるようにしたのは面白いと感じました。