くり子です。
先日、日向灘を震源とする震度5強の地震がありました。
くり子の住まう地域でも震度3の揺れがあり、怖かったです。
・・・が、父は全く気付かなかったと。
スマホが、警告したのは分かったらしいのですが、何を警告したのか分からなくて、凍結に関する注意かと思ってお風呂と台所の水道の蛇口を開けてからまた寝た。とのこと。
昔、くり子が関西で学生生活をおくっていた頃、阪神淡路大震災がありました。
「震度7」が適用された初めての地震で、くり子の居住地はその震度7のエリアでした。
因みにその時の実家の震度は3だったそうです。
くり子が避難して、初めて聞いたニュースが、「水道管が割れ、水が溢れて近所の住民が驚いている。」というものです。この被害があった市が、くり子の実家があるところだったので、
くり子は、実家が震源地に近いと思い、兵庫でこんなに揺れたのに実家はどうなっているのか・・・と、恐怖で震え上がりました。
実際の所、くり子が住まうエリアは、大きな被害を受けたエリアだったため、被害状況の全容がなかなか判明しなかったようです。
そして、当時は携帯電話と言うものは普及しておらず、住んでいた寮の電話は使えず(倒壊の恐れがあり、建物に立ち入れない状況だった)、公衆電話ボックスから実家に様子伺いの電話をしたのは、当日のお昼頃になってからでした。公衆電話も沢山の人が並んでやっと順番が回ってきたような状況だったのだけど、くり子たちはまだ状況を把握しておらず(TVとかもなく・・・そもそも電気も水道も使えなくなっていて、小さな電池式のラジオを持っている人からちょっとニュースを仕入れるくらいだった)、TVで阪神地域が震源で大変な状況になっていることを把握していた母に「早く連絡してこないから、ずっと心配していた!」とめちゃくちゃ怒られました。母からは、何度も寮に電話していたがつながらなかったそうです。(そりゃあそうだよね。電話線がきれちゃっているもの。)
ただ、一人暮らしではなく、寮生活をしていたので、その点は安心材料だったようです。
それまでは実家の台所にTVは置いてありませんでしたが、それをきっかけに台所にTVが導入されました。
いち早くニュースを仕入れるためだそうです。
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