雨が降り始めた。遅刻しそうな時間だったが、仕事に行く前にまず立ち寄る場所があった。小さな喫茶店の入り口に立つと、店内の暖かな灯りが灯っていた。
「遅れてごめんなさい」
女性の声に振り向くと、窓際の隅に座る彼女の姿が見えた。濡れた髪をかき上げ、落ち着いた表情で待っているのが分かる。
大学時代の同級生であるこの女性、橘凛子との待ち合わせだった。久しぶりの再会にドキドキしながら、自分の席に向かう。
「全然大丈夫よ。こうして会えるだけでうれしい」
凛子は微笑みながら言った。彼女の優しさは、つい最近まで変わらぬようだ。
「10年も会っていなかったんだね。だいぶ忘れられそうだった」
「そうね。でも、あなたの顔は一生忘れられない」
言葉が重なることで、お互いの胸の奥で何かが震えた。大学時代の思い出が甦る。
そうだ、私たちは10年前、ここのような喫茶店で出会い、以来ずっと心の通った関係を築いてきた。
2人は互いに人生の話をしながら、今の近況を共有していった。そして、最後に口にしたのは、あの日の出来事だった。
「あの日、私はあなたに約束したよね」
凛子が言葉を濁らせる。私も思わず視線を逸らす。
あの日のことを思い出すのは、今でも心が痛む。
あれから10年、私はこの街に住み続け、ひとり息子を育ててきた。しかし、凛子とは音信不通になっていた。
「ねえ、あなたはしっかりと覚えていてくれた?」
凛子の問いに、私はゆっくりと頷いた。
「ええ、もちろん忘れるわけがないです」
そう言いながら、私の心の奥底に眠っていた思いが溢れ出してくる。
10年前のある日、私たちはここで最後の約束をした。
「私、あなたを待つわ。必ず戻ってきて」
凛子は涙を流しながら言った。そして私は、彼女を抱きしめて固く誓った。
「絶対に戻ってくる。必ず」
しかし、私はその約束を果たせなかった。
大学卒業後、私には思わぬ事態が待っていた。両親の倒産と父の病気。家族を養う必要に迫られ、やむを得ず東京で就職することになったのだ。
連絡を取り続けたが、凛子の方から次第に返事が来なくなっていった。連絡が取れなくなり、私は彼女のことが心配で仕方がなかった。
そして今日、10年ぶりの再会を果たした。
「ごめんなさい。私、あなたの待つ場所に戻れなかった」
私は心からの謝罪の言葉を伝えた。そして、10年間の間、どれほど後悔し、どれほど彼女のことを思い続けてきたかを打ち明けた。
凛子は淡々と話を聞いていた。
そして、しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「私も、あなたの約束を守れなかったわ」
私は驚きの表情を隠せずに聞き返す。
「え、どういうことですか?」
「あの時、私はあなたに待っていると約束したけれど、私も東京に出てしまったの。あなたの行方を必死に探したけれど、つかまえることができなかった。それから、私も家族の事情で、ここへ戻ってきて……。両方が約束を果たせずに、10年が経ってしまった」
凛子は悲しげな表情のまま続ける。
「でも、今日、偶然にあなたに会えて、本当に良かった。私たちには、もう1度やり直す機会があるわ」
10年前の約束を果たせなかった後悔と同時に、今ここに彼女がいるという喜びが湧き上がる。
私は凛子の手を取り、握りしめた。
「はい、私たちには、もう1度やり直す機会があるのですね。一緒に、10年前の約束を果たしましょう」
たとえ時間がかかったとしても、10年前の2人の絆は消えてはいなかった。ここから、新しいスタートを切れるのではないか。
重い沈黙の後、そして互いの過去を共有してから、私たちは微笑み合った。
そして、雨に濡れた街を歩きながら、かつての約束を胸に刻んでいった。
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