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泊手について

ここまであちこち寄り道しながらも「糸東流の源流を辿って行こう!」シリーズ(今、思いつきでネーミングしただけですが・笑)ということで原稿を書いてきました。


一応、下の図において青枠の部分は、簡単にではありますが触れてきました。



あと、残っているのは赤枠の部分です。

今日は泊手について簡単にご紹介したいと思います。

泊手は、技法的にも地理的にも、首里手と那覇手の中間に位置します。

技法的には、どちらかというと首里手に似ているかも知れません。

口碑に「山東省出身の禅南(チャンナン)という漂流人が伝えた」とあるだけで、それ以外のことはほとんどわかっていないそうです。

チャンナンについては、以前、糸洲安恒先生に関する記事の中で、「洞窟に住む謎の漂流民」としてご紹介しました。

泊手の代表的な指導者としては「中興の祖」と呼ばれる松茂良興作(まつもらこうさく)先生が有名です(右の図)

ただ、当時の稽古方法は、パッサイはA先生に、ナイハンチはB先生に習えという考え方で、一人の生徒が複数の師につくことが当たり前の時代でした。

実際、松茂良興作先生も、泊手と同時に首里手も学ばれていたそうです。

ですから、純粋に泊手のみを伝承した人というのはほとんどいないようです。

現在でも、首里手や那覇手の系統の道場はたくさんありますが、泊手系統の道場はと言われると、数は非常に少ないと思います。

しかし、形(かた)については、今の時代でも、競技でよく使用されるものが、元来泊手であったりということがあります。

例えば、「バッサイ」というのは、もともと泊手の古伝の形だそうです。

「トマリバッサイ」という形はよく試合でも使われますよね。

さらに先日もご紹介した「チャタンヤラクーシャンクー」も泊手と言われています。

あと、ポピュラーなものとしては「ローハイ」があります。

ほか、糸東流には、「松茂良」の名を冠する形がいくつもあります。

ちなみに、発音が「マツムラ〜」と「マツモラ〜」で似ているものがいくつかありますが、形としては両者は全く異なるものです。

現役部員の皆さんへ。

泊手のキーワードとしては「チャンナン」「中興の祖・松茂良興作」を覚えておいてください。


以上、簡単にではありますが、首里手、那覇手、泊手の違いについて説明させていただきました。

本土の四大流派はいずれもこれらの「手」が発展し、形成されています。

例えば、松涛館流は首里手の一部を採り入れ剛柔流は那覇手のみ和道流は首里手の一部を柔術流にアレンジしています。

しかし、糸東流は、流祖・摩文仁賢和先生がこれらすべての「手」を習得し、さらに他の流派も採り入れて開いた流派です。

何度もご説明いたしましたが、「糸東流」の名称は、首里手の大家・糸州安恒先生と那覇手の大家・東恩納寛量先生の頭文字を取ってつけられています。

では最後に、「トマリバッサイ」の演武をご覧いただきましょう。

演武者は、これまで何度もご紹介した宇佐見選手で、新潟国体での試合です。



同じ「バッサイ」という名称であっても、バッサイ大とは、一見似ているようでも、実際にやってみると、表現するべきものが全然違うことがわかります。

この映像をご覧いただけると一目瞭然ですが、縦の動きをいかに大きく、ダイナミックに表現できるかがポイントです。

単に手技を素速く行うというだけで、小さくまとまってしまうと、この形の「味」は失われてしまいます。

バッサイダイと同じような感覚で演武すると失敗しやすいと思います(自分の経験から)

明日は、もう一つだけ、糸東流に影響を与えたものをご紹介します。

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