2011年03月03日
三戦のルーツと変遷
昨日の動画でご紹介しましたが。。。
那覇手といえば代表的な鍛錬形に「三戦(サンチン)」があります。
挙動数の少ない形ではありますが、大きく吸って吐きながらゆっくり突き、そして構えるという動作が繰り返されます。
このとき、那覇手独特の呼吸法、つまり(文字で表現するのは難しいですが)「カハーッ、ハッ」という息吹に乗せて技を繰り出す流れは、重厚さを十分に感じます。
ところで、この三戦という形は、誰が作ったのでしょうか?
ルーツは一体どこにあるのでしょうか?
実は中国拳法の中に「三戦」という名称のものは多数あります。
ただ、中国拳法では「三戦」=「基本」というニュアンスを持つらしく、現在、我々が国内で目にする三戦の流れとほぼ同じものを中国拳法の中に見つけるのは至難の業です。
そもそも中国では、「三戦」は一部の例外を除いてほとんど全て「開掌」で行います。(右の写真)
従って攻撃は「貫手(ぬきて)」ということになり、指先で攻撃するのは大変危険であるために、沖縄では途中から握拳に変更したと言われます。
その結果、現在、国内で見られる三戦はほとんど全て握拳で行われています。
開掌を握拳に変更したのは、那覇手の祖・東恩納寛量先生です。
また、同じ三戦でも、時代とともに、指導者が変わるにつれ、様相が変わっていきます。
現在、標準的なスタイルの三戦は、ゆっくり突いて引き、息吹も長く、「カハーッ、ハッ」という激しい呼吸音の出るものですが、これは宮城長順先生の頃からこのようになったとも言われています。
東恩納寛量先生の頃の三戦は、もともと素速く突いて引き、呼吸も「スッ」という鋭く短い音を時々出していた程度だそうです。
また、宮城長順先生の三戦は、一時期、三歩前進した後、そのまま三歩後退するというやり方であったという記録も残っています。
ともかく、現在では三戦といえば握拳が当たり前のような感じですが、唯一、上地(うえち)流だけは、中国拳法の流れを忠実に残し、開掌の三戦が残っています。(右の写真)
では、ここで、上地流に残る、開掌の三戦を、ご覧下さい。
かなり古い映像ですが、昨日ご覧いただいた重厚な三戦に比べて、こちらはあっさりした感じです。
でもこれが上地流三戦の特徴なのです。
参考までに、中国拳法の三戦を一つだけご紹介します。
これは五祖拳の三戦です。日本国内で見る三戦とどのような点が違うのでしょうか?
はい、全く違いますね(笑)
日本の三戦とは似ても似つかぬ流れでした(笑)
ただ、全般的な流れの違いよりも、以下の2つのポイントに着目していただきたいと思います。
1)攻撃を出す手が両手か片手か
2)進み方が左右交互に足を前に出す方式か片足ずつ前に出す方式か
1)については、
ア)両手で攻撃する・・・双技三戦(そうぎさんちん)
イ)片手で攻撃する・・・単技三戦(たんぎさんちん)
2)については
A)左右交互に足を前に出す・・・双馬三戦(そうばさんちん)
B)同じ側の足を前に出す・・・単馬三戦(たんばさんちん)
といい、中国拳法では、ア)イ)とA)B)の組み合わせで三戦のタイプは分類されます。
ですからこの映像の三戦は「双技単馬三戦」の分類、日本の三戦は「単技双馬三戦」の分類に入ることになります。
ちなみに現在、中国拳法での三戦は、双技三戦、つまり両手で同時に攻撃するタイプが主流を占めているそうで、日本の三戦のように片手で攻撃するタイプのものはあまりないそうです。
このように三戦のルーツを訪ねていくといろいろと新たな発見があります。
では最後に、糸東流の三戦をご覧いただいて今日は終わりにしたいと思います。
現役部員の皆さんへ。
よく見ていただきたいのは、「三戦立ち」の立ち方と進み方です。
まず、立ち方ですが、前足は正面に対して60度で内側に向け、後ろ足は正面を向いています。
進み方は、まず前足のかかとを内側にひねるようにして戻してから、逆の足を前に進め、内側に向けます。
最近の形競技では、「前足のかかとを内側にひねって戻す」という動作を省略してリズミカルに表現しようとする選手が大半ですが、本来はこの動作をしなければならないということは覚えておいて下さい。
現役部員の皆さん。ここまで見てきたように、首里手と那覇手は体の使い方・技の出し方が随分違います。同時に、選手のタイプもいろいろで、首里手に向いている人もいれば那覇手に向いている人もいます。
日頃の稽古の中で、まずは両方の体の動きを覚え、次に、自分に合っているタイプの形を選択してより専門的に取り組んでいくというのも一つの方法です。
そういう意味では、今日ご紹介した「三戦」あるいは、後日述べる「転掌(てんしょう)」はぜひ練習に採り入れてもらいたい鍛錬形です。
那覇手といえば代表的な鍛錬形に「三戦(サンチン)」があります。
挙動数の少ない形ではありますが、大きく吸って吐きながらゆっくり突き、そして構えるという動作が繰り返されます。
このとき、那覇手独特の呼吸法、つまり(文字で表現するのは難しいですが)「カハーッ、ハッ」という息吹に乗せて技を繰り出す流れは、重厚さを十分に感じます。
ところで、この三戦という形は、誰が作ったのでしょうか?
ルーツは一体どこにあるのでしょうか?
実は中国拳法の中に「三戦」という名称のものは多数あります。
ただ、中国拳法では「三戦」=「基本」というニュアンスを持つらしく、現在、我々が国内で目にする三戦の流れとほぼ同じものを中国拳法の中に見つけるのは至難の業です。
そもそも中国では、「三戦」は一部の例外を除いてほとんど全て「開掌」で行います。(右の写真)
従って攻撃は「貫手(ぬきて)」ということになり、指先で攻撃するのは大変危険であるために、沖縄では途中から握拳に変更したと言われます。
その結果、現在、国内で見られる三戦はほとんど全て握拳で行われています。
開掌を握拳に変更したのは、那覇手の祖・東恩納寛量先生です。
また、同じ三戦でも、時代とともに、指導者が変わるにつれ、様相が変わっていきます。
現在、標準的なスタイルの三戦は、ゆっくり突いて引き、息吹も長く、「カハーッ、ハッ」という激しい呼吸音の出るものですが、これは宮城長順先生の頃からこのようになったとも言われています。
東恩納寛量先生の頃の三戦は、もともと素速く突いて引き、呼吸も「スッ」という鋭く短い音を時々出していた程度だそうです。
また、宮城長順先生の三戦は、一時期、三歩前進した後、そのまま三歩後退するというやり方であったという記録も残っています。
ともかく、現在では三戦といえば握拳が当たり前のような感じですが、唯一、上地(うえち)流だけは、中国拳法の流れを忠実に残し、開掌の三戦が残っています。(右の写真)
では、ここで、上地流に残る、開掌の三戦を、ご覧下さい。
かなり古い映像ですが、昨日ご覧いただいた重厚な三戦に比べて、こちらはあっさりした感じです。
でもこれが上地流三戦の特徴なのです。
参考までに、中国拳法の三戦を一つだけご紹介します。
これは五祖拳の三戦です。日本国内で見る三戦とどのような点が違うのでしょうか?
はい、全く違いますね(笑)
日本の三戦とは似ても似つかぬ流れでした(笑)
ただ、全般的な流れの違いよりも、以下の2つのポイントに着目していただきたいと思います。
1)攻撃を出す手が両手か片手か
2)進み方が左右交互に足を前に出す方式か片足ずつ前に出す方式か
1)については、
ア)両手で攻撃する・・・双技三戦(そうぎさんちん)
イ)片手で攻撃する・・・単技三戦(たんぎさんちん)
2)については
A)左右交互に足を前に出す・・・双馬三戦(そうばさんちん)
B)同じ側の足を前に出す・・・単馬三戦(たんばさんちん)
といい、中国拳法では、ア)イ)とA)B)の組み合わせで三戦のタイプは分類されます。
ですからこの映像の三戦は「双技単馬三戦」の分類、日本の三戦は「単技双馬三戦」の分類に入ることになります。
ちなみに現在、中国拳法での三戦は、双技三戦、つまり両手で同時に攻撃するタイプが主流を占めているそうで、日本の三戦のように片手で攻撃するタイプのものはあまりないそうです。
このように三戦のルーツを訪ねていくといろいろと新たな発見があります。
では最後に、糸東流の三戦をご覧いただいて今日は終わりにしたいと思います。
現役部員の皆さんへ。
よく見ていただきたいのは、「三戦立ち」の立ち方と進み方です。
まず、立ち方ですが、前足は正面に対して60度で内側に向け、後ろ足は正面を向いています。
進み方は、まず前足のかかとを内側にひねるようにして戻してから、逆の足を前に進め、内側に向けます。
最近の形競技では、「前足のかかとを内側にひねって戻す」という動作を省略してリズミカルに表現しようとする選手が大半ですが、本来はこの動作をしなければならないということは覚えておいて下さい。
現役部員の皆さん。ここまで見てきたように、首里手と那覇手は体の使い方・技の出し方が随分違います。同時に、選手のタイプもいろいろで、首里手に向いている人もいれば那覇手に向いている人もいます。
日頃の稽古の中で、まずは両方の体の動きを覚え、次に、自分に合っているタイプの形を選択してより専門的に取り組んでいくというのも一つの方法です。
そういう意味では、今日ご紹介した「三戦」あるいは、後日述べる「転掌(てんしょう)」はぜひ練習に採り入れてもらいたい鍛錬形です。
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