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2015年02月17日

マラソンに出て感じる「応援の力」

とあるマラソンに出た知人の話です。

マラソンに出たといってもほぼ素人ランナーで、準備についても
練習で走った距離の合計<マラソン当日の距離
といった感じだったそうです。

そんなわけで当日はものすごく辛い思いをしたそうですが、それでも最後まで完走してしまいました。
「本当にしんどかった。何でこんなに辛い思いをわざわざしなければならないのか分からなかった・・・」
というのが正直な感想だと話していました。

そんな彼が、印象に残ることを話していました。
「沿道からの応援がすごくありがたく感じた」
「前に進めないと思うくらい疲れていても、沿道から『がんばれ〜!!』と声をかけられると不思議と頑張れた」
「応援の人がとぎれると一気に力が抜けて、進むのが本当に大変だった」


これっていわゆる応援の力っていうことですよね・・・。
それを自分自身の体を持って体験できたっていうことなんだろうな、と思いました。

スポーツの世界では当たり前のように使われている「応援」という言葉。
何となしに「応援の声が選手に伝われば、それが力になる」というのが通常の認識であり、また、応援する側にとっての願望なのではないかと思います。

でもそれって本当なの?という思いが自分にはありました。
なんか綺麗事というか、絵空事というか、、、あまり体育会系の経験がない私にとっては、実感のないドラマのような感覚だったんですね。
まあ、理屈で考えると、
他者の応援 ⇒ 社会的報酬を得たと感じる ⇒ 快感中枢が刺激され脳内物質が分泌 ⇒ 脳内の快感が増して「気持ちよく」なり、また、辛さの感覚が薄まる ⇒ 頑張れる!
ということで、理解は出来るのですが、
やはり人間は動物。
体感しないことには強く認識が出来ません。

逆にいえば、マラソンに出ることでこれを体感した彼は、今後の生活の中で「応援する」「応援を受ける」という事に対する認識が大きく変わるということが言えます。

その経験って貴重だな、と思った次第です。

つまり何が言いたかったかというと、
「マラソンイベントへの出場は、誰でも『応援される』という経験を積むことができる、貴重な体験の場である」ということが言えるのではないか?という事です。
社会的報酬のイニシエーション的な儀式の一つかもしれないですね。

自分もちょっと出てみてもいいかな?と思いました。


posted by 霧島もとみ at 2015年02月17日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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霧島もとみ
他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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