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2017年06月10日

インターネットに対して幻想を持っていたことに気付かせてくれた本「ウェブでメシを食うということ」 中川 淳一郎

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この本を読むまで、「ウェブでメシを食う」という言葉に魅力を感じてしまう自分がいました。

それは何故かと考えると、
・すぐ目の前にあるありふれた世界である「ウェブ」で「メシが食える」
・今の現実とは違うユートピアのような世界が広がっていて
・自分もそのおこぼれに有りつける

というような幻想を持っていたのだと思います。

書店でこのタイトルに目が止まったのも、「ああ、なんかそんな生活っていいなあ・・・」という思いを、微小規模ながらブログを書いている身として思い浮かべてしまったからに他ありません。

その背景には、私自身が
「ウェブという集合知で作られる世界の中には、人間の小さな悩みなど吹き飛ばしてしまうような素晴らしく新しい空間が広がっているんだ」
という理想論的な認識を持っていたのだと思いますが、しかし、この本に書かれているのは、徹底的にリアリズムで、人間が作り上げる戦いの物語でした。

多くの人間が登場してはその関わりの中で仕事が生まれたりトラブルが生じたりというごく普通の社会で、ウェブというものは一つのフィールドに過ぎず、そこを舞台に仕事をする人間たちが主人公の世界。
書中ではその様子がありありと生臭く書かれていました。
本の帯に書かれていた「ネットの仕事は、こんなに人間臭くて、面白い!」というキャッチコピーがその様子を良く表しています。
(良くできたキャッチコピーだなあと感心しました)

その中でも「なるほどなあ」と認識を新たにさせられたのは、”ウェブはバカと暇人のもの”という筆者の本のタイトルともなった、ウェブに対する悲観的というか、ネガティブなものの見方でした。
筆者の体験と結びついたこの考えは本書中で実体を持つかのように、大きな説得力を発揮し、ごく自然に私はその考えに納得してしまいました。

腑に落ちた、というのが正解かもしれません。
ネットニュースサイトを見るたびに「有名人のブログ記事や、テレビのバラエティー番組での発言をニュースに挙げたものばっかりじゃないか」と違和感を感じていたのですが、その違和感の正体と、ネットニュースが自然とそうなってしまっている現象の背景とが、この本を読むことによってすっと自分の中に入ってきた感覚がありました。

「そうか、自分はウェブに幻想を持っていたんだなあ」

そう気付かされたのが、この本の大きな収穫だったと思います。
勿論読み物としてもとても面白かったです。濃いエピソードが山盛りで圧倒的でした。

中川淳一郎さんの著書を読んだのはこの本が初めてで、実は名前を知ったのも初めてだったのですが、本の内容は不思議とすっと自分の中に入ってきました。
世代的にも近いものがあり、大学の情報室でだけメールが出来た時代や、テレホーダイへの熱狂など、共通する時代背景が書かれていたこともその理由かもしれません。

他の著書も読んでみたいと思いました。
というか早速一つ注文してしまいましたが・・・
※この早さはインターネットの恩恵ですね。最初に紹介した自分の「ウェブに対する幻想」とは全く別の次元で、作用としてのインターネットは確実の社会と生活を変えているのは間違いないなあ、と痛感しました。
posted by 霧島もとみ at 2017年06月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2017年05月06日

これが俺たちのライブだ!UVERworldの「IMPACT」

アクセスありがとうございます!
この記事は下記のリンク先ホームページへ移転しました。

じぶんプレス/ぼくなりのエンターテイメント

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posted by 霧島もとみ at 2017年05月06日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2017年04月08日

本気で人と付き合っているのか?と問いかけてくるAbemaTV「徹の部屋」が面白い!!

半年ほど前に「たった一人の熱狂」という本と出会いました。

アニマル浜口のような、いかつい年配の男性が怒鳴りつけるというインパクトのある表紙に「何だこのオッサンは?」「何を怒鳴っているんだ?」と引きつけられたのをはっきりと覚えていますが、そのオッサン、もとい、本の著者が幻冬舎の代表取締役社長である見城徹さんでした。

この本は内容もインパクトの大きな本でした。表紙から受けたものよりもはるかに。
そのインパクトの大きさゆえに、まだ記事は書けていません。何故かは分かりませんが、自分の中で「この本のポイントはこの3点くらいで、今の自分にとってはこういう印象だった」と簡単に言葉にしてしまうことに躊躇いを感じていることがあると思います。

見城さんの本、それから見城さんと付き合いのある藤田晋さんや堀江貴文さんの本(元々堀江さんの本は好きで読んでいました)などを何冊か読みましたが、それでもまだ整理しきれず、書ける気がしません。

確実に言えるのは、「自分自身の世界が広がった」ということです。
物の見方や考え方もそうですが、一番印象を強く受けたのは「人との付き合い方」というエッセンスでした。見城さんの本を読んだ後では、自分自身の人との付き合い方は、とにかく浅いとしか言いようのないものにしか感じられませんでした。

とまあ話が長くなりそうなので、一旦戻します。
そう、AbemaTVが面白いんですよ。
アプリをダウンロードするだけで、スマホやタブレットで簡単に番組が見られることにまず驚くのですが、そのチャンネルの豊富さや、地上波とは異なる「異質さ」にもう一段の驚きを感じました。

その中で出会った「徹の部屋」という番組。
「見城徹が今、一番会いたいゲストを招き、内蔵と内臓をこすり合わせる様な熱狂トークを披露する」というキャッチフレーズの番組です。

これがとにかく面白い。
普段の地上波で見ているタレントさんの印象ががらっと変わります。普段のテレビは「テレビの向こうの世界」として見れるものなんですが、この番組は、「僕達の世界の延長線上にいる、この人達が作る現実の世界」を見せてくるんです。
それもすごく生々しく。

その中で平成29年2月26日に放送された「徹の部屋#10」が、芯に響いてくる強烈なボディーブローを打って来ました。

この回のゲストはネクシーズ社長の近藤太香巳さんと、郷ひろみさんでした。
司会の見城徹さんと付き合いの長い3人でどんなトークが繰り広げられるのか・・・と期待していましたが、期待と予想を遥かに上回るものでした。

というのは、僕は「エピソード」に期待していたんですよね。
ところが僕は、それとは全く違う、3人が醸し出す「人間関係の深さ」にノックアウトされてしまったんです。

それが何かと言うと、表情や言葉、リアクション、エピソード、あらゆるものの背景に「どこか通じ合っている3人」というものの姿が見えた気がした、ということです。
そしてその姿は、普段の僕の人との付き合いの中には全く無いものでした。

僕は、まあ、気にしいです。
そして軽く対人恐怖症だと思っています。だからといって人と付き合いが出来ない訳ではないんですが、常に「場の流れを感じ取り、人の気持を推し量り、差し障りのないこと、相手が楽しくなりそうな話の進め方を考えていく」というスタイルを取る傾向があると思います。

ところがこの3人の間にはそんなものは見て取れない。
勿論、プロスポーツのスキルの凄さが素人には分からないように、僕が感じられないレベルでそういうった事も考えているとは思うのですが、それよりも強く感じられたのが「躊躇うこと無くさらけ出し、ぶつかり合う」という人間関係の姿でした。

僕は、

「ああ、僕は今まで、本当の意味では人と付き合っていなかったんだな」

と呟きました。

そしてそれと同時に感じたことがありました。
それは普段から感じている「自分の考えを他人が理解してくれない」という寂しさや不満が、ごくごく当たり前の事ではないのかという事。
なぜなら、そもそも「自分の考えを他人に対してぶつけていない」のだから、理解なんてされるはずなんて無いって当たり前のことだから。

この番組は、視聴者に対して「俺たちのように本気で人と付き合っているのか?」と問いかけてきます。

この人達のようになりたい。

そう少しでも思った僕は、少しづつですが、本気で人とぶつかっていくことを考えていきたいと思います。
試してみたいと思います。
posted by 霧島もとみ at 2017年04月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年02月14日

BDレコーダーに溜まっていく録画番組の山!押し潰されるその前に

以前に「テレビの音がうるさいと感じる時」という記事を書きました。


テレビの音がうるさいと感じる時: 世界は素敵で面白い、そんな生き方を目指すブログ




元来テレビっ子だった私が「テレビがうるさい」とふと感じたくだりや、その理由は何なんだろうと考察した記事なのですが、意外とアクセス数が多くて(あくまでこのブログの中では、ですけれど・・・)驚いています。
同じように感じる人が多いってことなのかな?

さて今日はまた「テレビ」に関してまた書いてみたいと思います。
タイトルのとおり、BDレコーダー(HDD搭載のもの)に気が付けば録画番組が溜まりまくってもう見ることも無理っぽい・・・ときの話です。

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とは言いつつテレビを観ています。


そうなんです。決してテレビを全く見ていないという訳ではありません。
例えば去年話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」も見ていました。面白かったです。

そういえば自分が今チェックしているテレビ番組ってどれくらいあるんだろう・・・とふと考え、整理してみました。次のリストのとおりですが、結構あるなって感じです。
・カルテット(ドラマ)
・下克上受験(ドラマ)
・奪い合い、冬(ドラマ)
・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(アニメ)
・ワールドプロレスリング(スポーツ)
・全力!脱力タイムズ(バラエティ)
・アメトーーク(バラエティ)✕2
・そこまで言って委員会NP(報道バラエティ)
・らららクラシック(音楽)
・題名のない音楽会(音楽)


並べただけではピンと来ませんので、時間にしてみましょう。
見る時は大抵録画でCMを飛ばしますから、1時間30分番組は1時間、1時間番組は40分、30分番組は20分でざっくりと計算します。あ、NHKはCMが少ないですから30分番組は30分とします。

60分+40分✕4+20分✕5+30分=350分

一週間で350分!なんと、実に5時間30分ものボリュームになっていました。
なんだ大したことないじゃんって思う人もいるかもしれません。一週間で5時間30分ですから、1日あたりだと1時間を切りますからね。

でも家族持ちには結構厳しい時間です。
なぜなら、これらの番組は今のところ全部私の趣味に過ぎないからです(泣)。家族の時間にこれらのテレビを見ることはできず、つまり、一人の時しか見れないという制約があるってことなんです。

一人で使える時間のうち、一週間に5時間30分。
これはかなりキツイです。
ではどうなるか?というと、単純な話ですが「見れません」。じゃあ諦めて見たいものだけ見ればいっか・・・て考えれば良さそうですが、そうはいきません。

なぜなら、見えない鎖に縛られているからです。

自動録画というネビュラチェーン


見えない鎖とは何か。それはBDレコーダーによる「自動録画」です。

このBDレコーダーは、革命的な家電製品です。今の若い人には(すみません、お決まりのフレーズで・・・)VHSビデオで録画していた頃のことなんて知らない人も多いでしょう。かつては「VHSテープ」という大きなカセットに録画していました。

このVHSテープには幾つかの制約があり、それに応じて録画する側も工夫が必要でした。
・録画できる時間が少ない(通常2時間、3倍録画で6時間)
→何本ものテープを持ち、テープ残数を把握しながら差し替えていた。
・録画後の編集ができない(編集するには高額な機材が必要)
→同じドラマだけを連続して録画するには専用の◯◯テープを作り、録画刷る時にはそのテープをかならず使わなければならない。ミスは許されない。
→CMカットをするためには、テレビの前に張り付いて自分が「録画一時停止」操作をCMのたびにしなければならない。
・中身の確認は実際に見るしかない
→手間がかかる。これを怠ると大事にしていた番組が上書きで消えてしまう。

これらの課題が、BDレコーダーの登場によって全て一気に解消されてしまったのです。これはVHS時代を知っている人間には「テレビ録画の革命や!!!」としか言い表しようがないインパクトでした。

更にHDD大容量化により録画可能時間も飛躍的に伸びました。もうこれからは、好きな番組を好きなだけ録画できる。そんな夢が正に現実のものとなったのです。

・・・ちょっと話が逸れてしまいました。
しかしそんなBDレコーダーにも一つデメリットがありました。ようやく話が戻りますが「自動録画」です。自動録画が何かというと、改めて言うまでもありませんが、「同じ番組を自動的に毎週録画してくれる機能」で、本当に便利な機能です。

ではその便利な機能の何が問題なの?ということなんですが、まさにこの便利というものが曲者で、便利だからその機能を使ってしまいます。「ちょっと面白そうだな」と思うと、数分もかからないうちにその番組の自動録画が出来てしまう。とても簡単です。

「あ、これも面白そう」
「これも面白そう」
「これも見てみたいな」
・・・


そうして登録された設定に従い、BDレコーダーは黙々と自動録画を繰り返していきます。機械的に(機械ですから・・・)。そしたらどうなるか?もうお分かりですよね。
あっという間に、レコーダーの中は未視聴の録画番組が山のように積み上げられてしまいます。

こうなったらもう無理です。物理的に全部を見ることなんてできません。
でも気になっていたあのドラマ、話題になっていたあのドラマも、そのレコーダーには第1話から最終話まで全部録画されているんですよ。

見たい。いや、見なければいけない!
きっと面白いものがそこにあるから。見ることができるものを見ないなんて、何か損するような気持ちだから。

限られた時間の中で見ようと努力する傍ら、レコーダーは機械的に新しい録画をどんどん積み上げてきます。物量戦です。どんなに奮戦(視聴)しても敵の補給は尽きること無く、積み上げられた録画番組の山にやがて押し潰されてしまう。。。

気が付けば、私はそんな状態になっていました。
そんな中で、何とか確保した時間で録画した番組をちょっとだけ見ることができると、「ようやく少しだけ見れた・・・」とホッするとともに、重荷が少しだけ減ったような感覚を覚えるのです。

でもふと気付きました。
ちょっと待てよと。
俺は”重荷から解放されてホッとするためにテレビを見ているのか?”と。

楽しむために見ようとしていたはずが・・・


そうなんです。
元々は「楽しいものが見たい」という自発的な気持ちだったものが、気が付けば「見ないと損」「見なければいけない」という強制的な意識へと変貌していたんです。

悦楽だったものが苦行に変わり、また、行為の主体が自分自身からそれ以外の誰かへと変わっていた。
これで楽しいはずがありません。冷静に考えて、こうまでしてテレビを見る必要なんてあるはずもない。でも、いつの間に変わってしまったんだろう?

自分なりに思考を巡らせてみました。
そして気付いたのは、勘違いによる錯覚に陥っていたこと。
まず最初に、「便利にたくさん録画できる」ことを「いつでも自由に見られる」ことだと認識していたのだと考えました。
でもこれは勘違いではなく事実です。私は録画した番組を、好きなときに、いつでも自由に見ることができます。この事に間違いはありません。

次に、この「いつでも自由に見られる」ことを「録画した番組の全てをいつでも自由に見られる」ことだと認識していたと考えました。
ここです。ここに第一の勘違いがあったのです。

録画した番組の「全て」を自由に見ることなんて出来ないのです。一つ一つの番組を見ることは勿論可能です。事実です。でも全部を網羅して見るためには、録画機能とは関係なく、結局は自分がそれを見る時間を確保できるかどうか次第なんです。
結局は時間を確保できず、見れずに山積みになっている、ということです。

そしてそこに、過去の自分の「これが見たい」という気持ちが亡霊のようにこびりつき、自分自身に「見なければいけない」という義務が課せられているかのような錯覚に陥る。これが第二の勘違いです。

録画番組は機械的にドンドン積み上げられていく。
「見なければいけない」という義務感はそれに従いドンドン強くなっていく。
この心理的負担が自分自身に重くのしかかってくる。

これが今の状態なんだと。
ここから脱却するために、そもそも論で考えてみました。

「見なければいけない」からの脱却。


そもそも論として、本来は楽しむために見ようとしていたものです。
それが「見なければいけない」ことで苦しむようなら本末転倒。

じゃあどうすればいいか?

見なければいいんです。

ただそれだけ。
または、最初から録画しないという方法もあります。
後でどうしても見たくなればDVDとかオンデマンドとか多分方法はあると思いますし。

溜まった録画番組は「見れないもの」と割り切って、一切合切、削除してしまいましょう。
断捨離の考え方では(あまり最近聞かなくなりましたね・・・)、「いつか使うものは捨てる」のが原則。これをBDレコーダーにあてはめると、「いつか見たいものは削除する」のが原則。

少なくとも1ヶ月以上見ていないものは、お気に入りの保存用を除いて、スパスパっと削除してしまえばいい。
しかし、そう思っても、いざ消す段になれば、録画容量が一杯じゃない限りはやはり消せません。今のところ「消す必要」が無いのです。私の手もここで止まりました。「そうだ、とりあえず、録画容量が一杯になったら消そう」と、何とも気持ちは弱いもの。

でもいいんです。
後は「見なければいけない」という錯覚で作り出した思考から脱却し、「見られたら見ればいい」「どうしても暇な時に見たらいい」というような緩い思考でBDレコーダーに向き合うことができれば、心の負担にはなりませんから。

別に見なくたって損もしないし、得もしない。
そこにどんなに面白いコンテンツがあったとしても、なかったとしても構わない。
自分が楽しめる状態の時に、楽しむものとして、楽しめる範囲で見ればいい。

きっと、そうなんです。

でも気をつけないといけません。
油断するとあっという間に「見なければいけない」という強迫観念にまた堕ちてしまいます。それは現代社会が私たちに仕掛けているのようなもの。
(この「罠」についても、また記事で書きたいと思います)

というわけで、BDレコーダーから心を解き放ち、また一つ気持ちを楽にして日々を生きていきたいと思います。

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
タグ:テレビ
posted by 霧島もとみ at 2017年02月14日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年02月05日

マギ 32巻 大高 忍 (※ネタバレ)

おめでとう。

もう一度、最初に言わせてください。
おめでとう。

32巻はですね、色々と書きたいことはあるんですよ。
成長したアラジンの魔法の凄まじさ(完全にチート級)、白龍やモルジアナの強さ、シンドバッドの心が追い詰められていく描写、見どころの多い巻なんです。

そんな中でも際立つのは、そう、アリババがモルジアナに求婚する話です。

ちょっと驚いたんですよね。大分前に、アリババがモルジアナに告白するという話がありましたが、その時は「モルジアナに告白を受け入れられたと勘違いして大いに浮かれまくったアリババがその間違いに気付いて人間不信に陥る」という半ばギャグみたいな回でした。
その後は、アリババのモルジアナに対する気持ちがどうなったみたいな具体的な話は無かったですし、アリババが死ぬとかアラジンがいなくなるとか、まあ物語が大変なことになっていましたので、すっかり私もそのことを忘れていました。

だからモルジアナと再会したシーンでも、「あ!モルジアナだ!」ぐらいの感想しか私は持ちませんでした。それよりも白龍との再会の方が印象的でしたので、すぐにモルジアナのことは正直忘れてしまいました。

おめでとう、アリババとモルジアナ!


そんなアリババとモルジアナの関係が急展開したのは、再会を祝して4人で宴席を囲んでいるときでした。
「素面のうちに言いたいことがあるんだから!」
とアリババはアラジンとの話を切り、「モルジアナ!」と声をかけます。
ここから急展開だったんですよね。

自分の話を始めたアリババは、その中で「家族」についての考えを持ち出したことを触れます。
そして「俺も年を取った後、家族が欲しいなって思った時に・・・」

「真っ先に思い浮かんだのが・・・モルジアナだったんだ」

続けてモルジアナに対する想いを話した後、ついにアリババは「俺と結婚してくれよ。」と、静かな、それでいて強い眼差しでモルジアナに気持ちを伝えました。

ど、どうするんだモルジアナ。

ちょっと白龍といい感じにも見えたけど(数年一緒にいた間に、何か気持ちが変わったかもしれないし・・・!!)。どんな言葉をアリババに返すんだろうか。

急に、ページを捲る手が止まりました。
こんなにページを捲るのに緊張したのは初めてです。

「暗黒大陸へ渡り・・・」
と話し始めたモルジアナ。「私も自分を、知りました」
うつむき加減だった顔をあげ、アリババに真っ直ぐに向き合ったその目は、力強い光を浮かべていました。
モルジアナはどこか挑戦的な笑顔で、
「ファナリスの女は自分に二度、死ぬよりも悲しい思いをさせた男を、許さないそうですが?」
と言葉を続けます。
アリババが「二度と死なねーよ!」と返します。

そして、次のモルジアナの言葉が。

「大丈夫、私が死なせません。
夫婦になりましょう」


おめでとう!
アリババ、モルジアナ!

2人の長い旅が一つの終着点に辿り着いたかと思うと、急に涙がこみ上げてきました。
よかったねアリババ。散々モテないキャラとしていじられてきたけど、真剣な想いが、真剣な愛情によって結ばれ、最高の物語を手にしたことで見事に収まった感じです。

それにしてもモルジアナの返事が凄い。
いかにもファナリスらしいと言えばそうですが、こんなに力強いプロポーズへの返事を私は今までに見たことがありません。

「大丈夫、私が死なせません。」

この一言に、アリババを一度失ったモルジアナの悲痛な過去、鍛え上げた強さへの自身、二度と離れないという決意、色んな感情が秘められている気がしました。

そういえばアリババが一度死んだ時には、モルジアナは暗黒大陸を目指してアリババとは離れていたんですよね。暗黒大陸から戻ったらアリババが死んでいた。その時にはきっとモルジアナは、離れていて何も出来なかった自分自身に果てしない悔しさを感じて苦しんだに違いないんですよね。

それがモルジアナの一度目の「死ぬよりも悲しい思い」だったのでしょう。

そして「二度も悲しい思いをしたくない」ではなく、「二度目の悲しい思いなんて、私がさせない」という強い決意を持ったモルジアナ。心の強さと、アリババへの思いの強さと、その両方があって初めて出てくる言葉なんだと思います。

この間、ページ数にしてたったの8ページ。
こんな短いページ数に、2人のこれまでの物語と想いとが凝縮され、読者の手へ届けられたことはもう奇跡ですよ。

さすがはマギ、さすがは大高先生です。

ああ、このシーンだけで、32巻はもう最高!な体験でした。

一応、シンドバッドについて・・・


シンドバッドが追い詰められていきます。
頼みのアルバはアラジン達に敗れ、どうやら商売の方も少しずつ他の勢力に押されている感じも出てきている様子。再会したアラジンは何だか甘い事を話し出して、ついに「誰も、何も分かっていない」というような考えを持つに至ります。

表情は笑っていますが、どこかその笑いは薄っぺらく、「このままではいけない」という焦燥感に駆られているようにも見えてしまいます。

さらに32巻の最終話では、煌帝国が同盟からの離脱を表明し、これまでずっと自分を憎んでいた紅玉から「今の平和はあなたのおかげです。ありがとう」という言葉を投げかけられます。
それは単純な感謝の言葉ではないでしょう。
シンドバッドから離れ、一人の独立した人間として向かい合うことが出来たからこそ言えた言葉です。

だからこそシンドバッドはこう考えたはずです。

「紅玉までも、俺の理想から離れて、間違った道を進もうというのか」

世界が自分の手から一つずつ離れようとしている。
その離れていった先には、また過去と同じような悲劇が待ち構えている・・・。そんな考えから抜けることができないシンドバットは、これでまた、相当に精神的に追い詰めれていくはずです。

さて、次の展開は?


最終章の導入部が終わり、いよいよ物語が動き出しそうな雰囲気が満ち満ちています。

追い詰められたシンドバッドがどう動くのか。
無敵の強さを見せつけるアラジンはこれからどうするのか。アリババは?白龍は?
一向に姿を見せないジュダルは何をしているのか。

アルバはダビデに頼って何をしようとしているのか。

それらの答えは33巻に示される・・・!!?
ということを楽しみに、発売を待ちたいと思います。

最後にもう一度。

おめでとう!!
(何だかエヴァの最終回みたい)

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
タグ:マギ
posted by 霧島もとみ at 2017年02月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年01月31日

もし、一流の営業マンが陸上部の監督になったらをリアルでやったら的な・・・「逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です」 原 晋

タイトルが長くなってしまいました。

今をときめく青山学院大学陸上部原監督の本です。
恥ずかしながら今年の箱根駅伝をテレビで見たそのままの勢いで買ってしまいました。いわゆるミーハーです。

本の内容は、原監督の現在までの半生を振り返りながら、それぞれのポジションでどのようなことを考え、努力してきたかを書いたものです。読者はその追体験をしていくという感じで読み進めていくことができます。
実は、青山学院大学での指導に関する記載はそれほど多くはありません。
「指導方法の中身を知りたい!」という人にはひょっとすると物足りないかもしれません。

でも原監督の人となりというか、物事の捉え方・考え方を知りたいという人には、断然この本をおすすめできます。
例えばこんなエッセンスが紹介されています。

・情熱を持って商品に接し、理解し、それを顧客に直接伝える。
・売り手側の物の見方で接するのではなく、顧客の立場に立って考える。
・力を発揮するためには、人を作るのではなく、チームを作る。その過程で一人一人の向上を図っていく。


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さて、タイトルにもある「逆転のメソッド」とは何でしょうか?
原監督は本書の中で「これまでの人生で何度も逆転して這い上がってきた」と語ります。
その秘訣といいますか、本質的な結論は、次のように書かれていました。

”第一にあきらめないこと、そして第二に悔しいと思える自分を持つことだ。”

なんてシンプル!!
これが本質である・・・つまり、これを持たなければ逆転なんて出来ないというのが筆者の考えです。

私はこれを、
・悔しいと思う気持ちは窮地から這い上がるための原動力になる。
・あきらめないことは、必ず這い上がるという継続の決意になる。

と受け取りました。これらが両輪となり、やがて逆転という現象を起こすのだと。

どちらも今の自分には欠けている点かもしれない、と思いました。
悔しい時はむしろ「悲しい」という感情で過ごし、あきらめないというよりも「もう駄目かもしれない」という投げ出してしまう精神状態に傾きがちではないかと。

「悲しい」ではない。
「悔しい!」と考えるんだ。そして這い上がる決意にするんだ!

そんなメッセージを私は受け取りました。
「伝説の営業マン」が語ることですから、私のような者がどこまで実践できるかは不透明ですが、心のストックとして残しておくことにします。

今流行りの原監督の著書、なかなか面白い本でした。

2017年01月09日

スマホ買い換え!iPhone7とGalaxy S7 Edgeとを約2ヶ月間ほど迷い倒した僕の結論は「iPhone7」

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最近、スマホを買い換えました。
Xperia Z3(ソフトバンク)からiPhone7(docomo)に変えた訳なんですが、これでもかというくらい悩み抜きました。

ウェブの記事や、YouTubeでのレビューを見ればみるほど悩みが深まり、
「どっちを買うたらええんや〜〜!!」
と夜空に叫びたくなるような日々を過ごしました。

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その時の考えの記録として、また、ひょっとしたら同じ悩みを持つ誰かの参考になるかもしれないと思い、その記録を書いておきます。
※なお評価の基準は全て僕目線での基準ですので、参考になるかならないかは全く保証できません。

悩んだのは、ズバリiPhone7とGalaxy S7 Edgeのどちらに機種変更するか!です。
それでは書いていきます。

Galaxy S7 edgeを選ぶことのメリット

 まず整理しました。
・今のスマホがAndroidなので違和感なく使える。
・以前にGalaxyシリーズを使ったことがあるので抵抗がない。
・液晶が有機ディスプレイで綺麗
 これは個人差がありますが発色の存在感が液晶よりも強く、綺麗に見えます。コントラストが強いんでしょうかね。
・Edyが使える
 iphoneはEdyが使えません。コレ便利なんですよね。Edyは近所のスーパーでも使えます。財布なしで買い物できる楽さ、小銭を出し入れする煩わしさの無さは、一度使うともう手放せません。ApplePayは使える店も増えてきましたが、まだまだ。

これらは十分なメリットでしたが、僕が最大のメリットとして考えていたのは次の点です。

・GearVRが付いてくる!+安い
コレですよ。
2016年は「VR元年」と言われてもう久しく、既に2017年になってしまいましたが、「VR」なんてものは僕には全く関係ないと思っていました。
普通のゲームで飽き足らない人向けのコアなコンテンツだと考えていたのです。

それがイベントで偶然体験してみたら、このGearVR+Galaxy7edgeのセット、予想を覆すクオリティの高さでした。圧倒的な没入感!映画館で初めて「アバター」を見たときのような衝撃を感じました。

なんだこの異世界は!という衝撃です。
目の前に広がる立体空間。頭を動かすとそれに追随して変わる眼の前の世界。空を見上げることも、高いところから下を覗き込むことも、まるで自分がそこに座っているかのような感覚で実現できてしまうんです。

しかもその時に行われていたキャンペーンが「docomoに乗り換えてGalaxy7edge」を買うと、無料でGearVRが付いてくる」というもの!!
さらに他の機種に比べて値段が数万円値引きされていたんです。タイムリー過ぎます。
もう半分以上「買いだろコレ」という気持ちになっていました。この時はね。

iphone7を選ぶことのメリット


正直ほぼ気持ちの中ではGalaxy7edgeに決めかけていましたが、店頭に行くとどうしても気になってしまいました。
でもまあ、そこまでは正直揺れていなかったんですよね。

この記事を見るまでは。

Androidでツムツムをやるとカクカク処理落ち!iPhoneの方がオススメ?
この記事にショックを受けました。でももし読んでいなければ、後できっと後悔したと思います。ありがとうございました・・・。




ツムツムは僕がスマホで熱を入れて遊んでいる唯一つのゲームです。
そして今までAndroidスマホでだけ遊んできました。正直、カクカクというか、ツムが落ちてくるのが遅い!と感じたり、ツムが消えるのが遅い!と感じることが多々ありました。でも、ゲーム自体がそういうものかと思っていたんですよ。
ところが、それはAndroid特有の症状だとこの記事は言うのです。嘘だろ・・・?と思いながら、持っていたipad mini4にツムツムをインストールして試してみました。

そうしたら、驚くほどの早さ。唖然としました。
スピードだけの問題だけではありません。早さもさることながら、一つ一つの処理の早さが組み上げるゲームバランス、それに対応しなければという焦らされる気持ち。体感的には全く別のゲームというくらいの違いでした。

これまでツムツムに費やしてきた時間は何だったんだという喪失感が全身を包みましたね。そしてこの事実は、「これからAndroidを使うんだったら、ツムツムの本当の魅力は味わえませんぜ」という厳しい現実を僕に宣告したのです。

そして一つの大きなメリットがここに出現しました。

・本来のツムツムが楽しめる

いや、まあ、他にもあるんですよ、iPhoneを選ぶことのメリットは。
例えば他のMac機器の連携とか。

実はApple製品も幾つか持っていまして、
・MacBook Air
・iPad mini4
・iPod shuffle
・iPhone 3gs
・iPod Classic(第3世代)
・ついでに、Bose Sound Air
ちなみに音源はitunesで管理しています。

改めて数えてみると何だか完全にAppleユーザーですが、不思議とiPhoneに執着は無かったんですよ。なぜなら使っていたXperia Z3がとても良かったから。
不満といえばゲームやカメラを使っているときの「熱さ」と、ツムツムをやっているときの目に見えて早いバッテリーの消耗くらいで、それ以外の通常の使用では全く問題はありませんでした。

スマホで撮影した写真データをMacBookに移動するのが少し手間がかかるという事はありましたが、そこまで頻度がある訳ではなく、全然許容範囲でした。
だから「iphone7が防水になった」と聞いても「ようやくAndroid並になったか」程度にしか思っていませんでした。

しかしこのツムツム問題は衝撃をもってiPhoneの地位を急激に押し上げることとなったのです(あくまで僕の中で)。
※ついでに書くと「モンスト」でもiPhoneの方がグラフィックが綺麗です。当たると敵がブルブルと細かく震えるとかの違いがあり、驚きました。

・迷える日々

それからはひたすら迷い続けました。
AndroidかiPhoneか。
ということもありましたが、主には、
GearVRかツムツムか。

そうして辿り着いた結論は、
「GearVRはせいぜい遊んで一日に数分から数十分。それも家で一人の時しか出来ない。でもツムツムはほぼ毎日やっているし、外出先でも遊んでいる」
「優先するべきはツムツム」
という事でした。

そうして僕はiPhone7を買いました。

実際にiPhone7を使ってみると


すごく良いです。これは正直驚きました。
主な購入動機となったツムツムの動きは勿論ですが、実際に使ってみると「感覚的に良いと感じる」事がとても多いことに気づきました。

・サイズが丁度良い。軽い。
 いつでも持ち運んでいたい気にさせます。
・指紋認証が一瞬。
 ほぼボタンを押す(厳密には押していませんが・・・)だけで携帯がセキュリティ保護されたうえで起動する感覚は凄いとしか言いようが無いと思いました。
・全然熱くなることがない。
・カメラが綺麗、早い。
・Apple製品との連携はやっぱり便利。気持ちいい。

ホーム画面の構成はAndroidがやっぱりいいなと思います。日本語入力もちょっと使いにくい。
が、それを超える優位性を感じました。

あれこれ悩んだけど、次にスマホを変えるとしてもまたiPhoneでいいかな。
なんて清々しい気持ちで考える瞬間が確かにありました。
結果、iPhone7に大満足しています。

いやあ、考え抜いて良かった!
ということでこの記事は終わります。

でも何だかんだいって、この悩んでる時っていうのが、後から考えるときっと楽しい時間なんでしょうね!
posted by 霧島もとみ at 2017年01月09日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年01月05日

「雑談は人を楽しませるためにある」と気づかせてくれた本。 雑談力 ストーリーで人を楽しませる 百田尚樹

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雑談に関する本は書店でもAmazonでも多く見かけます。

試しにAmazonで「雑談力」と入力してみたところ、検索結果は259件でした。ちなみに「会話術」では975件、まあ似たようなものですから、合わせ技で約1,000件といったところでしょうか。
とりあえず多いということでお願いします。

そのような中でこの本が目に止まったのは「雑談力」という見慣れたキーワードではなく、ずばり筆者の名前、「百田尚樹」です。

百田さん、本の面白さは勿論ですが、テレビのトーク番組で見たときの話し方が実に面白いのです。
あの面白さはどのようにして作り出されているのだろう?という興味が自然と湧いてきて、ページをペラペラと捲ったあと、すぐに購入してしまいました。

どんな本だった?


「雑談力」というタイトルから連想されるようなノウハウ本ではありませんでした。
しかし百田氏の会話術の根本的な考えは明確に示されています。これが本の5%割程のボリュームで、残りの95%程はその説明として書かれている「雑談ネタ」です。

だからさらさらっと読めてしまいます。さらさらっと読むだけでも「雑談ネタ」の構成が素晴らしいので楽しく読めるのですが、それではこの本の価値には到達できません。

文章中に書かれている「百田流エッセンス」を拾い集め、解釈し、理解し、実践していく。
これこそがこの本の価値です。
書中にある
話が一番上手くなる方法は、経験を積むこと

の小見出しのとおり(その裏付けとなる氏の理論は勿論書かれています)、本を読んだだけではダメで、会話・雑談が生物である以上、経験を積んで実践のなかで技術を身に付けていくしか無いというのが筆者の考えです。

これは良く分かります。
文章やブログならともかく、人間を相手に行う「雑談」では、どうしてもその瞬間の構成力というか、リアルタイムで引き出すことができる技術を自分の中に持っていないと力は発揮できません。
経験や、反復練習で「技術」として身につける類のものです。

だから筆者は、経験を積んで身につけることが一番だということを説明したうえで、それを行うために必要だと考えたエッセンスを紹介し、また、それを理解しやすくするための雑談ネタを書いています。決してページ数を稼ぐためにネタを投入しているのではありません。

そういう前提で読むことでこの本はぐっと味を増してきます。

読むことで得られたもの


色々とありますが、私が一番強い印象を受けたのは、
でも、一番大切なことは、テクニックではありません。それは「人を楽しませたい」という気持ちです。この気持ちがなければ、面白い話なんてできません。いや、それ以前に、面白い話をすることの動機そのものが生まれないでしょう。

の箇所です。

当たり前のような話ですが、しかし、私の頭の中からこのことは綺麗サッパリ抜け落ちていました。
ここを読んだ時には、ズドンと胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えました。

私は「雑談力」という本を買うくらいですから、決して話が上手ではありません。
仕事上やプライベートでの話は「伝えなければならないこと」は論理立てて説明出来るのですが(自分ではそのつもりですが)、それ以外のどうでもいい話や、単純に面白い話などは、本当に苦手です。
酒の席でもそうですね。
自分では話を展開して盛り上げる事ができないので、他の人に話をしてもらい、質問やツッコミを入れることでその話を盛り上げるという役に徹することにしています。

振り返れば、どうしても自分が話をしようとする時には、
「自分の話を面白いと思ってもらいたい」
「自分を面白い奴だと思ってもらいたい」
という意識があったような気がします。

これでは視点が常に自分を向いていますから、自然と話の構成も自分にしか分からない(話を知っている人にしか分からない)ものになり、他の人には面白くないものになってしまいます。

しかし、あくまで雑談、会話をする目的が「相手を楽しませる」「相手に楽しんでもらいたい」という点にあれば、今度はその視点は相手を向くことになります。
そうなれば、自然と「どうやったら話を面白く理解してもらえるか」ということを考えるようになり、話を面白くする方向に動いていくようになるのではないか?
そんな気付きを得る事ができました。

読みやすい本ですから、何回も読み直しつつ、誰かと話をするときには「人を楽しませたい」という気持ちを常に持つようにこれからは意識したいと思います。

そんな気付きをくれた良本でした。

よし、雑談で人を楽しませよう!


posted by 霧島もとみ at 2017年01月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2017年01月02日

マギ 31巻 大高 忍 (※ネタバレ)

迂闊でした。

世間ではとっくに31巻が発売されていた・・・そのことに気が付きませんでした。
発売日を調べてみると11月18日。
既に一ヶ月以上が過ぎてしまっているこの体たらく。何ということだ!

あれだけ楽しみにしていた単行本の発売日を忘れるなんて・・・まるで「仕事に没頭するあまり家庭を全く顧みず、妻は子供を連れて家を出て、気が付けば一人ぼっちになっていた哀愁サラリーマン」みたいじゃないかと、呆然としてしまいました。
世間で言われているワークライフバランスは一体どこへ行ってしまったんだ。

ごめんよマギ。
僕は、本当に大切なものが何だったかを見失ってしまっていた。
きっとルフも濁っていただろう。でもきっと今からでも遅くない、本来の運命の流れに帰るんだ。
ピィピィ、ピィ・・・(ルフの囁き)

すみません。脱線してしまいました。
発売日を見逃していたことに、とにかく大きなショックを受けていたということを言いたかっただけなのです。そしてそんな自分にちょっとひたってしまった、そんな訳です。

ここ数ヶ月の人生の過ごし方に悲哀の涙をわずかに滲ませながら、ページを捲りました。
マギ31巻は、煌商会のメンバーとして活動するアリババが、レーム帝国でティトスやムーと再開を果たしたところから始まります。


商談を進めろ!アリババ。そしてシンドバッドからの挑戦状。


これまで順調に転送魔法陣設置の同意を得てきたアリババ。
レーム帝国でも話はトントン拍子に進みます。
ここでは
・レーム帝国は国際同盟に参加していない。生き方を条約に縛られず、自分たちの意思で国を作っていくため。
・アリババに関しての話を聞く
・トトとオルバに子供ができていた→アリババが落ち込むとお決まりのパターン
といった要素を抑えておきたいと思います。

あと、「ネルヴァの反乱」のくだりが気になります。今のところ大きなインパクトは無いのですが、その動機が不明なままで、違和感が残っています。ムーとティトスの
「おだてられやすいボンボンといった感じの男なんだが・・・」
「誰かに焚き付けられたのかなぁ?」
という会話は、後々の伏線でしょう。今までも全然目立っていなかった男なので、どれくらいインパクトがあるのかは分かりませんが・・・。確か、魔装もできなかったはず・・・。

さてその後、商談をまとめたアリババはパルテビア帝国へ向かい、シンドバッドと再会します。シンドバットに仲介を頼み、紹介されたのはパルテビアの皇帝。ここでもトントン拍子に話が進みます。そのことに一抹の違和感を感じながらも、アリババは煌帝国に戻り、皆と喜びを分かち合うのでした。

しかしそれも束の間。転送魔法陣の設置に同意してくれていた全ての国から「許可できない」と一気に手のひらを返されてしまった煌帝国。それでも諦めないアリババは頼みのシンドバッドを訪れますが、そこで待っていたのはシンドバッドからの手痛い反撃の言葉でした。

「アリババ君、それは変だ。なぜなら、君が言ったのではなかったか?俺が他国のやり方に、口を出すべきではない、と・・・」

「それに、『商会』が他の『商会』に助けを求めるとは、どういう了見だ?」

30巻でシンドバットを手玉に取ったかのように言いくるめていたアリババでしたが、今となってはそれは手のひらの上で踊らされていただけのような印象にさえ見えてしまいました。
それほどの、シンドバッドからの痛烈な反撃を受け、完全に沈黙してしまうアリババ。

空気がシビれます。
でもそれでもアリババは諦めない。
第303夜の最後はアリババの立ち絵1枚でビシッと締め、これからの勝負に明るい気持ちで立ち向かっていくアリババが描かれて終わります。

さあ、新世界の「煌商会」編の導入部はこれでとりあえず終わりました。
シンドバッドが作り上げた新世界の仕組みを、アリババと煌帝国の奮闘を通じてひととおり説明を終えたという感じの印象でした。

シンドバッドがアリババに対して「王族の血を簡単に捨てられることが理解しがたい」「私はかつて喉から手が出るほど欲しかった」という台詞を言ったことがちょっと喉に引っかかりましたが。今のところ本来のエピソードとは関係ないような台詞ですが、後から効いてくるんでしょうね。
いつも余裕しゃくしゃくのシンドバッドからこんな台詞が出てきたことには静かな驚きを感じました。


アラジン再登場、明らかになるシンドバッドの狙い


ここからは、アラジン、モルジアナ、白龍の再登場によって一気に話が加速します。
(青年になったアラジンはソロモン王に似てめっちゃ格好良いです・・・)
正直なところ後半部分は内容が濃すぎて、レビューを書こうとすると、結局全ての話を書いてしまうことになり、それなら単行本を読んでもらったほうが早いという何だか良く分からない話になってしまいそうです。

話は面白いのですが、ブログ記事を書くのには辛い。

そこで!
ここでは思い切って、明らかになった「シンドバッドの狙い」に絞って感想を書いていきたいと思います。

第305夜「交わらない意思」で、シンドバッドが30巻で言っていた「聖宮の力が必要」という言葉の意味が遂に明かされました。
シンドバッドは、アラジンとの討論(?)の中でこう言います。

「ルフシステムの根本を書き換えるんだ!」


そう言い放つシンドバッドの表情はとても明るい。うきうき、わくわく、そんな印象さえ受ける表情です。
シンドバッドはルフシステムを書き換えることで、「自分が良いと思っていることを皆に良いと思わせて、そのとおりに行動させる世界を作り出す」ことを達成しようとしていることをこのあと話すのですが、心の底からそれが「良いことだ!」と心の底から考えているといった様子なのです。

なるほど、こう来たか・・・と思いました。
これが実現すると、ルフ、つまり「運命」に関する定義が、

1.イル・イラーが作り出した流れに沿うという単純なもの
  ↓↓↓ 
2.ソロモン王が考えた「皆が自分の意思で生き方を選べる」という世界
  ↓↓↓
3.シンドバッドが考えた「俺が良いと考えたことだけが全て」という世界


へと変わることになる訳ですね。
こうすれば世界から争いが無くなる、というのが今のところのシンドバッドの言い分な訳です。

ん?これって、まあ一つの立派な考えかもしれませんが、つまりは「お前らはつまらん考えで争いばっかりする奴らで結局は不幸を作るだけなんだ」「俺の言うことだけを聞けばいい。というかそれしか考えられないようにルフを書き換えて、存在そのものを作り変えてやる」という、超乱暴な話じゃないですかね。

早い話が最初のイル・イラーに自分がとって変わるだけのような気もします。

こんな展開が最終章でいいの?と正直なところ思いました。
もっと深い、恐ろしい話を織りなしてくれるに違いない、そんな期待を抱いていた自分としては、僅かだけですが拍子抜けした感じです。

ちょっとスプリガン(たかしげ宙)の「バベルの塔」のエピソードに似てますよね。
スプリガンでは、世界に絶望した魔道士がオーパーツである「バベルの塔」を使い、全世界を「オレ様教」という一つの宗教に統一することで世界を平和にしようと企んだ、というものでした。
「聖宮=バベルの塔」という視点で見てみると、物語の構造としてはよく似ています。
悪役の格好良さは全く異なりますが・・・。

この「バベルの塔」では、まあ、主人公たちに結局は魔道士が倒されてしまい、目的は達成されませんでしたが、マギではどうなるんでしょうかね。。。

そして単純に「皆のルフを書き換えて終わり」「それを阻止して終わり」という単純な話になるのでしょうか。
いや。
そんな訳はない。
なぜならマギだから。

きっと皆の想像を裏切る、超える展開を持ってくることを作者は考えているはずです。
まだまだ伏線もいっぱい残っていますしね。

そして32巻へ


31巻の最終話では、アルバとユナンが戦います。その目的は、アルバが暗黒大陸にいるアラジンを倒すこと。この戦いの向こうにはアラジンが見えている訳です。

2人のマギ同士は魔法全開で戦います。
30巻で「これからは金属器や魔法の戦いは見られない」とうそぶいた自分の考えは全く浅はかでした。
戦いの決着はまだ着かず、さあ、32巻は一体どうなっていくのでしょうか!?

という事で、久し振りにブログの記事を書いた訳ですが、何だかまとまりのない長い文書になってしまいました。やれやれ。
すっかり勘が鈍ってしまったようです。時間も相当かかってしまったし。。。

ワークライフバランスを考えないといけませんね、本当に。。。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by 霧島もとみ at 2017年01月02日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2016年11月23日

花を咲かせたいと思った時にきっと読むといい本「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」ジム・コリンズ

ビジネス書の中でもかなり有名な本ではないでしょうか。
実は1年以上前にAmazonで「面白そうだ」と興味本位で買ってはみたものの、届いた本を本棚に置いた時点で何か満足してしまい、それからは積ん読の見本のような存在になっていました。

こうなってしまうと「さあ、読もう!」という気持ちにはなりにくいのですが、思わぬことから急に読む気になりました。

それは、
「サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」
を読んでいるときに、その中で
最後に大事なことを記しておく。私はすべての友人に、生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば、ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー2』を読むべきだと言っている。素晴らしい企業を経営することについて、私の知っているほかのどの本よりも多くを教えてくれる。

と書かれていたからです。

「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、私にとって非常に多くの気付きを与えてくれる本でした。その筆者が「生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば」という前置きまで付けて勧める本とは、一体どれくらい素晴らしい本なのだろう?
これは読まなければという衝動に駆られ、早速Amazonで検索・・・をしようとしたのですが、本の名前がどこか記憶に引っかかりました。
しばらくして「1年以上前に買っていた本だったんじゃないか?」ということを思い出した、という訳です。
こういう事ってあるんですね。

この本「ビジョナリー・カンパニー2」がどれほど素晴らしい本なのかは、先程の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」からの引用文が全てを語っているところですが、自分で整理を行うための作業として、自分なりの書評を以下に書くことにします。

どんな本だった?


経営関係の本では時々、「私はこうやって成功した!!」という全く個人的な経験に基づく方法論だったり精神論を書いた本を見かけます。
著者個人に興味がある場合はそれでも面白いですが、正直あまり参考にならない事が多いです。

この本は「調査で得られたデータから法則を見つけ出す」というアプローチで科学的に書かれています。
ここが大きな特徴です。
成功者や学者の個人的な経験や見識を根拠として書かれたものではありません。あくまで科学的な見地、つまりデータと分析によって書かれたものですから、「普遍的に共通する法則である可能性が高い」という期待を持って読むことができます。

次に、本の構成が素晴らしい。
調査によって導き出された法則を順序立てて説明していくのは勿論のこと、それらを「読み手に分かりやすいように」「理解してもらいやすいように」工夫して書かれています。法則をビジュアル化した図がとても分かりやすいと感じました。
”飛躍の法則”には幾つかの段階があり、一つ一つのステップがやがて大きな動きとなってその企業を「偉大な企業」へと変貌させていくという理論なのですが、章の冒頭にかかれている図の中で「今ここを説明している」ということがとても明確に分かります。

読むことで得られたもの


企業の経営について分析された本ですので、会社経営者でもなく、投資家でもない私が読んでも「これはすぐにでも使える」という内容は正直ありませんでした。

それならそもそも読まなくてもいいじゃないか・・・という自分自身の心の声も聴こえてきましたが、だからといって「知らなくていい」という事はないと思います。

今の社会を支えているのは国や自治体といった行政は勿論のこと、世の中に数多ある民間企業であることは疑いの余地がありません。
むしろ社会資本整備がある程度整ってきた今の日本では、直接的な恩恵を感じるのは主に民間企業のサービスによるところが大きいのではないでしょうか。

企業は今後も無くてはならない存在で、これからも色々な形で関わっていく訳ですから、企業経営についての分析結果を知ることは意味があるはずです。
また、企業経営に限らなくても、対象とする問題を自分の周りの環境や、個人的な目的の達成に置き換えた場合には、活用の方法がありそうです。

しかし、本書で2番目のエッセンスとして挙げられている「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」という内容には少し苦味を覚えました。
参考になったというよりも、少し重荷を背負わされたというような表現が近い感覚でした。

0から物事を始める時には適用できそうですが、既に走り出しているバスから「降りろ」ということが難しい場合にはすぐには適用は難しそうです。
”偉大な企業”を目指すのでなければ、ただちに「降りろ」という必要はないということになるのでしょうけれども・・・

巻末のQ&Aにはこの問いに対して”達成までに時間をかける。”と応えられています。
これは、相当大変だなあという印象を持ちました。
ひょっとしたらこの事が、読むことで得られたことの中で一番大きなことかもしれません。

こんな時にまた読みたい


自分自身が「何かをやり遂げたい」という強い思いを抱いたとき、それを達成するためのヒントが込められているというのが、今の時点でのこの本の感想です。

だから、「何かをやり遂げたい」という思いを強く持ったとき、またこの本を開きたいと思いました。
この本を読み込んで細部までを理解するときは、まだ来ていないというのが、今の判断です。
また少しの間、本棚で休んでおいてもらおうと思います。

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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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