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2015年10月11日

補足1:訳者あとがき

この本は李剛・何景方著『川島芳子生死之謎掲秘』(吉林文史出版、二〇一〇年)の翻訳である。すでに中国では二〇〇八年に『川島芳子生死之謎新証』が同じ著者により出版されているが、これは調査途中で書かれたもので史料が不完全であったためこれを全面的に書き直し増補したものが本書の原書に当たる。

この本の出版前の二〇〇九年末には研究に一波乱が起こった。長春市共産党委員会に属する長春市地方志編纂委員会の孫某が川島芳子生存説を歴史捏造とする文章をネット上に発表したのである。この孫某は二〇〇八年七月から証言者や研究者にこれ以上の報道や研究を止めるようにと圧力をかけて回っていた。私もこの孫某から圧力と脅迫を受けたが、この男の言い分は次のようなものであった。このまま川島芳子が共産党統治下で生存していたという歴史が定着すれば、どうして漢奸にして日本のスパイが共産党統治下の長春で生存できたのかという問題を呼び起こし、そのことは共産党にとって都合が悪いのでなんとか川島芳子生存説を取り消したいというものであった。つまり政治的理由から川島芳子生存説を隠蔽することを目的とした文章を発表するから、それに協力せよというのであった。

もちろん私はこのような隠蔽工作に協力する事を拒否したのであるが、そうすると今度は孫某から「江青日記事件」のようにして潰してやるぞと脅迫を受けた。「江青日記事件」とは毛沢東の愛人で文化大革命時に権力をほしいままにした江青の日記がアメリカの新聞社の手に持ち込まれた事件である。アメリカの新聞社は手に入れた江青日記が鑑定の結果筆跡も指紋も一致したことから本物の文章であると発表したが、これに対し中国国家安全局はなんと日本人女性スパイに誘惑された中国人技師が筆跡と指紋も含めて偽造してアメリカの新聞社に売った偽物であると発表したのである。もちろん中国国家安全局のいうようなスパイ小説のような話が実際にあるわけはなく、国内向けに官僚の責任逃れにでっち上げられた言い訳であった。孫某が「江青日記事件」のようにするぞというのは、当局が今回の件を歴史捏造事件であると発表して川島芳子生存説を否定するぞと脅してきたのである。

さらに台湾では二〇〇九年末に「川島芳子生存説はデマである」との報道がなされた。これについても報道で根拠とされた新発見の文書というものは実際には新発見でもなんでもなく、本書でふれられている通り処刑間もなく起こった川島芳子生存の噂を打ち消すために国民党政府が公表した文章であり、すでに当時の新聞などでも報道されたものであった。それを七十年後の今になって新発見であるかのように再びニュースとして取り上げるというのは政治的な隠蔽工作としか言いようがない。

川島芳子生存説の報道を巡ってはそのごく初期から何度か新聞社に脅迫電話が掛かってきたこともあり、どこの勢力かは不明だが何かしら隠蔽しようとする力が働いていることは疑いようがない。これらからすると、川島芳子の生死の謎は今なお政治的要素と切り離すことができない話題のようだ。二〇〇九年十月に長春市地方志編纂委員会の孫某がネット上に出した論文は極めて幼稚な捏造文書で、市共産党委員会宣伝部からも公式な発表を認められず、省政府地方志委員会からも批判され、あげくには長春市南関区人民法院に起訴されるというとんでもないものであったが、日本の一部の否定論者がこの文書を宣伝しているようなので、簡単にこの長春市地方志編纂委員会の文書に反論しておこうと思う。

当初、長春市地方志編纂委員会の孫某は証言者たちのところに出向いて証言を撤回し否定するように圧力をかけたが、その誘いに乗るものはほとんどいなかった。そこで、病気で半年前より既に会話能力をほとんど失っている陳良が証言を翻したとの言説をでっち上げた。陳良の元には民間調査団が二〇〇七年に訪れただけでなく、二〇〇八年末に新文化報、長春テレビ、吉林テレビ、テレビ朝日も取材しており、複数の証言記録が残されている。それにもかかわらず陳良が今になって証言を覆したと言う孫某の主張は全く受け入れ難いものである。

陳良が方おばあさんは段連祥の妻である庄桂賢と同一人物であるとの証言をしたという孫某の主張は全くの捏造である。実際には陳良は庄桂賢との面識は全くなかった。しかし、陳良は方おばあさんを段連祥の妻だと認識していた。そこで、孫某は方おばあさんは段連祥の妻であることは間違いないかと質問した。このような最初から計画された誘導尋問にすでに病気でほとんど会話能力のなくなっていた陳良がうなずいたことを、彼らは陳良が方おばあさんを段連祥の妻である庄桂賢と同一人物とみなしたと故意に曲解している。

つまり孫某らの庄桂賢が方おばあさんと同一人物という主張はまったくの捏造である。庄桂賢は四平にずっと段連祥と住んでおり、夏に名前を変えて新立城に行くような習慣はなかった。これは四平の段連祥の旧住所近隣に住む老人に確かめればすぐに判明する事である。実際に民間調査団は一九六〇年代から一九九〇年まで段連祥の近隣に住んでいた石玉華など段連祥夫妻を知る老人数人に確認したが、庄桂賢が夏に家族から離れて長春郊外で暮らしていた形跡は全く認められなかった。これらの証言から庄桂賢と方おばあさんは全くの別人であり、これを同一人物とする孫某の主張は誤りである。そもそも、段連祥の正妻である庄桂賢が「方麗容」という偽名を使って毎年夏に家族と別居して生活しなければならない理由はどこにもない。

また孫某の論文や一部の否定論者は川島芳子がどうして戸籍もない方おばあさんとして共産党支配下の中国で生き延びたのかという疑問を提出するが、中国には文化大革命時代から現代に至るまで戸籍のない「黒孩子」と呼ばれる私生児が数万人存在していることや、警察の追っ手を逃れている凶悪犯も常に数百人存在していることを考えれば決して荒唐無稽な話ではなかろう。

もっとも、我々の方おばあさんの場合はややこれらとは事情が異なり、共産党の上層部が彼女を保護していたというのが真実に近いと思われる。この結論はにわかには信じがたいものかもしれないが、参考までに浙江省国清寺を管轄していた公安局に勤めていたという老人から聞いた川島芳子=方おばあさんの救出にまつわる話を参考までに書いておく。

一九四四年にアメリカから蒋介石の下に軍事顧問として送られたスティルウェル将軍と蒋介石が対立し、蒋介石はルーズベルトにスティルウェル将軍の解任を要求した。これに腹を立てたスティルウェル将軍は蒋介石暗殺を計画して蒋介石の乗る飛行機の攻撃を命令した。この蒋介石暗殺計画を事前に特務機関から知らされた日本軍支那派遣軍総参謀の松井太久郎は川島芳子を通じて蒋介石に警告し、蒋介石はあやうく難を逃れることができた。後に川島芳子は国民党内部で蒋介石と権力争いをしていた李宗仁の命令によって逮捕されたが、蒋介石は川島芳子に恩を感じていたので軍統の戴笠に救出を命じた。さらにイギリスやスウェーデン大使からも川島芳子釈放の要求があり、最終的にはスイスの介入で中国紅十字(赤十字)が身元を保証し、表向きは死刑として実は「替え玉」により密かに逃がされた。

一九四八年に国民党の支配地である煙台から長春に移り住んだ川島芳子は、ソ連の同意を得た上で国民党に見切りをつけて共産党の情報工作員となり、当初は吉林省主席となる周保中将軍の庇護下に生活した。寺尾沙穂さんが愛新覚羅・連経氏から聞いたところによれば共産党と川島芳子とは早くより連絡があり、共産党の特殊工作を指揮していた周恩来と川島芳子の連絡役を果たしていたのが胡鄂公という人物であったという。川島芳子の裁判記録には「古月山人」と名乗る人物から獄中の芳子に宛てた手紙が残されているが、その「古月山人」が胡鄂公の出した暗号文であるという。またGHQの調書には川島芳子の秘書であった小方八郎の証言として獄中にいた時に西岡大元という奉天の建国霊廟にいた僧侶を通じて共産党から接触があり共産党に投降すれば身元を保証すると持ちかけられたという話もある。実際に芳子の兄にあたる愛新覚羅・憲東は日本の敗戦と共に日本軍の武器や情報を共産党工作員に引き渡し、さらに人民解放軍の砲兵隊に参加して芳子が逮捕された時期には東北地方を転戦していた。これらの話を総合するならば川島芳子が共産党に投降して、共産党工作員となったという仮定もあながち否定できないのである。

ようするに川島芳子は方おばあさんとして共産党の上層部の黙認と人民解放軍の保護のもとに長春と国清寺を往復する生活をしたということであろう。国清寺は日本の天台宗と深い関係があり、日中国交正常化前に統一戦線工作所の一つとして機能していた。国清寺では周恩来から指示を受けた趙朴初から保護を受けていた。趙朴初は中国仏教協会の重鎮で居士協会の会長でもあり、中国紅十字(赤十字)や日中友好協会でも役職についていた人物である。

一九五〇年に朝鮮戦争が始まるとアメリカは中国への物資輸入を禁輸したため、大陸では物資が極端に不足した。そこで、マカオを経由して日本から大陸へ海上の監視をかいくぐって物資を密輸していたのが日本側の軍関係者や、それと手を結んだ香港の海運王と呼ばれ中国返還後初代の香港行政長官となった董建華の父親である董浩雲あるいは霍英東という香港の海運業者であった。川島芳子はこのルートの協力を通じて、笹川良一や日本の旧軍関係者を通じて極秘に武器や弾薬の材料を輸入して、満州に残された旧日本軍の軍需工場と技術者を使い旧日本軍から没収した武器用の弾薬などを供給した。

さらに一九六〇年代に入ると中国は原爆や水爆の開発に力を入れたが、当初中国が頼っていたソ連の技術者たちが中ソ対立で引き上げると核開発の前途に暗雲が立ち込めた。その際に日本の技術力に目を付けて、日本から核開発に必要な情報や精密機械を秘密裏に手に入れる任務を与えられた川島芳子はノーベル賞受賞物理学者の湯川秀樹との接触を図ったというのだ。

以上の話がどこまで信憑性のあるものであるかは今後の研究に待たれるが、この書の出版を機会にこの川島芳子の生死の謎という近代史のミステリーがますます明らかに解明される事を願っている。
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