時が経つのは、早いものです。
今年は、震災の影響が凄かった。
本当にあの地震がおきた3月11日、14時46分
職場にいましたが、あの瞬間はまさかここまでの地震になるとは
誰も予想しなかったでしょう。
店に暴徒が押し寄せたらどうしようなどと、笑いながらのんきに話してました。
秋田県にいた自分は、仕事も途中でやめ帰宅し
家にロウソクやら電池の備えがまったくなかった為、非常に困りました。
TVは車のカーナビで見て・・・
どんどん状況が、悪化していくのが恐怖でした。
電気なければ、出来る事って限られると実感しました。
充電も何もできない。
明かりもない。
ガスでお湯をわかすのが精いっぱい。
カップラーメン食べれるだけ幸せでした。
自分がすんでいたところは、翌日には電気が復旧したので助かりましたが
親とは3日は連絡とれませんでした。
しかし連絡取れた時には、怪我もなく無事でほっとしました。
仙台は、ありとあらゆるパイプラインが切断されて、復旧まで時間がかかり・・・
命があっただけで幸せですが、普段、何不自由ない生活が
実はとても大事だという事がわかりました。
もしあの時に何かあったら、今頃、実家にいれたかどうか・・・
今、思い返すと、仙台に帰ろうと決めたのは、何かあった場合
長男の自分は100%戻るしかないと、わかったから。
8月に、2度目の彼女との別れも非常に大きかった。
5年やって、この先、仕事のメドもたたない。
惰性で仕事を続けても、良い事はないだろうと・・・
そんな訳で、実家へ戻る事を決意した訳です。
とても大事な事ですが、今書いてて思い出しましたw
いや〜、すっかり忘れてました。
震災がなかったら、ひょっとしたら秋田に残っていたかもと思いますが
多分、彼女に振られた時点で、辞める事を決意したでしょう。
とにかく社長に対する信頼感がゼロでしたから。
この2か月の生活は反省する事は多数ですが
やっぱり仕事はやめてよかったと思います。
後は、周りの人間から見ても、そう言われるようになりたいものです。
ちなみに両親は一切何もいってきません。
結構、うるさくいってくるかと予想してましたが、まったく・・・
この腐った生活にも、今のところ口出しされてません。
なんでかと考えれば、答が出ました。
夢破れた息子に、さらにムチをふるうのは辛いのでしょう。
5年前に秋田に行くときは、「もう戻ってこない」ぐらいに意気揚揚。
恥ずかしい。
若さとは素晴らしい。
事情を知らない親戚のおばさんは「父親と喧嘩でもして、出て行った」と思ってたそうで。
傍からみるとそんな感じだった父も、定年迎えて本当に丸くなりました。
昔はよく言い争ってましたが・・・
もう今は絶対に揉めないように気をつけてます。
6か月間、仕事とかせずに何もしてないと、世間ではニートになるそうです。
2012年・・・・
ゲームだけでなく、まともな事をしたい。
そんな気持ちの今日この頃です。
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