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2014年06月19日
舞台『Requiem』@池袋 THEATER GREEN BIG TREE THEATER
★多いにネタバレがあります★
★青字は追加事項★
進戯団夢命クラシックス十周年記念公演 #16【Requiem】初日を観劇してきました!(#は「トラック」と読むらしい)
ほぼ初めて観たとも言える戦国モノ舞台。正直、日本史に関するコモンセンスが問われて怖かったです。
これ観てる人みんなわかるの・・・?と内心思いながら、必死で高校日本史の知識を手繰り寄せてました。
まず敦盛の一節すらうろ覚えだったので、後学のためにメモしておきます。事前情報ないと、聞こえた音を漢字変換するのすら容易ではなかったよ!
思へばこの世は常の住家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩薩の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
ストーリーは、織田信長の嗜虐性を前面に押し出して、敵将はもちろん明智光秀、果ては羽柴秀吉にも背中を狙われることとなり、本能寺に自ら火を放って自害するというもの。
そのなかで最も印象に残ったのは、藤吉郎もとい秀吉の「敵は本能寺にあり!」というセリフです。
一般的な歴史解釈では「敵」は明智光秀を指すのでしょうが、『Requiem』 では主君 織田信長のことなんですね。
しかしその信長様は、蘭丸を手にかけたり、お市の方を身籠らせたりとやりたい放題ではありますが、見てて痛々しいくらい終わりを求めてる。
敵将や部下らの恨みを買う行動も、すべてはその「誰か強い部下に殺してほしい、終わらせてほしい」という破滅願望を満たすためだったのかな。
第六天魔王は最後に自身をも破滅させたということで、悲しいようなすがすがしいようなラストでした。
戦国で眉目秀麗といえば森蘭丸のイメージですが、『Requiem』 においては、妖艶かつ、ちょっとこの世のものとは思えないほど美しい信長様の容姿があってこその舞台だったと思います。
その他の見どころはやはり華やかな衣装と激しい殺陣。そして(時にホモソーシャルな)登場人物の因縁関係。
惜しかった点といえば、ヒラヒラ(というかペラペラ)な信長様の大振袖(そのセンスがうつけたる所以なのか・・・?)と、信長が火・炎にこだわるの理由づけが薄かったこと。なぜそれほど炎に執着するのか、「火でなくてはならん」のか、知りたかったです。
櫓みたいな舞台装置だし、最初うっかり(八百屋お七かよ・・・)って思ってしまうなど。
最後に、「死とは子守唄」というセリフがあるんですが、ああ、なるほどここで前作『lullaby』(=子守唄)に繋がるのね、と納得しました。(時系列的には『Requiem』→『lullaby』)
あと2公演観劇し、物販で購入した『lullaby』のDVDも観ればまた感想は変わるかもしれませんが、とりあえず初日レビューでした。
2日目のマチネ&ソワレを観劇した感想を追記します。箇条書きですが。
以下、公演ウェブサイトより抜粋
★青字は追加事項★
進戯団夢命クラシックス十周年記念公演 #16【Requiem】初日を観劇してきました!(#は「トラック」と読むらしい)
ほぼ初めて観たとも言える戦国モノ舞台。正直、日本史に関するコモンセンスが問われて怖かったです。
これ観てる人みんなわかるの・・・?と内心思いながら、必死で高校日本史の知識を手繰り寄せてました。
まず敦盛の一節すらうろ覚えだったので、後学のためにメモしておきます。事前情報ないと、聞こえた音を漢字変換するのすら容易ではなかったよ!
思へばこの世は常の住家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩薩の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
ストーリーは、織田信長の嗜虐性を前面に押し出して、敵将はもちろん明智光秀、果ては羽柴秀吉にも背中を狙われることとなり、本能寺に自ら火を放って自害するというもの。
そのなかで最も印象に残ったのは、藤吉郎もとい秀吉の「敵は本能寺にあり!」というセリフです。
一般的な歴史解釈では「敵」は明智光秀を指すのでしょうが、『Requiem』 では主君 織田信長のことなんですね。
しかしその信長様は、蘭丸を手にかけたり、お市の方を身籠らせたりとやりたい放題ではありますが、見てて痛々しいくらい終わりを求めてる。
敵将や部下らの恨みを買う行動も、すべてはその「誰か強い部下に殺してほしい、終わらせてほしい」という破滅願望を満たすためだったのかな。
第六天魔王は最後に自身をも破滅させたということで、悲しいようなすがすがしいようなラストでした。
戦国で眉目秀麗といえば森蘭丸のイメージですが、『Requiem』 においては、妖艶かつ、ちょっとこの世のものとは思えないほど美しい信長様の容姿があってこその舞台だったと思います。
その他の見どころはやはり華やかな衣装と激しい殺陣。そして(時にホモソーシャルな)登場人物の因縁関係。
惜しかった点といえば、ヒラヒラ(というかペラペラ)な信長様の大振袖(そのセンスがうつけたる所以なのか・・・?)と、信長が火・炎にこだわるの理由づけが薄かったこと。なぜそれほど炎に執着するのか、「火でなくてはならん」のか、知りたかったです。
櫓みたいな舞台装置だし、最初うっかり(八百屋お七かよ・・・)って思ってしまうなど。
最後に、「死とは子守唄」というセリフがあるんですが、ああ、なるほどここで前作『lullaby』(=子守唄)に繋がるのね、と納得しました。(時系列的には『Requiem』→『lullaby』)
あと2公演観劇し、物販で購入した『lullaby』のDVDも観ればまた感想は変わるかもしれませんが、とりあえず初日レビューでした。
2日目のマチネ&ソワレを観劇した感想を追記します。箇条書きですが。
- ◆濃姫こと帰蝶が、最後、信長に銃を向け、蘭丸に刺される場面。帰蝶の銃の引き金を光秀が代わりに引くんですが、実は銃弾は装填されていなかったんですね。
それを受けての信長のセリフ「うつけはお前だ。」
ずっと信長を殺す機会を狙っているうちに、信長に情が湧いてしまったのかな。
「帰蝶」という名が似合う、という信長の言葉を忘れられなかったのかもしれません。
美濃焼き打ちのときの、「蝶が、帰ってきたよ!」ってセリフ大好き。 - ◆謙信や光秀が使う「大義のための戦い」って一体なんなの、と思って辞書ひいてみました。
大辞林 第三版によれば、
たいぎ【大義】@ 人間として踏み行うべき最も大切な道。特に,国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。(略)
打倒信長という目的は同じでも、帰蝶を殺された恨み(光秀)だとか、川中島やりたい(謙信&信玄)ために戦うのは「私信」で戦国を守るための戦いが大義ってコトですよね。そりゃ「自分の意志」を何より重視する信長様とは相容れないわ。 - ◆信長様の「火は大海を渡るるか」がやっぱり気になります。大海の向こうには大陸があり、南蛮はまさに布教&入植をくり返していた時期だから、これくらいの火で滅んでるようじゃ、欧米に目をつけられたときに日本滅ぶよ?っていう信長様なりの憂国の結果、「この国はもっと火を知らねばならぬ」と、火にこだわった?
日本のために自分ができることは火の恐ろしさを思い知らせてやることぐらいと。(※全部ただの妄想です。)
以下、公演ウェブサイトより抜粋
歪な愛、憎しみの螺旋、彷徨う魂魄
雨は男を魔王に変え、炎は魔王を包み込む
蝶が舞う、花は散る、朧の月は骸を明かす
それでも止まぬ怨嗟の声が、天を穿つ槍となる
此処に在るは未だ見ぬ戦国 集いし二十五の魂
紡ぎ、爪弾く、死へと向かう歌ものがたり―――。
進戯団夢命クラシックス×玉城裕規 再び!