2016年04月17日
あなたが承認されない理由
今回紹介するのは実に面白い一冊です。ちなみに、電子書籍ですよ。
仏教の教えを通して、人はなぜ自分を認めてほしいと思うのか、どうすれば「認められたい」にとらわれずに済むのか、を説明して行きます。
本書によりますと、「自分の存在する意味は、他人に認められてはじめて、価値のあるものだ」と自覚できるとか。もっと簡単にいえば、人は他人が褒めてくれるから、生きる喜びを感じられるそうで。確かに。
しかし、この「承認」、つまり認められるという行為が最近、変な形で表現されるようになってきたとか。それはネットの中でもいえる事だそうで。
最近は「認められたい病」に冒されている人がいるみたいですね。
それに、みんな今の自分の立場を認めたくないみたいですね。まぁ、私もそうですが(苦笑)。
認められたい、という思いには「私はこうなりたい」、「アイツにこうさせたい」という欲が絡んでいるとか。
どちらも決して悪い事ではないのですが、あまりにも度が過ぎると、人はどんどん自分から離れて行っちゃうよ、というような事が書いてあります。
あと、「現実は現実として認めなさいよ」という事も教えているみたいですね。
そして、感謝する気持ちを持ちなさい、というような事も書いてあります。
寂しがり屋さんにも、ぜひおススメしたい一冊ですね。
ページ数も少ないけど、すごく深い事が書いてある一冊です。ものの15分で読める一冊ですよ(笑)。
ここからはおまけです。
釈迦ことブッダは「正語」、つまり正しい言葉を使う事によって嘘や無駄話、仲違いさせる言葉を慎みなさいといっているそうで。
ここからは、この本に書いてある、私の好きな文章を紹介します。54%のところから出てますよ。
「そんなきれいごとを〜」と思いますか。
確かに、きれいごとに聞こえるかもしれません。
でも、あなたの日常生活をふと顧みてください。
「あの上司、左遷されねえかな」
「私を捨てた彼が、地獄に落ちればいい」
「あいつ調子に乗りやがって、死ねばいいのに」
「あの人のせいで人生が狂った」
「許せない」
「ぶちのめしてやる」
「失脚させてやる」
(中略)これらの言葉を吐くあなたは気持ちがいいですか。
これらの言葉を聞かされた友人はハッピーな気分になりますか。
これらの言葉を聞かされた本人はどういう気持ちになるでしょう。
人間は一人では生きて行けません。みんなが寄り添って、生きています。
これらの言葉を投げかける対象となった人たちだって、あなたと何らかの縁があって存在しています。その人とのいい思い出だって少しはあるでしょう。いい思い出があったりプライベートの上で、必要だったから言葉を交わしたのでしょう。
人は状況によって、ものすごいスピードで変化していきます。あなたが相手に抱いたイメージ通りの相手はもはやこの世に存在していません。
これを仏教では「無常」と呼びます。
人は変わりゆく存在だということを受け入れましょう。
そうすればやさしい気持ちになれます。
(中略)人を傷つける言葉はあなた自身に必ず返ってきます。それがブッダにありありと見えたため、「正語」という言葉でみなさんに気付いてほしいと願ったのです。
このようにして、心を洗い浄化することで、「こうなりたい」「こうさせたい」とあなたの心の火事のように燃え盛っていた煩悩はそっと姿を消します。そうすれば、あなたの心は満ち足りて、過剰な「承認」求めなくなるでしょう。
いや〜、なかなかいい言葉ですなぁ・・・。
仏教の教えを通して、人はなぜ自分を認めてほしいと思うのか、どうすれば「認められたい」にとらわれずに済むのか、を説明して行きます。
本書によりますと、「自分の存在する意味は、他人に認められてはじめて、価値のあるものだ」と自覚できるとか。もっと簡単にいえば、人は他人が褒めてくれるから、生きる喜びを感じられるそうで。確かに。
しかし、この「承認」、つまり認められるという行為が最近、変な形で表現されるようになってきたとか。それはネットの中でもいえる事だそうで。
最近は「認められたい病」に冒されている人がいるみたいですね。
それに、みんな今の自分の立場を認めたくないみたいですね。まぁ、私もそうですが(苦笑)。
認められたい、という思いには「私はこうなりたい」、「アイツにこうさせたい」という欲が絡んでいるとか。
どちらも決して悪い事ではないのですが、あまりにも度が過ぎると、人はどんどん自分から離れて行っちゃうよ、というような事が書いてあります。
あと、「現実は現実として認めなさいよ」という事も教えているみたいですね。
そして、感謝する気持ちを持ちなさい、というような事も書いてあります。
寂しがり屋さんにも、ぜひおススメしたい一冊ですね。
ページ数も少ないけど、すごく深い事が書いてある一冊です。ものの15分で読める一冊ですよ(笑)。
ここからはおまけです。
釈迦ことブッダは「正語」、つまり正しい言葉を使う事によって嘘や無駄話、仲違いさせる言葉を慎みなさいといっているそうで。
ここからは、この本に書いてある、私の好きな文章を紹介します。54%のところから出てますよ。
「そんなきれいごとを〜」と思いますか。
確かに、きれいごとに聞こえるかもしれません。
でも、あなたの日常生活をふと顧みてください。
「あの上司、左遷されねえかな」
「私を捨てた彼が、地獄に落ちればいい」
「あいつ調子に乗りやがって、死ねばいいのに」
「あの人のせいで人生が狂った」
「許せない」
「ぶちのめしてやる」
「失脚させてやる」
(中略)これらの言葉を吐くあなたは気持ちがいいですか。
これらの言葉を聞かされた友人はハッピーな気分になりますか。
これらの言葉を聞かされた本人はどういう気持ちになるでしょう。
人間は一人では生きて行けません。みんなが寄り添って、生きています。
これらの言葉を投げかける対象となった人たちだって、あなたと何らかの縁があって存在しています。その人とのいい思い出だって少しはあるでしょう。いい思い出があったりプライベートの上で、必要だったから言葉を交わしたのでしょう。
人は状況によって、ものすごいスピードで変化していきます。あなたが相手に抱いたイメージ通りの相手はもはやこの世に存在していません。
これを仏教では「無常」と呼びます。
人は変わりゆく存在だということを受け入れましょう。
そうすればやさしい気持ちになれます。
(中略)人を傷つける言葉はあなた自身に必ず返ってきます。それがブッダにありありと見えたため、「正語」という言葉でみなさんに気付いてほしいと願ったのです。
このようにして、心を洗い浄化することで、「こうなりたい」「こうさせたい」とあなたの心の火事のように燃え盛っていた煩悩はそっと姿を消します。そうすれば、あなたの心は満ち足りて、過剰な「承認」求めなくなるでしょう。
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