2018年05月30日
昭和のアニメは勧善懲悪? 平成アニメは何メイン?
皆さんは昭和のアニメの特徴が何かわかりますか?
答えの一つが「勧善懲悪」(かんぜんちょうあく)です。ドラマで言えば「水戸黄門」ですね。
地球外からとか地下の世界からとか違いはありますが、自分たちの欲望で人類に害をなすというスタンスは同じです。主人公側が「正義」で相手側が「悪」というのが固定されており、仮面ライダーや戦隊シリーズとほぼ同じですね。
それを否定したのが「機動戦士ガンダム」から続く「ガンダムアニメ」です。
ガンダム作品が基本のテーマにしているのは、ズバリ「戦争」です。
皆さんは「正義」の反対が「悪」であると、もしかしたら思っているかもしれません。しかし、本当はそうではなくて「正義」の反対は「正義」なんです。お互いが自らを「正義」と認識し、相手側を「悪」だと認識しているに過ぎないのです。
ガンダム作品は、片方の側をメインでストーリー作成されますが、それでも相手側のシーンを入れたり、恋愛要素をつけたりなど、ただ「戦う」のではない人間ドラマをアニメの中に成立させたのです。
例えば「機動戦士ガンダム第08MS小隊」というOVA・小説で展開・劇場アニメ2作作成されたこの作品には組織として互いに敵同士でありながらも確かな「愛」を作る主人公「シロー・アマダ」とヒロイン「アイナ・サハリン」を中心に、「一時停戦の約束を破棄」とか「生き残るために共闘したにも関わらずスパイ容疑」など「悪」ともいえる描写を加えつつ、戦争の悲惨さを伝えようとします。
しかし、この「08小隊」は小説とOVAで違いが幾つかあります。
1:ゲリラの少女「キキ・ロジータ」の生死。
作品の主要舞台となる、東南アジア密林地帯に住む住人であり、現地民ゲリラの実践指揮官のような立場の少女。17歳という年頃の少女らしい一面を見せ、軍人にありがちな傲慢さが無い素直なシローに惹かれ口実を作っては何かと彼が隊長を務める「第08小隊」に付きまとうほど、その想いと好意は周囲に知られていた。しかし、負傷した父親の代わりを務めていたためか、歳に似合わぬほどの老練さも持っている。ちなみに、好意を向けられているシローの煮え切らない態度に部下のミケルが激昂する一幕もあった。
戦後は、ミケルと共に行方不明となったシロー捜索の旅に出て、紆余曲折の末にようやく山奥で静かに暮らすシローとアイナに再会する。(ラストリゾート)
小説版では、村が連邦軍(今でいう国連軍)の略奪に遭い、複数の連邦軍兵士から性的暴行を受ける最中に舌を噛み切って自殺するという悲惨な最期を遂げている。
しかし、たった二人で持てる荷物も多くないのに所在不明な主人公を探すなんて、バイタリティーが半端ないな。
2:ミケル・ニノリッチの第08小隊解散後
第08小隊配属前はモビルスーツ(以降MS)への搭乗を希望していた物の、結局ホバー・トラックの操縦要員兼ガンナーを務めることとなった。エレドアというキャラクターの助手である。
臨時に陸戦型ガンダムに搭乗したこともあるが、頼りない性格で戦闘に向いているとはお世辞にも言えない反面、いざという時の度胸はある。
第9話においてカレン機が敵MS「アッガイ」に襲われてピンチに陥った際には、エレドアの命令でヤケにはなったもののホバー・トラックで水面を滑走して囮となり、みごとに敵の目を引き付けたりもした。
戦後は、依然行方不明のままであったシローを、旧08小隊メンバー全員の願いを託されて探すべく、軍を除隊してキキと旅に出る。恋人には結局振られてしまい、結婚して子供が生まれた旨の手紙と写真を受け取って激しく落ち込みやけ酒をあおるシーンがある。
小説版では、キキの村の子供たちに勉強を教えており、その経緯から終戦後は軍を退役し、教師の道を志す。08小隊のその後を手紙でシローに伝えている。
第5話でエレドアが予言した遠距離恋愛の困難さが無情にも的中することとなるなんて、少し不憫ですね。
3:シロー・アマダ及びアイナ・サハリンの終戦後
シローは「機動戦士ガンダム0083STARDUST MEMORY」の主人公「コウ・ウラキ」に次いで2人目の初登場時に既に軍人というガンダムシリーズでは珍しい成人の主人公で、性格は馬鹿正直のお人好し。戦果よりも「生きて帰る」が信条だが、自身は身の危険を顧みず行動する無鉄砲さが目立つ。反面、機転が利き咄嗟の思い付きで様々なものを使いこなすなど思考は柔軟である。アイナは兄を献身的に支える健気で優しいが、窮地に追い込まれても挫けない強い意志も併せ持つ女性である。(作中で言及はない物の立場的には軍人ではなく民間人と思われる)
最終話において小隊メンバーに「軍を抜ける」と事実上の敵前逃亡を告げ、単機でアイナの救出に向かう。戦闘中、兄ギニアスに撃たれ機体から落下するアイナを間一髪救助するも利き腕を骨折。アイナと二人三脚でガンダムEZ-8を操縦しアプサラスVへ特攻。EZ-8の右腕でアプサラスVのコクピットを潰すも、同時に放たれたメガ粒子砲を浴びて相打ちの形でもつれ合ったまま火口に落ちて両機とも爆発炎上した。以後、公式の記録においてシロー・アマダ少尉は「行方不明」となるが、これは直属の上官であったコジマ大隊長が「行方不明」の一点張りで有耶無耶に揉み消す思いやりの結果。
アイナは銃弾に倒れてアプサラスVのコクピットから転落するも、胸に忍ばせていた懐中時計で銃弾が防がれ、さらにシローが搭乗するEZ-8の手に受け止められたことで奇跡的に一命を取り留める。
「ラストリゾート」では、ビジュアルのみで音声はない物の登場。左膝から下を失った松葉杖姿のシローと、彼の子供を身籠ったアイナが山奥の小屋で平穏に暮らしている姿が描かれている。
小説版ではアイナが撃たれたのは腹部であり、ギニアス本人のかすかに残っていた兄妹の情から急所はそれて一命を取り留める。直後にアプサラスに乗り込んできたシローに対して発砲しようとしたギニアスを射殺。その後はシローと共に病院船「ケルゲレン」を連邦軍から救うため、ある詭計を行い目的を達成するが、自らの戦功を無にされて怒ったイーサン・ライヤー大佐が命じた一斉砲火を受けアプサラスは大破、行方不明となる。
また、キキの村にてシローは「カート」、アイナは「ジャンヌ」という偽名を使い結婚、子供をもうけている。
ガンダムシリーズは小説がいくつも出版されており、アニメと違う部分が良くありますね。
まあ、ガンダム作品を除けば昭和のアニメって勧善懲悪ものが定番で、スポーツものにしても一試合が長い長い。
ロボット物は大体が一話完結で、ガンダムのように一話完結ではないものは珍しかったようです。
対して平成のアニメですが、深夜枠を作ったりCGを使用するようになるなど、技術の進歩に合わせた作品作りが行われています。作品によってはCGがほとんど違和感を出さないものであったり、爆発シーンが高いクォリティだったりと、昭和作品と比べるとその進歩がよく分かります。
そして、平成の作品が多く取り入れている要素が、人間ドラマです。
例えば「翠星のガルガンティア」というアニメは、兵士であった主人公が様々な人物と交流を深めていく中で、自分の進む道を見つけ出すという作品ですし、「ヲタクに恋は難しい」では、繰り広げられるささやかな日常の風景を描き、そこで起きるささやかなドラマを表現しています。ドラマと言ってもテレビでやるようなものではないのです。「人生は筋書きのないドラマである」なんて表現もありますから、あながち間違いではないかと思います。
もしかしたらお気に入りの一作が見つかるかもしれなせんよ
答えの一つが「勧善懲悪」(かんぜんちょうあく)です。ドラマで言えば「水戸黄門」ですね。
地球外からとか地下の世界からとか違いはありますが、自分たちの欲望で人類に害をなすというスタンスは同じです。主人公側が「正義」で相手側が「悪」というのが固定されており、仮面ライダーや戦隊シリーズとほぼ同じですね。
それを否定したのが「機動戦士ガンダム」から続く「ガンダムアニメ」です。
ガンダム作品が基本のテーマにしているのは、ズバリ「戦争」です。
皆さんは「正義」の反対が「悪」であると、もしかしたら思っているかもしれません。しかし、本当はそうではなくて「正義」の反対は「正義」なんです。お互いが自らを「正義」と認識し、相手側を「悪」だと認識しているに過ぎないのです。
ガンダム作品は、片方の側をメインでストーリー作成されますが、それでも相手側のシーンを入れたり、恋愛要素をつけたりなど、ただ「戦う」のではない人間ドラマをアニメの中に成立させたのです。
例えば「機動戦士ガンダム第08MS小隊」というOVA・小説で展開・劇場アニメ2作作成されたこの作品には組織として互いに敵同士でありながらも確かな「愛」を作る主人公「シロー・アマダ」とヒロイン「アイナ・サハリン」を中心に、「一時停戦の約束を破棄」とか「生き残るために共闘したにも関わらずスパイ容疑」など「悪」ともいえる描写を加えつつ、戦争の悲惨さを伝えようとします。
しかし、この「08小隊」は小説とOVAで違いが幾つかあります。
1:ゲリラの少女「キキ・ロジータ」の生死。
作品の主要舞台となる、東南アジア密林地帯に住む住人であり、現地民ゲリラの実践指揮官のような立場の少女。17歳という年頃の少女らしい一面を見せ、軍人にありがちな傲慢さが無い素直なシローに惹かれ口実を作っては何かと彼が隊長を務める「第08小隊」に付きまとうほど、その想いと好意は周囲に知られていた。しかし、負傷した父親の代わりを務めていたためか、歳に似合わぬほどの老練さも持っている。ちなみに、好意を向けられているシローの煮え切らない態度に部下のミケルが激昂する一幕もあった。
戦後は、ミケルと共に行方不明となったシロー捜索の旅に出て、紆余曲折の末にようやく山奥で静かに暮らすシローとアイナに再会する。(ラストリゾート)
小説版では、村が連邦軍(今でいう国連軍)の略奪に遭い、複数の連邦軍兵士から性的暴行を受ける最中に舌を噛み切って自殺するという悲惨な最期を遂げている。
しかし、たった二人で持てる荷物も多くないのに所在不明な主人公を探すなんて、バイタリティーが半端ないな。
2:ミケル・ニノリッチの第08小隊解散後
第08小隊配属前はモビルスーツ(以降MS)への搭乗を希望していた物の、結局ホバー・トラックの操縦要員兼ガンナーを務めることとなった。エレドアというキャラクターの助手である。
臨時に陸戦型ガンダムに搭乗したこともあるが、頼りない性格で戦闘に向いているとはお世辞にも言えない反面、いざという時の度胸はある。
第9話においてカレン機が敵MS「アッガイ」に襲われてピンチに陥った際には、エレドアの命令でヤケにはなったもののホバー・トラックで水面を滑走して囮となり、みごとに敵の目を引き付けたりもした。
戦後は、依然行方不明のままであったシローを、旧08小隊メンバー全員の願いを託されて探すべく、軍を除隊してキキと旅に出る。恋人には結局振られてしまい、結婚して子供が生まれた旨の手紙と写真を受け取って激しく落ち込みやけ酒をあおるシーンがある。
小説版では、キキの村の子供たちに勉強を教えており、その経緯から終戦後は軍を退役し、教師の道を志す。08小隊のその後を手紙でシローに伝えている。
第5話でエレドアが予言した遠距離恋愛の困難さが無情にも的中することとなるなんて、少し不憫ですね。
3:シロー・アマダ及びアイナ・サハリンの終戦後
シローは「機動戦士ガンダム0083STARDUST MEMORY」の主人公「コウ・ウラキ」に次いで2人目の初登場時に既に軍人というガンダムシリーズでは珍しい成人の主人公で、性格は馬鹿正直のお人好し。戦果よりも「生きて帰る」が信条だが、自身は身の危険を顧みず行動する無鉄砲さが目立つ。反面、機転が利き咄嗟の思い付きで様々なものを使いこなすなど思考は柔軟である。アイナは兄を献身的に支える健気で優しいが、窮地に追い込まれても挫けない強い意志も併せ持つ女性である。(作中で言及はない物の立場的には軍人ではなく民間人と思われる)
最終話において小隊メンバーに「軍を抜ける」と事実上の敵前逃亡を告げ、単機でアイナの救出に向かう。戦闘中、兄ギニアスに撃たれ機体から落下するアイナを間一髪救助するも利き腕を骨折。アイナと二人三脚でガンダムEZ-8を操縦しアプサラスVへ特攻。EZ-8の右腕でアプサラスVのコクピットを潰すも、同時に放たれたメガ粒子砲を浴びて相打ちの形でもつれ合ったまま火口に落ちて両機とも爆発炎上した。以後、公式の記録においてシロー・アマダ少尉は「行方不明」となるが、これは直属の上官であったコジマ大隊長が「行方不明」の一点張りで有耶無耶に揉み消す思いやりの結果。
アイナは銃弾に倒れてアプサラスVのコクピットから転落するも、胸に忍ばせていた懐中時計で銃弾が防がれ、さらにシローが搭乗するEZ-8の手に受け止められたことで奇跡的に一命を取り留める。
「ラストリゾート」では、ビジュアルのみで音声はない物の登場。左膝から下を失った松葉杖姿のシローと、彼の子供を身籠ったアイナが山奥の小屋で平穏に暮らしている姿が描かれている。
小説版ではアイナが撃たれたのは腹部であり、ギニアス本人のかすかに残っていた兄妹の情から急所はそれて一命を取り留める。直後にアプサラスに乗り込んできたシローに対して発砲しようとしたギニアスを射殺。その後はシローと共に病院船「ケルゲレン」を連邦軍から救うため、ある詭計を行い目的を達成するが、自らの戦功を無にされて怒ったイーサン・ライヤー大佐が命じた一斉砲火を受けアプサラスは大破、行方不明となる。
また、キキの村にてシローは「カート」、アイナは「ジャンヌ」という偽名を使い結婚、子供をもうけている。
ガンダムシリーズは小説がいくつも出版されており、アニメと違う部分が良くありますね。
まあ、ガンダム作品を除けば昭和のアニメって勧善懲悪ものが定番で、スポーツものにしても一試合が長い長い。
ロボット物は大体が一話完結で、ガンダムのように一話完結ではないものは珍しかったようです。
対して平成のアニメですが、深夜枠を作ったりCGを使用するようになるなど、技術の進歩に合わせた作品作りが行われています。作品によってはCGがほとんど違和感を出さないものであったり、爆発シーンが高いクォリティだったりと、昭和作品と比べるとその進歩がよく分かります。
そして、平成の作品が多く取り入れている要素が、人間ドラマです。
例えば「翠星のガルガンティア」というアニメは、兵士であった主人公が様々な人物と交流を深めていく中で、自分の進む道を見つけ出すという作品ですし、「ヲタクに恋は難しい」では、繰り広げられるささやかな日常の風景を描き、そこで起きるささやかなドラマを表現しています。ドラマと言ってもテレビでやるようなものではないのです。「人生は筋書きのないドラマである」なんて表現もありますから、あながち間違いではないかと思います。
もしかしたらお気に入りの一作が見つかるかもしれなせんよ
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