2019年06月11日
実録 児童相談所のある一例 〜児童福祉士の話〜
児童相談所に勤めていた職員の現場の声が
話題になっている。
過酷な児相職員の実態が浮かび上がて来た。
政府も人員不足は把握しているようで、増員を検討している。
一人の職員が100件もの案件を抱えていては、対応など
無理に決まっている。
手続きなどの書類作業だけで、時間は終わってしまうだろう。
ましてや、現場での対応など、一日、2〜3件が精いっぱいでは
ないだろうか?
2022年までに2000人の増強とあるが、それでも
多分、足りないのではないか?
そりゃあそうだろう。
仕事には優先度がつきものである。
その判断も、職員がしなければならないわけだから
ストレスは相当なものだと思う。
その上で、マスコミや世間から、対応を非難されるのでは
職員たちは、やってられない。と思うだろう。
私自身の18歳の頃を思うと,社会人としては「子供」であった。
世間の事など全く分からず、その日を暮らすことで一杯一杯だった。
ましてや、不遇な環境で育った子供を、いきなり社会に出して
何をしろと言うのか?
法律の不備が問題だが、日本の子供たちに対する考え方に
大きな問題があるように思える。
子どもたちが社会人としてやっていけるように見届けて
はじめて「終了」であって、社会に放り出して「終わり」では
大人として、無責任と言われても仕方ないのではないだろうか?
システムを再構築する必要があると思われる。
一般家庭の子なら、社会に出ても、両親の支援を
何らかの形で受けられるが、児相などの子供たちは
そういう支援は期待できないだろう。
勿論、悩みごとなどは、児相でも対応はしてくれるかもしれないが
所詮、他人ではある。
親のように、甘えることなどは出来ない。
それだけに、無防備に社会に放り出すようなシステムでは
人材を無駄にしてしまう様に思えるのだが・・・。
法整備はもちろんだが、児相の現状は、看過できないだろう。
親世代に問題が起きている以上、児相の役割は益々重要であり
人員確保は、喫緊の課題ではないだろうか?
なお、民間にも数々の支援組織があるので、私の関係する
「カタリバ」をご紹介しておきます。
BY いいとこどり
話題になっている。
過酷な児相職員の実態が浮かび上がて来た。
「人間のできる仕事の範囲を越えている」当事者が語る“児童相談所”の実態
FNN.jp編集部
カテゴリ:国内
2019年2月4日 月曜 午後6:30
児童相談所に関わってきたTwitterユーザーのツイートが話題
「1人の児童福祉司が100件の虐待案件を抱える異常な状況」
政府は、2022年度までに児童福祉司を約2000人増やすプランを決定
政府も人員不足は把握しているようで、増員を検討している。
一人の職員が100件もの案件を抱えていては、対応など
無理に決まっている。
手続きなどの書類作業だけで、時間は終わってしまうだろう。
ましてや、現場での対応など、一日、2〜3件が精いっぱいでは
ないだろうか?
2022年までに2000人の増強とあるが、それでも
多分、足りないのではないか?
――「児童相談所の忙しさは尋常ではなく、もはや人間のできる仕事の範囲を越えている」とツイートしている。それほどに忙しい?
私が住んでいる自治体には児童相談所が1カ所しかなく、1人の児童福祉司(ケースワーカー)が100件ほどの虐待案件を抱えているような、ひどい状況です。
虐待を受けている子どもを全員、助けたいのはやまやまなのですが、現実的には1人の児童福祉司が抱えられるのは、子ども数人から数十人が限界なのです。
そうなると、緊急度の高い重篤なケースしか対応できず、緊急度が低いと判断されたケースはどうしても後回しになってしまうのです。
そりゃあそうだろう。
仕事には優先度がつきものである。
その判断も、職員がしなければならないわけだから
ストレスは相当なものだと思う。
その上で、マスコミや世間から、対応を非難されるのでは
職員たちは、やってられない。と思うだろう。
――子どもの虐待に関して、この他に懸念していることは?
懸念しているのは「18歳問題」です。
「児童を18歳までとする」と、法律で決められてしまったので(厚労省審議会で20歳までを児童とするという案を、実践家や法律家・研究者のメンバーが強く推進していたのですが見送られてしまいました)、18歳を過ぎた子どもは法制度の隙間にどんどん落ちてしまいます。
法的根拠が無いために、社会資源や支援もありません。
家庭を生き延び、施設生活を生き延びても、18歳になった途端、何の支援も後ろ楯もなく、社会に放り出される実態があります。
私自身の18歳の頃を思うと,社会人としては「子供」であった。
世間の事など全く分からず、その日を暮らすことで一杯一杯だった。
ましてや、不遇な環境で育った子供を、いきなり社会に出して
何をしろと言うのか?
法律の不備が問題だが、日本の子供たちに対する考え方に
大きな問題があるように思える。
子どもたちが社会人としてやっていけるように見届けて
はじめて「終了」であって、社会に放り出して「終わり」では
大人として、無責任と言われても仕方ないのではないだろうか?
システムを再構築する必要があると思われる。
一般家庭の子なら、社会に出ても、両親の支援を
何らかの形で受けられるが、児相などの子供たちは
そういう支援は期待できないだろう。
勿論、悩みごとなどは、児相でも対応はしてくれるかもしれないが
所詮、他人ではある。
親のように、甘えることなどは出来ない。
それだけに、無防備に社会に放り出すようなシステムでは
人材を無駄にしてしまう様に思えるのだが・・・。
法整備はもちろんだが、児相の現状は、看過できないだろう。
親世代に問題が起きている以上、児相の役割は益々重要であり
人員確保は、喫緊の課題ではないだろうか?
なお、民間にも数々の支援組織があるので、私の関係する
「カタリバ」をご紹介しておきます。
「カタリ場」とは、主に高校生の将来への可能性を引き出し、将来への行動へと動機付けることを目的とした、キャリア学習プログラムです。
授業を行うのは、大学生を中心としたボランティア・スタッフです。
利害関係のある“親”でも“先生”でもない、毎日付き合う“友達”でもない、少し年上の「先輩」だから、高校生たちも本音を話しやすいのです。
このような「ナナメの関係」によって生まれる“憧れ”や“刺激”、
そして対話のなかで引き出される“自己理解”や“意欲”を最大限活用するため、
カタリ場の授業は、「座談会」「先輩の話」「約束」の主に3つのパートで構成されています。
「座談会」では、生徒にスタッフが質問していくことで、生徒が好きなこと、嫌いなことを言語化するとともに、未来の夢や漠然とした不安などを引き出していきます。生徒の自己理解を促します。
「先輩の話」では、スタッフ数名が、「部活」「進路」「友人関係」などのテーマで、紙芝居形式のプレゼンテーションを行うので、高校生は興味のある話を聞きにいきます。内容は、今打ち込んでいることや夢、進路選びの失敗談や、高校生のときの失敗談や自分への後悔などさまざま。
「約束」では、これまで見つけた憧れや、見えてきた自分の興味関心などを行動につなげるために、今日からできる小さな行動をカードに書き込みます。
スタッフと「約束」をすることで、授業の興奮を日常生活につなげます。
コラボ・スクールとは, 被災地の子どもたちに学習指導や心のケアを行う放課後の学校です。東日本大震災の被害が特に激しかった地域では、津波で家を流されて仮設住宅で暮らしながら、安心して学ぶ環境を奪われた子どもたちが、今も残されています。「震災があったから、将来の夢をあきらめた・・・」こうした悔しさは抱いてほしくない、と、2011年7月に宮城県女川町で「女川向学館」を開校。同年12月から岩手県大槌町で「大槌臨学舎」を運営しています。「震災という苦しく辛い試練を乗り越えた子は, 誰よりも強く優しくなれるはず」という想いに共感した全国の方々から、 寄付やボランティアで支援をいただくとともに、行政や学校などと協働しながら、被災した地域全体で子どもたちを支えています。復興を支える未来のリーダーを、東北の地から輩出することを目指して、子どもたちの無限の可能性を引き出していきます。
BY いいとこどり
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8877282
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック