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2014年10月09日

蔵王山で火山性微動、「御釜」の湖面で白濁確認

仙台管区気象台は9日、宮城・山形両県にまたがる蔵王山で同日午前5時5分頃、やや小さな火山性微動が発生したと発表した。

 同気象台によると、山形大による8日の調査で、火口湖の「御釜(おかま)」の湖面に白濁が確認されたという。同気象台は「現時点で、それ以上の異常は認められていない」としている。

 蔵王山では昨年1月、火山性微動が2010年9月の観測開始以来初めて確認された。今年9月30日以降も火山性地震や微動が相次いでおり、同気象台は、9日の微動もこの活動の一環とみている。

 蔵王山は1940年の小規模噴火を最後に噴火していないが、同気象台は警戒を呼びかけている。

「侍ジャパン」28人発表

11月に開かれる日米野球に出場する日本代表「侍ジャパン」のメンバー28人が、9日発表された。選ばれた選手は次の通り。

 【投手】岸、牧田、高橋(以上西武)松葉、金子、西(以上オリックス)則本(楽天)井納(DeNA)大谷(日本ハム)藤浪(阪神)前田(広島)西野(ロッテ)小川(ヤクルト)

 【捕手】小林(巨人)伊藤(オリックス)嶋(楽天)

 【内野手】今宮、松田(以上ソフトバンク)菊池(広島)坂本(巨人)中田(日本ハム)山田(ヤクルト)銀次(楽天)

 【外野手】内川、柳田、中村(以上ソフトバンク)糸井(オリックス)丸(広島)

台風19号上陸か 2週連続10年ぶり

猛烈な台風19号は11日以降、沖縄に接近、13日から14日にかけて九州や本州に上陸の恐れ。2週連続で台風が上陸すれば、10年ぶりとなります。


台風19号予想進路図(9日正午現在)

台風19号 上陸の恐れ

台風19号は猛烈な勢力となっています。
発達のピークは今日までですが、
非常に強い勢力で11日(土)から12日(日)にかけて沖縄へ接近する恐れがあります。

そのあと予報円の中心を進めば、
13日(月)から14日(火)にかけて、九州から本州に接近または上陸する恐れがあります。

台風18号が6日(月)に静岡県に上陸したばかり。
2週連続で台風が上陸となると、2004年以来10年ぶりとなる見込みです。
(上陸とは台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合です。
ただし、小さい島や半島を横切って短時間で再び海に出る場合は「通過」になります。)

三連休 広く影響の恐れ

【沖縄・奄美】
今夜から風が強く、強風に注意が必要です。
海上では今夜遅くから大しけとなる見込みで、高波に警戒して下さい。
大東島地方では11日は暴風が吹き荒れるでしょう。

【西日本・東日本】
九州から近畿では12日から13日ごろにかけて、
東海から関東は13日から14日ごろにかけて雨や風が強まり大荒れに。
本州付近には前線が延びる予想で、いっそう雨量が多くなる可能性も。

【北日本】
東北や北海道でも13日から14日ごろにかけて、影響の受ける恐れがあります。

広く交通機関へ影響のでる可能性もあります。
秋の行楽シーズン。三連休でお出かけを予定されている方もいらっしゃると思いますが、
レジャーの計画は無理のないようになさって下さい。

今後も最新の台風情報に注意し、早めの台風対策を心がけて下さい。
日直予報士でも最新情報を更新していきますので、
参考になさって下さい。

「あと5年生きていたら」ノーベル賞を取り逃した科学者たち

今年もノーベル賞が発表される週を迎えている。きのう10月7日には、ノーベル物理学賞を赤崎勇・天野浩・中村修二の3人の研究者に授与するとの発表があった。いずれも発光ダイオード(LED)の実用化に貢献した人たちである。

いまさら言うまでもないことだが、今回の例にかぎらず、自然科学の部門(物理学賞、化学賞、生理学・医学賞)においてノーベル賞は、歴史に画期をなす発見や発明に与えられるものだ。1901年に始まった同賞はそのまま20世紀以降の科学史そのものといっても過言ではない。もっとも、大きな業績を残し、一般的にもその名を広く知られながらもノーベル賞に選ばれなかった人物もけっして少なくない。アメリカの発明王で、電力技術の分野に多大な功績を残したエジソンもその一人だったりする。

■エジソンがノーベル賞を逃したのは共同受賞者が辞退したから!?
私が子供の頃(1980年代)に読んだ本には、エジソンがノーベル物理学賞の候補にあがりながら、結果的に受賞を逃したことが次のように書かれていた。

《一九一二年のノーベル賞がエジソンとテスラに与えられようとしたとき、テスラはエジソンとの共同受賞を拒否したために、業績としては二人にはるかに及ばない人がもらった》(平田寛編著『地球は青かった 科学の名言集』)

ここに登場するテスラというのはクロアチア出身の電気工学者で、19世紀末にアメリカに渡り、エジソンの設立した電灯会社で研究・開発を行なっていた。だが、やがてその会社をやめてしまう。それというのも、発電や送電する方式として交流を主張するテスラに対し、エジソンは直流に頑なにこだわり、真っ向から衝突したためだ。のちにノーベル賞の候補にエジソンとともにあがったとき、テスラが共同受賞を拒否したのは、そうした事情があったからだと説明される。

しかしこの話、もう少しくわしく調べてみると、事実かどうかちょっと疑わしいところがある。ノーベル賞は1974年に規約を改訂して以来、授賞から50年を経た対象については、その選考資料を公開する決まりになっている。いまではノーベル賞の公式サイトから、選ばれなかった者も含め、すべての授賞候補者および推薦者のデータを閲覧することが可能だ。そこでエジソンについて調べてみたところ、彼が候補にあがったのは、1915年の一度だけということがわかった。一方、テスラが候補となったのはやはり一度だけ、しかしそれは1937年とエジソンとは12年も時期がずれている。

そもそも共同受賞者の一人が辞退したからといって、もう一人が受賞できないなんてことはありえるのだろうか。これはノーベル平和賞でのケースだが、1973年にベトナム和平の功績から、当時のアメリカの国務長官キッシンジャーと、ベトナムの政治家レ・ドク・トが選ばれたとき、レ・ドク・トはこれを辞退、結局キッシンジャーの単独受賞となった。ノーベル賞で複数人が選ばれた場合、たとえ誰かが賞を辞退しても、ほかの者の受賞までもがなくなるわけではないという、これは何よりの証しではないか。

こうして見るかぎり、エジソンとテスラの例のエピソードは、二人の確執から同時代か後世の誰かがノーベル賞と結びつけて創作したものではないか、というのが私のとりあえずの推理である。

■“常連候補”野口英世はどのぐらい受賞の目があったのか?
日本から初めてノーベル賞を受賞したのは1949年の湯川秀樹(物理学賞)だが、それ以前より何人かが候補にのぼっていたことが知られている。それはほぼ生理学・医学賞に集中しており、早くも1901年の第1回では北里柴三郎が候補となったほか、野口英世の名前も何度かあがった。

野口英世が初めて候補にあがったのは1913年。アメリカに渡り長らく研究を行なっていた野口はこの年の5月、日本の恩師宛ての手紙のなかで、3つの業績によっておそらく一両年のうちにノーベル賞を受賞するとの噂があると誇らしげに書いている。3つの業績というのは、梅毒の病原体を含む細菌(スピロヘータ)を純粋培養し、さらにその細菌(梅毒スピロヘータ)を梅毒患者の脳と脊髄から確認したことに加え、小児麻痺と狂犬病の原因を突き止めたことだった。ただし梅毒に関する業績はともかく、小児麻痺と狂犬病の病原体発見は今日では完全に否定されている。というのも、これらの病原体は細菌よりもはるかに小さいウイルスであり、電子顕微鏡でしか見えないものだからだ。つまり、光学顕微鏡を使っていた野口がそれを発見することはそもそも不可能だったのである。

だが、野口はこれら業績によって欧米の学界から一躍注目される存在となったことは、まぎれもない事実だ。同じく1913年の秋にはヨーロッパ各国を講演してまわり大歓迎を受けた。翌14年にもノーベル賞に推薦され、以後1915年、20年、21年、24年、25年、26年、27年と、黄熱病の原因解明のため赴いたアフリカ・ガーナで1928年に死去するまでに計9回も候補にあがっている。

とはいえ、実際のところ、野口にはどれだけ受賞する可能性があったのだろうか。これについて科学史家の中山茂は、候補にもいくつかの段階があり、最終段階の候補にとどまったとしても受賞するのはまだ数十分の一の確率であり、それだけでは騒ぐほどのことはないと冷静に考察している。さらには以下のような理由から、野口の受賞はおそらく無理だったろうと推察する。

《受賞者にはコッホ[ドイツの細菌学者。1910年に「結核に関する発見と研究」によりノーベル賞受賞−−引用者注]をはじめ、大物ばかりが並んでいるから、英世は候補者どまりで、受賞はまず無理であったろう。(中略)ノーベル賞クラスの世界最大の賞ともなると、個人の名誉以上に国家の威信もかかわっている。そこで各国外交団の裏面におけるロビー活動がしのぎを削ることになる。その点では、東洋の小国育ちの日本人は不利であったろう》(『野口英世』)

もっとも前者については、コッホよりも先に彼の弟子のベーリングが1901年に受賞しているので必ずしもそうはいえないような気もする。ただ、同じコッホ門下で、ベーリングとともに破傷風やジフテリアの血清療法を発表した北里柴三郎が選ばれなかったことを思えば(今日ならきっと共同受賞していたはずだが)、後者の説明にはかなり説得力がある。ノーベル賞の決定の背景には、そうした時代的な事情も見逃せまい。

■受賞の必須条件はずばり“長生き”?
ノーベル賞には受賞対象になりにくい研究分野も存在する。たとえば木村資生という遺伝学者は、「中立説」というダーウィンの進化論を大きく更新するような理論を発表し、ノーベル賞の呼び声も高かった。だが結局は受賞しないまま、1994年に70歳で死去している。これというのも、進化論は評価に時間がかかり、ノーベル生理学・医学賞の対象となりにくいからとの意見がある(朝日新聞社編(『二十世紀の千人5 テクノ時代の創造者』)。本人もそのことは十分自覚していたようで、進化論の分野では最高峰のダーウィン・メダルを授与されたとき、《進化という分野はノーベル賞にはないから、ダーウィン・メダルをもらえば、ノーベル賞をもらったのと同じことになりますかねえ》と語っていた(「サイエンティストライブラリー:特別編 サバイバル・オブ・ラッキエスト 木村資生」)。それでも、亡くなったときには「あと5年生きていたら」と惜しむ声もあがったという(前掲書)。

ノーベル賞の受賞対象が生存者に限定されている以上、できるかぎり長生きするというのは、受賞できるか否かを分けるもっとも重要な要素といえるかもしれない。それはとりわけ評価に時間がかかるテーマにいえる。

一例をあげるなら、体外受精技術は、1978年に初めてその手術を受けた女性が出産して以降、世界中に広まった。しかし倫理面から批判の声も強く、それがノーベル賞受賞を遅らせることになったとの見方もある。実際、この業績によりイギリスの医学者ロバート・エドワーズが受賞したのは2010年と、じつに最初の実践例から32年が経っていた。このときエドワーズは85歳という高齢のため受賞式に出席することができなかった。彼の共同研究者だったパトリック・ステプトーにいたっては、1988年に亡くなっている。

イギリスの女性科学者であるロザリンド・フランクリンも、DNAの二重らせん構造モデルの確立(1953年)に多大な貢献をしながら、1958年に38歳で病死したためノーベル賞の栄誉に浴することができなかった。彼女の共同研究者だったモーリス・ウィルキンズは、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックのコンビとともに1962年のノーベル生理学・医学賞を受賞している。二重らせん構造のモデルを最終的に完成させたのはワトソンとクリックであったが、それはフランクリンの手になるX線回折データを、ウィルキンズがうっかり2人に見せてヒントを与えてしまったからだという。

ただ、このときフランクリンはすでにウィルキンズと袂を分かっていた。これというのも、彼女は優秀な研究者であったものの、協調性に乏しい性格でウィルキンズと衝突が絶えなかったからだと伝えられる。なお、ノーベル賞で一度に同時受賞できるのは3人までと決められている。それを考えるだに、たとえ病に倒れることがなくても、彼女が果たして受賞できたのかどうか、疑問は残るところだ。

そんなフランクリンについて、医師でマンガ家の茨木保は次のように書いている。

《彼女が、当時「男社会」であった科学界でもう少し上手く立ち回る術を知っていたのなら、そして病に倒れることがなかったなら…。DNAの歴史は、彼女を中心に回っていたかもしれない》(『まんが 医学の歴史』)

ノーベル賞を受賞できるかどうかは、けっして業績の大きさだけで決まるのではなく、そこにはさまざまな要素が絡み合っていることが、ここにあげた事例からもうかがえよう。受賞をめぐるドラマはいまこのときにも、どこかで静かに進行しているのかもしれない。


まんが医学の歴史



東海道線一部不通で宅配便に影響

6日の台風18号による土砂崩れで、静岡県内のJR東海道線の一部区間が今も不通になっていることで、運送業界では、関東などから九州向けの出荷の受付を中止するなどの影響が出ています。

6日の台風18号の影響で、静岡県内のJR東海道線の由比駅と興津駅の間にある線路が、幅40メートルにわたって土砂に埋まり、列車が通れないため、JR貨物の輸送にも大幅な遅れが出ています。このため宅配大手の佐川急便は、トラック輸送に切り替えていますが、すべての荷物に対応しきれないとして、神奈川県や千葉県、それに山梨県など合わせて7つの県から九州に向けて送る荷物の受け付けを7日から中止する措置を取っています。
このほか日本通運や福山通運でも、トラックなどの輸送に切り替えているものの、遅れが出ているということです。
JR東海は、不通となっている区間で土砂の撤去や施設の補修を行い、今月20日をめどに復旧できるようにしたいと話しています。

アスベスト被害、国の責任認める初判決…最高裁

大阪・泉南地域にあったアスベスト(石綿)紡織工場の元従業員と遺族計89人が、安全規制の遅れで肺がんや石綿肺などを発症したとして、国に計約12億円の損害賠償を求めた2件の訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は9日、石綿被害で国の責任を認める初の判決を言い渡した。

 一部の原告について国に賠償を命じる判決が確定した。

 今回の訴訟は、2審・大阪高裁で原告の勝訴と敗訴に結論が分かれており、最高裁が統一の判断を示した。

 原告側は上告審で、1950年代には石綿の危険性が明らかになっていたにもかかわらず、国の事業者に対する規制が遅れたのは違法と主張。国側は「最新の科学的知見を踏まえつつ、適切に対策を講じていた」と反論していた。

【ベストジーニスト】キスマイ藤ヶ谷が初受賞 ローラV2 特別賞にはマー君

人気グループ・Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔(27)とタレントのローラ(24)が“最もジーンズが似合う有名人”を選ぶ第31回『ベストジーニスト2014』の「一般選出部門」に選ばれ9日、都内で行われた授賞式に出席。米大リーグ・ヤンキースの田中将大投手(25)も「協議会選出部門 グローバル特別敢闘賞」を受賞し「なかなかこういう場はなれないので緊張している。現役野球選手では初めてということで大変うれしく思っています。本日はありがとうございます」と感謝を述べた。



 初受賞を果たした藤ヶ谷は、ジャニーズ事務所の先輩たちが受賞した同賞に選ばれ「いつか自分もあの場に立ちたいと思っていた憧れの場」と感無量。「夢がかなった」と喜びを爆発させた。

 昨年に続く選出でV2を達成したローラは「デニムもジーンズも好きでよく履いています」と、この日もジーンズ姿で自慢のスタイルを披露。来年も選出されると“殿堂入り”となり、今回で王手をかけると「すごいドキドキする。(アピールのために)もうちょっとデニムを着てみようと思います」と笑顔で意欲を見せた。

 大リーグでも1年目から大活躍だったマー君は前日の8日、約8ヶ月ぶりに里田まい夫人と一緒に帰国したばかり。ツイッターで時差ボケに苦しんでいることをつぶやいており、この日も「時差ボケとまだ戦っております」と笑わせた。「今シーズンは、僕自身のけがもありまして思うようなシーズンではなかったけど、たくさんの方が応援していただいて力になりました。これからも応援よろしくお願いします」とファンにも感謝していた。

 ジーンズを着る楽しさ、ジーンズの持つ意味の認知拡大を目的に1984年よりスタートした同イベント。昨年10月〜8月までの期間でハガキ、ウェブによる投票が行われ、総数2万5360票が投票された。これまでSMAPの木村拓哉(1998)と草なぎ剛(2003)、KAT-TUNの亀梨和也(2011)、嵐の相葉雅紀(2013)、歌手の浜崎あゆみ(2005)と倖田來未(2001)が“永久ベストジーニスト”として殿堂入りしている。

 最多得票数を記録した藤ヶ谷(6439票)とローラ(3442票)は「一般選出部門」で受賞。「グローバル特別敢闘賞」に選ばれた田中投手の選出理由について主催者側は「力強いピッチングで数々の成績を残し、世界的に飛躍を始めたジャパンジーンズのイメージと重なるため」としている。

 「協議会選出部門」をお笑いコンビ・さまぁ〜ずの三村マサカズと大竹一樹がコンビで受賞したほか、女優の小池栄子(33)、フィギュアスケートの安藤美姫(26)、「協議会選出部門 特別貢献賞」をトヨタ自動車のステーションワゴン『カローラ・フィールダー』、「一般新人部門」はグランプリを小田はるかさん(20)、準グランプリを伊藤杏さん(30)、アーティスト賞を近衛えみり(18)さんがそれぞれ受賞した。

可夢偉のロシアGP出場が確定。チームが発表

ケータハムF1チームは、今週末のロシアGPで小林可夢偉とマーカス・エリクソンを走らせることを正式に発表した。

 レギュラードライバーである可夢偉だが、チームオーナーが変わってからは、1戦ごとに直前に出場が確定する不安定な状況となっている。

 9日、ケータハムはリリースを発表、「小林可夢偉とマーカス・エリクソンがロシアでレースに出場する。ロベルト・メリがFP1で走る」と述べた。

 メリにとっては3度目の金曜フリープラクティス出場となり、可夢偉のマシンで走行することが明らかになっている。

原油「コンデンセート」を初輸入

石油元売り大手のコスモ石油は、アメリカでシェールオイルの掘削に伴って生産される原油の一種「コンデンセート」を日本に初めて輸入し、9日、そのタンカーが三重県四日市市の港に到着しました。

コスモ石油がアメリカから輸入したのは「コンデンセート」と呼ばれる原油の一種で、地下深くの固い岩石の層からシェールオイルやシェールガスを掘削する際などに生産されます。
コスモ石油が輸入したアメリカからのコンデンセート30万バレルを積んだタンカーは9日午前、四日市市の港に到着し、作業員たちが陸上のタンクに移す配管の接続などを行いました。
コスモ石油は、輸入したコンデンセートを、中東から輸入した原油と少しずつ混ぜながら使用し、ガソリンなどに精製して販売することにしています。
アメリカではオイルショックをきっかけに1975年以降、原油の輸出を原則として禁止してきましたが、シェールガスやシェールオイルの生産が拡大したため、このほど限定的に輸出を認めました。
原油の80%以上を中東から輸入している日本にとっては、今後、調達先の多角化につながるかが注目されます。
コスモ石油の四日市製油所で生産管理を担当する川岸正弥副所長は「今回の輸入によって原油の選択が多様化すれば、エネルギー供給の安定性の向上にも寄与するのではないか」と話していました。

物理学賞の中村氏「今後も開発」

ことしのノーベル物理学賞に選ばれたカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二さんは、ノーベル賞の発表から一夜明けた8日、みずから創業したベンチャー企業で改めて記者会見し、「効率が良く自然な色を見せられる発光ダイオードをどんどん開発していきたい」と今後の抱負を語りました。

中村さんは2008年に大学の同僚らと共に発光ダイオードの照明などを製造するベンチャー企業を立ち上げ、研究のかたわら明るく消費電力の少ない製品の開発にも取り組んでいます。
中村さんは、日本時間の9日午前5時半すぎからサンフランシスコ近郊にあるベンチャー企業のオフィスで記者会見を開き、初めに「少し疲れたけど昨晩はちゃんと眠れました」とはにかみながら発表のあった前日を振り返っていました。
また、賞金の使い道を聞かれ「まだもらっていないし、何も決めていない」と述べて会場の笑いを誘いました。
中村さんは「大学の研究者こそ最新の技術が生まれるベンチャー企業を立ち上げなければいけない」と述べて研究者が起業する意義を訴えたうえで「効率がよく自然な色を見せられる発光ダイオードをどんどん開発していきたい」と今後の抱負を語りました。
中村さんは集まった同僚や従業員から拍手で迎えられ、握手を交わしたり写真を一緒に撮ったりして祝福を受けていました。
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