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2018年04月12日

やってくれたなソクラテス

花粉が昨日から急激に少なくなっている。やっと鼻水から解放されます。

5時からいつも鳴いている鳥は今日はひとりのようです。

誰からもレスポンスがない・・・。

本日は やってくれたなソクラテス

「国家」(プラトン著)の上を通勤中に読んでいます。

詠めば読むほど、変幻自在なソクラテスの対話に困惑していきます。

はっきりいってしまえば、屁理屈と言われてもしょうがないです。

ただ、民衆に向かって自分の考えを次から次へと話すソクラテスには脱帽します。

現代に置き換えて言えば、辻説法している人もいまやいないですものね。

駅とかで道行く人に向かって「正義」とは「不正」とは「正しい国家」とは

とか話していたら、頭がおかしい人として連れて行かれてしまいます。

道行く人もみな興味があって立ち止まり、ソクラテスの話に耳を傾けていた時代。

日常からそういったことに目を向けていたのですが、今となっては見向きもしない。

脱線しそうなのでもとに戻ると

「国家」の中でソクラテスはわれわれにとって「正義」とは何かを問いかけます。

「正義」を定義するには、「国家」の「正義」を定義することがわれわれにとっての「正義」

を包括するということで話が進みます。

「国家」の正義とは

・一人一人が自分の才能にあった仕事につくこと。自分の領域以外の仕事はしない。

・国を守る守護する支配者は、私有財産をもたずあまつさえ女性、子供も共有なものとします。
 → 誰の子だかわからなくなるのでは?というツッコミもある方法で逃げます。

・支配者たちは優秀な遺伝で維持しなければならない
 → ここが優生学的なところの記載であり、後世批判されているところかと

など数々の国家の中での正義とは何かを具体的にあげていきます。

「国家」(上)の最後のほうに

ソクラテスがいままで語ってきた「国家」における「正義」の在り方は実現できるのか?

とある人物が問います。

ソクラテスはなんと答えたか?

「国家」における「正義」の在り方を示してきたわけで、実現可能かどうか知らぬと・・・。

やってくれたな ソクラテス

「正義」とは何かの定義を極論に近いところまで持ってきたがそれが実現できるかは

知らぬと。

ソクラテスにとっては「正義」を実現することが大事でなく、まず定義することが

大事だったのですね。

ぐぬぬ。なるほど。一筋なわではいきそうにないな! ソクラテス。

民衆から怒りを買うのも無理ないなと思います。

まとめ
・2000年前には皆が「国家」についてどういうものか考えていた




posted by ましゅ at 05:13| Comment(0) | TrackBack(0) |
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