2015年12月11日
読書感想文『お墓』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、一条真也様の「墓じまい、墓じたくの作法」です
一条真也様。1963年福岡県生まれ。(株)サンレー代表取締役兼社長。九州国際大学客員教授。2012年第二回孔子文化賞受賞
気になる文章
●民族学者の新谷尚紀氏が著書「先祖供養のしきたり」で、お墓参りについて次のように述べています
「子供たちや孫たちに、自分がどこからこの世に生まれてきたか、決して一人だけでこの世にいるのではない、先祖があってこそなのだ、また自分もやがてあの世に行って、そんな先祖の一人になるかもしれない、ということを学ぶ良い機会となり、貴重な体験ともなるに違いない」
○小谷中広之の感情・・・お墓参りの意味というのはこういうことを家族一緒に考えることなのかもしれない
お盆とお彼岸、家族みんなでお墓参りしよう
●カトリックは心理カウンセラーの役割を神父に懺悔することで果たしていたが、その慣習がないプロテスタントが多いアメリカでは心理カウンセラーが必要になったという
では、日本はどうなのでしょうか
お仏壇に話しかけることで、自分の心を吐き出せていたとネルケ氏は言います。そして「このまま仏壇がなくなっていくと、日本人の心のバランスが取れなくなるのではないだろうかと心配している」そうです
日本人にはお仏壇がある、さらに考えればお墓があるということでしょう。お墓参りという行為が、いかに日本人の精神安定に必要であるかということです
○小谷中広之の感情・・・先祖に手を合わせ、一言二言会話する、または挨拶をすることは私個人的にも大切なことだと思う
誰にも言えない悩みなどを吐き出せ、悩みこそ解決はしないがお墓やお仏壇に言うことで、何か心のつっかえがとれるような気がしてしまうのは私だけではないだろう
●無縁仏になる原因を「お墓の社会学」の槇村久子氏は次のように整理しています
「墓の無縁化を進めている理由は3つある。一つはこのように家族がさらに小さくなり、個人化すること。二つ目は家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向いていること。三つめはサラリーマン化したことで、「家」を守るという意識が薄れているためである」
○小谷中広之の感情・・・特に個人的に感じることは二つ目の「家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向いていること」
過去も大切な今をつくり出してくれている。それを忘れてはいけないし、それを粗末に扱ってもいけないと思う。今の自分は過去の自分の積み重ねの結果でる。もっと深く考えれば、それはご先祖様があっての今の自分である
未来を見ることは素晴らしいことだが、過去と未来とそして現在の「みる」バランスが人生では肝心だと思う
●いつから葬儀をあげるようになったのか。そして墓地ができたのか
宗教学者の島田裕巳氏は「葬式仏教」への決定的要因について「0葬」で以下のように述べています
「日本の仏教が葬式仏教への道を歩むうえで決定的な要因となったのが、一つは浄土教信仰の浸透であり、もう一つが禅宗による葬儀の開拓である」
つまり仏教が葬儀という葬送儀式を自ら作ってきたということです
前週というのはやはり難しいイメージがありますし、修行が大変と思われています。実際そうですが、でも、僧侶たちが修行に集中するためには経済的な基盤が欲しい。そこで思いついたのが、修行途中で亡くなった雲水の葬儀の方法を俗人の葬儀に応用する道だったのです。ここに日本独特な仏教式の葬儀が確立されました。この禅宗の仏教式葬儀が、臨済宗だけではなく、天台宗、真言宗、さらには浄土宗にも広がっていきます
仏教が葬儀を担うようになり、それがやがて遺骨を管理する、お墓へと繋がっていったわけです
○小谷中広之の感情・・・葬儀は昔から、経済的な理由があったのか
葬儀のなかった時代は、個人個人でそのような今の葬儀に似たような儀式のようなものを行っていたのだろうか
その儀式のようなものを始めたきっかけとはいったいどのようなことだったのだろうか、死者を恐れたのか、死者を尊敬してのことだったのか、祟り的なことを考えてのことだったのだろうか。どちらにせよ、死者という者を考えたことがキッカケだったのであろう
●具体的には骨壺から遺骨を取り出し、一か所に共同埋葬する仕組みが一般的
これを「合祀(ゴウシ)」といいます。あるいは「合葬墓」などともいいます
この用語を複数の死者を同じ墓に葬るという意味でつかわれています
永大供養といっても合祀されれば「無縁仏」と同じではないかと思われるかもしれません。しかし、少し違います
無縁仏とは、管理者が不明な状態ですが、永大供養の場合は最初から後継者がいないことを前提にし、それを管理する寺院や自治体が永久に管理してくれるというものです
○小谷中広之の感情・・・永大供養の場合も、無縁仏の場合も、子孫がお墓参りに来ることがない意味では一緒であろう。結局のところ、永大供養にしても無縁仏にしても中にいる「今の自分がいるのは先祖さまのおかげ、つまり仏様のおかげ様」というお墓参りをする人はほとんど0に近いのだろう
●お墓から取り出した遺骨をどうやって新しいお墓に運ぶのか、です
これは「ゆうパック」で送れます。遺骨を郵送することは決して珍しいことではありません。送り状には「遺骨」あるいは「骨壺」と明記して問題ありません
○小谷中広之の感情・・・何かこのようなことで困っている人がいたら教えてあげよう
以前仕事で、人形供養代行を行ったことがあってしばらくお人形さんをお預かりしていて、お人形供養をしてくれるお寺さんや神社さんの供養の日にちの前にこちらから郵送したときはクロネコヤマトで郵送できた
運送会社さんはどのようなものでも運送してくれるのだと思ったきっかけだったのだが、まさか「遺骨」も運んでくれるとは、とてもありがたい人にとってはありがたい業務である
運転手さんありがとうございます
●少子化が進む現在、墓地にお墓を持つ権利を買ったとして、それを継承してくれる人がいなければ、初めから無縁墓になることを前提して購入することになります
いま海洋葬や樹木葬といった「自然葬」に人気があるのも、こうした継承者の問題が背景にあるからです
また「永大供養墓」というのも登場しています。納骨堂などです。また、お墓を持たずにペンダントなどの「手元供養」という形にする人も増えています
お墓は、後継者がいなくなれば、「無縁仏」として合祀されてしまう運命にあります
○小谷中広之の感情・・・手元葬では、ペンダントなどにして供養するのであろうが、無くしてしまって手元に戻ってこなくなったらどうなるのだろうか、また再発行のように新しく作るのだろうか、そのようなことをしていたらいつしか供養の意味がなくなってしまうような気がして寂しい
●お墓を購入する場合には、土地の使用料として永久使用権というのを購入します。これは土地を購入するわけではありません。お墓を置くスペースを使用する権利だけを購入することになるので、取得権はありませんので永久使用権も非課税です
通常は土地を相続した場合には相続税、不動産取得税、固定資産税など税金がかかりますが、お墓の場合は非課税対象で税金はかかりません
墓じたくのように、新しくお墓を立てる場合はどうでしょうか。墓石の購入やそれに関する工事や施工費用には消費税がかかりますが、それ以外はかかりません。墓石、お仏壇、位牌などもすべて非課税です
お墓の土地を貸している人、つまり土地の所得権を持っている場合にはどうなるでしょうか?この場合も税金はかかりません
お墓の権利に関して注意が必要なのは、誰かに譲渡する場合です。勝手に譲渡はできません。正式に許可を受けて譲渡した場合には、譲渡は可能です。譲渡に関する所得税はかかりません。お墓に関しては非課税ということです
○小谷中広之の感情・・・お墓に関することはすべて非課税と考えて問題なさそうだ
●「樹木葬」
1999年に岩手県一関市の祥雲寺が日本で初めておこないました
樹木葬は「散骨」ではないので、遺骨を砕きません。骨壺に納められたお骨を持参して、30センチほど掘られた穴に入れ、それから土をかけて、山つつじなどを植えます
「死んだら気になって森をつくろう」というエコロジカルなイギリスの葬法は1994年に登場しましたが、これと同じ発想から生まれたのが一関の「樹木葬」です
樹木葬にはいくつかのパターンがあります
「植樹型」遺骨を埋葬した付近に墓碑として植木を植えるもの。樹木にはハナミズキ、サルスベリ、モミジなど、低木が一般的
「メインツリー型」さくらなどシンボリックな木の周りに遺骨を埋葬するもの。一区画一名というのが基本
「墓標型」遺骨を埋葬した付近に、氏名などを書き込んだプレートを設置するもの
「完全埋葬型」東京の小平霊園などが行っているもので、遺骨を「共同埋葬施設」に埋葬するもので、いわゆる「合祀」
○小谷中広之の感情・・・中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考え方があるみたいだ。中国の人がみんなすべてがこのような考え方なのかどうかはわからないが、この考え方をすると樹木葬だと簡単に掘られて、鞭を打たれてしまうだろう
●21世紀のぜんざい「宇宙」に目を向けたハイテク葬儀もあります。衛星ロケットに個人の遺骨を乗せて、地球軌道上に打ち上げるというメモリアルサービスが「天空葬」といわれるもの
2014年にはエリジウムスペースが日本での営業を開始しました。費用は1990ドル、約20万円
初の宇宙葬は1997年4月21日、空中発射型ロケットのペガサスロケットによって行われました
○小谷中広之の感情・・・宇宙というのは人間がいなければそもそも存在していないのではないか、つまり宇宙というものは人類が発見し研究し今に至るわけで、この人間がそもそも存在していなければ、この地球上で宇宙を発見できる、または発見することは不可能に近い
そして、死者もまた誰も経験していないから全くわからない、宇宙に今自分がいるということ自体死んでいるので不明なのではないだろうか
結局、宇宙葬も樹木葬も、生きているうちに予約し、そして死ぬまで「自分は宇宙葬で死んだら宇宙に行ける」「死んだら樹木となり地球温暖化防止に役立つ」などという未来型の埋葬意識の強い人がおこなうのであろう
この宇宙葬が広まり世界各国でメジャーな埋葬の一つになった場合、いつの日かスペースデブリつまりは宇宙ゴミ問題の一つになりかねないのではないだろうか
ちなみに自分はこんなことを言ってはいますが、「宇宙葬」に興味津々です。いま現時点で33歳。もし100歳で亡くなるとしたら、あと67年、67年後の宇宙葬とはどのような規模になっているのだろうか。火星に埋葬?月に埋葬?金星や太陽で跡形もなく溶ける埋葬?など様々考えられる
●お墓は足りないのか、はたまた余っているのか
どちらも正解です。お墓も住宅と同じように、過密化と過疎化が影響しています。過密化は霊園や墓地の不足を生み、過疎化は無縁墓を生んできました
これは都会と地方という構図でも説明がつきます。都会ではお墓が不足し、地方ではお墓が余るわけです。余るというのは少し表現が違うかもしれません。使用権が無くなったお墓の区画が多数存在するということです
また核家族化によって、先祖との関係が希薄になったことで、お墓が「家」のものから「個」のものになったことも影響しています
かつて膿瘍に先祖代々の複数の遺骨が一つのお墓に入っていた時代は、少数のお墓で十分でした。ところがいまは個人のお墓ですから、その数は当然増えます。よって、お墓そのものが不足していきます
こうしてみてくると、一戸建てからマンションに都会の住環境が変わってきたように、お墓も納骨堂という集合住宅化していくのは当然なのかもしれません
今や、お墓を住宅感覚で考える時代がきています。先祖や子孫のことを考えれば、あなたなりの答えがきっと見つかるはずです
○小谷中広之の感情・・・宇宙葬に興味がある私ではありますが、子供たちがこれからのお墓についてしっかりと向き合い考えられるようになったら家族会議をして話し合いたいと思います
そんな機会を強制的に作るためには、やはり還暦というイベントが良いのではないだろうか
●無縁墓を防ぐことは、お墓の問題の解決だけではありません。無縁墓になれば、残念ながら「お墓はゴミ」になってしまいます
継承者をしっかりと決まること。決まらなければ共同墓や永大供養墓にするなど、選択肢はたくさんあります。継承者を探せば、逆にお墓はゴミにならずに済むということです
○小谷中広之の感情・・・お墓をゴミにさせないためにも一人一人考える機会をつくろう
これ以上地球のごみ問題を悪化させないためにも、考えてみよう
例えば不謹慎かもしれませんが案として「リサイクル」「リユース」なども視野に入れて見る必要が出てくるのではないだろうか
●NHK大型企画開発エグゼクティブプロデューサーの高間大介氏は著書「人間はどこから来たのか、どこへ行くのか」において
「花を手向けたか堂かは別にして、ネアンデルタールが遺体をきちんと埋葬していたらしい事は多くの遺跡で確かめられている。石で念入りに覆った埋葬例も見つかっている。死者を守ろうとしたのか、あるいは逆に死者を恐れたのかは不明だというが、死という意識があったのは間違いないのだろう。それ以前のヒト祖先になると、もうわからない。埋葬した例も見つかっていない」
「最近の考古学調査からは、農耕が始まる前から、人々は定住生活に移っていたらしいと分かってきている。じわじわと人口が増え、狩猟採集に適した土地を占有しようという動きが出ていたのだろう。その戦友の根拠が「昔からここで暮らしていた」という事実であり、その事実をわかりやすく周りに示すのが先祖の墓というわけだ。この時から、死は個人や家族の死という意味だけでなく、共同体の一員の死という側面を色濃く持つようになった、といえるだろう」
○小谷中広之の感情・・・私の苗字は「小谷中(コヤナカ)」この苗字は埼玉県春日部市に多い。私自身も春日部出身者です。まさに小谷中家のお墓参りをするととても古いお墓があります。これもまさに「小谷中家」が代々その土地にいたことを示す動かぬ証拠である
●鳥葬といえば、遺体を禿鷹に食わせる残酷な葬法と思われるかもしれませんが、遺体をついばむ禿鷹が死霊をその死後の住処である天空界へと導くものとする観念に支えられているチベット人にとっては至極当然の葬法なのです
言い換えれば、死霊への恐怖は、死霊に幸せな他界に再生してもらいたいと思いと裏腹の関係にあるのです
葬法は死の儀礼の出発点です
○小谷中広之の感情・・・チベット死者の書を要約購入しました。まだ読んでいないのですが、ここに描かれていることを意識しながら、読みたいです
●死者が生前にいかに愛されていようとも、腐敗していく遺体は生者に嫌悪感を与え、死霊への恐怖を起こさせます。人類に共通して認められるのは死者が怖がられる存在である
○小谷中広之の感情・・・その通りである
腐敗していく遺体は、二人称であっても、もちろん三人称であっても嫌なものでしかない
●お線香は「香食(コウジキ)」といわれ、仏様の食事となります
○小谷中広之の感情・・・この文章を読んでから、お線香をあげるときには「香食」なのだという意識で、お線香をあげています
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、一条真也様の「墓じまい、墓じたくの作法」です
一条真也様。1963年福岡県生まれ。(株)サンレー代表取締役兼社長。九州国際大学客員教授。2012年第二回孔子文化賞受賞
気になる文章
●民族学者の新谷尚紀氏が著書「先祖供養のしきたり」で、お墓参りについて次のように述べています
「子供たちや孫たちに、自分がどこからこの世に生まれてきたか、決して一人だけでこの世にいるのではない、先祖があってこそなのだ、また自分もやがてあの世に行って、そんな先祖の一人になるかもしれない、ということを学ぶ良い機会となり、貴重な体験ともなるに違いない」
○小谷中広之の感情・・・お墓参りの意味というのはこういうことを家族一緒に考えることなのかもしれない
お盆とお彼岸、家族みんなでお墓参りしよう
●カトリックは心理カウンセラーの役割を神父に懺悔することで果たしていたが、その慣習がないプロテスタントが多いアメリカでは心理カウンセラーが必要になったという
では、日本はどうなのでしょうか
お仏壇に話しかけることで、自分の心を吐き出せていたとネルケ氏は言います。そして「このまま仏壇がなくなっていくと、日本人の心のバランスが取れなくなるのではないだろうかと心配している」そうです
日本人にはお仏壇がある、さらに考えればお墓があるということでしょう。お墓参りという行為が、いかに日本人の精神安定に必要であるかということです
○小谷中広之の感情・・・先祖に手を合わせ、一言二言会話する、または挨拶をすることは私個人的にも大切なことだと思う
誰にも言えない悩みなどを吐き出せ、悩みこそ解決はしないがお墓やお仏壇に言うことで、何か心のつっかえがとれるような気がしてしまうのは私だけではないだろう
●無縁仏になる原因を「お墓の社会学」の槇村久子氏は次のように整理しています
「墓の無縁化を進めている理由は3つある。一つはこのように家族がさらに小さくなり、個人化すること。二つ目は家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向いていること。三つめはサラリーマン化したことで、「家」を守るという意識が薄れているためである」
○小谷中広之の感情・・・特に個人的に感じることは二つ目の「家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向いていること」
過去も大切な今をつくり出してくれている。それを忘れてはいけないし、それを粗末に扱ってもいけないと思う。今の自分は過去の自分の積み重ねの結果でる。もっと深く考えれば、それはご先祖様があっての今の自分である
未来を見ることは素晴らしいことだが、過去と未来とそして現在の「みる」バランスが人生では肝心だと思う
●いつから葬儀をあげるようになったのか。そして墓地ができたのか
宗教学者の島田裕巳氏は「葬式仏教」への決定的要因について「0葬」で以下のように述べています
「日本の仏教が葬式仏教への道を歩むうえで決定的な要因となったのが、一つは浄土教信仰の浸透であり、もう一つが禅宗による葬儀の開拓である」
つまり仏教が葬儀という葬送儀式を自ら作ってきたということです
前週というのはやはり難しいイメージがありますし、修行が大変と思われています。実際そうですが、でも、僧侶たちが修行に集中するためには経済的な基盤が欲しい。そこで思いついたのが、修行途中で亡くなった雲水の葬儀の方法を俗人の葬儀に応用する道だったのです。ここに日本独特な仏教式の葬儀が確立されました。この禅宗の仏教式葬儀が、臨済宗だけではなく、天台宗、真言宗、さらには浄土宗にも広がっていきます
仏教が葬儀を担うようになり、それがやがて遺骨を管理する、お墓へと繋がっていったわけです
○小谷中広之の感情・・・葬儀は昔から、経済的な理由があったのか
葬儀のなかった時代は、個人個人でそのような今の葬儀に似たような儀式のようなものを行っていたのだろうか
その儀式のようなものを始めたきっかけとはいったいどのようなことだったのだろうか、死者を恐れたのか、死者を尊敬してのことだったのか、祟り的なことを考えてのことだったのだろうか。どちらにせよ、死者という者を考えたことがキッカケだったのであろう
●具体的には骨壺から遺骨を取り出し、一か所に共同埋葬する仕組みが一般的
これを「合祀(ゴウシ)」といいます。あるいは「合葬墓」などともいいます
この用語を複数の死者を同じ墓に葬るという意味でつかわれています
永大供養といっても合祀されれば「無縁仏」と同じではないかと思われるかもしれません。しかし、少し違います
無縁仏とは、管理者が不明な状態ですが、永大供養の場合は最初から後継者がいないことを前提にし、それを管理する寺院や自治体が永久に管理してくれるというものです
○小谷中広之の感情・・・永大供養の場合も、無縁仏の場合も、子孫がお墓参りに来ることがない意味では一緒であろう。結局のところ、永大供養にしても無縁仏にしても中にいる「今の自分がいるのは先祖さまのおかげ、つまり仏様のおかげ様」というお墓参りをする人はほとんど0に近いのだろう
●お墓から取り出した遺骨をどうやって新しいお墓に運ぶのか、です
これは「ゆうパック」で送れます。遺骨を郵送することは決して珍しいことではありません。送り状には「遺骨」あるいは「骨壺」と明記して問題ありません
○小谷中広之の感情・・・何かこのようなことで困っている人がいたら教えてあげよう
以前仕事で、人形供養代行を行ったことがあってしばらくお人形さんをお預かりしていて、お人形供養をしてくれるお寺さんや神社さんの供養の日にちの前にこちらから郵送したときはクロネコヤマトで郵送できた
運送会社さんはどのようなものでも運送してくれるのだと思ったきっかけだったのだが、まさか「遺骨」も運んでくれるとは、とてもありがたい人にとってはありがたい業務である
運転手さんありがとうございます
●少子化が進む現在、墓地にお墓を持つ権利を買ったとして、それを継承してくれる人がいなければ、初めから無縁墓になることを前提して購入することになります
いま海洋葬や樹木葬といった「自然葬」に人気があるのも、こうした継承者の問題が背景にあるからです
また「永大供養墓」というのも登場しています。納骨堂などです。また、お墓を持たずにペンダントなどの「手元供養」という形にする人も増えています
お墓は、後継者がいなくなれば、「無縁仏」として合祀されてしまう運命にあります
○小谷中広之の感情・・・手元葬では、ペンダントなどにして供養するのであろうが、無くしてしまって手元に戻ってこなくなったらどうなるのだろうか、また再発行のように新しく作るのだろうか、そのようなことをしていたらいつしか供養の意味がなくなってしまうような気がして寂しい
●お墓を購入する場合には、土地の使用料として永久使用権というのを購入します。これは土地を購入するわけではありません。お墓を置くスペースを使用する権利だけを購入することになるので、取得権はありませんので永久使用権も非課税です
通常は土地を相続した場合には相続税、不動産取得税、固定資産税など税金がかかりますが、お墓の場合は非課税対象で税金はかかりません
墓じたくのように、新しくお墓を立てる場合はどうでしょうか。墓石の購入やそれに関する工事や施工費用には消費税がかかりますが、それ以外はかかりません。墓石、お仏壇、位牌などもすべて非課税です
お墓の土地を貸している人、つまり土地の所得権を持っている場合にはどうなるでしょうか?この場合も税金はかかりません
お墓の権利に関して注意が必要なのは、誰かに譲渡する場合です。勝手に譲渡はできません。正式に許可を受けて譲渡した場合には、譲渡は可能です。譲渡に関する所得税はかかりません。お墓に関しては非課税ということです
○小谷中広之の感情・・・お墓に関することはすべて非課税と考えて問題なさそうだ
●「樹木葬」
1999年に岩手県一関市の祥雲寺が日本で初めておこないました
樹木葬は「散骨」ではないので、遺骨を砕きません。骨壺に納められたお骨を持参して、30センチほど掘られた穴に入れ、それから土をかけて、山つつじなどを植えます
「死んだら気になって森をつくろう」というエコロジカルなイギリスの葬法は1994年に登場しましたが、これと同じ発想から生まれたのが一関の「樹木葬」です
樹木葬にはいくつかのパターンがあります
「植樹型」遺骨を埋葬した付近に墓碑として植木を植えるもの。樹木にはハナミズキ、サルスベリ、モミジなど、低木が一般的
「メインツリー型」さくらなどシンボリックな木の周りに遺骨を埋葬するもの。一区画一名というのが基本
「墓標型」遺骨を埋葬した付近に、氏名などを書き込んだプレートを設置するもの
「完全埋葬型」東京の小平霊園などが行っているもので、遺骨を「共同埋葬施設」に埋葬するもので、いわゆる「合祀」
○小谷中広之の感情・・・中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考え方があるみたいだ。中国の人がみんなすべてがこのような考え方なのかどうかはわからないが、この考え方をすると樹木葬だと簡単に掘られて、鞭を打たれてしまうだろう
●21世紀のぜんざい「宇宙」に目を向けたハイテク葬儀もあります。衛星ロケットに個人の遺骨を乗せて、地球軌道上に打ち上げるというメモリアルサービスが「天空葬」といわれるもの
2014年にはエリジウムスペースが日本での営業を開始しました。費用は1990ドル、約20万円
初の宇宙葬は1997年4月21日、空中発射型ロケットのペガサスロケットによって行われました
○小谷中広之の感情・・・宇宙というのは人間がいなければそもそも存在していないのではないか、つまり宇宙というものは人類が発見し研究し今に至るわけで、この人間がそもそも存在していなければ、この地球上で宇宙を発見できる、または発見することは不可能に近い
そして、死者もまた誰も経験していないから全くわからない、宇宙に今自分がいるということ自体死んでいるので不明なのではないだろうか
結局、宇宙葬も樹木葬も、生きているうちに予約し、そして死ぬまで「自分は宇宙葬で死んだら宇宙に行ける」「死んだら樹木となり地球温暖化防止に役立つ」などという未来型の埋葬意識の強い人がおこなうのであろう
この宇宙葬が広まり世界各国でメジャーな埋葬の一つになった場合、いつの日かスペースデブリつまりは宇宙ゴミ問題の一つになりかねないのではないだろうか
ちなみに自分はこんなことを言ってはいますが、「宇宙葬」に興味津々です。いま現時点で33歳。もし100歳で亡くなるとしたら、あと67年、67年後の宇宙葬とはどのような規模になっているのだろうか。火星に埋葬?月に埋葬?金星や太陽で跡形もなく溶ける埋葬?など様々考えられる
●お墓は足りないのか、はたまた余っているのか
どちらも正解です。お墓も住宅と同じように、過密化と過疎化が影響しています。過密化は霊園や墓地の不足を生み、過疎化は無縁墓を生んできました
これは都会と地方という構図でも説明がつきます。都会ではお墓が不足し、地方ではお墓が余るわけです。余るというのは少し表現が違うかもしれません。使用権が無くなったお墓の区画が多数存在するということです
また核家族化によって、先祖との関係が希薄になったことで、お墓が「家」のものから「個」のものになったことも影響しています
かつて膿瘍に先祖代々の複数の遺骨が一つのお墓に入っていた時代は、少数のお墓で十分でした。ところがいまは個人のお墓ですから、その数は当然増えます。よって、お墓そのものが不足していきます
こうしてみてくると、一戸建てからマンションに都会の住環境が変わってきたように、お墓も納骨堂という集合住宅化していくのは当然なのかもしれません
今や、お墓を住宅感覚で考える時代がきています。先祖や子孫のことを考えれば、あなたなりの答えがきっと見つかるはずです
○小谷中広之の感情・・・宇宙葬に興味がある私ではありますが、子供たちがこれからのお墓についてしっかりと向き合い考えられるようになったら家族会議をして話し合いたいと思います
そんな機会を強制的に作るためには、やはり還暦というイベントが良いのではないだろうか
●無縁墓を防ぐことは、お墓の問題の解決だけではありません。無縁墓になれば、残念ながら「お墓はゴミ」になってしまいます
継承者をしっかりと決まること。決まらなければ共同墓や永大供養墓にするなど、選択肢はたくさんあります。継承者を探せば、逆にお墓はゴミにならずに済むということです
○小谷中広之の感情・・・お墓をゴミにさせないためにも一人一人考える機会をつくろう
これ以上地球のごみ問題を悪化させないためにも、考えてみよう
例えば不謹慎かもしれませんが案として「リサイクル」「リユース」なども視野に入れて見る必要が出てくるのではないだろうか
●NHK大型企画開発エグゼクティブプロデューサーの高間大介氏は著書「人間はどこから来たのか、どこへ行くのか」において
「花を手向けたか堂かは別にして、ネアンデルタールが遺体をきちんと埋葬していたらしい事は多くの遺跡で確かめられている。石で念入りに覆った埋葬例も見つかっている。死者を守ろうとしたのか、あるいは逆に死者を恐れたのかは不明だというが、死という意識があったのは間違いないのだろう。それ以前のヒト祖先になると、もうわからない。埋葬した例も見つかっていない」
「最近の考古学調査からは、農耕が始まる前から、人々は定住生活に移っていたらしいと分かってきている。じわじわと人口が増え、狩猟採集に適した土地を占有しようという動きが出ていたのだろう。その戦友の根拠が「昔からここで暮らしていた」という事実であり、その事実をわかりやすく周りに示すのが先祖の墓というわけだ。この時から、死は個人や家族の死という意味だけでなく、共同体の一員の死という側面を色濃く持つようになった、といえるだろう」
○小谷中広之の感情・・・私の苗字は「小谷中(コヤナカ)」この苗字は埼玉県春日部市に多い。私自身も春日部出身者です。まさに小谷中家のお墓参りをするととても古いお墓があります。これもまさに「小谷中家」が代々その土地にいたことを示す動かぬ証拠である
●鳥葬といえば、遺体を禿鷹に食わせる残酷な葬法と思われるかもしれませんが、遺体をついばむ禿鷹が死霊をその死後の住処である天空界へと導くものとする観念に支えられているチベット人にとっては至極当然の葬法なのです
言い換えれば、死霊への恐怖は、死霊に幸せな他界に再生してもらいたいと思いと裏腹の関係にあるのです
葬法は死の儀礼の出発点です
○小谷中広之の感情・・・チベット死者の書を要約購入しました。まだ読んでいないのですが、ここに描かれていることを意識しながら、読みたいです
●死者が生前にいかに愛されていようとも、腐敗していく遺体は生者に嫌悪感を与え、死霊への恐怖を起こさせます。人類に共通して認められるのは死者が怖がられる存在である
○小谷中広之の感情・・・その通りである
腐敗していく遺体は、二人称であっても、もちろん三人称であっても嫌なものでしかない
●お線香は「香食(コウジキ)」といわれ、仏様の食事となります
○小谷中広之の感情・・・この文章を読んでから、お線香をあげるときには「香食」なのだという意識で、お線香をあげています
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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