2015年12月04日
読書感想文『狂う』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ひろさちや様の「「狂い」のすすめ」です
ひろさちや様。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒、同大学博士課程修了。起床大学で20年間教壇に立つ
気になる文章
●トルコに旅行したとき、街の商店に行って土産物に行って土産物を買おうとしました。二時間も賭けて値切ったのですが、結局私の希望価格にならなかった。その間、トルココーヒーをごちそうになったりしたのですが、交渉が決裂して何も買わずに変えることになり、私は「すまなかった」と謝りました。相手の時間を無駄にしたと思ったからです
「とんでもない、私のほうがあなたにお礼を言いたい」と、トルコの商人は言いました。「だって、私は日本人と楽しい時間を過ごせたのだから。私は楽しい毎日を過ごすために商売をしているのだ。売れる、売れないは二の次だ」
受験勉強にしても、勉強が好きだから大学に行くのでしょう。だとすれば、受験に失敗して一年間の浪人生活をせねばならなくなれば、本当は喜ぶべきでしょう。だって一年間、好きな勉強ができるのですから
つまり、目的意識があると、我々はその目的を達成することだけにとらわれてしまい、毎日の生活を灰色にすることになるのです。失敗したっていいのです
それでも楽しく生きることができるはずです
○小谷中広之の感情・・・毎日、今に生きる
●サモセットモームの「人間のきずな」の中でモームは、「人間の歴史」を知りたいと思った東方のある国王のアネクドートを紹介しています。国王は学者に命じて、人間の歴史を書いた五百巻の書物を集めさせました。けれども、政務に忙しい国王は、五百巻の書物を読む暇がありません。で、国王は学者にそれを要約するように命じました
それから二十年後、学者は五十巻の書物を宮廷に持参しました。だが国王は、ある程度政務から離れていたので、それを読む時間はあるのですが、今度は気力がありません。だから学者に、もっと短く要約してくれと命じました
さらに二十年が経ちました。学者の頭は真っ白になっています。杖を突きながら、一冊の書物を携えて学者は宮廷にやってきました
ところが国王は、臨終のベッドにいます。一冊の書物すら読むことができないのです
そこで学者は、国王の耳に「人間の歴史」をわずか一行に要約して話して聞かせました
そこのところを引用しておきます
「賢者は、人間の壁氏を、わずか一行に申し上げた。こうだった。人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、何もない。そして任禅の一生もまた、何の役にも立たないのだ。彼が、生まれてこようと、こなかろうと、生きようと、死んでしまおうと、そんなことは、一切何の影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」
五百巻に及ぶ「人間の歴史」も、要約すればたった一行になります
人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ
そうだとすれば人間は苦しむために生まれてきたのであり、死ぬために生まれてきたのです
○小谷中広之の感情・・・五百巻に及ぶ「人間の歴史」を他人に要約してもらいながらも、一日一ページでも読んでいれば、また違った人生が待っていただろう
●ガンという病気は、老衰のように楽に死ねる病気だ、と。高齢者がだんだん食べなくなって、痩せて枯れ木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方ができるのがガンなんです。そして昔は、そのような老衰死が多かった
かつて1918年には、人口10万人辺り178人が老衰で死亡していました。ところが2001年には10万人あたり25人でしかありません。総人口に占める65歳以上の割合は、1918年が5%で、2001年が17%です。老齢人口が増加しているのに、老衰死は逆に減っているわけです
どうして老衰死が減るのでしょうか?死因ががんと診断される事例が増えたからです。ガン、心臓病、脳卒中の三大死因のうち、心臓病と脳卒中は発作があるので、昔も診断は容易でした。ところが、昔はガンが死因でも、わざわざ解剖しませんから、ガンと診断されずに老衰死とされていたので、老衰死が多かったのです
そしてガンは、実は治療しないでいると、老衰のように楽に死ねる場合が多いのです
癌にかかると苦しむ、置う印象があるとすれば、それは手術の後遺症や、抗がん剤の副作用によって苦しんでいるのを、ガン自体によるものと勘違いしているのではないか
ガンを治療すると苦しむ別の原因は転移です。例えば食道ガンや胃ガンで、原発病巣が増大して食事がとれなくなって死亡する場合には、痩せてきて老衰死の形をとります。これに対し、手術して原発病巣を切除すると、延命効果がある場合もあるでしょう。しかしその場合、転移病巣が増大する時間的余裕を与え、転移のために苦痛が生じることにもなるのです
老衰のような死に方を理想とするなら、ガンを無理に発見して治療しない方がよい場合も多々あるわけです
要するに、臓器を摘出すれば体力が弱るわけです。そして手術がうまくいって延命効果があっても、激しい痛みに苦しみながら生きなばなりません。ガンのまま死ねれば、枯れるように老衰死できるのです
○小谷中広之の感情・・・結局いま現時点での医療のレベルがまたはるかに上がれば、老衰死というのも減っていくだろう
新たな病名が加わるのだろう
●人間というのは孤独な存在です
浄土経典である「大無量寿経」においては、「人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来る」
といわれています。この「独生、独死、独去、独来」が人間の本質なんです
誰にもみとられることなく、独りで淋しく死んでいく孤独な死もあります
それどころか、腐臭が漂うので、近所の人が入ってみると、腐乱死体になっていたという、独居老人の死もありました。それらは孤独な死ですが、しかし大勢の子や孫に囲まれて死んでいく老人の死も、根源的な孤独です。人間皆一人で死なねばならないからです
そういえば心中、情死もありますね。江戸幕府は心中の語の使用を禁じたもので、心中は相対死(アイタイシ)と呼ばれていました。男女が一緒に死ぬのですから、孤独の死と違っているようですが、それだって死の瞬間は孤独でしょう。死後の世界に一緒に行けるか否かわかりませんね
○小谷中広之の感情・・・死ぬ瞬間は、結局一人で死ななければならないのだ
●孤独を生きねばならない
のです。いいですか、孤独に生きるのではなしに、孤独を生きるのです
その生き方を探ってみましょう
○小谷中広之の感情・・・孤独になってしまうのではなく、自ら孤独に生きよう
●動物社会学の人から聞いたのですが、アリという動物はそれほど勤勉ではないそうです
アリの内まじめに働いているのは約二割で、残りの八割は怠けものだそうです。嫌、もっと正確に言えば、2対6対2の比率になります。それで、六割の普通のアリを怠けもののグループに入れると、二割が勤勉で、八割が怠け者になるわけです
さて、次に、勤勉なアリばかりを集めて新しい集団をつくります。すると、それまで勤勉に働いていたアリの八割が怠け者に転ずるそうです。依然として勤勉に働くアリは二割しかしないのです
逆に怠け者のアリばかりを集めて集団をつくる。すると、そのうちの二割のアリが勤勉化に転じます。残りの八割は、依然としてなまけ者なんです
そしてそれは、人間の世界でも同じです
二割の優秀な社員をつくるためには、八割の怠け者の社員を必要とします。八割の怠け者がいなければ、二割は優秀にはなれないのです
○小谷中広之の感情・・・今度アリの大軍をを発見したら観察してみよう
どんなことにも、やはり2割という数字は大切なのだろう。仕事も最初に大事な二割を集中して片付けてしまえば残りの8割はスムーズに事が運ぶだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ひろさちや様の「「狂い」のすすめ」です
ひろさちや様。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒、同大学博士課程修了。起床大学で20年間教壇に立つ
気になる文章
●トルコに旅行したとき、街の商店に行って土産物に行って土産物を買おうとしました。二時間も賭けて値切ったのですが、結局私の希望価格にならなかった。その間、トルココーヒーをごちそうになったりしたのですが、交渉が決裂して何も買わずに変えることになり、私は「すまなかった」と謝りました。相手の時間を無駄にしたと思ったからです
「とんでもない、私のほうがあなたにお礼を言いたい」と、トルコの商人は言いました。「だって、私は日本人と楽しい時間を過ごせたのだから。私は楽しい毎日を過ごすために商売をしているのだ。売れる、売れないは二の次だ」
受験勉強にしても、勉強が好きだから大学に行くのでしょう。だとすれば、受験に失敗して一年間の浪人生活をせねばならなくなれば、本当は喜ぶべきでしょう。だって一年間、好きな勉強ができるのですから
つまり、目的意識があると、我々はその目的を達成することだけにとらわれてしまい、毎日の生活を灰色にすることになるのです。失敗したっていいのです
それでも楽しく生きることができるはずです
○小谷中広之の感情・・・毎日、今に生きる
●サモセットモームの「人間のきずな」の中でモームは、「人間の歴史」を知りたいと思った東方のある国王のアネクドートを紹介しています。国王は学者に命じて、人間の歴史を書いた五百巻の書物を集めさせました。けれども、政務に忙しい国王は、五百巻の書物を読む暇がありません。で、国王は学者にそれを要約するように命じました
それから二十年後、学者は五十巻の書物を宮廷に持参しました。だが国王は、ある程度政務から離れていたので、それを読む時間はあるのですが、今度は気力がありません。だから学者に、もっと短く要約してくれと命じました
さらに二十年が経ちました。学者の頭は真っ白になっています。杖を突きながら、一冊の書物を携えて学者は宮廷にやってきました
ところが国王は、臨終のベッドにいます。一冊の書物すら読むことができないのです
そこで学者は、国王の耳に「人間の歴史」をわずか一行に要約して話して聞かせました
そこのところを引用しておきます
「賢者は、人間の壁氏を、わずか一行に申し上げた。こうだった。人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、何もない。そして任禅の一生もまた、何の役にも立たないのだ。彼が、生まれてこようと、こなかろうと、生きようと、死んでしまおうと、そんなことは、一切何の影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」
五百巻に及ぶ「人間の歴史」も、要約すればたった一行になります
人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ
そうだとすれば人間は苦しむために生まれてきたのであり、死ぬために生まれてきたのです
○小谷中広之の感情・・・五百巻に及ぶ「人間の歴史」を他人に要約してもらいながらも、一日一ページでも読んでいれば、また違った人生が待っていただろう
●ガンという病気は、老衰のように楽に死ねる病気だ、と。高齢者がだんだん食べなくなって、痩せて枯れ木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方ができるのがガンなんです。そして昔は、そのような老衰死が多かった
かつて1918年には、人口10万人辺り178人が老衰で死亡していました。ところが2001年には10万人あたり25人でしかありません。総人口に占める65歳以上の割合は、1918年が5%で、2001年が17%です。老齢人口が増加しているのに、老衰死は逆に減っているわけです
どうして老衰死が減るのでしょうか?死因ががんと診断される事例が増えたからです。ガン、心臓病、脳卒中の三大死因のうち、心臓病と脳卒中は発作があるので、昔も診断は容易でした。ところが、昔はガンが死因でも、わざわざ解剖しませんから、ガンと診断されずに老衰死とされていたので、老衰死が多かったのです
そしてガンは、実は治療しないでいると、老衰のように楽に死ねる場合が多いのです
癌にかかると苦しむ、置う印象があるとすれば、それは手術の後遺症や、抗がん剤の副作用によって苦しんでいるのを、ガン自体によるものと勘違いしているのではないか
ガンを治療すると苦しむ別の原因は転移です。例えば食道ガンや胃ガンで、原発病巣が増大して食事がとれなくなって死亡する場合には、痩せてきて老衰死の形をとります。これに対し、手術して原発病巣を切除すると、延命効果がある場合もあるでしょう。しかしその場合、転移病巣が増大する時間的余裕を与え、転移のために苦痛が生じることにもなるのです
老衰のような死に方を理想とするなら、ガンを無理に発見して治療しない方がよい場合も多々あるわけです
要するに、臓器を摘出すれば体力が弱るわけです。そして手術がうまくいって延命効果があっても、激しい痛みに苦しみながら生きなばなりません。ガンのまま死ねれば、枯れるように老衰死できるのです
○小谷中広之の感情・・・結局いま現時点での医療のレベルがまたはるかに上がれば、老衰死というのも減っていくだろう
新たな病名が加わるのだろう
●人間というのは孤独な存在です
浄土経典である「大無量寿経」においては、「人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来る」
といわれています。この「独生、独死、独去、独来」が人間の本質なんです
誰にもみとられることなく、独りで淋しく死んでいく孤独な死もあります
それどころか、腐臭が漂うので、近所の人が入ってみると、腐乱死体になっていたという、独居老人の死もありました。それらは孤独な死ですが、しかし大勢の子や孫に囲まれて死んでいく老人の死も、根源的な孤独です。人間皆一人で死なねばならないからです
そういえば心中、情死もありますね。江戸幕府は心中の語の使用を禁じたもので、心中は相対死(アイタイシ)と呼ばれていました。男女が一緒に死ぬのですから、孤独の死と違っているようですが、それだって死の瞬間は孤独でしょう。死後の世界に一緒に行けるか否かわかりませんね
○小谷中広之の感情・・・死ぬ瞬間は、結局一人で死ななければならないのだ
●孤独を生きねばならない
のです。いいですか、孤独に生きるのではなしに、孤独を生きるのです
その生き方を探ってみましょう
○小谷中広之の感情・・・孤独になってしまうのではなく、自ら孤独に生きよう
●動物社会学の人から聞いたのですが、アリという動物はそれほど勤勉ではないそうです
アリの内まじめに働いているのは約二割で、残りの八割は怠けものだそうです。嫌、もっと正確に言えば、2対6対2の比率になります。それで、六割の普通のアリを怠けもののグループに入れると、二割が勤勉で、八割が怠け者になるわけです
さて、次に、勤勉なアリばかりを集めて新しい集団をつくります。すると、それまで勤勉に働いていたアリの八割が怠け者に転ずるそうです。依然として勤勉に働くアリは二割しかしないのです
逆に怠け者のアリばかりを集めて集団をつくる。すると、そのうちの二割のアリが勤勉化に転じます。残りの八割は、依然としてなまけ者なんです
そしてそれは、人間の世界でも同じです
二割の優秀な社員をつくるためには、八割の怠け者の社員を必要とします。八割の怠け者がいなければ、二割は優秀にはなれないのです
○小谷中広之の感情・・・今度アリの大軍をを発見したら観察してみよう
どんなことにも、やはり2割という数字は大切なのだろう。仕事も最初に大事な二割を集中して片付けてしまえば残りの8割はスムーズに事が運ぶだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
【楽天ブックスならいつでも送料無料】「狂い」のすすめ [ ひろさちや ] |
タグ:ひろさちや 様
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4399988
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック