2015年12月01日
読書感想文『生きる力』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、植島啓司様の「生きるチカラ」です
植島啓司様。1947年生まれ。宗教人類学者。東京大学卒業。東京大学大学院人文化研究科博士課程修了。関西大学教授、NYのニュースクールフォーソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任
気になる文章
●死に方がわからなければ生き方もわからない。そして、生き方がわからなければ死に方もわからない
○小谷中広之の感情・・・自分がどのように最後を迎えたいのか、そしてそのためには今どのように生きていけばいいのか
自分の「生き」と「死」についてもっと深く考える時間をもつことは決して時間の消費や浪費にはならずむしろ投資になるので会はないだろうか
●自分に降りかかるすべてを面白がれるかどうかが、旅を楽しめるかどうかの分岐点なのだ
旅では自分の身に起こることは全ていいことだと思ったらいいのである
○小谷中広之の感情・・・時間通りに動かい交通機関や、注文した料理と別のモノが出てくる、タクシーがつかまらずに歩いて移動する、宿が見つからず野宿する、などすべての予定にないことが起きたとしてもそれを全て楽しめるような旅の達人になろう
●仕事の合間にちょっと遊ぶというのでは面白くない。それこそ命がけで遊ぶことが肝心なのだ
ちょっとした小遣い銭を欲しがったり、まんまと女をだまして体を奪ったり、わずかな酒で酔いつぶれたりするのでは、まったく遊ぶ意味がない。それならば、まだまともに生きた方がましだ。自分の命をすり減らすような「賭け」をしてこそ、他の凡庸(ボンヨウ)な人間たちには味わえない境地をさまよえるのだ
○小谷中広之の感情・・・明日の生活費すらなくなってしまうような遊びをしてみよう
遊ぶならとことん遊んでみよう。それこそ0時〜23時59分59秒59まで
●いったん背負い込んだトラブルも、二度目となるとたいしたことに思えなくなる
○小谷中広之の感情・・・対処の仕方を学ぶのか、トラブルに対する姿勢を学ぶのか、どちらにせよ二度あってもよいトラブルであってほしい。同じような自分のミスで起こしてしまうトラブルは起こしてはならない
●自分自身を正体不明にしておくこと、何が起こってもそれを吸収できるような柔軟な立ち位置を確保すること、どこを攻められてもダメな部分を切り捨てて、常に同じ好ましい状態でいられるようにしておくこと、出来る限り失ってはならないものを持たないこと、そうした生き方をしていれば、どんなトラブルでも効果的に処理できるということになる
○小谷中広之の感情・・・努力をしてきて得たものでダメになった(無駄な努力、高価な商品、人間関係など)と自分で気づいていてもすぐには手放せなくなってしまう
しかし、それをすんなり手放すことができるようになろう。もし迷うのであれば元々それを手に入れる資格は自分にはなかったのだと思い素直にあきらめよう、そしてすぐに次の行動を起こそう
●どんな選択にせよ、あらゆる選択には誤りが含まれており、成功か失敗かはそう簡単には判断がつかない。その時には成功に見えても後に大きなトラブルを抱え込むようになったり、失敗に見えて大きな成功と結びつく事だってある。それはあなたが生きている内だけのことではない。あなたの判断が正しかったかどうかは子供や周囲の人々のその後の生き方にも影響を与え、どこまでもゐ因果の結びつきは果てしなく続くことになるのである
○小谷中広之の感情・・・今日の失敗が明日の成功を生むのかもしれない
●幸運を独り占めするようなことはやめた方がいい。誰かを蹴落としたり傷つけたりすることも避けるべきであろう。幸運自分の最も弱いところに不運となって戻ってくる
○小谷中広之の感情・・・思わぬ幸運が舞い込んできたときや、ブレイクスルーが起きたとき、仕事が上り調子になった時など「良いときに悪くなった時のことを考え行動しよう」
●降りかかった災難こそ人生のきっかけなのだ。自分が下した決断は正しいと思うべきだし、それを支持する自分も決して間違ってはいない。何かこれまでにない悪いことが起こったとしたら、それはあなたにとって好ましい変化の前触れであることを深く意識する必要があるだろう
○小谷中広之の感情・・・自分にとって不利なこと、悪いことが起きたら、感情にまかせて行動するのではなく、変化の前触れと判断し慎重に行動しよう
●最初にネパール入りしたときにちょっとしたはずみで物乞いの一人にたばこをあげたところ、他の連中に囲まれて閉口した苦い経験がある。一人に挙げるならば全員にあげなければトラブルのもとになる。全員にあげられないならば、誰にもあげるべきではないとその時しみじみ悟ったのだった。人に好意を示すことは簡単だけれど、それが裏目に出ることもある。そういう意味では、好意を示すというのも実はそう簡単なことではない
ところが、ジュディの場合は違っていた。スワヤンブナーで出会った彼女は片手に持ちきれないほどの1ルピー、2ルピーと言った就学のお札を握りしめていて、寄ってくる連中全てにそれを与えるのである。そうしたお札の多くはものすごく汚くなっていて、ほとんどボロボロになっているのもあるけれそ、彼女はひるむことなくすべての物乞いにそれを与えていくのだった。我々の貨幣価値におきかえると5円とか10円にあたる金額で、それだと全員に分け与えても1000円にもならないのだった。どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。すべての人に与えられないとしたら与えない方がましと考えると、どうしてもかすかに後ろめたさが残ることになる。しかし、彼女のやり方ならばみんなハッピーになれるのではないか
ジュディの行為は、金持ちが貧乏に分け与えるというのとはちょっと違っていて、強い意志の裏付けが感じられる。何もしなければ何も起こらない。やはりここで重要なのは、運をグルグル回すというところにあるのではないか。バタフライ効果ではないけれど、とにかくちょっとした動きでも、それがあることによって運がいくらかでも動くことになり、それが重なっていくと、それがいつしか大きな動きになる可能性も出てくる
○小谷中広之の感情・・・寄付のやり方もしっかりと考えなければドブに捨てるような寄付のやり方になってしまう
寄付のやり方だけでなく、寄付に対する心がまえみたいなものもしっかりと考え自分の責任でおこなおう
物乞いの人たちに与えるのか与えないのかの二つの考え方ではなく、どうすれば皆に平等に分け与えられるのかをこの文章によって考えさせられ、一つの答えをもらったような気がする
●大体一つの出来事が幸せかどうかはその時には判断がつかないものである。つまり言い換えると、幸不幸というのは後からやってくるのである。ある時の喜びが後で大きな災いのもとになったり、とんでもない不幸だと思っていたことが後になって見るとすべてがうまくいくきっかけとなっていたりする。その時にはわからない事が人生を決めることになる。たとえ財布を無くして、その中に入っていた大金のみならず、カードや免許証、身分証明書などすべてを無くしてしまっても、それだけでは決して不幸とばかりは言えないのである。もちろん好ましくない出来事であり、ちょっと落ち込んだり煩わしい思いをさせられたりするけれど、適切に処理さえすればそんなにたいしたことではないように思えてくる
○小谷中広之の感情・・・人間万事塞翁が馬の気持ちで生きよう
●常に自分を負けた側の立場に置いて考えることが大切だということである。運をグルグル回すといっても、わざと負けるというのではない。急がば回れだ
○小谷中広之の感情・・・負けるが勝ちという言葉があるじゃないか
負けることで見えてくる世界があることを知ろう
●良いことも悪いことも一緒に楽しめるような大きな度量が必要となる。勝って喜び、負けて悲しむのは、人間の性ではあるが、それを乗り越えていくところに生きる意味が見つかるのではないか。そして、それこそ、誰もが持ちうるもっとも誇るべき人間的な特質の一つなのだ
○小谷中広之の感情・・・ピンチはチャンスではなく、ピンチもチャンスもチャンスと捉える
負けの美学を学ぼう
●「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざがある。自分の狭い世界だけに閉じこもっている人をさしてつかわれることが多いのだが、一説では、これには「天の深さを知る」という続きがあるとのこと。狭い井戸の中でジャンプしたり遊んだりしているうちに、誰も気が付かなかったことが見つかるかもしれない
○小谷中広之の感情・・・一つのことに没頭するのならトコトン没頭してみよう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、植島啓司様の「生きるチカラ」です
植島啓司様。1947年生まれ。宗教人類学者。東京大学卒業。東京大学大学院人文化研究科博士課程修了。関西大学教授、NYのニュースクールフォーソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任
気になる文章
●死に方がわからなければ生き方もわからない。そして、生き方がわからなければ死に方もわからない
○小谷中広之の感情・・・自分がどのように最後を迎えたいのか、そしてそのためには今どのように生きていけばいいのか
自分の「生き」と「死」についてもっと深く考える時間をもつことは決して時間の消費や浪費にはならずむしろ投資になるので会はないだろうか
●自分に降りかかるすべてを面白がれるかどうかが、旅を楽しめるかどうかの分岐点なのだ
旅では自分の身に起こることは全ていいことだと思ったらいいのである
○小谷中広之の感情・・・時間通りに動かい交通機関や、注文した料理と別のモノが出てくる、タクシーがつかまらずに歩いて移動する、宿が見つからず野宿する、などすべての予定にないことが起きたとしてもそれを全て楽しめるような旅の達人になろう
●仕事の合間にちょっと遊ぶというのでは面白くない。それこそ命がけで遊ぶことが肝心なのだ
ちょっとした小遣い銭を欲しがったり、まんまと女をだまして体を奪ったり、わずかな酒で酔いつぶれたりするのでは、まったく遊ぶ意味がない。それならば、まだまともに生きた方がましだ。自分の命をすり減らすような「賭け」をしてこそ、他の凡庸(ボンヨウ)な人間たちには味わえない境地をさまよえるのだ
○小谷中広之の感情・・・明日の生活費すらなくなってしまうような遊びをしてみよう
遊ぶならとことん遊んでみよう。それこそ0時〜23時59分59秒59まで
●いったん背負い込んだトラブルも、二度目となるとたいしたことに思えなくなる
○小谷中広之の感情・・・対処の仕方を学ぶのか、トラブルに対する姿勢を学ぶのか、どちらにせよ二度あってもよいトラブルであってほしい。同じような自分のミスで起こしてしまうトラブルは起こしてはならない
●自分自身を正体不明にしておくこと、何が起こってもそれを吸収できるような柔軟な立ち位置を確保すること、どこを攻められてもダメな部分を切り捨てて、常に同じ好ましい状態でいられるようにしておくこと、出来る限り失ってはならないものを持たないこと、そうした生き方をしていれば、どんなトラブルでも効果的に処理できるということになる
○小谷中広之の感情・・・努力をしてきて得たものでダメになった(無駄な努力、高価な商品、人間関係など)と自分で気づいていてもすぐには手放せなくなってしまう
しかし、それをすんなり手放すことができるようになろう。もし迷うのであれば元々それを手に入れる資格は自分にはなかったのだと思い素直にあきらめよう、そしてすぐに次の行動を起こそう
●どんな選択にせよ、あらゆる選択には誤りが含まれており、成功か失敗かはそう簡単には判断がつかない。その時には成功に見えても後に大きなトラブルを抱え込むようになったり、失敗に見えて大きな成功と結びつく事だってある。それはあなたが生きている内だけのことではない。あなたの判断が正しかったかどうかは子供や周囲の人々のその後の生き方にも影響を与え、どこまでもゐ因果の結びつきは果てしなく続くことになるのである
○小谷中広之の感情・・・今日の失敗が明日の成功を生むのかもしれない
●幸運を独り占めするようなことはやめた方がいい。誰かを蹴落としたり傷つけたりすることも避けるべきであろう。幸運自分の最も弱いところに不運となって戻ってくる
○小谷中広之の感情・・・思わぬ幸運が舞い込んできたときや、ブレイクスルーが起きたとき、仕事が上り調子になった時など「良いときに悪くなった時のことを考え行動しよう」
●降りかかった災難こそ人生のきっかけなのだ。自分が下した決断は正しいと思うべきだし、それを支持する自分も決して間違ってはいない。何かこれまでにない悪いことが起こったとしたら、それはあなたにとって好ましい変化の前触れであることを深く意識する必要があるだろう
○小谷中広之の感情・・・自分にとって不利なこと、悪いことが起きたら、感情にまかせて行動するのではなく、変化の前触れと判断し慎重に行動しよう
●最初にネパール入りしたときにちょっとしたはずみで物乞いの一人にたばこをあげたところ、他の連中に囲まれて閉口した苦い経験がある。一人に挙げるならば全員にあげなければトラブルのもとになる。全員にあげられないならば、誰にもあげるべきではないとその時しみじみ悟ったのだった。人に好意を示すことは簡単だけれど、それが裏目に出ることもある。そういう意味では、好意を示すというのも実はそう簡単なことではない
ところが、ジュディの場合は違っていた。スワヤンブナーで出会った彼女は片手に持ちきれないほどの1ルピー、2ルピーと言った就学のお札を握りしめていて、寄ってくる連中全てにそれを与えるのである。そうしたお札の多くはものすごく汚くなっていて、ほとんどボロボロになっているのもあるけれそ、彼女はひるむことなくすべての物乞いにそれを与えていくのだった。我々の貨幣価値におきかえると5円とか10円にあたる金額で、それだと全員に分け与えても1000円にもならないのだった。どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。すべての人に与えられないとしたら与えない方がましと考えると、どうしてもかすかに後ろめたさが残ることになる。しかし、彼女のやり方ならばみんなハッピーになれるのではないか
ジュディの行為は、金持ちが貧乏に分け与えるというのとはちょっと違っていて、強い意志の裏付けが感じられる。何もしなければ何も起こらない。やはりここで重要なのは、運をグルグル回すというところにあるのではないか。バタフライ効果ではないけれど、とにかくちょっとした動きでも、それがあることによって運がいくらかでも動くことになり、それが重なっていくと、それがいつしか大きな動きになる可能性も出てくる
○小谷中広之の感情・・・寄付のやり方もしっかりと考えなければドブに捨てるような寄付のやり方になってしまう
寄付のやり方だけでなく、寄付に対する心がまえみたいなものもしっかりと考え自分の責任でおこなおう
物乞いの人たちに与えるのか与えないのかの二つの考え方ではなく、どうすれば皆に平等に分け与えられるのかをこの文章によって考えさせられ、一つの答えをもらったような気がする
●大体一つの出来事が幸せかどうかはその時には判断がつかないものである。つまり言い換えると、幸不幸というのは後からやってくるのである。ある時の喜びが後で大きな災いのもとになったり、とんでもない不幸だと思っていたことが後になって見るとすべてがうまくいくきっかけとなっていたりする。その時にはわからない事が人生を決めることになる。たとえ財布を無くして、その中に入っていた大金のみならず、カードや免許証、身分証明書などすべてを無くしてしまっても、それだけでは決して不幸とばかりは言えないのである。もちろん好ましくない出来事であり、ちょっと落ち込んだり煩わしい思いをさせられたりするけれど、適切に処理さえすればそんなにたいしたことではないように思えてくる
○小谷中広之の感情・・・人間万事塞翁が馬の気持ちで生きよう
●常に自分を負けた側の立場に置いて考えることが大切だということである。運をグルグル回すといっても、わざと負けるというのではない。急がば回れだ
○小谷中広之の感情・・・負けるが勝ちという言葉があるじゃないか
負けることで見えてくる世界があることを知ろう
●良いことも悪いことも一緒に楽しめるような大きな度量が必要となる。勝って喜び、負けて悲しむのは、人間の性ではあるが、それを乗り越えていくところに生きる意味が見つかるのではないか。そして、それこそ、誰もが持ちうるもっとも誇るべき人間的な特質の一つなのだ
○小谷中広之の感情・・・ピンチはチャンスではなく、ピンチもチャンスもチャンスと捉える
負けの美学を学ぼう
●「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざがある。自分の狭い世界だけに閉じこもっている人をさしてつかわれることが多いのだが、一説では、これには「天の深さを知る」という続きがあるとのこと。狭い井戸の中でジャンプしたり遊んだりしているうちに、誰も気が付かなかったことが見つかるかもしれない
○小谷中広之の感情・・・一つのことに没頭するのならトコトン没頭してみよう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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