2015年11月18日
読書感想文『こだわらない』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、名取芳彦様の「般若心経こだわらない生き方」です
名取芳彦様。なとりほうげん。昭和33年江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。読売文化センター講師。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講詠匠
気になる文章
●仏教では「禅定(ゼンジョウ)」といいます。心を静めて自分の心を観察する方法。視覚や聴覚、嗅覚の刺激の少ない場所で一人になり、呼吸を整えて、自分の価値観や思考のどこに原因があって自分は苦しんでいるのかを観察する修行です
水中のごみはすいりゅがあるうちは、浮き上がってきません。水面が静かになって、やっと浮き上がってきます。それと同じことをするのです
○小谷中広之の感情・・・目を閉じ、自分と向き合う時間をとってみよう。私のおすすめの時間帯は朝方の日が昇る少し前です。一日の間で最も静かな時間がそこには流れています
●モノを緑の集合体としてとらえる見方が、仏教でいう「空のとらえ方」とも言えます。私が本を読んでいるというのは、ある一つの偏った認識の仕方ということなのです。実際には、考えも及ばないほどの莫大な縁の集合体として、モノはあるのです
さて、物体についてばかり言及して来ましたが、私たちが前向きに笑顔で生きていくためには「物だけでなく、何よりも、今の私自身が、様々な縁の集合体なのだ」と見極めることがとても大切なのです
自分のために泣いてくれた人、笑ってくれた人、起こってくれた人、知らん顔をしていた人、それらの縁の蓄積として今の自分があるということです。日本語では、現在の自分にとってプラスに働いている縁のことを「おかげ」と表現してきました。また、自分に対してなされた行為の中で、プラスに働いていることを「してもらった」と言います
感謝の心の土台は、こうした考え方なのです
○小谷中広之の感情・・・「おかげさま精神」を忘れてはいけない。自分にとって良いことは他の人や世間、運のおかげであることを決して忘れずに生きよう
●いたずらは、基本的に人を笑わすのが原則で、人に迷惑をかけることではありません。それがわからないのでは、単に未熟な考えによる、幼稚な振る舞い以外のナニモノでもありません
○小谷中広之の感情・・・いたずらも真剣に取り組もう
●人生の意味なんか考えなくてもいいですよ。私たち人間はもともと人工物ではなく、自然の一部です。生きていくこともまた、生き物として自然の成り行きなのだと思います。自然なものに無理に意味などつける必要はありません
気楽に、生きていこうではありませんか
○小谷中広之の感情・・・人生に意味はないよ。求めても苦しくなるなら求めない方がいい。私たちは自然の一部でしかない。アリや鳥、木や草などと同じように生きればよい
例えばアリに意味を求めれば確かにあるかもしれない、それはありという生物の役目である
人生に意味などない。生まれてすぐに致死率100%に向かって今を一生懸命に生きるだけのこと
●「心配」の後に「り」をつけてしまうのです。「心配り」
○小谷中広之の感情・・・人のことを心配する代わりに、その人に「心配り」をしてあげよう
●遠い目的地まで歩いていくのに、荷物はなるべく少ない方が気楽。旅の道中には必要最低限なものだけを持っていけばいいのです
○小谷中広之の感情・・・身軽にシンプルに旅をしよう
●何かが成熟した、あるいは成功するにしても、多くの条件がたまたまそろったようなもの
○小谷中広之の感情・・・良いことは自分以外の人、運、世間様のおかげ。悪いことは自分の責任
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、名取芳彦様の「般若心経こだわらない生き方」です
名取芳彦様。なとりほうげん。昭和33年江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。読売文化センター講師。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講詠匠
気になる文章
●仏教では「禅定(ゼンジョウ)」といいます。心を静めて自分の心を観察する方法。視覚や聴覚、嗅覚の刺激の少ない場所で一人になり、呼吸を整えて、自分の価値観や思考のどこに原因があって自分は苦しんでいるのかを観察する修行です
水中のごみはすいりゅがあるうちは、浮き上がってきません。水面が静かになって、やっと浮き上がってきます。それと同じことをするのです
○小谷中広之の感情・・・目を閉じ、自分と向き合う時間をとってみよう。私のおすすめの時間帯は朝方の日が昇る少し前です。一日の間で最も静かな時間がそこには流れています
●モノを緑の集合体としてとらえる見方が、仏教でいう「空のとらえ方」とも言えます。私が本を読んでいるというのは、ある一つの偏った認識の仕方ということなのです。実際には、考えも及ばないほどの莫大な縁の集合体として、モノはあるのです
さて、物体についてばかり言及して来ましたが、私たちが前向きに笑顔で生きていくためには「物だけでなく、何よりも、今の私自身が、様々な縁の集合体なのだ」と見極めることがとても大切なのです
自分のために泣いてくれた人、笑ってくれた人、起こってくれた人、知らん顔をしていた人、それらの縁の蓄積として今の自分があるということです。日本語では、現在の自分にとってプラスに働いている縁のことを「おかげ」と表現してきました。また、自分に対してなされた行為の中で、プラスに働いていることを「してもらった」と言います
感謝の心の土台は、こうした考え方なのです
○小谷中広之の感情・・・「おかげさま精神」を忘れてはいけない。自分にとって良いことは他の人や世間、運のおかげであることを決して忘れずに生きよう
●いたずらは、基本的に人を笑わすのが原則で、人に迷惑をかけることではありません。それがわからないのでは、単に未熟な考えによる、幼稚な振る舞い以外のナニモノでもありません
○小谷中広之の感情・・・いたずらも真剣に取り組もう
●人生の意味なんか考えなくてもいいですよ。私たち人間はもともと人工物ではなく、自然の一部です。生きていくこともまた、生き物として自然の成り行きなのだと思います。自然なものに無理に意味などつける必要はありません
気楽に、生きていこうではありませんか
○小谷中広之の感情・・・人生に意味はないよ。求めても苦しくなるなら求めない方がいい。私たちは自然の一部でしかない。アリや鳥、木や草などと同じように生きればよい
例えばアリに意味を求めれば確かにあるかもしれない、それはありという生物の役目である
人生に意味などない。生まれてすぐに致死率100%に向かって今を一生懸命に生きるだけのこと
●「心配」の後に「り」をつけてしまうのです。「心配り」
○小谷中広之の感情・・・人のことを心配する代わりに、その人に「心配り」をしてあげよう
●遠い目的地まで歩いていくのに、荷物はなるべく少ない方が気楽。旅の道中には必要最低限なものだけを持っていけばいいのです
○小谷中広之の感情・・・身軽にシンプルに旅をしよう
●何かが成熟した、あるいは成功するにしても、多くの条件がたまたまそろったようなもの
○小谷中広之の感情・・・良いことは自分以外の人、運、世間様のおかげ。悪いことは自分の責任
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】般若心経こだわらない生き方 [ 名取芳彦 ] |
タグ:名取芳彦 様
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