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2019年10月02日

それは瞑想からはじまる It begins with meditation



 

 

それは瞑想からはじまる

 わたくしは、前章で紹介した『間脳思考』で、エレクトロニクスと霊性を結

ぶものはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

 そのあと、話がだいぶ進んでから、

「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

 と聞かれた。わたくしは、

「いいえ」

 とかぶりをふった。

「瞑想じやないのですか?」

「いいえ」

とわたくしは、これにもかぶりをふった。

彼は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

 「それは瞑想からはじまるのです」

 なるほど、というように彼はうなずいた。わたくしは説明した。

 それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑

想だけでは不可能なのである。心の安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程

度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいで

は、絶対に行き着くことのできない次元なのだ。

 なぜか?

 霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

 カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。

地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力

から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって

成り立っているのである。人間におけるカルマもそのとおりである。人はすべ

て、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろの

「因縁」が生じて、人間を繋縛しているのである。いや、カルマと因縁によっ

が、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なの

だ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

 存在とはなにか? それは究極のところ”波動”である。〃自分”という波動

を変えてしまうのだ。それにより”カルマ”という波動を越えてしまうのである。

 人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。ここの波動を

変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在

になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高

度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特

殊な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が

変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオー

ラの発光源は間脳なのである。瞑想だけでは、以上のような”次元の変化”は

不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディ

テイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。しかし、それはひとつの

手段にすぎない。瞑想は、大脳辺繰系と新皮質脳しか動かすことができない。だ

から瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは

発生しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

 では、なにが必要なのか?

 特殊なtaPas(練行)である。

 学者はtapasを苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そ

してこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

 チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説

いている。

                 

一、思念による王者の相承  

二、象徴による持明者の相承     

                       ガンダク ニェッ ギ ギ ユー 八

三、耳を通した言葉による人の相承  gang zag snyan gyi brgyud pa

 である。

 霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いて

いる。

 一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と

いう原価なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、

心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで

ある。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

 これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、と

いう所以である。

 二の「象徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、あ

亘目葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものを

いい、また、持明者(征だF)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

きる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の

理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達

する教法を授けられるのである。

 以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、ま

た象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラ

マが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。

いわゆる「口頭伝授」である。これが、三の「耳を通した言葉による人の相

承」である。

 以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

一思念による王者の相止間脳系霊的バイブレーシン

ニ、象徴による持明者の相承匹トトド新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、

      音楽、象徴

三、耳を通した言葉による人の相承トト大脳辺繰糸=言葉、マントラ、音楽

 これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上

のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

 しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なの

である。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行

tapasである。

 だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必

要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高

理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。

練行とはなにか

 では、その練行tapasとはどんなものか?

 それには、ひとっの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと

思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまから四十年以上前に刊行した『密教・超能力の秘密』からの抜粋である。

求聞持聡明法の秘密

 私は定に入っていた。

 ひたすら、ふかい綜制に入っていた。

 修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

 最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力

を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさに

この行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大

脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなく

とも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就し

て、悉地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、

必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこし

 

 サヘト・マヘトでバスをおりたとき、

「ここはいいな」

 とまず思ったのは、もの乞いや、もの売りのすがたがまったくなかった

ことであった。

 どの仏跡も、もの乞いともの売りが喧噪をきわめ、これがどれだけ聖地

のイメージをそこねていたことか。

 祇園精舎の入り口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。そ

の前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりと

した体格の一人の憎が立っていた。バスからおりたリンポーチエをみとめ

ると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげて近づいてきた。二人は手

をにぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。

 やがてひき合わされたところによると、リンポーチエの先輩すじにあた

る聖師で、メチワラーサンガラターナというかたであった。

 「スリランカの出身で、非常な学僧です。去年、ここへ寺院を建てたのだ

そうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」

 そう、リンポーチエがいった。

 「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、生涯を終えるのが、わた

くしのかねてからの念願でした」

 サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。や

やなまりのある英語であった。がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大

きいのは健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。ど

うみても六十歳代としかみえないのである。

 師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに

得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、

この地のことにはあまり知識がなく、リンポーチエにしても、数年前に一

度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サヘトーマヘ

トには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかっ

たら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの

 

 

た求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらね

たに過ぎず、その秘密技術は‘おそらく、自分白身の訓練努力によって

みずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見

するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわが

ものとする資格かおるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知

性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者として

ゆたかな天分を持つ興教大師覚鏝が、七たびこれを修して失敗し、八度目

にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。

そうでなければ、覚鏝ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

 (中略)

 二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得

するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかった

が、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求

聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、

延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

 この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし

一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住坐臥、閑寂の部屋な

らば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日な

いし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ

ばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば1000日か

かろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ

ばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくて

は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特

定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ

しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が

あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の

ために、民衆のために、どうしてもI。

 そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

 

 それは、ほぼI〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ

ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古

代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私か創案した特殊

な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質

と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラ

の開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じ

ていた。

 夜明け、

 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれ

の感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。

その刹那、

 「ああツー」

 と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が

走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼

前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の

内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈

傅とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、

この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの

明星のように’−それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

 「そうか!」

 私は力いっぱい膝をたたいた。                 、

「そうか! これが明星だったのか!」

 私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見−−−視床下部の秘密

 私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、

若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、は

                                                                              

 

じめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、

祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!・」といって泣いたそうである。

そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきってお

り、私は2  だん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、

木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎源 靖之(祖父の名)の目に、ひとた

まりもなくちぢみあかってしまったものらしい。めったに泣いたことのな

い私か一時間ちかくも泣いていたという。〃それでもあんたは木剣だけはは

なさなかったよ”と、いまでも老母がはこらしげに語ってくれるのだが

、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分が

あるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場し

てかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ

う。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕かなえ、思

わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならな

かった。面金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと

火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出

るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者なら

ばみなご存知のはずである。

 その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光は。

 しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。

あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金の

なかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような

気がしたのだが−、しかし、”目から火が出る”ほどのこの衝撃は、いっ

たいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものは

なにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというので

あろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか?

 私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしず

かに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なん

の予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時

に頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの電撃に似た

痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっ

くり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じな

かった。そうして頭の内奥の上部に”明星”が2  たたびまたたいた。

 まさに、私の脳の内部に一大異変が生じていることにはまちがいは

なかった。しかし、それはどういう異変であろうか?

 それは一種の化学反応によるショックであったのだ。

 脳の深奥、「視床下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、間脳

の内部の視床下部にあった。ここが秘密の原点だったのである。

 私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、

これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思わ

れるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私かあえて

それをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。

 すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。そしてここが、

ヨーガでいうブラーマーランドラ(梵の座)であり、サハスラーフーチャク

ラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、

松果体ではない。視床下部が、サハスラーラーチャクラなのである。もっ

とも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったので

あろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれど

も、サハスラーフーチャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であっ

た。

 視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御す

る。それでは、なにをもって統御するのかというと、もちろんそれは”神

経”である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まってい

る。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラーを

創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中し

ていた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面

にわたるつよい ルギーを集中した。その結果−、ここの神経縁組に

一大異変が生じたのだ。その異変により、神経縁維が異常分泌をおこした

か、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれ

であるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応

をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をは

げしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維に

シナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を

またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聡明

法の成就である。求闘持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の

変革であったのだ。         (『密教・超能力の秘密』平河出版社)

 わたくしのいう練行tapasが、どのようなものであるか、だいたいおわかりい

ただけたことと思う。いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成

就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。

 そのいずれであるかは別として、霊視・霊聴、ホトケの現形といった霊的な

超常的パワーをわたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。

 そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛

躍台となるものだったのである。それはおよそ『密教・超能力の秘密』刊行後十

年のちに起きた。

 

 

一九八〇年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行におい

てそれは起こった。

 一九八一年七月発行の『一丸九九年カルマと霊障からの脱出』単河出版社)よ

りの抜粋である。

 

白銀の輝きにみちたバイブレーション

 

   五目、六日、七日、と旅程は順調にすすんでぃった。

   しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでぃった。

   仏跡のひとっひとっみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ

  ろひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま

ことに不遜ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたの

だ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。

 八日目。

 仏跡巡拝さいごの日であった。

 仏陀終焉の地、クシナガラ。

 仏陀が十八年間説法されたという祇園精舎サヘトーマヘト。

 これでおわりであった。あとの旅程は、デリーから、エローフ、アジャ

ンタの石窟寺院で、仏教にゆかりはあるが、仏跡そのものではない。

 わたくしのこころは、もはや仏跡からはなれていた。だから、その朝、

道路事情が非常にわるいため、クシナガラかサヘトーマヘトか、いずれか

一方にしぼらねばならなくなったと聞かされたとき、わたくしは、どちら

でもよい、と思いながら、なに気なく、

 「サヘト・マヘトにしよう」

 といったのだ。

 それを告げた秘書が、

「やはり、そうですか」

 といったが、わたくしはべつに気にもとめなかった。

 動き出したバスの中で、秘書がこういった。

 「前から、リンポーチエがいっておられたんです。桐山先生には、どこを

おいても、サヘト・マヘトにはかならず行っていただきたい、と。ですか

ら、さっき先生のご決定を聞いて、やはりそうかと思ったんです」

 「  うむ、リンポーチエがそういっていたの?」

 「はい、日本にいるときからそうでした。カトマンズに出迎えられたとき

も、くりかえしていっておられました。さっきも、ぜったいにサヘト・マ

ヘトにするよう、先生に申し上げてくれといっておられました」

 わたくしはうなずいたが、べつにふかくは考えなかった。しかし、その

サヘトーマヘトに、真っ向からわたくしを叩きのめすすさまじい衝撃が待

ちかまえていたのである

 

遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろ

う。師はわが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説

明して行く。

 小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

 そのとき、突然、それがやってきたのだった。

 師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、

があんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。

 目の中を白い閃光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の

中を走るあの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手

をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密

教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを

うけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーショ

ンははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意を

つかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心

がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめら

れるのだが、ここでは全く無防禦だったので、その衝撃はことにつよかっ

たのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであっ

た。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。

 「待ってください」

 わたくしは手をあげて師を制した。

 「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じ

たのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からき

ました。あれはなんですか? あの凹地はI」

 わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メート

ルほど前方に、雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきた

と思われた。

 「ああ、あれですか」

 と師はうなずいた。

 

 

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ

を、ミラクルの池とよぶのです」

 「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

 「それは、仏陀が空中を浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半

身を水にかえたのです」

 「ほう、それはどういうことですか?」

 それはですね、と師の説明によると、こうであった。

 スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じて

ここに土地を求め、大精舎を建立した。仏陀の名声は四方につたわり、教

えを乞うもの腫を接した。

  この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それ

らの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、

  批難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといい2  らし

た。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要する

に口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界では、指導

者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされて

いた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この

地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

 他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、

これを攻撃したわけである。仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っ

ている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏

陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の

指導者たちは、白分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じ

て、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地

を去るという条件である。スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合

を懲憑した。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れ

 



ない。仏陀もスダッタの立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

 その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を

競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。

 仏陀は三層の高楼の露台にそのおすがたをあらわされたのである。いか

なる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと

仏陀は露台の手すりを無雑作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたの

である。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのま

まゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよら

かな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたて

る清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。群衆が思

わずわが目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあ

がり、下半身は玉のような水と化したのである。

 目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力

者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかっ

た。

 わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、

やわらかなバイブビションとともに、ひとつの概念−思考の流れがし

ずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたく

しは、自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。突

如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺんにひいてゆ

くような、名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、師の

説明もおわった。

 「先生、その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、ど

ういうことでしょうか?」                    ’

 とだれかがわたくしに質問した。

 「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギー

を放射したのでしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラに

すさまじいエギルギーを集中した。池の上に降り立って、その于不ルギー

 

 

を放射したのでしょう。そのエネルギーの放射が、炎のように見えたのだ

ね。チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれたように

なって見えます。これは、ヨーガースートラなどにも書いてある。そうい

うとき、しばしば、からだが透明状になることがある。下半身が水になっ

たというのは、仏陀のおすがたがそのとき、透明になったので、池の水が

反映して、水のように見えたのでしょう。このミラクルは、クンダリニー・

ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたくしは考えます。そういえ

ば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者たった、

と文献を引用して本に書いたことがあります」

 そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって、思考をまと

めたいと思っていた。さきほど流れこんできたあの思念の流れII−あれは

いったいなんであったのか? 必死に、わたくしは、それを散らすまいと

してみつめつづけていた。はやく、ひとつのものにまとめたいと思ってい

た。

 それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、

ホテルに入ったときであった。

 わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、す

ぐに定にはいった。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと

思ったのである。

 定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感し

た。これは、霊的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。

すぐに、ノートを、と思ったが、あいにく、このホテルは、宿泊するので

はなく、午後九時発の夜行列車に乗るまでの三、四時間を、休息と食事のた

めに入ったので、トランクその他、筆記用具を入れた鞄はすべて、みんな

の荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとには何も

ない。しかし、とりにいっているひまはない。時機を逸したら、もう二度

とこの手の動きはもどって来ないかも知れぬのだ。

 わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あっ

た! さいわい、ホテルのメモ用紙が数枚あった。ボールペンもある。む

しやぶりつくようにペンをにぎると、それは勢いよくメモの上を走った。

 最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それ

は、ミラクルの池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事も

とらず、出発までの時間を挙げてこれに傾注した。整理して、さいごに書

きあげたのがつぎの文章であった。

 それは突然ななめ前方からやってきた。

 一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

 そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、

あっというまにその衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

 修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知

らされた。

 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっという

まに消しとんでしまった。叩きのめされてしまった。

 これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もく

らむようなあの白銀の輝きにみちたバイブレーションー

 一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーション

に如かぬことを思い知らされた。

 これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそ

わたくしはここにやってきたのだ。

 おお、サヘトーマヘト、聖なる地、

 あなたはここに待っていてくださった。

 わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびと

にあたえねばならぬ。

 

 いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

 すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる

聖地を、わたくしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサ

ヘトーマヘトの地を、そのまま、日本の国にうつさねばならぬ。それがわ

たくしの使命だったんですね。それをかならずはたすことをわたくしはあ

なたに誓います。

 そうですか。

 もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そ

のときなにが起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたく

しは非常なおそれの感情とともに予感します。

 

 ああ、あの一瞬の霊的バイブレーショック!゛

 一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブビ・Iションなくしては、路

傍の石ころにも劣るのだった。このバイブレー’ショッをあたえることので

きる聖者こそ、査]の導師だったのだ。理解できました。

 聖師よ、ありがとう!

                       昭和五十五年十一月八日

                        ラクノウのホテルにて

                            急拠しるす。

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

                 (『一九九九年カルマと霊障からの脱出』)

 −土のサヘートーマヘートにおける状況は、奇しくも、阿含宗の記録映画

「おお、サヘト・マヘト、聖なる地」に収録されているので、読者はぜひ、機会

をつくってごらんいただきたい。

 ところで、以上の文章をお読みになって、「求聞持法」(としておく)成就のと

きのわたくしの状態と、サヘートーマヘートにおいて霊的バイブレーションを

−−

る。前者は内部から、後者は外からのものであったが、衝撃の内容はまさしく

同種のものであったのだ。もっとも、後者は、前とはまったく比較にならぬす

さまじいものであったが.

 賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう

「思念による王者の相承」であることを−。思念による王者の相承とは、じつ

に、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

 わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に

達したことを自覚したのであるが、これは、間脳開発の練行tapasを成就してい

なかったら、絶対に得られなかったものである。内なる受容の態勢がととのっ

て初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

 

It begins with meditation
I connected electronics and spirituality with the “Diencephalon Thinking” introduced in the previous chapter.
When asked what the animal was, he replied that it began with meditation.
After that, after much progress,
“So, is it also a meditation to develop a diencephalon?”
I was asked. I,
"No"
I covered it with a cover.
“Do n’t you meditate?”
"No"
I also covered this.
He stared at me with a grim expression.
So I answered.
”It starts with meditation”
I see, he nodded. I explained.
It starts with meditation, but not just meditation. Completion of spirituality is meditation
It's impossible by just thinking. Stabilization of mind, adjustment of desire, suppression of instinct, etc.
It is a boundary that can't be reached at all times. Thoughts, changes in ideas
Is a dimension that can never be reached.
why?
The point of completion of spirituality is transcendence from Karma.
What is karma? In other words, it is like an attraction on the earth.
Everything that exists on the earth is under the control of the earth's attraction. Anything is attractive
I can't escape. No, the Earth itself is
It is made up. The same is true for human karma. All people
And under the absolute regulation of reincarnation karma. From this karma,
A “fate” arises and binds humans. No, depending on the relationship between karma and
But the completion of spirituality. In other words, it is an escape from attraction. Anti-gravity training
It is. The dimension of one's existence changes by the training.
What is existence? It ’s ultimately “wave”. The wave of “I myself”
Will change. As a result, the wave of “karma” is exceeded.
The origin that changes the wave of human existence is in the hypothalamus of the diencephalon. Wave here
By changing, the wave of the whole body changes, and there is a special mental wave and physical wave
become. It is also different from ordinary humans who are not subject to karma regulation.
It will be nothing but a spiritual being. When this is accomplished,
A special “spirit” will be generated. The occurrence of this special aura
It shows that it has changed. I'll talk about Aura later.
La's light source is the diencephalon. By meditation alone, the above “dimensional changes”
Impossible. Of course, mind stability, concentration, mediation to a whole new high dimension
Meditation, such as Tate, is absolutely necessary for this practice. But that is one
It is only a means. Meditation can only move the limbic system and the neocortical brain. Is
So meditation alone is no good. Unless it is a meditation that works between the brains,
Does not occur. Therefore, karma cannot be exceeded.
So what do you need?
It is a special taPas.
Scholars translate tapas as penance, but I want to translate this as practice. So
And this practice is absolutely necessary.
The consensus of the king by thought
The Tibetan esoteric Ninma school has said that there are three ways to complete the liberation since ancient times.
It is.
S
1. The consensus of the king by thought
2. Symbolic bearer's consensus
Gonak Neggi Giyu 8
3. Human zong sang gyi brgyud pa through words heard through the ears
It is.
In the world of law in the spirit world, the perfector of the law, Tatagata (Nyorai) always preached the law
Yes.
‘One of the thoughts of the king ’s companion’
It conveys your mind directly to the other person's mind without any cost. in this case,
You should think that the mind is not just a mind of thought but a power
is there. As a result, the other party is completed as a Buddha.
This is of course the best and ideal. “The King”
That is why.
2) What is the “sympathy of the bearer with the symbol”?
Compressed and packed contents of complex thoughts into Watameha, form, sound, color, etc.
Good, and the demon (the F) is able to see the reality as it is with a pure heart
Those who have reached the true world. In this agreement (method)
The demonstrators who have an understanding reach the depths of esotericism by showing the symbol from the teacher
You will be given a teaching method.
For the above-mentioned superior methods, it is difficult for ordinary human beings to get inspired.
It is not possible to immediately understand the deep esoteric doctrine with just the symbol. So La
Ma will explain in detail using various words and let the disciples understand.
This is so-called “oral transfer”. This is the third aspect of the human phase
It ’s a
I classify the above three methods as follows.
The spiritual vibrasin of the king's intermittence by a thought
D, symbolic bearer's companion Totodo neocortical system = mantra, tantra, language,
Music, symbol
3. Human compliment by words through the ears Toto Cerebral area spinning = words, mantras, music
This is not just Tibetan Buddhism. The ultimate in any religion in the world
There are only these three ways to get to that.
However, these three are not enough to reach the ultimate.
It is. There is something missing. What is missing? Sakini
tapas.
But in that case, one is the best ideal, so everything else is necessary.
It may be said that it is not necessary. That is not the case. Its best
Tapas is necessary to receive the ideal.
What is training?
So what is the training tapas?
As an example, we have to talk about my training experience.
Seem.
Let's see it.
This is an excerpt from “Secret of Esoteric / Super Power” published more than 40 years ago.
The secret of the solicitation
I was in the middle.
ひ I was in a fussy system.
To repair, use the method of finding a request. It was the third training.
First, it was based on Shingon Buddhism. It was a complete failure. It ’s concentration
Was effective, but not more than that. Crushing
After studying this practice, I was convinced that Shingon Buddhism was a major
We conclude that there is no system that completely changes the structure of the brain cortex. Scoop
However, there is not much power in the conventional manner. Fulfilled the law
Kōbō Daishi Kukai, who had obtained a remote area,
He must have acquired some secret technology. His saw

When I took a bus at Saheto Mahhet,
"This is good"
The first thing I thought was that there was no way of selling or selling things.
Was that.
In every Buddha site, there was a quarrel between merchandise and merchandise.
Was that image of that?
In the square in front of the entrance of Gion Seiya, there was a two-story white-painted temple. So
Several people gathered in front of him, and at the center of it was a 60-year-old man
One hate of the physique was standing. Watch Rimpochie from the bus
Then he smiled with all his face and approached with his hands wide open. The two are hands
I started talking and seemed nostalgic.
According to a meeting with Mr. Rinpotier
It was a saint who was called Mechiwala Sangaratana.
“I ’m from Sri Lanka and I ’m a very priest. I built a temple here last year.
That's right. I didn't even know until I came here. ''
That's right, Rinpochie said.
"Wat is the end of my life near this Seisha where the Buddha was preached for 18 years.
It was a long-cherished desire. ''
Mr. Sangalatana spoke with a loud voice that resonated. And
It was a fluent English. A solid and sturdy physique with a loud voice
I think it's healthy. I was surprised to hear that he was 81 years old. Do
You can only see it in your sixties.
The teacher took the lead and guided me through the Seisha. We guide the teacher
What I got was really happy. A guide provided by a tourist company,
There is not much knowledge about this place, and even Rimpouche is
I had only come. Like other Buddha sites, Sahe Tomahe
The guide has no guide. If there is no Sangaratana
Then we just go around Gion Seisha,

Only the ones that should be hints of secret technology
It ’s just that secret technology,
He must have been trying to find it. Discover it
Only those who make the effort to discover and have the qualities to discover
The ignorance that is looking for the future
I felt the sexual eye depending on the conduct. Therefore, as a religious person
Kokukyo Daishi Kakujo, who has a rich temperament, failed to fix this seven times and failed eight times.
In the end, it has become a tricky practice of finally achieving a certain fulfillment.
If not, why will the talent as awakening fail seven times?
(Omitted)
In the second training, I adopted ancient yoga techniques. Perseverance and perception
There was something to do. No fulfillment of the Hearing Law was found on that line on the 50th
However, I realized that my idea was not wrong. In this way,
The law of hearing is always fulfilled. I got a good conviction. I piled up this technique,
Just extend it. only this one. I got a lot of confidence.
According to my technique, it ’s 50 days to stay in the mountains as usual.
There was no need to continue to worship Meisei on the first day of the month. Permanent residence, quiet room
If you don't have time, you don't have to. Just the first three days
For seven days, stay in the mountains and meet Meisei and keep it in your brain.
It was good. After that, 30 days, 50 days, 100 days, or 1000 days of Yoshiba
Karumo, keep training while you are busy in your daily life.
It was all right. This discovery was wonderful. Not this
The law will eventually become unrelated to the people. 50 days, 100 days, special
If you don't live in a certain mountain, you can't fulfill it.
You can only participate. Where the value of the law is unrelated to the people
I will. I have to complete this law with this system. Legal
For the sake of the people, I must.
And I was in the third desperate training.

‘It ’s almost 100 days, my law system is the 100th trainee
It was at the time of Nine kinds of seals of the solicitation method passed down to the Shingon sect,
A special breathing method that was passed down to the Yo-Yo, a special idea that I created from the secret method of ancient Yoga
Training with these three signs and poses, my body and cerebral cortex
It was felt that the brain was undergoing subtle changes. Chakra
The development of was well underway. My six senses feel that the time is ripe
It was.
breaking Dawn,
It was a dull feeling. But it wasn't a sleep. Numbness
It was a sense of It was similar to a faint heart loss or dizziness. It was a moment of forgetfulness.
That moment,
"Oh two"
And I was crying in pain. A sense of current flowing through one corner of the brain
Ran. I felt there was a lightning strike. The next moment, Shiden ran in front of me
My field of vision became dark, as if I had flashed before. Blindness

 

 

 

 

 
posted by gomabon at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 瞑想
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