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『一九九九年カルマと霊牌からの脱出』
昭和五十六年(一九八一年)に出版した本書は、一言でいえば、昭和五十五年十一月にイ
ソドヘ出かけた時の旅行記録がもとになっている。
わたくしがインドヘ行ったならば、必ずお釈迦さまが感応されて、何らかの霊示がある
であろうと思っていたが、行く先々でこの期待が次々と打ち砕かれていった。
インドには、もうお釈迦さまの魂は残っていないのではないかと半ば諦めて、最後の訪
問地サヘトーマヘト(祇園精舎)へ出かけた。
そして、お釈迦さまが奇蹟を示されたという
「ミラクルの池Lのほとりに立った時、突然、す
さまじいバイブレーションがわたくしを襲ったの
であった。目の中を白い閃光が飛んだ。
白銀に輝く大いなる意志の固まりとでもいおう
か、とにかくわたくしを圧倒するような霊的バイ
ブレーションであった。
数時間後に、ホテルに入って、ミラクルの池での体験をもう一度再現してみようと、す
ぐに定に入った。定に入ると、すぐに手が激しく動いた。いわゆる自動書記だと直感した。
霊的状態になって、無意識に手が動き、文字を書くのである。
このホテルには、夜行列車に乗るまでの三、四時間の休息と食事のために寄ったにすぎ
ず、筆記用具を入れたカバンはすべて、みんなの荷物と一緒にして、下のロビーに預けて
しまっていたから、書くものが手許にない。時機を逸したら、もう二度とこの手の動きは
戻らないかもしれないと思って、慌しく座を立って机の引出しを捜した。幸い、ホテルの
メモ用紙が数枚あった。ボールペンもある。早速、ペンを走らせた。書くというより、ひ
とりでにメモの上をペンが走っていく感があった。
その翌年、四月十六日、神田の書店街で、最新刊のわたくしの本と並んで、五島勉氏の
Jノストラダムスの大予言m」が置いてあった。何気なくページを繰っていて、あるペー
ジで、ふとページを繰るわたくしの于がとまった。その瞬間、すさまじい戦慄と恐怖に打
たれたのである。それは、不思議なことに、まぎれもなく、あのミラクルの池で感じたあ
の戦慄と恐怖、それと同じものであった。この霊的バイブレーシEンによって、ノストラ
ダムスの予言詩の謎が解けた。
ノストラダムスの予言に出てくる「アンゴルモアの大王」とは、阿含経(アーガこを説
いたモンゴルの大王、すなわち、釈尊ではないか。「アンゴルモアの大王」とは複合文字
であるとさとった。釈尊が、そしてその直説の経典である阿含経がよみがえる時、この世
紀末の危機は回避できる。わたくしは、「アンゴルモアの大王Lの謎をこのように解いた
のである。
もう一つ、この本の中でわたくしは重要なことに触れている。それは何かというと、
「世界の壊滅Lということである。サヘトーマヘトでの霊的バイブレーションによって、
わたくしは世界の終末を見ている。世界の終末にいたる大災害を見ている。その大災害が
こういう画期的な問題をわたくしは、この本で
打ち出したのである。
この確信は、この本で「アンゴルモアの大王」
の謎解きとしてあらわれ、そしてさらに『輪廻す
る葦』へと引き継がれていった。
『輪廻する葦−−−阿含経講義』は警世の書
昭和五十七年(一九八二年)の発行である。
地球、あるいは人類が壊滅するということ、それは宇宙の存在原理であり、存在の根本
動力であるカルマ(業、業力)によってもたらされる。存在するということの中に、すでに
滅亡という事態が含まれている。生きているものは必ずいつか死ぬ、そういった厳然たる
存在原理が、そこに働いているわけである。したがって、滅亡をまぬがれるためには、地
球のカルマ、人類のカルマを断たねばならない。カルマの及ばない世界へ解脱しなければ
ならない。そして、その方法を説いたのが、実は釈尊なのである。
したがって、人類の滅亡についての警告の書として書いたのが、『一九九九年カルマと、
霊障からの脱出』であり、ではどうすれば、滅亡をまぬがれるか、その方法を説いたのが
『輪廻する葦』である。
なお、この本では、滅亡の原理を熱力学の法則、「エントロピーの法則」によって説い
ているが、宗教の世界に「エントロピーの法則」を取り入れたのは、この本がはじめてで
あろうと思う。
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