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2024年04月17日

吉祥寺


斉藤哲夫.jpg斉藤哲夫+Earlytimes Strings Bandの「吉祥寺」。僕が若い時に住んだ吉祥寺には、パルコもロフトも無かった。東急百貨店と井之頭公園だけの街だった。あの頃に戻りたくても戻れる場所が無い。
斉藤哲夫さんは、埼玉県鴻巣市の出身で、今は東京都町田市。鴻巣市は、僕の元妻の実家で有り、町田市は僕の叔父、浦山桐郎(映画監督)が晩年に住んでいた。何という奇遇だろう!と思う。
僕が中学生の時に最も好きだった歌は、斉藤哲夫さんの「悩み多き者よ」だった。未だ直接にお会いしたことは無いけど、お会いしたら泣いてしまうだろう。どんな人生よりも大切な歌が僕には有る。



Good and Dusty (良い、そして埃っぽい)

ヤングブラッズ.jpgロックの話に戻ろう。世代(ジェネレーション)の違いは勿論あるけど、音楽は勉強心の在り方だと思う。
70年代にウエストコースト・サウンドが流行った時、シンガーソング・ライターのジェシ・コリン・ヤングが人気があった。しかし、彼はニューヨーク出身だった。ははは、笑うね。
彼は’60年代にアメリカ南部出身のメンバーを集めて、ザ・ヤングブラッズというバンドで活躍し、既に、ヒッピー、カウンター・カルチャーのスターだった。
日本の大瀧詠一や山下達郎が好きだったのは、ザ・ヤングブラッズの方だった。小綺麗なウエストコースト・サウンドでは無く、サザーン・ロックの方だった。



そうめんの茹で方

そうめん.jpgフェイスブックに「そうめん」の事を書いたら反響が多かったので、こちらにも書きます。東京や大阪は「そうめん」を余り食べませんが、そうめんは元々「南蛮渡来」の食べ物だったのでは無いか?というのが、僕の持論です。
実際にキリシタン大名や隠れキリシタンが多かった地域、四国、九州、兵庫県に多いです。極め付けは、長崎の「島原そうめん」です。大阪(豊臣秀吉)や東京(江戸幕府)では余り食べないでしょう?




マイケル・ヘッジスと植村直己


マイケル・ヘッジスの「Because It's There (なぜなら、そこに有るんだ)」という曲。
この曲は1986年の映画「植村直己物語」に使われた。知らない世代も多いと思うから劇場予告編の動画も見てみよう。

植村直己物語.jpg1970年に、世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した植村直己は、現在の兵庫県豊岡市日高町の生まれだった。姫路市から近い。此の事は、姫路市民は忘れては成らない。姫路市から見ても田舎の、昔は城崎郡と呼ばれた場所からエベレストに行った、植村直己。やっぱりアホである。「何でか言うたら、そこに有るんや」。植村直己の言葉だった。




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光平
音楽と絵画の怠け者。クリスチャンです。
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