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2024年08月15日

 1061 似た者同士




子供の好奇心、色々な事に、疑問を感じます。
ひかるは、野生のハトを生け捕り、飛べないよう羽先を切り、ニワトリ同様、飼い慣らそう、と実験。
難なく飼い猫に食べられてしまい、小さなウズラですら、野良猫に襲われても逃げ切れるのに、何んでいとも簡単に食べられるのだろうか、と考えさせられました。
やはり、空を飛ぶ鳥は空で生き、たとえ小さなウズラでも、地上で生きる代々の知恵が備わっているのだなぁと感心。
また、大空を飛び交う、ひばりを観察すると、巣へ入る時、直接巣には入りません。
わざと別な場所へ降り、茅の根を這って近づき、巣に入ります。
直接巣に入ると、カラスに巣の場所を狙われ、卵や雛を食べられる為、知恵を使っているのです。
しかし、巣から出る時は、直接飛び立ちます。
頭隠して、尻隠さず、の格言通り。
やる方もやる方、気付かない方も気付かない方。
どちらも、似たもの同士。
間抜けな鳥もいます。
ニワトリを野生化させた場合、卵を産む度に、必ず喜びの大声を「コケコッコー コケコッコー」と上げます。
カラスはその大声で、卵が生まれた事と、巣の場所を確認、労せずして、栄養満点な卵を頂戴。
ニワトリの馬鹿さ加減は、見て居られません。
他にも無責任な鳥がいます。
野生のハトは、人間に見つからないよう、細心の注意をし、場所を考え巣を作ります。
野生のハトの巣を見つけるのは、容易ではありません。
一度、人間が巣を見つけ、近づいた気配が感じられると、警戒し、二度と巣には戻りません。
多分、人間の匂いを感じるのでしょう。
我が子より、我が命を大事にする、臆病な生き物。
普段は、楽しく飛び回っているスズメやひばり達、台風の時どうするのだろうか。
台風を避け、遠くへ逃げるはずは無い。台風を避け、数十キロ先の島へ逃げ、翌日その島へ舞い戻って来る事は、とうてい考えられません。
それが証拠に、台風が過ぎ去った翌日には、元気よく飛び回っているのです。
その疑問は解けました。
小鳥達は、危険が迫った時、岩穴で台風が過ぎ去るのを、じっと待っているのです。
彼らは、どうしたら尊い命を守れるか、心得ていたのです。
我々も、小鳥の生き方に見習うべきではないだろうか。
時代のうねりや大きな組織力で、一人で立ち向かっては、どうしようもない事が、しばしば身に振り掛かります。
何も一人で立ち向かい、尊い命を落とす必要はなく、厳しい嵐が自分に振り掛かった時、岩穴でじっと時を待ち、思案する事も必要。
嵐が通り過ぎた時、思いっ切り行動に出ましょう。

 1060 時差処理




生きていく中、誰もが持って生まれた財産、知恵を使わない方はありません。
基本的な知識は、学校なり、本を読む事で得られますが、知恵は見方、考え方、立場や状況等で、十人十色。
絞り出せば出す程、無尽蔵に出て来ます。
親子や将来に関する問題等、少なく見ても、一人30以上の問題があるかと思いますが、一つ一つの問題に対し、いま採れる最良の方法。これしかない! 道を選んでみましょう。
30通りの、これしかない! があるはず。
後は、その最良の方法を実行するだけ。
そして、30通りの問題すべてが矢と成り、自分の方へ向かって来ますが、すべての問題には時間差があり、その時間差を利用し、一つ一つ処理して行く。
100問題があったとしても、決して、処理不可能と言う事はありません。
今は小さな問題でも、将来は大きな問題になる場合もあり、それに対しては、今の内に手を打っておけば、大きくならずに済ます。
今は大きな問題でも、時間が解決し、消滅する問題もあるかと思います。
良きリーダーに成れる人は、問題点を見つけられるか、処理出来るか、将来、伸ばすべき芽を見つけられるか、そして、育て大きく出来るか、という事へ、知恵をいかに絞り出せるかが、大事な要素ではないだろうか。
数年後に、大きな問題に成る、と判断したならば、担当者を置き、現状のまま大きくするな、と指示。
今は小さくても、将来大きな芽にしたい場合は、しっかり説明をし、目標を持たせ、担当させれば、芽は徐々に育って行きます。
将来、大きくなる問題でも、今は処理が出来ない、という場合は、担当者を置き、調査を継続。
後で経過を知らずに荒治療するのと、知っていてやる事では、処理方法に大きな差が出て来るのは当然。
男の働き盛り三十代、ひかるは八十人の部下を任され、下請けや外注を含めると、百数十人の仕事を処理していました。
だいたいが十五から、二十班に分かれ、国内外取材、翌日以降の予定や下見、打ち合わせや段取り等、同時進行。
他にも兼務が多く、電話は鳴りっぱなし、客は順番を待っている状況で、目の回る忙しさでした。
これ程多くの問題をどう整理し、同時処理しているのか、コツを教えて欲しいと言われましたが、問題処理に、前記した通り、知恵を使っていた事が分からなかったようです。
色々な問題があったとしても急ぐべきか、直接自分が実行すべきか、部下に振り分け、実行させて大丈夫かどうか、即座に判断し、指示して行けば問題にはなりません。
大事な事は、三十本の矢を描き、時差処理をして行く。
このような事は、決してコンピューターには出来ず、そこが知恵を使う人間の、偉大な要素ではないだろうか。

 1059 母は母




母は晩年、アルツハイマーとなりました。
上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。
やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。
アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。
日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。
しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。
既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。
お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。
妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。
ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。
何んで、息子を怖がるんだ!
何んでこうなってしまったんだ!
辛い時、孤独な時、何時も優しい母を思い出し、例え落ちぶれた姿でも、温かい眼差しで迎え入れてくれる。
どんな時でも母にだけは信じてもらえる、という心の拠り所があったからこそ、今まで頑張って来れた筈なのに・・・
元気な姿を見せ、喜ぶ顔が見たくて頑張って来れたのに・・・
子供の頃、怒られもしました。叩かれもしました。しかし常に温かく見守る眼差しが有り、愛が有りました。
命有る限り、我が身に限って、母の愛が閉ざされるなんて・・
まさかこのような親子の再会に成るとは、一度も想像しなかった・・
夢だに見なかった・・
母の元、一つ屋根の下で生活出来たのは15歳迄。
人間、いくつになっても母は母。
もっともっと甘え「お母さん」といっぱい呼んでやりたかったのに・・
話したい事が、背負い切れない程、沢山有るのに・・
母の事を思い出さない日は、一日たりとて無かった。
母とて一日たりとも忘れなかっただろうに・・・
会える日を一日千秋の思いで待ち続けた母子。
何んで無情にも鉄の扉が降りてしまったのだろうか。
子供達との離別生活、会いたい一心が高じ、アルツハイマーに成ったのだろうか。
待たせ過ぎた! 許してくれ・・・
母の為、何一つしてやれなかった、喜ばせてやれなかった悔しさに、懺悔の波は押し寄せ、断腸の思いに唖然と立ちすくむだけでした。
母子の心さえ通わせられないアルツハイマーの怖さ。
これ程辛くて、寂しい世界があるだろうか・・
母の好物を思う存分食べさせると、脅えが和らぎ、手を握れるようになりました。
そして足腰の弱った母を背負い、散歩に出た時、あまりの軽さにつんのめり三歩歩んで立ち止まる。
ランドセルの重さにしか感じられません。
全ての記憶を失った母に心は通じず、長き別離を償う無言の歩み・・
南国の陽射に汗ばむ背中。
涙は止めどなく、踏み出す影へ、七つ・・八つ・・・・
海を見下ろす丘の上、洗剤の如く押し寄せる白いさざ波。
波の足音は、ザザザーサー、ザザザーサーと浸み、身や心、砂浜までも洗い清めて行きます。
はるばる長い旅路を渡って来たのだろうか、風は優しくすれ違い「風の渡り来る南、生まれ育った島、我が家があるんだぞ、風の行く先、東京があるんだぞ」と語りかけると、心が通じたのだろうか。
母は何時迄も、生まれ育った南の空をじーっと見つめ、他を向こうとはしません。
懐かしい古里、遠い昔の事を思い出しているのだろうか。
首に抱き付く、か弱い両手にこもる力、島を手繰り寄せているのです。
大きくあえぎ、高まる息遣い、首筋に二つ、熱く伝わる母の涙。
翌年、死に水も取れない、心を通わせる事すら出来なかった、永遠の別れとなり、生涯、ぬぐう事叶わず、消す事の出来ない、涙を背負い続ける人生と成ってしまいました。
・・親不孝 詫びる息子の 背に涙・・

 1057 男泣き




入社5年目、放送局では心臓部門の「テレシネ」職場へ配属されました。
放送開始から終了まで、交代制宿泊勤務がある、映画やアニメ、大量のコマーシャルなどを送出する職場。
数10台もの映写機がずらりと立ち並び、指定された映写機へ素材を装填。
魔法の箱の心臓部は、ミスが即全国へ流れ、緊張感がピリピリ伝わる職場です。
遂に自分自身の手で、フイルムをかけ、全国へ映画を流す時が来たのです。
興奮のあまり胸は高鳴り、震える手。
映写機の爪の噛み具合をニ、三度確認。
3秒前!
2秒前!
1秒前!
スタート、オン!
・・大成功!!
遂に魔法の箱へ辿り着いた。
見果てぬ夢だと思っていたのに・・
熱く込み上げるものがあり、私と同じ映画館に行けない子供達が、テレビで映画を観る事でしょう。
体が不自由な人で、映画館に行かなくても、家で映画が観られる。
病院で療養中の人も・・
お年寄りで映画館に足を運べない人も・・
山間部の人も・・
島の人も・・
この映画を、何百万人もの人が観ているのだろうか。
少しは世の役に立っているのでは・・
夢を追い続けて来た事は、間違いではなかった。
遥か南の島、南十字星を眺め、ランプの灯りで過ごした子供の頃が思い出され、映画が観れなくて悔しかった事。
数々の失敗をし、パスポートを握り締め、親と別れた事。
貧しくて辛かった東京での生活等が、走馬灯の如く通り過ぎ、日本の南端で動き出したこの鼓動、無意味ではなかった。
父よ! 母よ! この世に誕生させてくれて、有難う。
生まれて初めて、芯底湧き出る喜びを体験し、涙が出ました。
男泣きです。

 1056 正義の目




また、テレビマンの世界は、視聴者には考えられない、過酷な職場でもあるのです。
ジェットコースターの後ろ向き乗り、後ろ向き走りや、高所恐怖症の解消は勿論。
野球中継などでは、どこへ飛ぶかも知れないホームランボールを、一瞬たりとも画面から外す、見逃す事は許されません。
小さなファインダーに望遠レンズ、当たった瞬間の初速度は想像出来るかと思いますが、球を捉え続けるのは至難の技で、かなりの熟練を必要とします。
また、一、三塁にランナーが出、一打同点の時等は、盗塁をするのか、先にホームを突かせるのか、両監督の腹の内を読み、全スタッフが瞬時に連係プレー。臨場感溢れる内容を放送。
他のスポーツのルールやマナーは勿論、政治経済、芸能界や水中撮影など、あらゆる分野の勉強と訓練。
そして、張り込み取材にいたっては、忍耐あるのみ。
ジェットコースター後ろ向き乗りで、フォーカス、ズーマーを自由に操作出来るカメラマンは、70人のカメラマン中、たった一人しかいませんでした。
また、ジェットコースターへ乗る時は、落下物、小物等は持ち込めません。
我々が取材する場合は、施設責任者と十分にチェック、間違っても素人が、真似をしない事です。
ねつ造テレビや、やらせテレビ事件などが、後を絶ちません。
テレビはわずか50年で、街頭テレビの時代から家庭へ入り込み、大きな影響力を持つ情報機関に育ちました。
子供達はテレビで育ち、教育にまで影響しかねません。
往年のテレビマンが退き、安直に考えるようになったのだろうか?
競争原理、視聴率主義が強過ぎる為なのだろうか?
情報量が多くなり、不良品が出たのかは分かりませんが、気になる事件。
何があったとしても、人々の興味を無理に引く事のないよう、自然に共感され、興味を持たれ、納得してもらえる番組作りをしてほしいと、つくづく思うこの頃。
テレビカメラの目は一つです。
真実以外は写さない!
偽りや、まやかしは決して写さない!
テレビマンとしての心構えが求められています。
そしてテレビは、自らの巨大な影響力を考え、巨象が踏みはずす事のないよう、勇み足の無いよう、見つめ直す時期に来ているのではないだろうか。
その昔、「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われました。
現在、「テレビは、世に連れ、世を写す鏡」となっています。
慎重なる番組作りをして欲しい・・・
・・目は一つ、狙う真実、正義の目!・・

2024年08月14日

 1055 人間セミ




他にもテレビの裏側には、色々なエピソードがあります。
鉄塔での高所取材時、スタッフが本番終了までは無事でしたが、いざ降りる段になり、下を見た瞬間、高所恐怖症が走り、降りるに降りられなくなりました。
下から声をかけるにも、見向きもせずボンドで貼り付けたのではないか、と思われるくらいベッタリしがみ付き、ワナワナと震える姿は人間セミその物、お笑い番組のシーンのようで、笑ってしまいそうですが命にかかわる一大事。
救出作戦は大騒ぎになりました。
思い出したくない事件もあります。
雄巣鷹山日航機墜落事故。取材活動の帰社後、スタッフの食欲が進まず、落ち込みが激しかった事には参りました。
真夏の出来事、犠牲者と泣き崩れる遺族の姿が、あまりにも多過ぎ、山全体を覆う臭気と霊気中での取材。
規制線は無く、生々しい現場を見、精神的に受けたショックが大き過ぎたのです。
食べ物を見ても、衣服を焼き捨てても、風呂に何度入っても、あの臭気が鼻にこびり付き、色々なシーンが蘇って来るのです。
遺族の事を考えると生々しい事を書くと不謹慎ですが、何気なく見ると木の枝に肉片がぶら下がっていたり・・
本当にスタッフの脳の構造が破壊されかねないのです。
極力対話をし、冥福を祈り、元気をとり戻させる迄には、1カ月必要でした。
世の悲惨な出来事でも、いち早く正確に伝えるのがテレビマンの務め。
二度とあのような事故の起きない事を願うしかありません。
世の縮図を背負い、テレビマンは、今日も行く・・

 1054 冷凍人間?




テレビ界就職直後の昭和40年、晴海に新設された、零下30度という、冷凍倉庫取材に遭遇。
当時は冷蔵庫自体の普及率は低く、冷凍室付の冷蔵庫は未発売。
冷凍という言葉すらほとんど使われていませんでした。
冷凍倉庫自体も初めての開業で、大きな話題として取り上げられたのだ。
常夏の地で育ったひかるには、零下30度という世界は、かつて今まで生きて来た中では、とても考えられず、即座にコチコチの冷凍人間にされてしまう事しか頭に浮かんで来ません。
いよいよ本番になり、意地悪にも女性レポーターは奥の方へと入って行きます。
仕事なので、やらなければ、という意識はあるのですが、冷凍人間への拒否反応で足が竦み、何時でも逃げ出せるよう、入り口のノブに、しがみ付いているだけ。
本番が終ると、表へ飛び出すと同時に座り込み、二度とこのような仕事はやりたくない、と思いました。
周りからは、「テレビより、お前の恐怖に慄く顔が、一番面白かった」とからかわれ、今だに語り種。
氷や雪など、無縁の世界で育った人間が、冷凍倉庫へ入れ、と言われると冗談抜きに、どうしても浮かんで来るのは冷凍人間。
恐怖を感じ、拒否反応は間違いなく出て来ます。
もし皆さんが、これから乗る飛行機が間違いなく墜落する、と分かっていても乗らざるを得ない場合の事を想像すると、タラップを登る靴は、30キロにも感じるのではないだろうか。
ドアにしがみ付き、墜落寸前に飛び降りたい心境になるかと思います。
ひかるにとって、冷凍倉庫は、このような間違いなく死ぬのではないかと、恐怖を感じるところで、今だに零下30どという言葉は、身震いがするセリフ。
嫌な番組に冬の天気予報があります。
予報官が、「シベリアから零下30度の寒気団が南下し・・・・・・」
聞いただけで、金切り音が奥歯から後頭部へ引っ吊る感じがし、一晩中凍て付き、お願いだから、このセリフだけは絶対にやめてもらいたい.と思いますが、これは自分だけの問題ですので仕方がありません。
せめて、我が家のテレビだけは、このセリフを禁止用語とし、スピーカーから出ないよう、改造出来ないものかと考える、寒がりやの小心者。

1052 美顔人「ビガント」




そして、しかるべき国語として定め、教育にも取り入れ、外国にもアピール。
小中学生の女の子達が、大人に成った時、あの総称で呼ばれるような、素敵な女性に成りたいと、自分を磨き、実現出来た時、本当に、幸せを感じるのではないだろうか。
個人的な提案ですが、清らかで、品位のある、美しい心の素敵な女性、美顔人(ビガント)、と称したらいかがでしょうか。
発音は外国人にも、受けるかと思います。
思わず拍手喝采、乾杯! 乾杯! と言いたくなる、素敵な女性には、「ビガント!、ビガント!」 と賞賛しようではありませんか。
現実は、オバタリアンなる言葉が流行っており、残念至極。
もし、オバタリアンと呼ばれる行動があったとしたら、即、反省すべきではないだろうか。
日本女性として、ビガント姿。
子供達に、見せつけよう。
世界へ、見せつけよう。
オバタリアンと、呼ばれるな!
オバタリアンと、呼ばせるな!
オバタリアンと、さようなら!
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