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2024年08月15日

1073 食糧戦争




人類は間違いなく、100億に達しており、カラスとの食糧戦争は回避しがたい事でしょう。
都市部では、身近に感じられない事ですが、農村部や温暖な国では、すでにカラスとの食糧戦争が始まっています。
果たして、人類は勝てるのだろうか?
カラスは、人家に近い所に棲んでおり、核や化学兵器は使えず、戦車を出動させたとしても、一羽打ち落とされれば危険を察知し、戦車よりも早く、自由に空を飛び、山や川、海を越え、国境を破り、逃亡。
人類の一点攻撃型兵器は、通用しません。
例え、二、三万羽打ち落とされたとしても、毎年増える数からして、彼らにとっては平気な数。
もしひかるが、カラスの大統領に就任したならば、人類との食糧戦争は、大勝利を収める事でしょう。
一万羽単位で、カラスの編隊を組み、地球上の各ゴルフ場へ基地として集結させ、上空300メートルから、ホールを狙って、小石を落下させる訓練をします。
ゴルフボールは、訓練用に使う為、必然的にゴルフ場は、カラスの軍事基地と化し、手始めに、一万羽のカラスに、其々300グラムの小石を持たせ、猛スピードで走る、新幹線の線路へ一万個の小石を落下させ、波状攻撃。
新幹線は、小石の山に脱線し、多数の死傷者が出、世界的なニュースになる事でしょう。
滑走路や高速道路、至る所で、小石の攻撃を行う為、人間は恐怖のあまり、新幹線、飛行機、車を利用しなくなるでしょう。
線路の小石は拾って何回でも使用。
軍事開発費はいらず、即座に実行出来、路上の人や民家にも一万個単位で、小石の雨を降らせます。
屋根やガラスは割れ、ライフル銃で撃ち落とすにも、300メートル上空までは届かず、特に黒いカラスの夜襲は、効果覿面。
手が付けられません。
農家へは大事な食糧確保の為攻撃せず、人間をカラスの奴隷にするのです。
カラスを「烏合の衆」、と馬鹿にしていた人間共が、逆に、烏合の衆、と呼ばれる羽目になります。
カラスの大統領は、作戦本部を移動し、世界各地の戦況を悠々と視察旅行。
各国首脳は、連日の応戦会議で、精根尽き果てる事でしょう。
強力な軍事力で、地球の保安官を自認するアメリカ大統領が、茹で上がりのタコ顔で、目ん玉飛び出させ、「カラスの野郎!、ブッ殺してやる!」、と喚き散らす、じだんだ姿が目に浮かびます。
カラスの大統領は、カッカラカ、カッカラカ、と高笑い、見下げる事でしょう。
飛べない人間、国境、人種問題を抱える人間が、カラスに勝つ事は、容易ではありません。
カラスは、すでに貝類を上空より落下させて割り、中身を食べる戦術を習得済。
人間を共通の敵と認知した場合、高速道路を走る車に、小石を落下し、一台でも事故を起こさせ、殺せる事が分かると、全カラスに伝達され行動を開始。
カラスには国境がない為、国際的な問題解決策が必要。
国際会議の開催を提案します。
ヒッチコックの映画が、現実のものにならない事を切望しよう・・・
 今すぐに、開発しよう、カラスピル!

1072 カラスの大統領




カラスの行動を観察すると、見事な連携プレー、編隊行動をとっている事が、分かります。
ニワトリのヒナを狙う時、一羽は見張り役。
もう一羽は、ケンカを仕掛ける役。
残りの一羽は、ヒナを奪う役目で、三羽での連携プレー。
親鳥が、ケンカを仕掛けられ、一羽のカラスに向かって行き、ヒナ鳥は、親の泣き声、様子に、危険が迫った事を感じ、オロオロ逃げ回るだけ。
奪う役目のカラスは、空から急降下し、逃げ回るヒナ鳥を事もなげに持ち去ります。
この行動を三度繰り返す事により、平等にヒナを確保。
雑食性で、食欲旺盛なカラスに、殆んどの鳥類は、木の実や虫、卵やヒナ等をことごとく持って行かれ、その悪知恵には、とても追いて行けません。
小学生の頃、ひかるはカラスに弁当を取り上げられ、仕返しに卵を取ってやろうと、カラスの巣へ近付くと、何時どうやって呼び寄せたのか、数百羽のカラスが、上空に飛来し、編隊行動。
カラスは、巣を高い所に作る為、木の上で、本気に襲れたのでは、ひとたまりもありません。
事実、数十羽のカラスは、二メートル圏内に接近し、羽を広げて、黒い口ばしを目いっぱい開け、赤口での威嚇合唱。卵を取れば、即座に攻撃出来る臨戦態勢、恐怖を感じ逃げ帰りました。
何んで自分の卵でもないのに、他のカラスが集団攻撃行動に出るのか?
攻撃態勢のカラスは、血族なのか、それとも種族を守る為、安全保障条約を結んでいるのだろうか?
昨今、自然界の生態バランスが崩れ、人間が原因のように見られていますが、問題はカラスに有るのではないだろうか。
他の動物が減少する中、カラスには殆んど天敵がいない為、繁殖の一途です。東京の空も既に制覇され、神宮の森は、絶好の棲家として、他の鳥は、黒い軍団の恐怖に近付けません。
現在、地球上に、十億のカラスがいるとし、10年間で倍増すると、想定した場合、50年先には、320億の数に大繁殖。

1071 画 カラス

カラス.jpg

カラスの大統領。

 1070 夫婦喧嘩




また、沖縄のおみやげ店で目に付くのか、100歳にもなるかと思われる、シワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面でしょう。
この老夫婦面、実は、夫婦和合の、不思議な力が秘められている面だという事は、あまり知られておりません。
夫婦喧嘩は、どこでもあるかと思いますが、口もきかず、冷戦状態が続いた後でも、このシワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面を見ると、思わず吹き出してしまい、些細な事での夫婦喧嘩が馬鹿馬鹿しくなり、仲直りするとの事。
また、このお面をかぶっての、老夫婦の面踊りは最高です。
おじいちゃんは若い時、人一倍スケベーだったとの事。
腰も立たなくなった今、おばあちゃんが、「私のこと、好いとるか・・」と色っぽく迫り、もじもじし・・「おばあちゃんは、世界で一番美しい・・昔も今も一番好いとるぞー」と答えると、「よくも、焼きもちを妬かせてくれたもんだ・・」、とつねり、100歳もの老夫婦が、這いずり、顔を赤らめ、新婚初夜を思わせる仕草は、腰が抜ける程笑わせてくれます。
お祭りや結婚式などに舞れ、舞台上では決してお面を取らず、どの夫婦が舞ったのか、演者当ても場を盛り上げます。
夫婦の機微、和合を楽しませる踊り、一度は世の夫婦に見せたい踊りです。
また、この面踊り、忘年会や結婚式に踊ると、大受けする事間違いなし。
お面を新婚祝いに送ると喜ばれる事、受けあいです。
このお面は「ヤマシキのアブジヤーマー」、と呼ばれ、山崎村のおじいちゃんおばあちゃん、と言う意味で、この山崎村、今は廃村ですが、昔黒島にあった村で、歯っ欠けお面の発祥地です。
知念家では代々、高砂のお面、として大事に祭られております。
ひかると言う男の脳内プログラム、生い立ちの影響なのか、引く事、後退するという事が、考えられないのである。
前記した通り、12ミリ、いや、12カ月、80センチのスケール上で人生を考えるので、後退という事はあり得ないのである。
勿論、後悔するという事も殆んどない。
そして後輩達には、「俺は、背中に断崖絶壁、崖を背負っている、振り向けば、目まいでまっ逆さま、木っ端微塵。だから、振り向く事もしない。常に進む以外はない。嵐が来れば、四つん這いになり、更に激しくなれば、腹這う、そしてミミズとなって、這いずってでも、前へ進む」
人生とは、そういうものだ、と説くのである。
「生半可でない、常に極限の生き方を求めろ!」と。

1069 画 面踊り

a84 面踊り.jpg

ジジババ面踊り。

1068 パーイ




日本人のルーツは、南方説、北方説、中国説と、色々議論されていますが、南端の黒島では、南方説を裏付ける、珍しい方言が残っています。
例えば、農耕に使うクワの呼び方ですが、島では、「パーイ」と呼びます。
言語学者によると、ペルーの山奥の原住民が、同じ「パーイ」と、呼ぶとの事。
どうしてこのような事が起きるのか、学者自身も不思議がっていました。
一説によると、ペルーやミクロネシア諸島等、赤道付近の島から、黒潮により言葉や生活様式が、運ばれたのではないか、と言われています。
更に不思議な事に、島では、足の事を食べるパンと同じ、パンと発音します。
もしかすると、南の島で、足の事を、パンと呼ぶ所が、あるのではないだろうか。
個人的な推測ですが、食べるパンの語源が、どこから来たのかは分かりませんが、その昔、小麦粉を足で踏みこね、発酵させたか、麦踏の足に関係しているのではないだろうか。
そして、足の事を、パンと呼ぶので、この食べ物をパンと、名付けたのではないかと、大胆な推測をしていました。
この地区は、島により多少方言の違いはありますが、黒島では殆んど「パ、ピ、プ、ペ、ポ」「ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ」等の発音だらけで、日本の五十音の発音だけで構成される言葉は、あまり見当りません。
私を方言で言うと「バー」、太陽が「ティダ」、鎌が「ガッキ」、笛が「ピーラキ」、太るが「パンタル」、逃げるが「ピンギル」、てんぷらが「パンビン」等、載げれば限がなく、日本にそのような言葉があるのだろうか、と疑いたくなりますが、紛れもない事実。
何んの因果か、ハブの事も「パン」と呼び、足、ハブ、パンを方言で言うと、パン、パン、パンになり、てんぷら、太る、逃げるが、「パンビン、パンタル、ピンギル」。
最近、南の国から輸入される果物等の呼び方を聞くと、アボガド、パパイヤ、マンゴウ、パイン等、島の方言にゴロ合いが、ぴったり合う発音に驚かされ、少なくとも日本の南端地区では、南方説を裏付ける現象がみられます。
また、「ようこそいらっしゃいませ」という、歓迎の言葉を「オーリ、トーリ」 と表現。
石垣島の商店街のアーケードに、この言葉が大きく、「おーり とーり」と掲げられています。
しかし、ほとんどの観光客は、「おーり 通り」と通り名を連想。
通りとは全く別な場所で、歓迎の「ようこそ、いらっしゃいませ」、「おーり とーり」の立て看板に出会うと、初めて疑問を感じ、正しい解釈をするようになります。
おかしな事に、石垣島の人通りの一番多い交差点に、カニウマの二人乗りは、やめましょうと、大きな立て看板。
本土の人は、蟹のように、横歩きをする、珍馬がいるのかと、興味をそそられますが、実は、カニウマの二人乗りとは、自転車の二人乗りの事で、
自転車の事を、カニウマ と言うのです。
金馬(カネウマ)が訛ってカニウマ??
本土のチャリンコ、いかにも可愛らしい呼び方だと感心させられられましたが、石垣島のカニウマは、ユニークな情緒のある呼び方ではないだろうか。
他にも面白い方言があります。
例えば、昔を方言で言うと、「パ〜ンティ」と言います。
高校時代、物語を方言で発表しようという事で、昔々、というくだりを、いきなり「パ〜ンティー、パンティ・・・」 と切り出すと、女生徒がキャーと大笑い。
パンティーと解釈され、爆笑の内に物語は終わりました。

1067 鼓動は泣きません




これから先、何十年間、動いてくれるのだろうか・・
きのうも、明日もご苦労さん!
どんなに、どんなに辛くても。
泣く事、知らない鼓動さん。
打ってみせます、淡々と・・
淋しがり屋の、精神さん!
泣き虫、弱虫、飛んで行け!
そうです、我々の精神は、淋しがり屋で、泣き虫です。
しかし、鼓動は泣きません。
しっかりとした足取りで、辛かろうが、嵐が来ようが、淡々と打ち続け、精神も一緒に頑張ろう、と元気ずけ、導いてくれる事でしょう。
人は、一人ぼっちだと思うから、辛いんです。
寂しいんです。
愛する人を失い、生きる事すら辛く寂しい時、貴方を命ある限り、励まし続ける・・
そうです、頼りになる味方が、身内にいたのです。
生涯の伴侶が、出来たのです。
現時点でスタートする鼓動や、最後の一鼓、役目を終わる鼓動あり。
例え五十億個の一つでも、響きに無意味はなく、人種や貧富、男女や宗教の差別や区別なく、全ての人に平等に脈打つこの鼓動。
生き延びたい、と願いながらも、飢え等で消えゆく命を見る時、何のために生まれて来たのか。
人間として最低限、鼓動を維持出来る食糧が、確保されるべきではないかと、考えさせられます。
命の誕生、精子と卵子が合体した時点で、鼓動はスタート。
細胞分裂で肉体が育まれ、その上に精神が芽生え、一人の人間として成長。
そして人々は、己の分身、証として新しい命を引き継いで行きます。
しかし、鼓動が停止した時点で肉体は滅び、精神は、瞬時に消滅する。
鼓動は、万人平等に与えられた最大の宝。
何故、脈打っているのか?
止まる前に、何をなすべきか?
今一度、人間の"命の原点である、”鼓動”と言う側面から己自身や人生を見、物事を見定める必要があるのではないだろうか。
人々が、人種や国境を越え、お互いの鼓動を尊重し合い、地球全体が幸せの鼓動の響きで覆われん事を願っております。

1066 鼓動との対話




脳死という言葉がありますが、脳が死んでも鼓動は続いており、逆は成り立ちません。
不幸にして道半ば、やむなく止まる事を宣告され、残る鼓動をどう使うべきか、と思案に暮れる人生があるかと思うと、朝の目覚めに己の鼓動へ触れる時、昨夜来、全ての機能が休んでいる間も、元気に続けるこの響き。
値千金で、感謝せざるを得ません。
これほどすばらしい鼓動でも、一度止まったら終点。
例え、栄耀栄華を極め、いかなる名声を得ようとも、間違いなく止まる宿命を帯び、ただひたすら打ち続ける。
これしかなく、無意味に打たせれば、白髪とシワが増えるだけ。
しかし、精神には終点がありません。
音楽や芸術の世界、生き方など、先人達が残してくれた思想や、素晴らしい作品に、何百年後でも感動させられ、小さな事でもいい、自分の子供にだけでもいい。
何かを残せる人生を、歩みたいものです。
一人ぼっちで寂しい時、人生の嵐が襲い掛かり、苦しい時、そっと胸に手を当て、生まれた時と変わらない、清らかな響きで打ち続ける、鼓動との対話を試みてみましょう。
今まで、何十年間、動き続けたのだろうか?
精神が全てを休め、ぐっすり眠っている間も、暗闇、孤独、何のそのと打ち続けるだけ。
ひと休みしたいだろう・・
疲れるだろうに・・

1065 値千金




我々の日常は、朝晩寝起きし、時計は回転して元に戻り、一年が終ると、また新しい年を迎える、が繰り返されています。
人生もまた、繰り返しの連続のように錯覚しがちですが、繰り返し以外にも、子供の誕生や親との別れ等、繰り返す事の少ない事もあり、人生が成り立っています。
人生を80歳まで、生きられると計算し、80センチの物差しに置き換えて見ましょう。
物差しの10ミリを12か月単位に置き換え、仕事や結婚の経歴、上段には親の年齢で、下段には女房や子供達の年齢を棒線で記入。
この一方通行のスケール上で、家族や人生を考えると、子供の進学や成人の時、自分は何歳で、子供達と、どのような会話が必要か。
教育資金が、一番必要な時期に、どう対応すべきか。
定年時、家族の年齢や状況が、どうなっているか。
位置付けが、よく理解出来、今後の展開等、色々な新しい事が、発見出来るかと思います。
人生は不確定要素があり、完璧とはいきませんが、決して後戻りの出来ない、一方通行のスケール上で、物事を考え、
人生の目標なりを設定する事により、毎年繰り返す事柄と、五年や十年、生涯を通して貫く事が、年代ごとに計画され、
己の人生が、より良きドラマとして演出出来、かなりの精度で、人生の青写真なり、予測なりが出来るのではないだろうか。
そして長い人生を考えた場合、我々の鼓動は、一分間に七三回打つとすると、一日に十万回以上、八十歳まで生きるとして計算すると、なんと三十億回以上も打つ事になります。
体内に張り巡らされた血管の総延長と、片時も休む事なく、三十億回以上も血液を送り続け、回収する作業。
しかも酸素やビタミンなどの量を調節し、八十年も打ち続けるのです。
地球を何周するのだろうか?
生涯、どれだけのエネルギーを生み出すのだろうか?
いかに技術が進んだ現在でも、部品交換なしに八十年間、動き続ける機械を作る事は不可能。
己の持てるパワーの偉大さ、改めて考えさせられます。

 1064 ハブジャンプ




また、ある虫が発生すると、ある魚種が近海に集まっている、と言う虫との間違いない関連もあります。
小さな島、周りの海から吹いて来る風、虫などの情報は、生きて行く大事な知恵でした。
ひかるが子供の頃、島の収入源は、サトウキビ生産で、サトウキビは、ネズミの格好の餌。
ネズミが繁殖し、その天敵として、猛毒を持ったハブが、大繁殖していました。
ハブは、脱皮をするので、皮を見ると、どれくらいの大きさか、ハブの棲家が、どの近辺かは、子供同士の情報交換で察知出来ます。
しかしハブは、かなりの行動範囲を持っているので、常に心の準備が必要でした。
ハブに噛まれた人を数多く見、ひかるも噛まれる直前の危険な目に何度か遭い、毒の猛威は、嫌という程知り尽くしていました。
噛み所によっては、命に関わります。
昔からの知恵で、島の道には、真っ白い砂を敷きつめてあり、美観の問題は勿論、夜道を歩く時、ハブが発見可能なように出来ています。
石垣の合間から、ハブが出てきた瞬間、本能的に、ガニ股で飛び退きます。
いわゆる、究極の「ハブジャンプ」です。
これは、子供の時から、親に教えられなくても、自然に出てくる行為。
それが出来なければ、猛毒を持ったハブに、間違いなく噛まれていた事でしょう。
上京して間もない頃、歩道を横断中、なにげなしに足元を見た瞬間、ハブが現れ、思わずガニ股、ハブジャンプ!。
自転車で横を通り過ぎようとした、おじさんと、もろにぶつかり、怒鳴られました。
まっすぐ歩けば、いいだろうに!
わざと、やったんだろう!
謝るしかありません。
前方には誰もいない、すれ違う人もなく、見通しの良い歩道。
いきなり、思いっ切りガニ股で、横っ跳びに出る行為は、自転車めがけ、体当たりをして来た、としか思えないはずで、怒鳴らない人は皆無でしょう。
「ハブが出たので、ハブジャンプをしたのですが・・」と説明しても分かってもらえません。
よく見ると、ハブではなく、ネクタイが落ちており、それがハブに見えたのです。
ハブが出るはずもない、アスファルトに覆われた東京のど真ん中で、子供の頃から、命に関わる本能として覚えた、見事なハブジャンプが出てしまったのです。
改めて、ごめんなさい!
ごめんなさい!
ごめんなさい!
(黒島は今、ほとんど牧場となり、ネズミも激減、そのため、ハブもほとんどいません)

 1063 怒鳴られる




ハブの性器は、メスには二つ、オスには四つあります。
数が合わないので、疑問に思いますが、オスの性器は、ペアになっており、しかもイボイボ状。
ペアでメスの性器へ挿入し、交尾。
蛇体は絞め縄の如く、もつれ喰い込み、飲まず食わず、執念深くエキスをむさぼりあう。
その姿はすさまじく、犬や牛馬の交尾とは比較にならず、ゾクゾクとさせられます。
しかし、ハブは害のみにあらず。
初夢にハブを見ると、大金が転がり込む、金運の女神、とも言われています。
興味は、海へも向けられます。
魚のヒレに切れ目を入れた場合、まともに泳げるか実験。
必死に、尾ビレで舵を取るにも、ほろ酔いチドリ泳ぎ。
残酷な事をしてしまった、と後悔させられました。
ある時、父が空を見上げ、急に、今日は、ハトッシ(方言魚名)が、大量に捕れる日だと、漁へ出かけ、間違いなく、言った通りの魚種を捕って来るのを目撃。
陸に居ながら、何んで海中の魚の事が分かるのだろうか?
不思議に思い聞くと、風で感じるとの返事。
魚の臭いがする訳でもなく、どうしてだろう?
再度尋ねると、海から吹いて来る風の温度で、北上する黒潮の水温を体感。
近海を、どの魚種が回遊して行くのか、当てるとの事である。

 1061 似た者同士




子供の好奇心、色々な事に、疑問を感じます。
ひかるは、野生のハトを生け捕り、飛べないよう羽先を切り、ニワトリ同様、飼い慣らそう、と実験。
難なく飼い猫に食べられてしまい、小さなウズラですら、野良猫に襲われても逃げ切れるのに、何んでいとも簡単に食べられるのだろうか、と考えさせられました。
やはり、空を飛ぶ鳥は空で生き、たとえ小さなウズラでも、地上で生きる代々の知恵が備わっているのだなぁと感心。
また、大空を飛び交う、ひばりを観察すると、巣へ入る時、直接巣には入りません。
わざと別な場所へ降り、茅の根を這って近づき、巣に入ります。
直接巣に入ると、カラスに巣の場所を狙われ、卵や雛を食べられる為、知恵を使っているのです。
しかし、巣から出る時は、直接飛び立ちます。
頭隠して、尻隠さず、の格言通り。
やる方もやる方、気付かない方も気付かない方。
どちらも、似たもの同士。
間抜けな鳥もいます。
ニワトリを野生化させた場合、卵を産む度に、必ず喜びの大声を「コケコッコー コケコッコー」と上げます。
カラスはその大声で、卵が生まれた事と、巣の場所を確認、労せずして、栄養満点な卵を頂戴。
ニワトリの馬鹿さ加減は、見て居られません。
他にも無責任な鳥がいます。
野生のハトは、人間に見つからないよう、細心の注意をし、場所を考え巣を作ります。
野生のハトの巣を見つけるのは、容易ではありません。
一度、人間が巣を見つけ、近づいた気配が感じられると、警戒し、二度と巣には戻りません。
多分、人間の匂いを感じるのでしょう。
我が子より、我が命を大事にする、臆病な生き物。
普段は、楽しく飛び回っているスズメやひばり達、台風の時どうするのだろうか。
台風を避け、遠くへ逃げるはずは無い。台風を避け、数十キロ先の島へ逃げ、翌日その島へ舞い戻って来る事は、とうてい考えられません。
それが証拠に、台風が過ぎ去った翌日には、元気よく飛び回っているのです。
その疑問は解けました。
小鳥達は、危険が迫った時、岩穴で台風が過ぎ去るのを、じっと待っているのです。
彼らは、どうしたら尊い命を守れるか、心得ていたのです。
我々も、小鳥の生き方に見習うべきではないだろうか。
時代のうねりや大きな組織力で、一人で立ち向かっては、どうしようもない事が、しばしば身に振り掛かります。
何も一人で立ち向かい、尊い命を落とす必要はなく、厳しい嵐が自分に振り掛かった時、岩穴でじっと時を待ち、思案する事も必要。
嵐が通り過ぎた時、思いっ切り行動に出ましょう。

 1060 時差処理




生きていく中、誰もが持って生まれた財産、知恵を使わない方はありません。
基本的な知識は、学校なり、本を読む事で得られますが、知恵は見方、考え方、立場や状況等で、十人十色。
絞り出せば出す程、無尽蔵に出て来ます。
親子や将来に関する問題等、少なく見ても、一人30以上の問題があるかと思いますが、一つ一つの問題に対し、いま採れる最良の方法。これしかない! 道を選んでみましょう。
30通りの、これしかない! があるはず。
後は、その最良の方法を実行するだけ。
そして、30通りの問題すべてが矢と成り、自分の方へ向かって来ますが、すべての問題には時間差があり、その時間差を利用し、一つ一つ処理して行く。
100問題があったとしても、決して、処理不可能と言う事はありません。
今は小さな問題でも、将来は大きな問題になる場合もあり、それに対しては、今の内に手を打っておけば、大きくならずに済ます。
今は大きな問題でも、時間が解決し、消滅する問題もあるかと思います。
良きリーダーに成れる人は、問題点を見つけられるか、処理出来るか、将来、伸ばすべき芽を見つけられるか、そして、育て大きく出来るか、という事へ、知恵をいかに絞り出せるかが、大事な要素ではないだろうか。
数年後に、大きな問題に成る、と判断したならば、担当者を置き、現状のまま大きくするな、と指示。
今は小さくても、将来大きな芽にしたい場合は、しっかり説明をし、目標を持たせ、担当させれば、芽は徐々に育って行きます。
将来、大きくなる問題でも、今は処理が出来ない、という場合は、担当者を置き、調査を継続。
後で経過を知らずに荒治療するのと、知っていてやる事では、処理方法に大きな差が出て来るのは当然。
男の働き盛り三十代、ひかるは八十人の部下を任され、下請けや外注を含めると、百数十人の仕事を処理していました。
だいたいが十五から、二十班に分かれ、国内外取材、翌日以降の予定や下見、打ち合わせや段取り等、同時進行。
他にも兼務が多く、電話は鳴りっぱなし、客は順番を待っている状況で、目の回る忙しさでした。
これ程多くの問題をどう整理し、同時処理しているのか、コツを教えて欲しいと言われましたが、問題処理に、前記した通り、知恵を使っていた事が分からなかったようです。
色々な問題があったとしても急ぐべきか、直接自分が実行すべきか、部下に振り分け、実行させて大丈夫かどうか、即座に判断し、指示して行けば問題にはなりません。
大事な事は、三十本の矢を描き、時差処理をして行く。
このような事は、決してコンピューターには出来ず、そこが知恵を使う人間の、偉大な要素ではないだろうか。

 1059 母は母




母は晩年、アルツハイマーとなりました。
上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。
やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。
アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。
日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。
しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。
既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。
お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。
妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。
ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。
何んで、息子を怖がるんだ!
何んでこうなってしまったんだ!
辛い時、孤独な時、何時も優しい母を思い出し、例え落ちぶれた姿でも、温かい眼差しで迎え入れてくれる。
どんな時でも母にだけは信じてもらえる、という心の拠り所があったからこそ、今まで頑張って来れた筈なのに・・・
元気な姿を見せ、喜ぶ顔が見たくて頑張って来れたのに・・・
子供の頃、怒られもしました。叩かれもしました。しかし常に温かく見守る眼差しが有り、愛が有りました。
命有る限り、我が身に限って、母の愛が閉ざされるなんて・・
まさかこのような親子の再会に成るとは、一度も想像しなかった・・
夢だに見なかった・・
母の元、一つ屋根の下で生活出来たのは15歳迄。
人間、いくつになっても母は母。
もっともっと甘え「お母さん」といっぱい呼んでやりたかったのに・・
話したい事が、背負い切れない程、沢山有るのに・・
母の事を思い出さない日は、一日たりとて無かった。
母とて一日たりとも忘れなかっただろうに・・・
会える日を一日千秋の思いで待ち続けた母子。
何んで無情にも鉄の扉が降りてしまったのだろうか。
子供達との離別生活、会いたい一心が高じ、アルツハイマーに成ったのだろうか。
待たせ過ぎた! 許してくれ・・・
母の為、何一つしてやれなかった、喜ばせてやれなかった悔しさに、懺悔の波は押し寄せ、断腸の思いに唖然と立ちすくむだけでした。
母子の心さえ通わせられないアルツハイマーの怖さ。
これ程辛くて、寂しい世界があるだろうか・・
母の好物を思う存分食べさせると、脅えが和らぎ、手を握れるようになりました。
そして足腰の弱った母を背負い、散歩に出た時、あまりの軽さにつんのめり三歩歩んで立ち止まる。
ランドセルの重さにしか感じられません。
全ての記憶を失った母に心は通じず、長き別離を償う無言の歩み・・
南国の陽射に汗ばむ背中。
涙は止めどなく、踏み出す影へ、七つ・・八つ・・・・
海を見下ろす丘の上、洗剤の如く押し寄せる白いさざ波。
波の足音は、ザザザーサー、ザザザーサーと浸み、身や心、砂浜までも洗い清めて行きます。
はるばる長い旅路を渡って来たのだろうか、風は優しくすれ違い「風の渡り来る南、生まれ育った島、我が家があるんだぞ、風の行く先、東京があるんだぞ」と語りかけると、心が通じたのだろうか。
母は何時迄も、生まれ育った南の空をじーっと見つめ、他を向こうとはしません。
懐かしい古里、遠い昔の事を思い出しているのだろうか。
首に抱き付く、か弱い両手にこもる力、島を手繰り寄せているのです。
大きくあえぎ、高まる息遣い、首筋に二つ、熱く伝わる母の涙。
翌年、死に水も取れない、心を通わせる事すら出来なかった、永遠の別れとなり、生涯、ぬぐう事叶わず、消す事の出来ない、涙を背負い続ける人生と成ってしまいました。
・・親不孝 詫びる息子の 背に涙・・

 1057 男泣き




入社5年目、放送局では心臓部門の「テレシネ」職場へ配属されました。
放送開始から終了まで、交代制宿泊勤務がある、映画やアニメ、大量のコマーシャルなどを送出する職場。
数10台もの映写機がずらりと立ち並び、指定された映写機へ素材を装填。
魔法の箱の心臓部は、ミスが即全国へ流れ、緊張感がピリピリ伝わる職場です。
遂に自分自身の手で、フイルムをかけ、全国へ映画を流す時が来たのです。
興奮のあまり胸は高鳴り、震える手。
映写機の爪の噛み具合をニ、三度確認。
3秒前!
2秒前!
1秒前!
スタート、オン!
・・大成功!!
遂に魔法の箱へ辿り着いた。
見果てぬ夢だと思っていたのに・・
熱く込み上げるものがあり、私と同じ映画館に行けない子供達が、テレビで映画を観る事でしょう。
体が不自由な人で、映画館に行かなくても、家で映画が観られる。
病院で療養中の人も・・
お年寄りで映画館に足を運べない人も・・
山間部の人も・・
島の人も・・
この映画を、何百万人もの人が観ているのだろうか。
少しは世の役に立っているのでは・・
夢を追い続けて来た事は、間違いではなかった。
遥か南の島、南十字星を眺め、ランプの灯りで過ごした子供の頃が思い出され、映画が観れなくて悔しかった事。
数々の失敗をし、パスポートを握り締め、親と別れた事。
貧しくて辛かった東京での生活等が、走馬灯の如く通り過ぎ、日本の南端で動き出したこの鼓動、無意味ではなかった。
父よ! 母よ! この世に誕生させてくれて、有難う。
生まれて初めて、芯底湧き出る喜びを体験し、涙が出ました。
男泣きです。

 1056 正義の目




また、テレビマンの世界は、視聴者には考えられない、過酷な職場でもあるのです。
ジェットコースターの後ろ向き乗り、後ろ向き走りや、高所恐怖症の解消は勿論。
野球中継などでは、どこへ飛ぶかも知れないホームランボールを、一瞬たりとも画面から外す、見逃す事は許されません。
小さなファインダーに望遠レンズ、当たった瞬間の初速度は想像出来るかと思いますが、球を捉え続けるのは至難の技で、かなりの熟練を必要とします。
また、一、三塁にランナーが出、一打同点の時等は、盗塁をするのか、先にホームを突かせるのか、両監督の腹の内を読み、全スタッフが瞬時に連係プレー。臨場感溢れる内容を放送。
他のスポーツのルールやマナーは勿論、政治経済、芸能界や水中撮影など、あらゆる分野の勉強と訓練。
そして、張り込み取材にいたっては、忍耐あるのみ。
ジェットコースター後ろ向き乗りで、フォーカス、ズーマーを自由に操作出来るカメラマンは、70人のカメラマン中、たった一人しかいませんでした。
また、ジェットコースターへ乗る時は、落下物、小物等は持ち込めません。
我々が取材する場合は、施設責任者と十分にチェック、間違っても素人が、真似をしない事です。
ねつ造テレビや、やらせテレビ事件などが、後を絶ちません。
テレビはわずか50年で、街頭テレビの時代から家庭へ入り込み、大きな影響力を持つ情報機関に育ちました。
子供達はテレビで育ち、教育にまで影響しかねません。
往年のテレビマンが退き、安直に考えるようになったのだろうか?
競争原理、視聴率主義が強過ぎる為なのだろうか?
情報量が多くなり、不良品が出たのかは分かりませんが、気になる事件。
何があったとしても、人々の興味を無理に引く事のないよう、自然に共感され、興味を持たれ、納得してもらえる番組作りをしてほしいと、つくづく思うこの頃。
テレビカメラの目は一つです。
真実以外は写さない!
偽りや、まやかしは決して写さない!
テレビマンとしての心構えが求められています。
そしてテレビは、自らの巨大な影響力を考え、巨象が踏みはずす事のないよう、勇み足の無いよう、見つめ直す時期に来ているのではないだろうか。
その昔、「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われました。
現在、「テレビは、世に連れ、世を写す鏡」となっています。
慎重なる番組作りをして欲しい・・・
・・目は一つ、狙う真実、正義の目!・・
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テレビ白黒時代から裏方技術家、40年のエッセイ。
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